春の日は過ぎゆく
画像提供:松竹
題名 英題 ハングル |
春の日は過ぎゆく One Fine Spring Day 봄날은 간다 |
製作年 |
2001 |
時間 |
106(韓国公開版) 113(映画祭&日本公開版) |
製作 提供
配給 |
サイダス サイダス 松竹 アプローズ・ピクチャーズ シネマ・サービス |
監督 |
ホ・ジノ |
出演 |
ユ・ジテ イ・ヨンエ ペク・ソンヒ パク・イヌァン シン・シネ ペク・チョンハク パク・ソヌ |
日本版 Video DVD |
字幕版Video 吹替版Video DVD |
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「変わらぬ愛」を信じる若い男性と、「恋」はやがて移り変わっていくことを知っている年上の女性の出会いと別れを描く。『八月のクリスマス』のホ・ジノ監督の待望の第二作。主演は、今や飛ぶ鳥を落とす勢いのユ・ジテとイ・ヨンエ。題名の『春の日は過ぎゆく』は、劇中で歌われる歌の題名で(監督の母親が夫の還暦祝いで歌い、それがために監督の記憶に残った歌とか)、誰にでもいつかはやってくる「春の日=恋」が、やがて過ぎ去っていくという映画の内容をも象徴している。
妻と死別した父(パク・イヌァン)、痴呆の祖母(ペク・ソンヒ)、おば(シン・シネ)の三人と同居している若者サンウ(ユ・ジテ)は、放送会社のサウンド・エンジニア。冬のある日、彼は江原道にある地方放送局のプロデューサー兼アナウンサー、ウンス(イ・ヨンエ)から依頼を受け、ラジオ番組で使う自然の音を採集することになる。そして、一つの番組を共同で作り上げていくことになった二人は、やがて自然な成り行きで恋におちる。ウンスにぞっこんになるサンウ。しかし離婚経験がある年上のウンスは、サンウとは正反対の性格を持つ男性(ペク・チョンハク)と出会い、結婚を意識し始めたサンウからは気持ちが離れていってしまう。失恋の悲しみに暮れるサンウ。彼の傍らには、痴呆でありながら祖父との若き日の楽しい記憶だけは覚えている祖母がいた。
ユ・ジテは、愛は不変と信じる若者が、恋の熱病にうなされ、やがて破局を迎える・・・ そんな男性だったら誰でも一度は経験する役どころを自然な演技で好演。ちなみに、監督の前作『八月のクリスマス』の主人公ジョンウォンは写真技師、そして今回の主人公サンウは録音技師と、いずれも時の流れの瞬間瞬間を切り取り、保存する職業という共通項がある。
年上の女性ウンスを演じたイ・ヨンエは、この映画で成熟した演技を披露。「最高の演技」と評された。なお、離婚歴のあるウンスの「恋の痛みを知り、純粋な愛を渇望しながらも自由奔放な恋愛を楽しむ」というある意味矛盾したキャラクターは、イ・ヨンエとホ・ジノが撮影現場で対話しながら形成されていったという。ちなみに、イ・ヨンエによれば「ウンスのキャラクターには自分の姿が相当部分投影されている」とか。
この映画には数多くのおばあちゃんが登場するが、イ・ヨンエはこの映画の撮影中に実の祖母を失っており、試写会の時は自分の祖母のことを思いだして涙したという。ちなみに、製作サイドはこの作品の主演女優として当初シム・ウナをイメージしていたが、彼女の結婚&引退説が出回ったため、イ・ヨンエのキャスティングを決定、また『春の日は過ぎゆく』の韓国公開直前にシム・ウナの結婚発表&突然の破局が報道されたたこともあり、韓国では「ウンス役のイ・ヨンエの演技がすばらしかった」、「いやしかし、仮にシム・ウナが演じていたら更によかったのでは?」といった「ヨンエ or ウナ、どっちがウンス役によりふさわしいか?」論争が巻き起こった。
サンウの祖母を演じたペク・ソンヒ(白星姫、1925年9月2日ソウル生まれ)は、韓国を代表するベテラン女優で、『春の日は過ぎゆく』の東京ロードショーと同じ時期に新国立劇場で公演された韓日合同公演『その河をこえて、五月』にも出演している。
松任谷由実が作曲し、紫雨林(チャウリム)のキム・ユナが作詞したエンディングのタイトル・ソング『春の日は過ぎゆく』は、キム・ユナが歌う。ちなみに紫雨林は、1997年の映画『花を持つ男』の主題歌『Hey Hey Hey』でメジャー・デビューしたバンド。2001年には日本デビューも果たしている。なお、キム・ユナは『Interview』のビデオによるインタビュー・シーンにも出演している。
サントラCD収録曲『あの年の春に』(映画本編では使用されていないバラード)は主演のユ・ジテが歌う。香港では2001年11月1日に公開されるが、香港版では『あの年の春に』の中国語版をジジ・リョン(梁詠[王其])が歌う。
この作品の映像はユ・ヒヨル(Toy)の新曲『いつか私達がまた会えば』のミュージック・ビデオにも使用され、映画館でかかる予告編ともども公開前から人気を集めた。なお、韓国の映画館ではこの作品の予告編が始まるとそれまで騒々しかった観客がシーンとなって映像に注目したとか。それほどの映像美ということだ。
大部分の撮影は江原道一帯で行われたが、中でも主要場面のロケが行われた三陟市では、『春の日は過ぎゆく』のロケ地を観光コースにする予定。また、ソウルから三陟市へのロケ地観光ツアーも企画された。
2000年4月に開かれた第1回香港アジア・フィルム・ファイナンシング・フォーラム(HAF)招待プロジェクト。韓国のサイダスが45%、日本の松竹が40%、そして、『ラヴソング』のピーター・チャン監督の会社アプローズ・ピクチャーズが15%の資本出資をする初の韓日香三ヶ国共同投資映画。日本と香港で『八月のクリスマス』がヒットしたことにより、このような形態での製作が可能となった。
シナリオは、リュ・ジャンハ、イ・スギョン、シン・ジュノ、そして監督のホ・ジノによる共同執筆。製作はチャ・スンジェ。音楽はチョ・ソンウ。撮影はキム・ヒョング。照明監督はイ・ガンサン。
雪の音、風の音、波の音など自然が生み出す「音」が映画そのものに趣を与えており、「音」が重要な役割を果たしている。同時録音はイ・ビョンハ。彼はロケハンの時からホ・ジノに帯同したという。
韓国では、恋人達の間でこの映画で語られる愛に関する台詞を真似ることが流行した。
日本ではサントラがカルチュア・パブリッシャーズより発売されている。
第14回(2001)東京国際映画祭コンペティション部門、第6回(2001)釜山国際映画祭「韓国映画パノラマ」部門、第31回(2002)ロッテルダム国際映画祭コンペ部門、ゆうばり国際ファンタスティック映画祭2002招待作品部門、第15回(2002)シンガポール国際映画祭、2002年フィラデルフィア映画祭「ニュー・コリアン・シネマ」部門、2002年ニューヨーク・アジア映画祭、第38回(2002)シカゴ映画祭ワールドシネマ部門、第22回(2002)ハワイ国際映画祭Spotlight on Korea部門招待作品。
第14回(2001)東京国際映画祭最優秀芸術貢献賞、第2回(2001)釜山映画評論家協会賞最優秀作品賞・監督賞(ホ・ジノ)・主演女優賞(イ・ヨンエ)、第6回(2001)釜山国際映画祭国際映画評論家協会(FIPRESCI)賞、第21回(2001)映画評論家協会賞最優秀作品賞・撮影賞(キム・ヒョング)、第22回(2001)青龍賞最優秀作品賞、第38回(2002)百想芸術大賞監督賞(ホ・ジノ)受賞作品。
初版:2001/9
最新版:2002/6/25
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■ ホ・ジノ監督舞台挨拶
ゆうばり国際ファンタスティック映画祭2002で来日したホ・ジノ監督の舞台挨拶の模様は、こちら。
■ ホ・ジノ監督&ユ・ジテ舞台挨拶
公開初日のホ・ジノ監督&ユ・ジテの舞台挨拶の模様は、こちら。
■ ホ・ジノ監督来札会見
「シアターキノ10周年記念映画祭 プレミア上映」で来札したホ・ジノ監督の記者会見の模様は、こちら。
投稿者:カツヲうどんさん 投稿日:2001/10/12 17:56:47
この映画において、私が深く感じたのは、現在の韓国における社会変化に伴った男女間の関係=恋愛関係の変質である。『猟奇的な彼女』にも、同様のテーマを読み取ることは可能だが、こちらの方がより切実に描かれている。
あくまでも自分に忠実であろうとするイ・ヨンエ演じるヒロインと、それについていけず、彼女への嫉妬に苦しみ、幼児のように振舞わざるえないユ・ジテの役柄は、社会の変化に適応し古い看板から解き放たれてチャンスを掴んでいく現代の韓国人女性と、あくまでも「男は男らしく、女は女らしく」という伝統の呪縛からなかなか逃れられない韓国人男性の、溝と対立を如実に示しているようで、大変興味をひかれた。
残念だったのは、主人公たちの職業があまり上手く活かされていないことだ。もちろん、ユ・ジテの役柄が音響効果マンであることは感動的なラストへと開花して行くのではあるが、日常描写の積み重ねが作品の成功に大きく貢献したホ・ジノ監督の前作『八月のクリスマス』に比べると、それが物足りない感じは否めない。
また、今回も前回と同様、「老婆」が重要なモティーフとして前作以上に重要な役で登場するが、監督には何か「老婆三部作」のような構想があるように思えた。
【評価:★★★】
投稿者:サーモン豊作 さん 投稿日:2001/10/20 21:33:54
ホ・ジノ監督の前作『八月のクリスマス』を初めて見たときには、まるで小津安二郎の映画のような、抑制された静かな表現に、新鮮な感動を覚えました。
それで、ホ・ジノ監督第二作目のこの『春の日は過ぎゆく』には、かなりの期待をして、バスでニ時間かかる釜山の映画館まで見に行きました。
やはりこの映画も静かな雰囲気の中にあって、所々に印象的なシーンはあったのですが、映画を見終わったときには、率直にいってかなり不満を感じていました。最大の不満は、イ・ヨンエ演じるヒロインにほとんど魅力を感じなかったということです。
一体、ホ・ジノ監督はヒロインをどういう女性として描きたかったのか。私の貧しい韓国語の聞き取り能力にも問題があるかもしれませんが、ヒロインには「中途半端」な悪女の印象しか残りませんでした。
【評価:★★★】
【ソチョンの鑑賞ノート】
2001年11月13日執筆
2001年11月15日加筆訂正
東京国際映画祭にて鑑賞。
今から三年前、ホ・ジノの第一作『八月のクリスマス』を見た後の鑑賞ノートで次のように書きました。
心地よい余韻を与えてくれ、そして何かを考えさせてくれる映画です。人によっては「恋」について考えるかも知れず、人によっては「死」について考えるかもしれず、また別の人は「家族」に思いを馳せるかもしれません。何を思うかは観客一人一人に委ねられています。それだけ度量のある包容力のある作品です。ある感情や思考を観客に強制するのではなく、見た者が自主的に自分の想像力と感性をフル回転させて考え、感じる映画。こういう映画はめったにあるものではありません。
ホ・ジノ監督。彼は「ホ・ジノ ワールド」と呼ぶに値する映画観を既に確立しているのかも知れません。
ここで「ホ・ジノ ワールド」という言葉を使っていますが、彼が作り出す映像は観客の体験であったり記憶であったりを刺激し、その映像美とスクリーン上の「余白」が観客に何かを感じさせ、考えさせる・・・ そんな意味で使っています。スクリーン上の「余白」って何?と思われる方は是非、彼の作品をご覧になってください。物理的・空間的に「余白」があるわけではありませんが、確かにそれは存在するのです。そして、観客は見終わった後にそれぞれの心に投影された「余白」を埋めるべく、様々な思いをめぐらす。結論が最初からあるタイプの映画ではなく、「なぜそうであるのか?」を観客が自らの経験に照らし合わせながら構築していく。それが私が評するところのホ・ジノ ワールドです。
『春の日は過ぎゆく』も前作と同じく見事なホ・ジノ ワールドが展開されていました。しかし、『八月のクリスマス』が「優しい映画」だったのに対し、『春の日は過ぎゆく』は「怖い映画」だと思いました。
なぜか?
それは『八月のクリスマス』も『春の日は過ぎゆく』も観客に解釈の余地を残している映画なので、鑑賞後にあれこれ話をしたくなるのですが、『春の日は過ぎゆく』について言えば、この映画について語れば語るほど、それはこの映画が好きであろうと嫌いであろうと主にウンスとサンウの行動について語ることになると思うのですが、彼女・彼の行動について語れば語るほど、自分の恋愛経験や恋愛に対する考え方が赤裸々に暴露されてしまうからです。
『八月のクリスマス』の場合、語ることによって出てくるのは、自分にとっての美しい記憶・楽しい記憶で(私が一番好きなのは二回写真を撮りに来るおばあちゃんのシーンです)、言ってみれば自分が持っている「良い面」が映画によって引き出されてくるのですが、『春の日は過ぎゆく』の場合はその逆で、失恋に代表されるような自らの辛い過去や記憶や考え方、自分が持っている「負の部分」が引き出されてしまう。
『八月のクリスマス』を見ることによって観客は自分の美しい面に浸ることができ、それが「心地よい余韻」を与えてくれるのですが、『春の日は過ぎゆく』の場合は逆に自らの醜い部分が浮き彫りにされてしまい、その結果どうも「居心地の悪い余韻」が残ってしまうのですね。
恥を忍んで一例をあげましょう。私はウンスの行動はある程度理解できます。どう理解しているかというと、彼女はサンウともう一人の男(配役名が分からなかったので、以下、彼を演じていた役者名で「ペク・チョンハク」と書きます)の間で揺れ動きますが、要するに彼女はサンウと付き合っているときには、サンウにはない面を持ったペク・チョンハクにひかれ、ペク・チョンハクと付き合っているときには、付き合っていたときには気づかなかったサンウのよい面を思い出し、彼のもとに戻ってくる。劇中、サンウとペク・チョンハクは対照的な性格を持つ男性として描かれていました。サンウは女性に対して「優しくする」派、ペク・チョンハクは「俺について来い」派。サンウは女性からの誘いを待つ派、ペク・チョンハクは自分からデートに誘う派。ドライブ中「もっとスピードを出して」というウンスに対して、サンウは「これで充分スピードは出ている」と言い、ペク・チョンハクはアクセルを踏む、などなど。「となりの芝は青く見える」「他人のものはよく見える」と言いますが、ウンスはこれらの言葉に表される本能のままに行動をしている、ように私には見えました。
と、ここまで書いて気づかされるのは、「あぁ俺って、エラク恋愛(=女性)に対して達観してるなぁ」ということです。こんなことではこの先いい恋愛できないかも(笑)。
「日常の些細な出来事を穏やかなタッチで描いた小品」を生み出す作家としては、ホ・ジノともう一人ホン・サンスが韓国映画の中では双璧だと思いますが、今回の『春の日は過ぎゆく』を見て、ホ・ジノは若干ホン・サンスよりの世界に近づいたのかな?などとも思いました。ちなみに、ホン・サンスは鋭い観察眼をもって「人間の嫌な面、汚い面」をシニカルな乾いた映像で描く作家です。彼の作品では『豚が井戸に落ちた日』が日本でビデオ・リリースされていますので未見の方は是非ご覧になってください。
さて、最近の韓国映画界は新人監督のデビューラッシュ。日本公開される作品もデビュー作が多いため、映画論はできても作家論を展開することができませんでした。が、ここへ来て数年前にデビューした作家達が第二作を引っさげて日本へやってくるようになりました。ホ・ジノもその一人ですね。
これから『八月のクリスマス』と『春の日は過ぎゆく』の比較を通して、作家ホ・ジノについて多くが語られていくことになると思いますが、両作品には数多くの類似点があります。思いつくままに挙げてみると、
- 男性主人公には家族があり、その描写が入念になされているが、女性主人公は独身の一人住まいで彼女の家族が決して描かれない。
- 男性主人公には父親がいるが、母親はいない。
- 親族であるかいなかの違いはあるものの、極めて印象に残るおばあちゃんが出てくる。
これらの特徴はおそらくホ・ジノ自身の経験・体験であったり、実際の彼の家族構成を反映したものである可能性が極めて高いと思うのですが、さて実際のところはどうなんでしょう? 今度、彼にインタビューする機会があったら是非聞いてみたいですね。
【追記】
この作品、『八月のクリスマス』と比べてカメラの位置が高いように感じました。クレーンを使っているシーンのことではなく、フィックスで撮っているときのカメラの位置が『八月のクリスマス』はもっと低かったように思うのですが。カメラマンがユ・ヨンギルからキム・ヒョングにかわったことが関係しているのか・・・ とにかくそれがすごく気になりました。
【鑑賞ノオト】 Text by 月原万貴子(月子) 2002/3/1
ホ・ジノ監督は多くを語ってくれない。
一組の男女の恋愛を描いた本作で監督が見せてくれるのは、二人が出会い、恋に落ち、そして別れを選ぶまでの客観的事実だけだ。だから、観客は想像力をフル動員して、二人の心情を思いはからなくてはならず、その受け止め方にはその人の恋愛観が如実に現れてしまうようだ。
録音技師のサンウ(ユ・ジテ)は、番組制作の取材で地方ラジオ局のプロデューサー兼DJのウンス(イ・ヨンエ)と出会う。二度目の取材旅行の帰り、マンションまで送ってくれたサンウにウンスは言う。
「ラーメンでも食べていかない?」
そしてインスタントラーメンを茹でながら囁く。
「泊っていく?」
こうして始まった二人の恋は、はじめ熱病のように激しく燃え上がるものの、やがてサンウが結婚を意識し始めた頃からウンスの態度が変わり始める。その理由が理解できないサンウは苦しむが・・・
一途にウンスを愛するサンウの純情さに胸を打たれ、彼を振り回すウンスを悪女だと思う人もいるだろう。だけど私にはウンスが恋愛に臆病な寂しい女に思えて仕方なかった。
ウンスは離婚経験のある年上の女(劇中で明らかにはされていないが、二人の年齢設定は、多分演じる俳優の年齢、ユ・ジテ=25歳、イ・ヨンエ=30歳と同じ位だと思われる)で、仕事上の上司でもある。好きになった時は、そんなこと関係ないと思えたから自分から誘ったのだろうし、「一緒のお墓に入りたい」と言ったのも嘘じゃなかっただろう。だけど、二人の関係が深まり、結婚話が出始めると不安になってしまう。ウンスは前の結婚で、どんなに愛し合っても、永遠を誓っても、いずれ心は変わるものだと知ってしまった。そして愛が深ければ深いほど、後に残る傷も深いということも。だからサンウの愛情が三年後、五年後も続くことを信じられず、愛を失い、ボロボロになる自分を想像してしまう。サンウから逃げ出し、プレイボーイ風の音楽プロデューサーと付き合い始めたのも、彼ならば恋が終わっても「所詮最初から遊びのつもりだった」と自分を納得させられる男だからだ。
若いサンウには、こういったウンスの気持ちは理解できないだろう。前の結婚が不幸だったのならなおのこと「今度は自分が幸せにしてあげたい」と思っていたに違いない。だけど、その願いは届かなかった。悲しんで、苦しんで、それでもなんとか立ち直ったサンウが、最後に見せる微笑は、痛ましくも美しい。
【評価:★★★★★】
読者の声
『春の日は過ぎゆく』監督サイン入りグッズ・プレゼントより
(2002年3月実施)
- 韓国映画はすごく注目してます。『八月のクリスマス』はもう何度も見てます。そして何度見ても泣きます。この作品も期待してます。(神奈川県在住,34歳,女性)
- ちょっと辛い映画ですが、ユ・ジテの役柄上、とてもいい音が一杯で心地いいです。あとはユ・ジテ君の笑顔でしょうか。見てしばらくしてから思ったのは、やはりホ・ジノ監督はやさしいということでした。(東京都在住,34歳,女性)
【評価:★★★★】
- まだ見てません。きっと見たいと思います。(佐賀県在住,49歳,女性)
- ホ・ジノ監督は私の中では一番好きな監督です。韓国映画は『シュリ』が最初ですが、その時は韓国凄いな〜という程度でした。でも次に観た『カル』ではまりました。そして、ハン・ソッキュさんが好きになって三番目に観た韓国映画が『八月のクリスマス』です。こんなに静かで心地よく、穏やかで切ない映画は観たことがありませんでした。押しつけがましくない音量の音楽。少ないセリフでも、伝わってくる心の動き(ハリウッド映画とは大違い!)。ゆうばり映画祭での監督のインタビュー(→ Click!)で「小さい音に興味がある」という所を読んで、なるほどと思いました。こんなに素敵な映画を作るホ・ジノ監督の『春の日は過ぎゆく』は絶対に観たい映画です。秋田に住んでいるので、思うように韓国映画を観ることが出来ませんが、近い内に必ず見ます!!(秋田県在住,33歳,女性)
- 東京国際映画祭で観ました。ホ・ジノ監督は『八月のクリスマス』のほうが評価が高いようですが、僕はこちらのほうがよくありそうな話で感情移入できました。(東京都在住,28歳,男性)
【評価:★★★★】
- この映画ではじめて韓国映画の魅力に触れ、またホ・ジノ監督の描く世界に引き込まれました。今はこの映画のファンサイトも立ち上げましたが、今後は好きな女優であるイ・ヨンエだけでなく、ホ・ジノ監督の魅力ある作品に注目していきたいと思っています。(東京都在住,28歳,男性)
【評価:★★★★★】
- 語らず語る、みたいな雰囲気が素敵でした。女性としてイ・ヨンエの役には共感できます。(千葉県在住,24歳,女性)
【評価:★★★★】
- 東京国際映画祭で拝見させていただきました。自分は、恋愛物が好きなのですが特にハッピーエンドにならないものが好きなのです。ホ・ジノ監督も言ってらっしゃいましたが、ハッピーエンドのものよりも、ハッピーエンドではないほうが心に残るのです。ホ・ジノ監督のそんなところにとても共感しています。(静岡県在住,22歳,男性)
【評価:★★★★★】
- 「どうして人の気持ちは変わってしまうんだろう?」そんな誰もが経験するような心の痛みを、素直に描いた作品だと思う。もしかしたらよくあること、普通すぎる話し、なんて思ってしまうかも。でも、ユ・ジテ演じる男性の心情が自分とだぶって見えて、自然に泣けてしまった。公開されたら、再度観に行きたい作品だ。(東京都在住,31歳,女性)
【評価:★★★★】
- この作品のビデオはコリア・タウンで買ったのですが、まだ見ていません。なんか心を落ち着けて見ないと自分を失ってしまいそうで・・・ でも明日見ます。(東京都在住,27歳,男性)
- 東京国際映画祭で観ましたが、最近の韓国映画の中では出色の作品と思います。忘れがたい場面が多く、観てから数ヶ月たちますが、いまだにあれこれ思い返しています。封切りが待ちどおしい今日この頃です。(東京都在住,55歳,男性)
【評価:★★★★★】
- この映画を観終わると、なぜか不思議な感じでした・・・ 観終わってから、いろいろと考えさせられた映画でした。映画を観た時に納得いかなかった部分もいろいろ考えていたら、「そういうこともあるんじゃないか」と思ったりして。サンウの純粋さをウンスは信じるのが恐かったんでしょう。裏切られた時の気持ちのほうが、信じる気持ちより勝っていたんでしょうね。とても臆病になっていたんだと思います。最後に見せた、サンウの表情がなんともいえませんでした・・・(東京都在住,26歳,女性)
【評価:★★★★】
- 英語字幕で観ただけなので、劇場公開が待ちどうしいです。(愛知県在住,28歳,男性)
【評価:★★★★】
- キャストに最高峰を配したがゆえ、作品自体が十二分に活かせなかった点は、否めない。また、日本側、松竹の公開時期の遅さにも閉口する。(埼玉県在住,29歳,男性)
【評価:★★】
- 『八月のクリスマス』を観て以来、ホ・ジノ監督には関心がありました。すごい感性の持ち主だと思います。作品はまだ観ていませんが、きっとすばらしい映画だと確信しています。上映される日を楽しみにまっています。(愛知県在住,48歳,女性)
- ハルモニがすごく良かったです。ずっと夫を待ちつづけているハルモニ。せつない気持ちが伝わってきました。それと、ユ・ジテを慰めるハルモニ最高でした。「去ってしまったバスと女は追いかけてはいけない」。(神奈川県在住,25歳,女性)
【評価:★★★★★】
- まだ観ていないのですが、いま一番観てみたい映画です。(宮崎県在住,27歳,女性)
- 私の一番好きな映画は『八月のクリスマス』なので、是非見てみたいと思ってます。(東京都在住,34歳,男性)
- 静かに静かに流れていく時間が好きです。決してハッピーエンドで終わらせない、それでいて二人の気持ちが痛いほど伝わってくる。恋愛って、ひとを愛するって、こういう不条理がつきものだよなー、としみじみと感じ入った一本でした。(福岡県在住,43歳,男性)
【評価:★★★★】
- この映画を見たのは初めて行った韓国旅行ででした。当然韓国語は分からず周りの人達が笑った時にも「何がおかしいんだろう?」と思う状態でした。でも『ラスト・プレゼント』で、完全にイ・ヨンエさんのファンになった僕は現地でしかもタイムリーに見られた事が嬉しかったです。当然泣く事もなく終わりましたが映像が奇麗な事、そして音楽が良かった事などは印象に残りました。(岡山県在住,39歳,男性)
【評価:★★★★】
- 心にぐさっと突き刺さるものがありました。(神奈川県在住,41歳,男性)
【評価:★★★★★】
- 私の応援してるユ・ジテくんと可愛いイ・ヨンエが出てる映画ですよね。今度の夏あたりの公開らしいので、絶対見に行くつもりです。(東京都在住,27歳,女性)
- まだ見ていないので期待しているとしかいえないです。きっと、感動すると思います。(兵庫県在住,33歳,男性)
- 失恋したての自称・純情男にはきつい映画でした。といいながらくり返しこの映画を観て、サントラはCDラジカセのなかに入ったまま。大好きな映画・・・という言い方は正確には不適切ですが、多大な興味があるのは『八月のクリスマス』を初めてみたときから変わっていません。韓国語を始めたのもこの映画との出会いがきっかけ。『春の日は過ぎゆく』は字幕無しだと三分の一位しかわからなかった。次回作が発表になった時には全部わかるようにガンバリマス!(神奈川県在住,38歳,男性)
【評価:★★★★★】
- 音の演出がすばらしかった。特に林や草原を流れる音のすばらしさが感動的だった。(東京都在住,39歳,男性)
【評価:★★★★】
- 2001年の東京国際映画祭で観ました。もういっぺん観てから感想を書きたいというのが正直なところです。『八月のクリスマス』同様、やっぱり寡黙な映画でした。『八月のクリスマス』は最初観た時よりも、二度目がよかったと思いました。それから何度も見ているけど、二度目以降は新たな発見や解釈をするときもあり、その都度この映画の懐の深さを感じています。懐が深いってことは、要するに寛容ってことで、観客の自主性に任せるっていうかそういうところがあります。つまり観客は受身ではいられません。そんなことをしているとわけのわからないまま、二時間が過ぎてしまいます。想像力を持って、入り込んでいかなければなりません。多分一度目はそれがうまくいきませんでした。一度見た余裕からか、二度目はうまくいったように思います。想像することによって、自分の中に取り込み、それは簡単に抜け落ちない。ずっと体に残る感じがしました。恋の始まりと終わりの違いこそあれ、(もしかしたらこれが大きな違いなのかもしないけど)『春の日は過ぎゆく』も手口は同じと見ました。すなわちそれがホ・ジノの手口なのでしょう。今回も一度目の鑑賞はあまりうまくいかなかった感じがしました。それが映画のせいなのか、自分のせいなのか、共同作業をする上での自分と映画の相性のせいなのかそれはまだわかりません。とりあえずもう一度観てからと思っています。(東京都在住,34歳,女性)
【評価:★★★】
- ホ・ジノ監督の前作『八月のクリスマス』が素晴らしかったので、この作品にも期待しています。日本での劇場公開が待ち遠しいです。(沖縄県在住,32歳,男性)
- まだ作品は見てはないのですが早く早くみたいです。春には見れるのかなぁ・・・ 福岡であることを願っています。(福岡県在住,25歳,女性)
- ラストの主題歌が、もろに松任谷由実っぽくて、キム・ユナ色があまり出ていなかったし、本編にあまりあっていなかったのが残念。(東京都在住,37歳,男性)
【評価:★★★】
- まだ観た事がないので正直わかりませんが、夏を楽しみにしています。(東京都在住,23歳,男性)
- 東京国際映画祭の時に、日を置いて二回見た時の事。一回目に見終わった直後は「あれ? こんな物なの? 悪くは無いけど何だか胸にストレートに来ない居心地の悪い映画・・・」と思った。それなのに、気が付くとず〜〜っとこの映画の事を考えてた。あの映画の中に生きる一人一人の思いや人生の事を。これは何だろう? 映画の中の何が私を放さないのか? と思いつつ二回目を見た。そして二回目を見た時「やられた・・・」と素直に思った。一回目に感じた居心地の悪さは余りにリアルな登場人物の感情に感応した痛みだったのかもしれない。二回しか見ていないのに、色々な場面を鮮明に覚えていて、今も時々その場面での人々の感情に付いてふと考えてしまう。不思議な映画でした。主人公だけでなく、おばあさんやタクシーの運転手、といった脇役がちゃんと「生活」している映画でした。(東京都在住,44歳,女性)
【評価:★★★★】
- 初めてみた韓国映画は『JSA』で、それ以来イ・ヨンエさんに惚れこんでひとつずつチェックしていってます。はじめの印象が役柄上「しっかりしていて優しい人」だったので、そこからほんわか優しいイメージがどんどん広がっていって、さらにお気に入りの女優さんです。(愛知県在住,20歳,女性)
【評価:★★★★】
- 東京国際映画祭で観ました。あの『八月のクリスマス』以来のホ・ジノ監督作品ということで、期待して観に行ったのですが、上映が終わった後の感想というか印象は前作とは全く異なったものでした。悲しいとか嬉しいとかいった直接的な感情ではなくて、「悩み」に似たどこか吹っ切れない霧の中に沈み込んでいるような気がしました。それまでどんな映画を観ても、このような感覚を覚えることはありませんでした。確かにこの映画は他の恋愛映画のように劇的な展開があるわけでもなく、皆が期待するようなハッピーエンドでもありません。何か夢を見させてくれるわけでもありません。ですが、それだけにいっそう「現実的な感情の起伏」を表現していると思います。そして、だからこそ観る者に訴えるチカラがあるのだと思いました。(東京都在住,22歳,男性)
【評価:★★★★】
- 『八月のクリスマス』を見て感動したので早くみたいです。ホ・ジノ監督の描く「エネルギッシュな国・韓国の中のほのぼのした世界」を見るのが大好きです。(福岡県在住,26歳,女性)
- 『八月のクリスマス』が変わらない男女の愛を描くのなら『春の日は過ぎゆく』は変わってしまう男女の愛を描いている。愛を扱った映画でもその見方、タッチは異なっているので脚本はおもしろかった。でも、役者はやや力不足か。主演の二人もすばらしい演技をしていたが、まだまだ『八月のクリスマス』でハン・ソッキュとシム・ウナが描いた世界にはたどり着けていないような気が・・・する。(山梨県在住,20歳,男性)
【評価:★★★】
- 『八月のクリスマス』が大好きだったので、東京国際映画祭での上映時、楽しみに観せていただきました。期待以上の出来で、また観たくなってしまいました。夕張には、計画していたものの最終的に行けず仕舞いでしたので、本公開を首を長くして待っています。観るたびに、いろいろな想いに浸れ、何度も観たくなる作品です。(東京都在住,42歳,男性)
【評価:★★★★★】
- だれでも人に映画を勧めるとき、その作品のどこがいいのかを説明すると思います。この映画はその説明によって、自分の内面が相手にさらけだされてしまうような怖さを持っていると思います。何回見ても、また何回も見たくなる映画。(福岡県在住,30歳,女性)
【評価:★★★★★】
- まだ予告編と台本しか見ていませんが、これから日本で上映される映画の中でも特に見てみたい作品の一つです。(愛知県在住,27歳,女性)
- 映像もイ・ヨンエも美しいけれど、ちょっと期待はずれでした。イ・ヨンエの相手の俳優が二人とも全然存在感がないせいでしょうか。やはり、イ・ヨンエが美しすぎるのがいけないのでしょう。(神奈川県在住,46歳,男性)
【評価:★★★】
- 去年の東京国際映画祭で観て以来、この映画の事が頭を離れず、ロードショーを今か今かと待っています。初夏ということですが、待ちきれず、字幕ナシのビデオを韓国から取り寄せ、飢えをしのいでいます(ロードショーも観に行きます)。何回も観て最近思う事は、ハルモニを通してサンウを見ると、また違った視点で捉えられるということです。(千葉県在住,29歳,女性)
【評価:★★★★★】
- 『八月のクリスマス』があまりにもすばらしいので、期待しすぎた感もありました。でもよかった。公開時にはまた観たいです。(東京都在住,24歳,女性)
【評価:★★★★】
- 『八月のクリスマス』の評価のプレッシャーはあっただろうが、エネルギッシュに乗り越えたのではないだろうか。(埼玉県在住,22歳,女性)
【評価:★★★★】
投稿者:くにみつきょうこさん 投稿日:2002/5/3 16:28:42
身につまされる映画です。ソチョン氏はこの映画を「怖い映画」だとおっしゃっていますが、確かに。この映画のことを考えるにあたり、自分の過去のにがい恋愛経験が露呈してしまいます。反面、この映画を恋愛映画として観るならば、多くの人が経験する、ありふれたことが題材になっているとも思います。
映画はあくまでも客観的に観るものだというのが自分の信条にもかかわらず、この映画は何度観ても主観的になってしまいます。「ウンスはバカだな」とか。淡々と展開してゆきながらもこの映画のメリハリが心にしみ入ります。せつないのだけど、最後に不思議な爽快感があって、それでまた観たくなる作品です。
【評価:★★★★★】
投稿者:iwakoさん 投稿日:2002/6/25 13:29:45
この映画でユ・ジテが笑う時、『八月のクリスマス』のハン・ソッキュとよく似た困ったような笑顔になっていました。
もの静かでシャイで優しい男性。ユ・ジテは小さな男の子がそのままあんなにでっかくなってしまったというイメージが強いので、「男性」というよりは「男の子」なんだけど。『リメンバー・ミー』でも思ったけれど、彼が泣くとほんとうに可愛くてしかたがない。映画の途中から「これは泣くぞ泣くぞ」と期待していたらやっぱり泣いてくれて、よかった。「困ったような笑顔」と「泣き」って一昔前なら女の子よねえ。でも、いいの、こういう人を私は引っ張っていってあげたい。作家の田辺聖子がよく「清潔な血液が流れている男の子」と表現するのですが、サンウはまさにそんな感じの男の子でした。ユ・ジテにもぴったりの役と思います。
イ・ヨンエはそんな男の子をある意味翻弄する女性。映画をみながら「やな女」と正直ギリギリしました。しかし、二人が最後のデートをする場面があって、あそこがやさしい雰囲気で、それまでの観客としての私のわだかまりがほぐれた感じ。恋愛が結婚に直結しないからといってそれが不幸というわけではなく、つきあっていた期間が短かかったからといってそれが不実というわけではないということをサンウは経験して大人になったのかなあ。しかし、大好きなおばあちゃんも死んでしまって辛い(このおばあちゃんとて最初はおじいちゃんにすごく愛されていたのに、愛は移ろってしまったのでした。愛は強いものだけど、うつろうものでもあります)。
『八月のクリスマス』でハン・ソッキュがお酒を飲んでいるとき途中でトイレに行き、そこで男の友人に「僕はもう長くは生きられない」と語るシーンがすごく好き。不安定な感情を抑え抑え生きてきた人があそこでドーンと切れるでしょう。『春の日は過ぎゆく』でも友人のタクシーの運転手さんに失恋しかかった心境を語るシーンがあります。こんな男二人のいいシーンをホ・ジノ監督はみせてくれますね。
【評価:★★★★】
投稿者:長田幸子さん 投稿日:2002/7/14 18:54:31
『八月のクリスマス』で描かれた、繊細で静かで深い思索に溢れた世界に魅せられ、この映画も公開を首を長くして待っていました。たった9日間の公開ではありましたが、仕事を持つ身でありながら、ニ度も観てしまいました。
私はこの映画は、観れば観るほど、感慨も感想も違ってくるなと感じます。最初に見た時と、ニ度目ではやはり違うのです。
悪女だと評されるウンスについて、幾重にも考えを巡らさせられました。ウンスは果たして、恋愛経験の浅い若者の純情を、ただ翻弄するだけの気儘な女性でしかなかったのだろうか。何故結婚に失敗したのか。結婚によほどのトラウマがあったのか。「一緒のお墓に入れる?」とサンウに尋ねた時のウンスは、紛れもなく本心から聞いたのだと思います。なのに何故、結婚をほのめかされたと同時に、急激に変貌して行ったのか。映画を観終えた後、ずっとウンスについて、あれこれ考えている自分に驚いています。
ソチョンさんの鑑賞ノートに記されてるように、本当に余白のある映画であるし、自分の過去の恋愛経験が投影されるというのも、全く頷けるお話です。
お婆ちゃんの孫を思いやる言動に、胸を打たれます。最後のサンウとウンスの別れのシーンは、生涯忘れる事の出来ない印象的な場面です。サンウの万感込み上げる気持を、ユ・ジテはさり気なく、しかしきちんと見る側に伝えてくれました。サンウの気持になって、涙が溢れました。
残念ながら上手く描写する文章力を持ちませんので、ただただ「良かった」としか申し上げられませんが。
この作品は見る側にとって、傑作とも、つまらなかったとも両極に評価が分かれる所だと思いますが、私は素直にいい映画だったと評価します。
【評価:★★★★】
投稿者:さばこさん 投稿日:2002/8/9 18:15:39
正直言って、期待してませんでしたがその通りでした。イ・ヨンエにはこの役、荷が重すぎだと思います。普通に演じよう、演じてないように自然に演じようとがんばるイ・ヨンエの意気込みが感じられて冷めました。
映画の紹介ではウンスがどうしてサンウに冷たく接するのか? オトナの女の寂しさや切なさを、松任谷由実を使ったりして、うっとおしいほどの説明してくれてますが、何の資料もなく映画だけを見たなら、ウンスは世界中どこにでもいる、オシャレな仕事をしてる美人の高慢チキな女にしか見えません。配給会社が無理にウンスに意味を持たそうとしたため本作品とのギャップがあってなんだかおかしかったです。
イ・ヨンエって韓国の中山美穂みたいなだなぁ。まるでこの映画『Love Letter』みたいだなぁ。映画を見終わった私の感想はこれでした。監督は女優に演技ではなく雰囲気を求めたのでしょうか?
それでも星を3つつけるのは、ユ・ジテが思った以上によかったから。彼とハルモニのやりとりには、何度も胸がつまりました。ハルモニとウンス、正反対のふたりが伝える「悲しいけど人の心は変わっていくもの」という現実。でも、ウンスからはやっぱり高慢チキさしか伝わらない。ハルモニがいなかったらこの映画の切なさは伝わったのだろうか?
サンウひとりのシーンや、サンウとハルモニとのシーンでは何度も涙ぐんだのに対し、サンウとウンスのシーンは淡々と見てしまう。
ホ・ジノらしい映画ではあったけどなんだか長い映画に感じられたのは『八月のクリスマス』と比べてしまったからでしょうか・・・
【評価:★★★】
投稿者:SUMさん 投稿日:2002/8/10 23:17:54
男女の関係も、ほんの些細なやりとりから、近づいたり離れたりする。そしてまた違う明日の自分が作られる。
直接には言葉に出さない葛藤が、間接的な台詞と、台詞を抑制してつくられた「間」で表現される。
結婚に一度失敗し、恋愛はできても結婚には躊躇するウンス。そこから生まれたすれ違いは、最後は二人の間を広げてゆく。ウンスとの別れを通して、新たな出発をするサンウ。
最後のウンスとサンウの別れで、映像の焦点が外れたままいつまでも遠ざかりつつ写り続けるウンスと焦点のハッキリあったままのサンウとの対比が、二人の距離が遠ざかるのを印象づける。
子供を抜けて、でも大人になりきらない青年の恋の葛藤を描いた傑作。
撮影監督ユ・ヨンギルを失ったホ・ジノが選んだパートナーは、彼の弟子で、すでに『スプリング・イン・ホームタウン』、『イ・ジェスの乱』、『ペパーミント・キャンディー』で韓国人の原風景を撮る男として実績を積んだキム・ヒョングだったか。
主演の候補に間違いなかったシム・ウナが引退状態で、同系統の容姿のイ・ヨンエが主演となったが、このウンスの心の陰を表現するにはイ・ヨンエで成功だったかもしれない。
【評価:★★★★】
投稿者:どさんこさん 投稿日:2003/2/3 21:47:02
『春の日は過ぎゆく』ですが、これは観ていて本当に自分の苦い思い出を掘り返される映画ですね。すでにこちらでおっしゃられていた通り。特に「一ヶ月会わないことにしよう」の場面ではサンウの気持ちがなんともいたたましい・・・
自分が言われたのは一週間でしたが、残念ながら耐えられませんでした。でも、せつなさではウンスの方。きっとサンウのことが本当に好きだったのでしょう。でも離婚経験がそうさせるのか、結婚に踏み切るまでにはなれない。後半のサンウへの態度は、そんな自分への苛立ちや、いっそのこと嫌いになれれば・・・という気持ちの表れだと感じました。
音楽評論家と会うのも、気を紛らわせているのでしょう。部屋で一人でいると電話を待ってしまうし、サンウのことを考えてしまう。そんな風にウンスを観ていると、ホントせつないです。
「お墓に一緒に・・・」も本当の気持ち。そのコントラストがすごく心にしみた映画でした。
実は『八月のクリスマス』まだなんです・・・絶対観ます。
【評価:★★★★】
投稿者:とりもちさん 投稿日:2003/4/19 08:32:38
どうしても『八月のクリスマス』と比べてしまうなあ・・・ あの映画は何も言わなくても見た人と同じ暖かさを分けあえる気がしたけれど、この映画は一緒に見た友人さえひっつかまえて熱く語らずにはいられない、そんな映画でした。多くを語っている映画ではないのに。
さしのべた片思いの触手が思いもかけず受け止められ、相手と結ばれる。こんな奇跡が自分に起こっていると信じられない。恋の始まりはこんなだったなあ・・・ サンウと一緒にそんな高揚感の中にいた観客は、突然の、理解を拒否するようなウンスの言動にとまどうばかりなのです。あなたは本当の私を見ているの? あなたが私に求めているのは何なの? 真正面からそれを問いかける代わりに、彼を試し、傷つけてしまう。いらだちはつのり、別れを口にする。
一番つらかったのは、最後の別れの場面で、ウンスの「ねえ覚えてる?」という問いかけに、サンウが「なにを?」と答えたこと。彼が一人でのたうち回りながら彼女を忘れようとしてきた日々があの一瞬に籠められていました。ウンスは彼との恋をほろ苦いエピソードに閉じこめておきたかったのでしょうが、自分のしたことの残酷さを悟ってしまう。そして、人を愛し、心の底から幸せを感じる日が二度と自分には訪れないと思い知るのです。彼女自身これまで何度も傷ついてきたんでしょう。でも、どんなに痛くても傷つけられる方が傷つけるより千倍もましなんだ。
ラストのサンウの微笑に、彼にまだ人を愛する力が残っている事を感じます。つらい映画なのに、ラスト見たさに何度も見てしまうのかもしれません。
【評価:★★★★】
投稿者:NOBさん 投稿日:2003/5/5 23:50:53
この映画を論じる時に、この映画が、祖母の背中から、祖母が逃げる姿から始まる映画だということを忘れてはいけないと思います。そして、途中でとても奇妙というか、不気味な感じさえする写真が出てきます。祖母がチマチョゴリを着て日傘を差し、逃げているような後姿の写真が、二度出るのです。僕は、『シャイニング』のラストでジャック・ニコルスンが過去の中に逃げ込んだ写真のシーンを思い出しました。
だから、僕にとってこの映画は、恋愛映画というよりも、祖母が、自分が決して受け入れられなかった現実を孫にはどうか受け入れて人生を全うして欲しいと言う願いを込めた遺言状として描かれたような映画だと感じられました。
そのように観れば、なぜ、イ・ヨンエがあんなに曖昧なのかわかるような気がします。イ・ヨンエは、掴み所のない、思い通りにならない現実の象徴として描かれているのではないでしょうか。監督自身が、イ・ヨンエが演じるひとりの女性の個性には、大して関心を抱いているようには感じられず、抽象的にさえ感じられるからです。
いろんな見方があると思いますが、主人公を、ユ・ジテと祖母だとして見ると、祖母が決して受け入れることが出来なかった辛い現実を、祖母の愛情と共に諦念として受け取り、とにかく生きていくという切ない姿が、ラストの風に吹かれながら立っている姿として描かれているのだと思いました。祖母の死を知らないイ・ヨンエがくれた祖母への贈り物の観葉植物を、理由も言わずに返すのは・・・ 「生きる」ということの持つ残酷な側面から逃げずに向き合うという、祖母が死と引き換えに孫に託した願いを受け取ったことの象徴として観ました。
『八月のクリスマス』の次作としての必然を感じさせる映画でした。
【評価:★★★★】
投稿者:たびこさん 投稿日:2003/5/31 09:26:47
『八月のクリスマス』が韓国映画にハマるきっかけになった私にとって、ホ・ジノ監督の作品は別格とも言えます。美しい映像、印象的な音楽、決して大げさではないエピソードの一つ一つが自然に心に染み入ってくる。映画を構成する要素の中で重要なものが、ストーリーや出演者だけではないことを、改めて感じる映画だと思います。一見ストーリーとはあまり関係がないように思えるハルモ二(おばあさん)の存在感に心をぎゅうっと掴まれたような気がしました。
「去ってしまった女とバスは追うもんじゃない」
至言と言わざるを得ません。韓国の諺で「去る男と汽車は追うな」というのがあると聞いたことがあるのですが、「バスと女」はこの映画のオリジナルなんでしょうか・・・?
ソチョンさんが書かれたように、自分の恋愛(特に失恋)を思い出さずにはいられなくなります。失恋ってその時々色んな形があると思うけど、時が経って思い出す時に共通しているのは、心の奥がすーんとする感じ。あの感じを上手く捉えた作品だと思います。
【評価:★★★】
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