チョン・ジヨン
名前 漢字 ハングル |
チョン・ジヨン 鄭智泳 정지영 |
性別 |
男 |
監督作品 |
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「リアリズム監督」、「重量感と堅実な演出力を持つ監督」、「スクリーン・クォーター監視団共同委員長」、「監督協会副会長」など数多くの修飾語を持つ韓国を代表する中堅監督。1999年には映画振興委員会委員に就任。
1946年、青州生まれ。当初は小説家を目指していたが、高校生の時にユ・ヒョンモク監督の『誤発弾』を見て監督になる決心をする。東国大学演劇映画科に合格するが、結核で入学を諦め、翌1967年に再入学。しかし、当時理論だけを教えていた演劇映画学科を辞め、高麗大学仏文科に2年生から編入。卒業後、韓国ニューウェーブの母体となった映画同人グループ「映像時代」に参加。1976〜1978年の間、キム・スヨン監督の下で10本ほどの作品の助監督をつとめ、のちに同監督の『白い微笑』(1980)の脚本などを手がける。また、イム・グォンテク監督の『洛東江は流れるのか』(1976)でも助監督を担当。1982年、『霧は女のように囁く』で監督デビューするが公開が遅れ、MBCテレビにプロデューサーとして入社。1984年に第2作の『追憶の光』を演出するが興行に失敗し、再びテレビ局で仕事をする。その後、1987年に『街の楽士』、『危機の女』を製作。この時期 UIP の韓国内直接配給に反対するデモを起こし拘束されたこともある。
初期作品は自らの観念に傾いた作品を撮る傾向が強かった。転機は1990年の『南部軍 愛と幻想のパルチザン』。朝鮮戦争時に北のパルチザンとして山に立てこもった兵士達の壮絶な闘いをリアルに描き、気鋭の映画監督として注目される。以降、『粉々に砕け散った名前よ』、『ホワイト・バッジ』、『ハリウッド・キッドの生涯』が東京国際映画祭で連続して上映され、『ホワイト・バッジ』はグランプリと最優秀監督賞をダブル受賞。チョン・ジヨンの名前は一躍日本映画界に知られるところとなり、社会派監督としての名声を欲しいままにする。
その後、商業性も追求した『ブラックジャック』を発表するが、評論家筋の評価は高いものの興行的には成功できず。最新作の『カ』は自らのプロダクションである鄭智泳フィルム第一作で、放送局のタレント研修生を対象にした「ヌード演技指導」事件をモチーフにした作品。実験映画的要素が強く、「キャラクター・リレー方式」という形式と、ラストの韓国映画史上初となる監督以下全スタッフと俳優総勢60名のオールヌード撮影が売り。「芸術か猥褻か」という社会的猥褻論議に一役買うかとも思われたが、たいした話題にならず興行的にも失敗。
『ホワイト・バッジ』の他、『霧は女のように囁く』が『霧の中の殺人事件』という題名で日本語ビデオ化されている。
2003年にソウル芸術専門学校の学長に就任。
初版:1998
最新版:2003/2/14
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