ホ・ジノ
ゆうばり国際ファンタスティック映画祭2002にて
名前 漢字 ハングル |
ホ・ジノ 許秦豪 허진호 |
性別 |
男 |
監督作品 |
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監督作品はわずかニ作品だが、その作品性はホウ・シャオシェン(候孝賢)や小津安二郎を髣髴とさせる。また商業性と作品性を両立させる術にも長けており、評論家のみならず大衆からの支持も得ている若手監督。その支持層は韓国のみならず香港・日本などにも広がっており、韓国、いやアジアを代表する監督となる日も近いだろう。
1963年8月8日全州生まれ。6歳のときに家族でソウルに引っ越す。1989年に延世大哲学科卒業後、大宇電子広報室で一年半ほど働いていたが脱サラし、1992年に韓国映画アカデミーに入学(9期)。韓国映画アカデミー卒業作品『コチョルのために』(16mm短編映画、20分40秒、1993年、第25回(2003)ぴあフィルムフェスティバルで上映)がバンクーバー国際映画祭に招待され好評を受ける。アカデミー卒業後は、パク・クァンス監督の元で下積みをし、『あの島へ行きたい』で助監督を、『美しき青年 全泰壱』では助監督とシナリオの共同執筆を担当。
初監督作品の『八月のクリスマス』は、自分の死期が分かっている男性とそんな事実は全く知らない活気あふれる無邪気な女性との心温まるラブストーリー。平凡な日常生活を通して暖かい視線で死という問題を取り上げ、評論家の評価も高く、大ヒットを記録した。この作品で監督自身第19回(1998)青龍賞新人監督賞はじめ国内賞の監督賞・新人監督賞を総なめにした。
「平凡な日常」の中で「平常でない物語」を描き切るのがこの監督の傑出した能力の一つ。初めて製作した短編映画『コチョルのために』は中古品に囲まれた生活をしている人物の物語。普通の人々の淡々とした日常生活を通して、今まで見過ごされてきたような話が描かれている。なお、「コチョル」は主人公の呼称だが、韓国語で「古鉄、鉄屑」を意味する「コチョル(고철 )」という単語と掛けていると思われる。
『八月のクリスマス』以後は、『太陽はない』にちょい役出演したほか、『八月のクリスマス』のシナリオを共同執筆したオ・スンウクの監督デビュー作『キリマンジャロ』で、シナリオ執筆に参加した。
2001年9月、大変な期待の中、3年半ぶりに第二作『春の日は過ぎゆく』を発表。『八月のクリスマス』が恋愛に至る前の感情を描いたとすると、この作品は「恋とその喪失」に関する物語。前作同様、恋愛映画の形はとっているが、その中に恋以外の様々な要素が描きこまれており、そのスタイルは「ホ・ジノ式メロでないメロ映画」とでも言えようか。ちなみに、『八月のクリスマス』が日本初公開されたアジアフォーカス・福岡映画祭 '98(→インタビュー)でホ・ジノは観客の問いに対して
「愛という感情は歳月の変化とともに変わるものではあるのですが、誰かを愛した時の気持ちはずっと変わらないと思います。」
と答えているが、『春の日は過ぎゆく』はまさにこの言葉を映像化した作品と言える。『八月のクリスマス』の主人公ジョンウォンは写真技師、そして『春の日は過ぎゆく』の主人公サンウは録音技師であり、いずれも時の流れの瞬間瞬間を切り取り、保存する職業。恋の感情は移ろい変わっていっても、恋をしていた瞬間瞬間は「写真」や「音」によって変わらず保存され続けるのだ。
2001年11月には韓国映画文化政策研究所が制定した韓国映画文化賞を受賞。この賞は2000年に制定された新しい賞で、第一回受賞者は『風の丘を越えて〜西便制』、『祝祭』、『春香伝』など数々の名作を生み出した泰興映画社代表のイ・テウォン氏。
初版:1998
最新版:2000/11/13
■ ホ・ジノ監督インタビュー
アジアフォーカス・福岡映画祭 '98 でのホ・ジノ監督インタビューはこちら(『八月のクリスマス』)。
■ ホ・ジノ監督舞台挨拶
ゆうばり国際ファンタスティック映画祭2002で来日したホ・ジノ監督の舞台挨拶の模様は、こちら(『春の日は過ぎゆく』)。
■ ホ・ジノ監督&ユ・ジテ舞台挨拶
『春の日は過ぎゆく』の公開初日に行われた、ホ・ジノ監督&ユ・ジテの舞台挨拶の模様は、こちら。
■ ホ・ジノ監督来札会見
「シアターキノ10周年記念映画祭 プレミア上映」で来札したホ・ジノ監督の記者会見の模様は、こちら(『春の日は過ぎゆく』)。
■ シンポジウム「韓国映画ルネッサンス」
シンポジストとしてホ・ジノ監督が参加されたシンポジウム「韓国映画ルネッサンス」の採録は、こちら。
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