韓国の「国民俳優」といえばこの人。ミスター韓国映画アン・ソンギ。その出演作は日本でも数多く紹介され、日本においても、そして世界において最も名前の通った韓国人男優。国内映画賞において数え切れないほどの主演男優賞・演技賞・人気賞を受賞し、その演技力は他を寄せ付けない。その役柄は出演作ごとに異なり、社会派映画・文芸作品・歴史ドラマはもとより、コメディ・メロ・宗教・戦争・SFなどなんでもござれ。ありとあらゆる配役を見事に演じ分け、「100の顔を持つ男」と評される。
1998年現在映画俳優協会副会長を務め、俳優界の重鎮になりつつある。1996年には日本の『眠る男』へ、1998年にはポーランド・韓国合弁映画『異邦人』に出演するなど海外進出も盛ん。ユニセフ韓国大使も務める。2000年にはスクリーン・クォーター文化連帯傘下の「スクリーン・クォーター守護天使団」団長に就任。また、2001年末には新たに設立されたソウル映像委員会(フィルムコミッション)の理事にも就任している。
映画俳優としての活動のほかに、ユニセフ親善大使、ワールドカップ広報大使など、民間外交に尽力した功績が認められ、2001年に「今年の善行芸術人」に選ばれ大統領表彰された。
出演作を決める際には、ジャンルよりもまずシナリオを優先する。その幅広い演技力と共に、実際に会ってみると非常に誠実で、礼儀正しく、親近感を抱かせる人柄が人気の秘密。日本にも彼のファンが数多くいることで知られる。
ソウルで生まれ、5歳の時に父の友人であったキム・ギヨン監督に請われて『黄昏列車』で子役デビュー。以後、中学3年生になるまで名子役として数多くの作品に出演(フィルモグラフィーは確認できているものだけで、実際には子役時代に80余りの作品に出演していると言われている)。キム・ギヨン監督の1959年の作品『十代の反抗』では、サンフランシスコ映画祭少年特別演技賞を受賞する。子役時代の作品で日本で上映されているのは、同じくキム・ギヨン監督の『下女』と、ユ・ヒョンモク監督の名作『誤発弾』。これらの作品で既に観客をうならせる演技力を披露している。
外国語大学ベトナム語科を卒業後、兵役に就く。そして除隊後の1977年にキム・ギ監督の『兵士と娘たち』で俳優としてカムバック。転機は、1980年イ・ジャンホ監督の『風吹く良き日』。この作品の演技で大鐘賞最優秀新人賞を受賞。子役から脱皮し韓国を代表するスターへの道を歩み始める。
1980年代の代表作は、『曼陀羅』,『小さなボール』,『ディープ・ブルー・ナイト』,『鯨とり ナドヤカンダ』,『神様こんにちは』,『成功時代』,『チルスとマンス』など数え切れず。彼の出演作品を追うことが、それすなわち「1980年代の韓国映画の軌跡を辿ることになる」と言っても過言ではない。特に、この時代イ・ジャンホ,ペ・チャンホ両監督作品への出演が目立つ。また、この時代は歌手のチョ・ヨンピル(趙容弼)と人気を二分していた。
1990年代に入ると、『トゥー・カップス』,『ヘア・ドレッサー』,『パク・ポンゴン家出事件』などでコメディタッチの演技を披露するかと思えば、『南部軍 愛と幻想のパルチザン』,『ホワイト・バッジ』,『太白山脈』,『永遠なる帝国』などの歴史もの、『祝祭』といった文芸作品にも出演し、演技の幅をより一層広げている。また、小栗康平監督の『眠る男』では、ただひたすら眠っているだけの男を演じているにもかかわらず存在感のある雰囲気を醸し出すなど、その演技力は計り知れない。
1997年には出演作が一本も公開されなかったが、翌1998年には怒涛の出演ラッシュ。韓国・ポーランド合作、法廷コメディ、SFX、朝鮮戦争もの、メロと、あらゆるジャンルの映画に出演しているのは毎度の事ながら驚かされる。同年の第3回釜山国際映画祭では彼の出演作が4本上映され、健在振りを世界に知らしめた。
1999年の『NOWHERE 情け容赦無し』では、冷酷無比な殺人鬼を演じている。最近、他の俳優の演技を引き立てるようなおとなしい役どころが多かったが、この映画では久々に存在感あふれる演技を披露しており、ファンは必見。
2001年には、中国オールロケの大作『MUSA−武士−』、ミステリー近現代捜査物『黒水仙』と立て続けに大作に出演。アニメ『マリといた夏』では声優もこなした。
2002年にはカンヌで監督賞を受賞した『酔画仙』で、主人公である破天荒な天才画家を導く師の役割を演じた。
初版:1998
最新版:2002/9/12
|