「韓国の溝口健二」とも評される韓国映画界を代表する巨匠。その存在は韓国映画界において人間国宝級と言っても差し支えない。新人監督の台頭著しい現在の韓国映画界の中で、多くのベテラン監督は引退同然の状態に追い込まれているのだが、イム・グォンテクただ一人は現役として頑張っている。また、新旧世代間に溝がある映画界の中で進んで若い世代との交流を進めようとする柔軟性も持っている。その辺りに長年現役を続けていられる理由があるのかもしれない。
1936年5月2日、全羅南道長城生まれ。第二次世界大戦直後の左右抗争の時代、イム・グォンテク一族の多くは左翼的だったため大変な苦労をしており、彼が後年『太白山脈』を映画化したのも、幼少時代の体験と関係があるという。左右抗争の混乱期を舞台にした彼の作品には、他に『旗のない旗手』、『チャッコ』などがある。朝鮮戦争中、17歳で家を出、釜山の国際市場で靴修繕などをしていたが、休戦後の映画ブームで知り合いの靴屋グループが映画に投資を始め、彼らに誘われる形で、ソウルで小道具助手・照明助手など映画製作の下働きをするようになる。そして、監督のチョン・チャンファ(鄭昌和)と知り合い、1957年に彼の助監督となる。有能な助監督として認められたイム・グォンテクはチョン・チャンファの『ノダジ』では脚本も担当した(クレジットは「イム・テク」となっている)。
伝統的徒弟制度の中で修行し、1962年に日本植民地時代の独立軍を描いた『豆満江よさらば』で監督デビュー。以後、100本近い作品を製作している。
1970年代前半までは、メロ・アクション・戦争ものなどで商業映画を多数製作。1973年の『雑草』から作家意識に目覚め、以後文芸作品や歴史大作を中心に優れた作品を供給する。1979年3月に15歳年下の女優チェ・リョングァと結婚する。
1980年代以降は、韓国の伝統文化をバックグラウンドに人間の葛藤、特に女性の悲劇を描くのを得意とし、東洋的な映像美を生み出すようになった。そしてベルリン映画祭に出品された『曼陀羅』などで海外からも評価されるようになり、韓国映画の海外普及にも一役買う。特に『シバジ』で第44回(1987)ヴェネチア国際映画祭最優秀女優主演賞を、『アダダ』で第12回(1988)モントリオール国際映画祭最優秀女優賞を、そして『波羅羯諦/ハラギャティ』で第16回(1989)モスクワ映画祭最優秀主演女優賞を受賞したことは、1980年代の韓国映画史の中でも特筆すべき出来事の一つといえる。
1990年代前半には『将軍の息子』シリーズや『風の丘を越えて〜西便制』など韓国映画の興行記録を次々と塗り替える大ヒット作を連発した。
近年作の特徴としてあげられるのは、撮影監督にチョン・イルソンを起用し、イ・テウォン社長の泰興映画社で製作するパターンが多いこと。チョン・イルソンとは、1979年の『神弓』を皮切りにその後の代表作の多くで共同作業をしている。泰興映画のイ・テウォン社長と初めて製作した映画は1984年の『比丘尼』だが、この作品は宗教界の反発にあい製作を断念。その後、1989年の『波羅羯諦/ハラギャティ』を泰興映画社で完成させた後は、『開闢』を除いて全作品を泰興映画で製作するという蜜月状態に入る。ちなみに、イム・グォンテク、イ・テウォン、チョン・イルソンのトリオが揃い踏みしている作品は、『将軍の息子』シリーズ、『風の丘を越えて〜西便制』、『太白山脈』、『春香伝』、『酔画仙』の全七作。
1989年に宝冠文化勲章、1992年にフランス文化芸術勲章、1997年に福岡アジア文化賞、そして1998年には第30回大韓民国文化芸術賞とサンフランシスコ国際映画祭で黒澤賞を受賞するなど、彼の芸術家としての活動は国内外で高く評価されている。また、各国で「イム・グォンテク特集」が開催されるなど、1990年代後半に入ってもその国際的評価は揺るぎない。
2000年の『春香伝』は、韓国の古典ラブ・ストーリーを映画化したものだが、パンソリにあわせて物語が進行していくという独特な表現方法をとっている。なお、この作品では、監督=イム・グォンテク、製作者=イ・テウォン、撮影=チョン・イルソン、脚本=キム・ミョンゴンと、『風の丘を越えて〜西便制』の黄金カルテットが復活。カンヌ映画祭のコンペ部門に進出した最初の韓国映画となった。
2002年作の『酔画仙』は天才画家の破天荒な生涯を描いた作品。『春香伝』に続いて、監督=イム・グォンテク、製作者=イ・テウォン、撮影=チョン・イルソンの布陣で臨んだ本作は第55回(2002)カンヌ国際映画祭で監督賞を受賞。三大国際映画祭でグランプリまたは監督賞を受賞するという韓国映画界の長年の悲願をついに達成し、イム監督は、カトリック大学から映画界初の名誉文学博士号を授与されたほか、金冠文化勲章、ユネスコのフェリーニ・メダルを、製作者のイ・テウォンは銀冠文化勲章を受賞した。
1998年より東国大学演劇映像学部教授。1999年には映画振興委員会委員に就任した(同年に辞意を表明)。
作品中、日本で紹介されている作品は、以下の通り。恐らく、その作品が最も多く日本に紹介されている韓国人監督だと思われる。
『望夫石』、『雷剣』、『証言(ホワイト・バッジ ファイナル 史上最大の作戦)』、『洛東江は流れるのか(新ホワイト・バッジ 地獄への戦場)』、『族譜』、『曼陀羅』、『アベンコ空輸軍団』、『霧の村』、『炎の娘』、『川の流れは止められない』、『キルソドム』、『チケット』、『シバジ』、『アダダ』、『燕山日記』、『波羅羯諦/ハラギャティ』、『将軍の息子』、『開闢』、『将軍の息子2』、『将軍の息子3』、『風の丘を越えて〜西便制』、『太白山脈』、『祝祭』、『春香伝』、『酔画仙』
日本語のイム・グォンテク論に『韓国映画の精神 −林権澤監督とその時代』(佐藤忠男、岩波書店、2000年)がある。
初版:1998
最新版:2002/9/12
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