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チャ・スンジェ


名前
漢字
ハングル
チャ・スンジェ
車勝宰
차승재
性別
製作作品
1995金を持って高飛びしろ
1996極道修行 決着(おとしまえ)
1997ビート
モーテルカクタス
1998八月のクリスマス
ディナーの後に
太陽はない
1999ユリョン
幸福な葬儀屋
2000ほえる犬は噛まない
キリマンジャロ
イルマーレ
私にも妻がいたらいいのに
2001インディアン・サマー
覗き
MUSA−武士−
春の日は過ぎゆく
火山高
2002ジャングル・ジュース
情愛
ロードムービー
2003地球を守れ!
殺人の追憶
シングルス
2004マルチュク青春通り
ビッグ・スウィンドル!

 韓国で最も注目されているプロデューサーの一人。常に新世代の若手監督を起用し、既存の韓国映画にはないジャンルの作品、新感覚の作品を提供し続け、韓国映画界に新風を吹き込んだ人物。製作作品の多くはヒット作で、専門家も観客も、彼の会社が製作している映画というだけで信頼感を持って映画館に足を運ぶ。誰もが「失敗するかもしれない」と恐れるような斬新な映画を思い切って製作し、そして成功させてしまう度胸を持つと同時に、才能ある新人監督の発掘にも抜群の才能を持っている。

 1960年生まれ。韓国外国語大学フランス語科卒。22歳の時にフランスに留学し、外国の映画を毎日のように鑑賞する。大学卒業後、喫茶店を2年、衣装ダンス屋を3年、経営する。学生時代からの友人キム・テギュンが製作中の作品『おまえの勝手にしやがれ』(1991)の資金繰りに困っているのを助けたのがきっかけとなり映画製作の面白さに気づく。そして、その直後に本業で詐欺にあったのを機に映画界に飛び込む。

 チャン・ヒョンス監督の『歩いて空まで』(1992)の製作部長として映画界に入門。その後、シンシネのシン・チョル、企画時代のユ・インテク、映画世上のアン・ドンギュといった製作者の下で映画製作を学び、シンシネの『101回目のプロポーズ』でプロデューサーとしてデビューする。この頃、製作にタッチした作品には『ミスター・マンマ』『私は望む、私に禁じられたことを』『私からあなたへ』などがある。

 1995年、映画会社ウノ・フィルムを設立し、創立作品として『金を持って高飛びしろ』を製作する。ウノ・フィルムでは従来のどんぶり勘定的な映画製作慣習を捨て、合理的かつ科学的に映画製作を進めるため、韓国で初めてプロデューサー制を導入した。シナリオ開発に投資する費用が他の製作社より多いのも特徴で、同時に8本程度のシナリオを開発し、ライン・プロデューサー4人が各々の作品を担当。常時、2本の映画撮影と2本の撮影準備を同時進行させている。ウノ・フィルム製作作品は興行的に成功するのみならず、新感覚かつ実験的で従来の韓国映画にはないタイプの映画であることが多いが、それは4人のプロデューサー制が多様な作品供給に繋がっていること、そして中堅監督ではなく新人監督を起用していることに原因がある。なお、夫人のキム・ソナもウノ・フィルムのプロデューサー。

 若い頃に詩を好んで読んだせいか造語能力も高く、『八月のクリスマス』、『モーテル・サボテン(邦題:モーテルカクタス)』、『乙女たちの夕食(邦題:ディナーの後に)』、『幸福な葬儀屋』といった特徴ある題名はすべてチャ・スンジェが考え出した。これらの題名は日本語に翻訳すると面白さが半減してしまうが、いずれも相反する単語を並列させたり、発音や意味を重複させたりして、独特の味わいある題名となっている。

 チャ・スンジェ自身、大変なアイディアマンで『極道修行 決着(おとしまえ)』、『ユリョン』、『幸福な葬儀屋』の企画&アイディアは彼自らが出している。ちなみに、韓国初の潜水艦映画『ユリョン』は、1993年、当時企画時代で働いていたチャ・スンジェが出し抜けに「我々で潜水艦映画を作ってみないか?」と発言したことから企画がスタートしたという。

 ウノ・フィルムは、2000年3月に情報通信関連ベンチャー企業の投資により、映画製作・俳優マネジメント・インターネット映画・ドラマ製作・レコード事業などを主事業とする総合エンターテイメント会社「サイダス」に変革され、チャ・スンジェもウノ・フィルム代表からサイダス副社長に異動した。

 2000年に入ってから公開された『幸福な葬儀屋』、『ほえる犬は噛まない』、『キリマンジャロ』は、いずれも新人監督&新しい題材で、今までの路線を踏襲しているものの興行的には今一つの成績だったため、巷では「チャ・スンジェが経営の多角化を進め、プロデューサーに専念しなくなったのが原因」との説が流れた。

 2000年秋に公開された『イルマーレ』と、2001年正月に公開された『私にも妻がいたらいいのに』は、主演男優と女優にトップ・スターを起用した恋愛映画。『イルマーレ』は美しい映像が、『私にも妻がいたらいいのに』は『八月のクリスマス』や『美術館の隣の動物園』を彷彿とさせるナチュラル・ラブ・ストーリーが売りだが、いずれも作品性はもう一つか。ただ、スターを起用したおかげか興行的にはまずまずの成功を収めた。

 2001年5月には、新人ノ・ヒョジョン監督の『インディアン・サマー』パク・チェホ監督の『覗き』を発表。そして同年9月には、中国オールロケの大作歴史劇『MUSA−武士−』と、『八月のクリスマス』のホ・ジノ監督第二作『春の日は過ぎゆく』という超話題作を立て続けに二本発表した。また、年末には、華麗なワイヤーアクションが話題となった学園・武術アクション・ファンタジー『火山高』を公開した。

 最近作の中で最も重要な作品は『MUSA−武士−』と『春の日は過ぎゆく』。前者は世界的に知名度のあるチャン・ツィイーを起用し、オール中国ロケを敢行、後者は東アジアで知名度の高いホ・ジノ監督作品を香港・日本の資本を誘致して製作するなど、この二本は企画段階から海外市場を志向した作品。また、スターを起用し、大量宣伝を実行した話題作でありながら、キム・ソンスとホ・ジノという相反する個性を持った監督のスタイルが如実に反映されており、話題性と作家性を両立させている点も見逃せない。

 チャ・スンジェは日韓合作も積極的に推進しており、サイダスの海外市場を狙った作品作りは今後とも継続されていくと思われる。ちなみに、『MUSA−武士−』と『春の日は過ぎゆく』が韓国で公開されている頃、映画雑誌『シネ21』(321号)のインタビューでチャ・スンジェは「サイダスが、(アジアで)一昔前のゴールデン・ハーベストやショー・ブラザーズの役割を担えれば」という希望を口にしている。

 2001年9月にサイダス副社長から代表へ昇格。自社製作作品以外にも、2000年には『プライベートレッスン 青い体験』、2001年には『子猫をお願い』、アニメ『マリといた夏』などに出資している。

 2002年には、日韓合作『ソウル』で韓国側プロデューサーをつとめ、同じく合作の『ドッジGO!GO!』では製作協力したほか、『情愛』を製作。

 日韓合作『夜を賭けて』の韓国側プロデューサーも担当。

 1999年4月4日にNHK総合テレビ『新アジア発見』で放映された「韓国シネマ新時代 〜ソウル〜」は新世代プロデューサーのチャ・スンジェにスポットをあてた番組。

初版:1999
最新版:2002/9/12


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