大鐘賞
概要
韓国のアカデミー賞。国産映画保護育成計画の一環として1958年に韓国政府の文教部が実施した優秀国産映画授賞祭が、1961年に公報部の主管となり、その目的と趣旨をそのまま継承して、1962年から大鐘賞と命名された。開始時期は「韓国映画の黄金時代」と重なり、当時多様なジャンルの映画が製作されていたこともあり、非常な活況を呈した。しかし、1960年代後半から外国映画の輸入クォーター制が始まると、各映画会社は当時輸入が制限されていた外国映画の割り当てを受けるために国産映画作りを始めるようになり、大鐘賞の性格も微妙に変化してくる。そして、1970年代には韓国映画界自体が政治的統制下に置かれ、大鐘賞も1980年代中頃までは反共映画や政策広報映画が幅を利かせる政府の御用映画賞となってしまった。大鐘賞の歴史は韓国映画界の歴史と一致しているのだ。
民主化の時代、大鐘賞の主催は1986年に韓国映画人協会となった後、文化公報部、映画振興公社と移ったが、国庫補助を受けていた1991年までは政府の影響下から完全には抜け出すことができなかった。しかし、1992年からは三星の補助の下、韓国映画人協会と三星の共同主催による民間主導型映画賞になった。ただし、この時期は受賞結果を興行成績に結び付けようという製作社サイドのロビー活動もあり、未公開作や未完成作が受賞するなど審査過程の不透明さが問題となった。特に1996年の第34回では未完成作『エニケーン』が『つぼみ』,『美しき青年 全泰壱』など一般公開され高い評価を受けていた作品を押しのけて最優秀作品賞を受賞したことで世論の非難を浴び、三星は大鐘賞から撤退。1997年はサンバンウルがスポンサーとなった。そして、出品対象作を封切り作品に限定し、予選と本選を実施するなど公平性の確保に努めた。
第36回大鐘賞は、1997年末からの経済不況によりスポンサーが見つからず、1998年は開催見送りされ、1999年に韓国映画人協会がSBSとの共同主催で、文化観光部の協力の下、映画振興公社から4億ウォンの支援を受けて開催された。また、パソコン通信などにより人気賞を選定するなど一般観客の参加も促進させる内容となった。
2001年に開催された第38回は、それまで事ある毎に対立していた守旧派の韓国映画人協会と若手革新派の映画人会議が共同主催し、既存の授賞式に加えて、ノミネート作品の上映会や各種イベントを追加し、映画祭形式で開催された。
2002年以降は、ふたたび韓国映画人協会のみの主催となり、今に至っているが、ノミネート者や受賞者が授賞式を欠席するなど、「韓国のアカデミー賞」というには少々寂しい状態が続いている。また、審査の公平性などに関しても毎年のようにその不透明性がネットワーカーなどから指摘され、権威の回復には至っていないのが現状。
※ 第24回は優秀作品賞が3作。
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