名前 漢字 ハングル |
ユ・ヨンギル 劉永吉 유영길 |
性別 |
男 |
撮影作品 |
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撮影監督。1935年1月26日生まれ。仁荷大学電気工学科を1957年に中退し、映画監督のチャン・ソッキュンと出会う。以後、1960年まで国連軍従軍記者、MGM NEWS REEL に所属。1969年にユ・ヒョンモク監督の『私も人間になりたい』で撮影監督としてデビュー(左のフィルモグラフィーは公倫審査日順)。1998年1月16日に他界するまで74の作品を撮影する。1975年から1991年まで RKB/TBS NEWS ならびにアメリカ CBS 放送ソウル支局記者をつとめる。他に、東国大学演劇映画科、韓国映画アカデミー、ソウル芸術専門大学、韓国芸術総合学校映像院で教鞭を執る。また、1980年にはCBS放送の外信記者として光州事件を報道した。
1980年代にデビューしたニューウェーブ監督達、例えばペ・チャンホ、チョン・ジヨンらの作品を影で支えたのは彼の撮影であり、『風の丘を越えて〜西便制』の撮影で有名なチョン・イルソン撮影監督と並び称される存在。「朝鮮日報が選んだ韓国映画−映画人ベスト50(1998年)」でも撮影監督として映画人ベスト50に選ばれたのは、チョン・イルソン(16位)とユ・ヨンギル(17位)のみ。特に新人監督との共同作業に並々ならぬ情熱を傾けた人物で、1988年には現在韓国を代表する中堅監督にまで成長したチャン・ソヌ、パク・クァンス、イ・ミョンセのデビュー作を撮影した。また、晩年の作品『グリーンフィッシュ』のイ・チャンドン、『八月のクリスマス』のホ・ジノも新人監督であり、この2作品は各々1997年と1998年を代表する名作である。その撮影技術と人柄は韓国映画人の尊敬の対象であり、第3回(1998)釜山国際映画祭では彼の功績を称え「故ユ・ヨンギル撮影監督特別展」が開催された。
「ホ・ジノ監督インタビュー」では、『八月のクリスマス』のホ・ジノ監督がユ・ヨンギル撮影監督について語ってくれている。彼の言によれば「韓国映画界は、(ユ・ヨンギルという)非常に大きな柱を失ってしまった」とのことであるが、ユ・ヨンギルの愛弟子とも言えるキム・ソンボクは『接続』,『シュリ』,『カル』等の撮影監督を担当しており、また、1999年の『恋風恋歌』でデビューしたキム・ユニ撮影監督は韓国初の女性撮影監督でユ・ヨンギルの助手として多くの映画撮影に立ち会った人物。彼&彼女ら、後進の活躍に期待したい。
【受賞歴】
- 第13回(1970)釜日映画賞最優秀撮影賞『甕をつくる老人』
- 第11回(1972)大鐘賞撮影賞『息子の嫁』
- 第16回(1973)釜日映画賞最優秀撮影賞『花粉』
- 第18回(1979)大鐘賞撮影賞『長雨』
- 第4回(1980)韓国映画人協会撮影技術賞優秀賞『長雨』
- 第9回(1985)韓国映画人協会撮影技術賞最優秀賞『追憶の光』
- 第22回(1986)百想芸術大賞撮影賞『窓の外に潜水橋が見える』
- 第12回(1988)黄金撮影賞金賞『神様こんにちは』
- 第10回(1990)映画評論家協会賞撮影賞『ウムッペミの愛』
- 第1回(1990)春史映画芸術賞撮影賞『南部軍 愛と幻想のパルチザン』
- 第11回(1990)青龍賞技術スタッフ賞『追われし者の挽歌』
- 第11回(1991)映画評論家協会賞撮影賞『追われし者の挽歌』
- 第15回(1991)黄金撮影賞金賞『私の愛、私の花嫁』
- 第13回(1992)青龍賞撮影賞『ホワイト・バッジ』
- 第4回(1993)春史映画芸術賞撮影賞『華厳教』
- 第30回(1994)百想芸術大賞技術賞『華厳教』
- 第14回(1994)映画評論家協会賞撮影賞『華厳教』
- 第16回(1995)青龍賞撮影賞『美しき青年 全泰壱』
- 第6回(1995)春史映画芸術賞撮影賞『美しき青年 全泰壱』
- 第16回(1996)映画評論家協会賞撮影賞『つぼみ』
- 第33回(1997)百想芸術大賞『つぼみ』
- 第20回(1997)黄金撮影賞銀賞『グリーンフィッシュ』
- 第18回(1998)映画評論家協会賞撮影賞『八月のクリスマス』
- 第19回(1998)青龍賞撮影賞『八月のクリスマス』
文責:ソチョン 1999/1/31
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