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『8月のクリスマス』
ホ・ジノ監督インタビュー


アジアフォーカス・福岡映画祭 '98 にて

目次

  1. 合同記者会見
  2. 『8月のクリスマス』質疑応答 A
  3. 『8月のクリスマス』質疑応答 B
  4. ホ・ジノ監督インタビュー
  5. インタビューを終えて 「ホ・ジノという人」
  6. 謝辞

合同記者会見(チャン・ユニョン、ホ・ジノ両監督の発言のみ)

1998年9月12日(土)11:00より ソラリア西鉄ホテル8F 月の間


チャン・ユニョン監督挨拶
 私は福岡に来たのは初めてで、日本に来たのも初めてです。今回、初めて日本という地に足を踏みいれることになったのですが、これが単なる旅行ではなく映画祭という目的で来られたことを非常に嬉しく思っています。そしてこういったすばらしい場に招待して下さった佐藤先生(映画祭ディレクター)に心より感謝いたします。私が今回参加させていただいた作品(『ザ・コンタクト(原題:接続)』)はコンピュータ通信を扱ったものなのですが、日本でもやはりコンピュータ通信に関心があるようで、皆さん非常に暖かくこの作品を受け入れて下さり嬉しく思っています。そしてこの映画祭がアジア全体の出会いの場になることを願っておりますし、私自身そういったアジアがひとつになる出会いの場であるこの映画祭に参加させていただきましたことを嬉しく思っています。そして関係者の皆様にもお礼を申し上げたいと思います。

ホ・ジノ監督挨拶
 皆様こんにちは。皆様にお会いできて非常に嬉しく思います。映画祭に行く度に感じることなのですが、文化や生活習慣の違う国の人達と映画を通して交流できるというのは映画に携わっている監督として非常に心が弾む嬉しいことです。今回福岡に来たのは初めてで、アジアの国に来たのも初めてです。昨日は福岡で炉端焼きの店に行ってお酒を飲んだのですが、そのお店の従業員の方に韓国語で話しかけてしまうほど親しみを感じてしまいました。
 私の作品(『8月のクリスマス』)が日本の皆様にどう映るのか、どう見て下さるのか、今非常に気になっているところです。そして私を招待して下さった佐藤先生に心より感謝申し上げます。

質問1
 ホ・ジノ監督は、パク・クァンス監督の『美しき青年 全泰壱』の脚本と製作に携わってらっしゃいます。そして、この作品の脚本を共同執筆したイ・チャンドン監督も、その後『グリーンフィッシュ』という映画を作られています。ところで、『8月のクリスマス』も『グリーンフィッシュ』も主演にハン・ソッキュさんを使ってらっしゃる。そして偶然にもチャン・ユニョン監督も『ザ・コンタクト』でハン・ソッキュを使っている。新しい監督さんたちが皆ハン・ソッキュを主役に使いたがるというのは、彼のどういうところに魅力を感じてのことなのでしょうか?

ホ・ジノ
 ハン・ソッキュさんをキャスティングした一番の理由は、彼の自然な演技が気に入ったからです。韓国でハン・ソッキュさんは非常に人気のある俳優ですので、彼をキャスティングすることによって製作条件が非常によくなるというのも理由のひとつです。

チャン・ユニョン
 私の考えもだいたいホ・ジノ監督と同じです。ハン・ソッキュさんは何よりも演技が非常に上手ですので、演出者としては是非使ってみたい俳優です。ハン・ソッキュさん自身、非常に勉強家で演技のことも一生懸命勉強していますし、演出者が要求する以上のアイディアを彼のほうから出してくれます。演技の感覚が非常に鋭くて起用するには良い俳優さんです。また、良い俳優さんだからこそ良い作品にもめぐり合えますし、良い監督にも出会えるのだと思います。

質問2
 アジアの金融危機について一言。

チャン・ユニョン
 韓国では今まで大企業が映画に資金援助してくれていましたが、1997年末からの金融危機により企業からの援助が一時中断されました。ですから、金融危機から最初の6ヶ月くらいは映画製作は非常に困難な状況におかれていました。しかし、今は幸いに安定してきているところです。金融会社を中心として映画に投資をする会社が増えてきましたので、製作状況は非常によくなってきていると思います。今までそういう会社は製造業などハードウェアに投資をしていたのですが、(映画のような)ソフトウェアに投資をしようという会社が増えてきましたので、韓国映画の状況は明るい方向に向っています。

ホ・ジノ
 大体のことはチャン・ユニョン監督がお話した通りです。韓国では大企業や金融会社が映画に投資するということがあったのですが、それでも最近はなるべく製作費を削減して欲しいという要求がありますので、映画に携わっている人達はなんとか製作費を削減しようと模索しているところです。しかし、幸いなことに韓国映画の観客は経済危機の間に増えました。ウォン安のため外国映画の値段が上がり、外国映画を輸入・配給するのが難しくなったということもあって、韓国映画を見る観客は非常に増えています。

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『8月のクリスマス』質疑応答 A

1998年9月14日(月)19:00より ソラリアシネマ1


質問1(男性)
 ラストシーンはクリスマスの日だったと思うのですが、なぜこの映画は『8月のクリスマス』というタイトルなのですか?

ホ・ジノ
 ラストシーンはクリスマスの日という設定です。クリスマスツリーも画面に出ていたのですが、あまりに小さいのでお気づきにならなかった方も多いと思います。
 なぜタイトルが『8月のクリスマス』なのかということについてお答えします。私達は日常生きていく過程において悲しみを感じたり、ある時は笑ったり、そういった相反する2つの感情のぶつかり合いの中で日常を生きていると思います。そういった意味をこめて「8月」という夏の明るいイメージと「クリスマス」という冬のイメージを持つ単語を2つ合わせた時の印象が非常によかったので、これを題名にしてみました。

質問2(女性)
 ラブストーリーなのですが、撮られた監督としては、どういった人達に観てもらいたいですか。もちろん沢山の人に観てもらいたいと思いますが。

ホ・ジノ
 この作品ではラブストーリーが非常に重要なモチーフになっているのですが、この映画を撮ろうと思った当初は男女の恋愛を描こうという気持ちはありませんでした。死にゆく人の日常生活を撮りたいという気持ちからこの映画を始めました。ですから、観ていただきたいと思う観客層というのは、恋愛をしている人たちだけではなくて、年配の方々にも観ていただきたい。そういう気持ちで映画を作りました。

質問3(女性)
 写真というのは人生の節目節目を飾るものとして記念になるものですから、主人公が写真屋さんだったというのが非常に印象的でした。その点に関して何か一言。

ホ・ジノ
 主人公を写真技師と設定したのは、韓国で有名な歌手だったキム・グァンソクさんのお葬式で見た遺影がヒントになりました。私はそのキム・グァンソクさんの葬式には参列していないのですが、その遺影は見たことがあります。遺影というのは死んだ人の死を記憶する写真でもあるのですが、キム・グァンソクさんの写真を見たら彼がにっこりと笑っている写真でした。それを見た時に死というものと写真に写っている笑顔というものについて考えるきっかけを得ました。そして死にゆく写真技師の男性が最後に自分の写真を笑った顔で撮るというのはどうだろうかということを考えまして登場人物にしました。

質問4(男性)
 監督は先ほど「8月」と「クリスマス」のコントラストについておっしゃいました。そして、映画の中では「主人公は8月生まれ」となっていたと思います。8月の「生」とクリスマスの「死」が重なるような形で描かれている訳ですが、この点について監督の考えをお聞きしたい。また「クリスマス」が作品の中で出てきますが、この作品の中にはキリスト教の信仰や死生観というものがあるのでしょうか。

ホ・ジノ
 『8月のクリスマス』という題名について非常によくご理解いただいて、また言葉のコントラストについてもご理解いただきましてありがとうございます。
 確実にこういう意味だという確固たる確信をもって対比させたのではなくて、8月、そして8月からクリスマスにかけての時間の変化、感情の変化を表わすのにこの題名がよいのではないかと思ってつけました。そして、主人公の誕生日を8月と設定したのは、自分の誕生日が8月だからです(笑)。
 私はこの映画で単に死を描こうとは思いませんでした。むしろ、死というものは我々の日常生活を豊かにしてくれるのではないかという気持ちから死というテーマをこの作品で選んでみました。実を申しますと、最初は死をテーマにするのは自分自身あまりいいとは思っていませんでした。むしろ、ちょっと嫌悪感がありました。しかし、あと命が僅かしか残っていない人達に実際にインタビューしてから考えが変わりました。新たに得た印象があります。死というものは確かに悲しいものなのですが、怖いという感情だけではないということをインタビューを通して知ることができたのです。そして、ある意味で死というものは人々の生活を平穏なものにしてくれるのだという印象を受けました。
 2つめのキリスト教の宗教観に関する質問ですが、私は特別に宗教を持っていません。

質問5(女性)
 監督が目標にしてる世界の監督や日本の映画監督がいらっしゃいましたら教えてください。また、次のプランを何かお持ちでしょうか。

ホ・ジノ
 その答えは日本の監督です。目標というよりも人生哲学が非常に私とあっているという意味で小津安二郎監督です。そして『東京物語』を観た時の印象が非常によくて小津監督が持っている人生哲学というものが私の考えているものと非常に似ていますので大好きな監督です。
 次回作ですが「幸せに関する物語」を撮ろうと考えています。どうしたら幸せになれるのか、どうしたら幸せに生きていけるのかという内容のものを頭の中で構想を練っています。

質問6(女性)
 男優の方が日本の俳優で佐野史郎さんにそっくりだと思いながら見ていたのですが、この方は韓国ではどのくらいの位置の俳優さんなのか教えていただきたいのと、男優と女優をキャスティングした理由を教えてください。

ホ・ジノ
 残念ながら佐野史郎さんについては全然知りません。申し訳ありません。男優のハン・ソッキュさんに関しましては、今、韓国で一番人気のある俳優さんであるといえます。すべての監督はハン・ソッキュさんと一緒に仕事をしたいと望んでいますし、また出演料が一番高い俳優さんでもあります。ハン・ソッキュさんをキャスティングした理由ですが、この映画では大きなドラマ展開をめざしたり、大きな感情の起伏を表わすというよりも、日常生活の中の自然な演技が要求されましたので、彼が一番適役かと思いまして、演技も上手ですので彼を起用しました。
 そして女性のほうシム・ウナさんに関しましては、会ってみたら非常に可愛くて奇麗な方でしたので、キャスティングすることにしました(笑)。

質問7(男性)
 日本には「秘めたる恋こそ本物」というような言葉がありますが、同じような言葉が韓国にもありますか? また、最後まで主人公は告白せず、手紙も出さなかったのですが、これはそういったことと関係があるのでしょうか。

ホ・ジノ
 韓国にはそういった言葉はありません。私がこの映画を作るにあたって非常に関心を持ったのは、相手に対して「貴方のことを愛しています」という風に話すことではなく、愛を告白する以前の感情でした。そして、愛という感情は歳月の変化とともに変わるものではあるのですが、誰かを愛した時の気持ちはずっと変わらないと思います。

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『8月のクリスマス』質疑応答 B

1998年9月15日(火)10:30より ソラリアシネマ1


質問1(男性)
 主人公が使っていたカメラがニコンで、お父さんが使っていたのはミノルタだったと思います(笑)。韓国では日本の歌が受け入れられないと聞いていたので、日本の製品を使ってくれているのを嬉しく思いました。プロの写真家や写真館を経営している方は日本の製品を使っているのでしょうか。

ホ・ジノ
 私はどのメーカーのカメラが使われていたのか、よく知りませんでした(笑)。韓国ではプロの写真家の人達は日本のカメラは非常に品質がよいということで日本製のカメラをよく使っているようです。

質問2(男性)
 映画の中でアイスクリームを食べるシーンがいくつか出てきましたが、韓国の若い人は好んでアイスクリームを食べるのでしょうか(笑)。

ホ・ジノ
 私自身がアイスクリームが好きなので(笑)、そういった場面が多かったのだと思います。

質問3(男性)
 監督が心の中で思ってらっしゃる韓国の風景がよく出ていたと思うのですが、ロケ地はどのあたりなのでしょうか。

ホ・ジノ
 この映画に出てくる場面の70%から80%は群山という所で撮りました。群山というのは韓国の全羅北道にある都市です。

質問4(佐藤忠男氏)
 写真館のある街角の風情がとても印象的でした。あれは実際にある街角なのでしょうが、風景は手をいれたものですか?

ホ・ジノ
 実際に使われている写真館で撮影をしたかったのですが、なかなか適当な場所が見つかりませんでした。それで撮影監督と一緒にどこで撮ったらいいか探している時に偶然駐車場として使われているあの場所を見つけまして、その駐車場の建物を全部壊して新しくセットを作って撮影しました。

質問5(男性)
 私、韓国映画はまだ3本目なのですが、こういうタイプの映画は最近韓国でよく作られているのでしょうか。そして、これは監督に質問することではないかもしれませんが、こういう素晴らしい作品を日本で一般公開されるような意志がおありか伺いたいのですが。

ホ・ジノ
 今回の私の作品のように長い呼吸でとらえた作品は多くなっています。それからこの映画のように個人の感情を描いた作品も、今、韓国では多く作られています。残念なことに日本での配給は決まっていないのですが、配給が決まって日本の多くの方に見ていただきたいと思っています。

質問6(男性)
 主役になぜハン・ソッキュさんを起用したのですか。また彼にどういう思いがありますか?

ホ・ジノ
 この作品は私自身と同じ年代の人たちの個人の感情を描いた作品ですので、同年代の俳優を探していました。ハン・ソッキュさんは私よりもひとつ下なのですが、同年代ということで起用することにしました。それから、彼は非常に自然な日常の演技が上手ですので、それも起用した理由です。ハン・ソッキュさんは、韓国で最も人気があり出演料も一番高い俳優です(笑)。

質問7(女性)
 どうして『8月のクリスマス』というタイトルなのでしょうか?

ホ・ジノ
 この映画を作る時に私は悲しみと笑いのぶつかり合った時の物語を描こうと思いました。そして、もう一つは時間に関する概念、時間が変化していく、そういった事も表わせるような題名をつけたいと思いました。韓国は四季のある国なのですが、「8月」の夏、「クリスマス」の冬、この2つの単語がぶつかり合った時に醸し出される雰囲気が非常にいいと思いましたので、この題名を付けました。ちなみに「クリスマス」という単語を使いましたが、そこには宗教的な意味は何もありません。

質問8(女性)
 この7月に21歳の韓国の青年がホームステイしていて、『ザ・コンタクト(原題:接続)』と『8月のクリスマス』は非常に素晴らしいから是非見てくれと薦めてくれました。彼はこの映画は悲しいと言っていたのですが、私は逆に残された命を精一杯生きようとしているように感じました。女性が「生きていて楽しいですか?」と聞いた時に「ハイ」という返事を期待していたら、「なんとなく」という意味の返事が返ってきたのですが、監督としてはそこにどんな意味を込められていたのでしょうか。

ホ・ジノ
 人は生きていく過程において肯定的な考えだけを持っている訳ではないですし、常に幸福な訳でもありません。しかし、かといって極端に不幸ではないという現実を人々は生きていると思います。そういった意味を含めて「なんとなく」といった台詞にしてみたのですが、これは普段自分が同じような問いかけをされた時に答える言葉でもあります。

質問9(佐藤忠男氏)
 最初に「この映画をユ・ヨンギル撮影監督の霊前に捧げる」という文字が浮かぶのですが、この作品の撮影監督は亡くなられたのですか? そして、この撮影監督について詳しく教えていただけませんか?

ホ・ジノ
 撮影が終わった後、色を補正する作業をしました。その作業が終わって試写会をしたのですが、その試写会をご覧になった後に亡くなりました。
 今日ここにお集まりいただいた皆様の中にも1980年代の韓国の作品をご覧になっている方がいらっしゃると思いますが、1980年代を代表する監督であるパク・クァンス監督、チャン・ソヌ監督、イ・ミョンセ監督、この3人の監督とはほとんど一緒に映画を撮られていました。そして常に韓国映画界において新しい映像を提示してくださった撮影監督です。
 このユ・ヨンギル撮影監督という方は、これからデビューを望んでいる若手の監督は是非一緒に仕事をしたいと思える方でした。63歳で亡くなられたのですが、映画界では「映画青年」と呼ばれているほど、常に新しい感覚を提示してくれた方です。韓国映画界は、非常に大きな柱を失ってしまいました。

(注)ユ・ヨンギル撮影監督
 1935年生まれ。1969年にユ・ヒョンモク監督の『私も人間になりたい』で撮影監督としてデビュー。以後、1998年1月16日に他界するまで74の作品を撮影する。1980年代にデビューしたニューウェーブ監督達、例えば、ペ・チャンホチョン・ジヨン、チャン・ソヌ、パク・クァンス、イ・ミョンセらの作品を影で支えたのは彼の撮影であり、『風の丘を越えて〜西便制』の撮影で有名なチョン・イルソン撮影監督と並び称される存在。特に新人監督との共同作業に並々ならぬ情熱を傾けた人物で、その撮影技術と人柄は韓国映画人の尊敬の対象であった。日本公開作では、『チルスとマンス』『成功時代』『あなたが女というだけで』『私の愛、私の花嫁』『ホワイト・バッジ』などが彼の撮影作品。最近作としては、『美しき青年 全泰壱』『つぼみ(原題:花びら)』『グリーンフィッシュ』などが挙げられる。『8月のクリスマス』は彼の遺作となったが、第3回(1998)釜山国際映画祭では彼の功績を称え「故ユ・ヨンギル撮影監督特別展」が開催された。

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ホ・ジノ監督インタビュー

1998年9月15日(火)14:00〜15:00 ソラリア西鉄ホテル14F インタビュー・ルーム


質問1
 まず、監督の経歴から伺いたいのですが、延世大学を卒業され一時期サラリーマンをされてから、韓国映画アカデミーに入学されていますね。大学時代から映画作りをされていたのでしょうか? それと脱サラをして映画界に入った理由を伺いたいのですが。

ホ・ジノ
 大学の頃から映像を通して何かを表現するということはずっとしたいと思っていたのですが、大学の頃は監督になろうという考えはありませんでした。卒業して社会人になって会社生活をするようになったのですが、会社では生活と仕事が分離されていまして、生きがい、生きることの意味が見つけられませんでしたので、辞めて韓国映画アカデミーに行くことにしました。

質問2
 小津安二郎監督をめざしてらっしゃるという昨日のお話でしたが、韓国映画アカデミーで小津監督の勉強をされたのでしょうか。韓国映画アカデミー自体、日本の監督について体系的に教えるシステムがあるのでしょうか。

ホ・ジノ
 小津安二郎監督は目標というよりも非常に好きな監督で尊敬している監督です。韓国映画アカデミーに通っていた時は見ることはありませんでした。韓国では日本映画を見る機会は少なかったのですが、その後初めて『東京物語』を見たのは韓国でした。そしてもう一本『秋刀魚の味』を観ました。その2本だけで、たくさんの映画は見ていないのですけれど、その後1995年にパリに1ヶ月滞在したことがあって、その時『東京物語』をもう一度観ました。韓国映画アカデミーでは実習をするコースでしたので、作品を作るということがメインで、日本の監督だけでなく、特別な監督について、どこかの国の監督について体系的に勉強するということはありませんでした。
 今回、福岡に来まして映像図書館で小津監督の『晩春』を見ました。『晩春』でお父さんが足の爪を切っているシーンがあったのですが、『8月のクリスマス』でもジョンウォンが足の爪を切っているシーンがあります。爪を切るという場面はそれほど映画の中で多く使われるシーンではないと思うのですが、今回自分の作品を見て似ている場面があるなと感じました。

質問3
 商業映画としましては、パク・クァンス監督の『あの島へ行きたい』で演出をなさったのが初めてですね。また同じくパク・クァンス監督の『美しき青年 全泰壱』でシナリオの共同執筆をされています。パク・クァンス監督の作品で、実際の映画作りの勉強をされてきたと思うのですが、なぜパク・クァンス監督を選んだのか、どういうきっかけでパク・クァンス監督のもとで映画製作に携わるようになったのかを教えてください。

ホ・ジノ
 韓国映画アカデミーを卒業した後、どこかの監督の演出部に行きたいと思っていたのですが、ちょうど時期的に『あの島へ行きたい』をパク・クァンス監督が始める頃でした。普段から、パク・クァンス監督の演出部にいた方から監督に関する話を伺っていました。パク・クァンス監督は映画に対する姿勢において学ぶべき点がある方だと伺っていました。演出部としては、どんどん映画を作っていただいたほうが勉強にはなるのですが、パク・クァンス監督は2年に1本程度のペースで撮られる方です。そういう意味では本数は少ないのですが、1本撮った時にパク・クァンス監督の映画に対する姿勢とか、映画に対する精神などを学ぶことができました。

質問4
 ユ・ヨンギル撮影監督について質問したいと思います。彼を撮影監督として選択した理由を教えて下さい。技術的にどういう点が優れていて撮影監督として指名されたのでしょうか?

ホ・ジノ
 まず、韓国映画アカデミーに通っていたときに先生として教えに来て下さってました。その時も教えを受けましたし、それから実際に映画を『あの島に行きたい』や『美しき青年 全泰壱』を作る時も現場でいろいろ学びました。ただ、そんなに多くの対話をしたことはありませんでした。口数の少ない方でしたので。
 『8月のクリスマス』を作ろうと思ったときに、この作品は作為的な場面、人工的な場面を排除して、なるべく日常の自然な姿を撮りたい、撮ることが必要でしたので、是非、ユ・ヨンギルさんにお願いしたいと思いました。撮影の演出部にいたときにユ・ヨンギル撮影監督を見ていましたら、非常にリアリティがある方でしたし、また、リアリティを追求する方でしたので、自分の映画に対する考えとユ・ヨンギル撮影監督のそれが合うだろうと思ってお願いしました。ただ、心配だったのは、それまでユ・ヨンギル撮影監督は移動撮影が多く、また得意とされていました(例えば『チルスとマンス』の2人乗り自転車のシーン)。ところが『8月のクリスマス』では、ほとんど固定カメラでしたので、どうかなと思ったのですが、その点も非常に理解を示していただきました。固定カメラというのは東洋的な余白というのでしょうか、まるで画面が息使いをしているような、呼吸をしているような、そういう固定カメラで撮りたいと思いました。その点についても理解をしてくださったようです。
 撮影をしていた時に洋酒を1本差し上げました。ユ・ヨンギル撮影監督が亡くなった後に、奥様に新年のご挨拶に行ったことがあるのですが、その時その瓶にお酒が残ってました。奥様から「すごく大事に飲んでいた」というお話を伺いまして胸が痛くなりました。

質問5
 パク・クァンス監督の下で勉強された方、例えば、イ・チャンドン監督はデビュー作『グリーンフィッシュ』でユ・ヨンギル撮影監督を使ってらっしゃいますし、ヨ・ギュンドン監督もデビュー作『セサン・パクロ 外の世界へ』で彼を使っています。そもそもパク・クァンス監督自体がユ・ヨンギル撮影監督の撮影でデビュー作『チルスとマンス』を製作されています。パク・クァンス・ファミリーと言ってよいのかどうか分かりませんが、皆さんユ・ヨンギルさんを撮影監督として選んでらっしゃいます。何かその人間性に特別な思い入れがあるのでしょうか。

ホ・ジノ
 ユ・ヨンギルさんというのは年配の方なんです。63歳で亡くなられたのですが、非常に考え方が若々しくて常に新しいものを追求する方でした。積極的に若い方とも対話しようとする方でした。実は、韓国では若い監督と既存の映画人(年配の人)との間に対話の断絶があったのですが、若い人と年配の人とを結び付けてくれる役割をしていたと思います。ユ・ヨンギル撮影監督の他には、イム・グォンテク監督も若い人と年配の人とを繋げてくれる人です。ユ・ヨンギル撮影監督の映画に対する姿勢とか撮影方法に対して若い人は非常に尊敬しています。最も尊敬されていたと言っていいくらいの方でした。また多くの監督からも尊敬されていた撮影監督でした。ユ・ヨンギルさんは、カメラ哲学を持っているということと、対話ができる、話が通じるということで皆さんから支持されてました。

質問6
 映画の内容に移りたいと思います。この映画は映像にすべてを語らせており、「死ぬ」とか「愛している」という言葉は、ジョンウォンが酒に酔っ払った時、一度だけ「死」を口にしますが、それ以外出てきません。日本人はあまりはっきり物を言わない部分がありまして、その意味でものすごく日本人に受け入れやすい映画だと感じました。
 ここから質問なのですが、日本人と比べると感情表現が非常に激しい韓国で、この映画は違和感なく受け入れられたのでしょうか? 同じくメロドラマの『ザ・コンタクト(原題:接続)』『手紙』が大ヒットして、それに続く形で『8月のクリスマス』がヒットしているのですけれど、観客動員数だけを見るとその2作品よりは入っていませんよね。それと、カンヌ国際映画祭でも上映されていますが、西洋人の目から見てこの映画のような表現方法はどのように受け止められたのでしょうか。

ホ・ジノ
 この映画は、シナリオの段階から自分で書きました。大きなあらすじから入ったのではなくて、日常生活を描いていますので、シナリオの段階から私自身の個人的性格が大分反映されたと思います。これが個人的な性格を反映する映画ではなく、韓国という国自体を表現する映画だとしたら、映画の内容としても韓国人の趣向とか、そういったものに基づいて書かれたと思うのですが、あくまでもこれは私個人の考えから始めた映画だったのでこういった表現方法になったと思います。
 日本でもそうですけど、韓国でも人によって色々な性格がありますので、全体的な評価としましては観客の中には、「やはりこの映画は難しいな」という人も多かったです。それまでの韓国映画というのはカット数も多かったのですが、この『8月のクリスマス』はカット数も極端に少ないですし、ひとつひとつのシーンが長いということもありまして、だから「難しい」と反応した客も多かったのだと思います。
 ちょっと別の話なんですけど、今回の映画というのは私としてもなかなか受け入れられないのではないかと思っていたんです。プロデューサー(ウノ・フィルムのチャ・スンジェ氏)がどうしてこの映画を撮らせてくれるのか、私自身驚きました。今までのハリウッド映画とかそれ以前の娯楽性の強い韓国映画とは全く違う映画になる予定だったので非常に心配していたのですが、プロデューサーの方は撮らせてくださいました。
 先ほど3つの映画を例に出されましたが、その3つの作品の中では『8月のクリスマス』が一番最後に公開されましたし、IMF体制(1997年末からの韓国経済危機のこと)になってきていたので(笑)、客の入りが他のに比べるとちょっと少なかったですね。でも、こういったスタイルの映画としては、たくさん入ったほうだと思います。
 それから、カンヌ映画祭ですが、かなり評価が割れました。『フィガロ』,『ルモンド』,『リベラシオン』,『イマニット』その他、各誌色々とわかれました。「あの映画は何も語っていない」、「後片付けの姿勢しか見せていない」という書かれ方もされたのですが、ある雑誌では「これは小さな宝石のような映画だ」と評価してくださるところもありました。全般的にお客さんの反応はよかったです。「批評家週間」という部門に出品されまして、その上映の一環として小さな都市に行って小さな村で住民の人に見てもらって対話をするという試みがあったのですけれど、「死」を描いている映画のせいか、大分お年をめした方もこの映画を好きになってくれて一般的には反応はよかったです。

質問7
 今までの韓国のメロドラマですと、感情の表出が激しくて、それは男女間の喧嘩であったり、濃厚なラブシーンとして出てきて、日本人の感覚からはちょっと辟易とするところもありました。先ほどの話ですと個人的な考えからスタートしたということだったのですが、意識的に今までの韓国のメロドラマとは違った風にしようという考えがあったのでしょうか? まるっきり新しいスタイルを構築しようというような考えがあったのでしょうか。

ホ・ジノ
 今まで沢山の韓国映画を観た訳でもなければ、映画を始めたのも非常に遅かったので、既存のこれまでの韓国映画におけるメロドラマを壊せるとも打ち破れるとも思っていませんでしたし、他の撮り方で撮ろうと意図したこともありませんでした。
 映画というのは、監督の目というのはカメラだと思うんです。カメラは監督の目であってその監督の目を通して映像を作る訳ですので、私自身の考えでこれが適当な距離だなと思った距離で撮りましたし、このくらいの長さで撮りたいなと思って撮っただけです。ですから、長さが長くなってるシーンについても特別に意図したものではなくて、この状況にあわせてこのくらいの長さがいいのではないかというような考えで撮っていきました。そしてできるだけ人工的なカメラ使いを避けるようにして、普段自分が楽に見られる距離、カメラと対象との距離を普段楽な気持ちで見れるように長さを保ちました。
 それから、画面に映る大きさについても、そんな気持ちで定めました。主人公の顔の表情などは下から撮ったほうがうまく撮れたかもしれないのですが、そうではなくて私がこの場面ではこのくらいの長さが適当だなと思って撮っていくという方法を取りました。
 韓国ではよく映画のジャンル分けをします。これはメロドラマなのか単純なドラマなのかと。しかし、今回の『8月のクリスマス』はメロドラマとも言えないものでした。今までのメロドラマとは違うと思います。この映画は自分の死の時期を知ってる男性と若い女性が出てきます。その2人だけが出てくるだけだったら、メロドラマになっていたと思います。しかし、私は死が迫っている男性の日常を描きたいと思い、そこから出発したのです。そうしますと、日常の中に家族があり、友達があり、彼の仕事が写真屋ですから、そこを訪ねてくるお客さんがいます。遺影にして欲しいといったおばあさんとか、顔の大きい女性が訪ねて来たりします。その中にもちろん愛というテーマもあると思うんですね。そういった意味でスタートの時点で普段のメロドラマとは違ったスタートをしたので、こういった結果になったんじゃないかなと思います。

質問8
 そうしますと「メロ」と分類されるのはあまりいい気持ちではなかったのですか?

ホ・ジノ
 いい気持ちがしないという訳ではないんですけど、「この映画はメロだ」と分けられた時にはあまり良くない印象はあります。ただ、これは評価する人がジャンル分けしますので、私自身はどう定義付けていいのか分かりません(笑)。

質問9
 個人的に、ハン・ソッキュのお父さん役のシン・グ、それと2回写真を撮りに来るおばあさんが非常に印象に残ってます。おばあさん役の方はプロの方でしょうか。

ホ・ジノ
 キム・エラさんという舞台女優さんで、あちこちを回る劇団、旅芸人のような劇団に居た方です。昔の満州でも公演している方で非常にキャリアの長い方です。今でも演技をしてらっしゃいまして、『モーテルカクタス』『灼熱の屋上(原題:犬のような日の午後)』にも出ています。『灼熱の屋上』では屋上から飛び降り自殺をするおばあさんを演じていていました。昔は本当に可愛い奇麗な方だったんです。

質問10
 エンディングにハン・ソッキュの歌がありますが、あれはどなたのアイディアでしょうか? また、あの歌を映画の途中で使う考えはなかったのでしょうか? といいますのは、韓国の映画館では映画が終わるとすぐに場内が明るくなることが多く、せっかくの彼の歌をほとんどの観客は聞けない。それがもったいないと思っての質問なのですが。

ホ・ジノ
 韓国でも途中で切れたり、電気がついたりすることに異論を唱える人がいます。
 映画の途中で出演してる本人の歌が流れるのはこの映画には合わないのではないかと思いました。映画の途中に主人公の歌が流れるということ事体は悪いことだと思わないんですが、この映画ではどうかなと思いました。これは冗談ですけど、エンディングに流すのも「えっ、死んだ人が歌ってる!」って言われたらどうしようと思ったんです(笑)。
 ハン・ソッキュの歌を使おうというアイディアをだしたのは音楽を担当した方です。この曲はカラオケでも人気があります。

質問11
 今日は長い間ありがとうございました。この作品が日本でも公開されることを願っています。

ホ・ジノ
 私もそうなったらうれしいです。その時は是非お助けください。

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インタビューを終えて 「ホ・ジノという人」


 『8月のクリスマス』という映画は困った映画だ。何度この映画の評論を書こうと思ったことか知れない。しかし、途中まで書いては止め、途中まで書いては止めの繰り返し。結局「素晴らしい映画だから、是非見て下さい」としか書けない。如何に己の文筆力がないかを思い知らせてくれる映画。こういう映画と出会ったのは久しぶりのことであるし、韓国映画に関していえば初めての経験だ。この困った映画を作ったホ・ジノという35歳の新人監督は一体どんな人物で、韓国映画界のどのような環境が彼という人物を生み出し、『8月のクリスマス』はどのような過程を経て完成したのか? これがインタビュー前の私の最大の関心事だった。そして、彼は現れた。Tシャツにジーンズ。すらりと伸びた長身に優しい笑みを浮かべながら。

 準備しておいた質問も終わり、そろそろインタビューを終えなければならない時間が近づいていた。その時、私はふと前から気になっていたことを質問した。「2回写真を撮りに来るおばあさんは何という俳優なのか」と。彼は答えてくれた。そして、その最後の文言が彼の口から漏れた時、私は今まで引っかかっていた疑問がすべて氷解したような気がした。彼は満面の笑みを浮かべながらこう言ったのだ。

「昔は本当に可愛い奇麗な方だったんです。」
 この台詞、そしてこの台詞を口にした時の彼の表情としぐさ。それは、まさしく映画の中でジョンウォン(ハン・ソッキュ)がおばあさんに対して「おばあさん、若い時はお奇麗だったんでしょうね。」と言った時のそれと瓜二つであった。彼は映画祭の質疑応答でこうも言っていた。

「この作品は私自身と同じ年代の人たちの個人の感情を描いた作品ですので、同年代の俳優を探していました。」
 思えば、その安心感を与える風貌といい、一度会ったらもう一度会いたいと思わせる雰囲気といい、ホ・ジノという人物が持っている要素は主人公のジョンウォン(ハン・ソッキュ)そのものではないか。『8月のクリスマス』という作品は、ホ・ジノという人物そのものを表しているような気がしてならない。劇中のジョンウォン(ハン・ソッキュ)は彼の代弁者であり、彼の考え、人間性を銀幕上で具現化する者。『8月のクリスマス』の全編に流れる優しさはホ・ジノの優しさ。この映画に感動するということはホ・ジノという監督の世界に触れ、彼の人となりに共感を覚えること。これが私の結論だった。

 韓国映画は今、方向として以前のパク・クァンスパク・チョンウォンチョン・ジヨン作品のように社会的メッセージが込められた映画から、個人的な出来事、平凡な毎日の中で見受けられる日常の些細な出来事が丹念に描かれた作品にシフトしてきている。後年、この『8月のクリスマス』はその最高峰に位置づけられる作品との評価を受けるに違いない。「監督:ホ・ジノ」のクレジットと共に。

 インタビューから2週間後、私は釜山国際映画祭に参加すべく機上の人となった。そして数日後、再び釜山の街角で出会ったホ・ジノ監督は『8月のクリスマス』の日本配給が決まったという朗報を伝えてくれた。1999年初夏。『8月のクリスマス』が公開された時、彼の世界に触れ、それに共鳴する日本人が更に増えることとなる。

1999年1月9日執筆 西村嘉夫(ソチョン)

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謝辞

 このインタビューは、『電影城市』の韓国映画担当スタッフとしてプレス参加した西村嘉夫(ソチョン)がおこなったものです。インタビューのホームページへの転用を許可してくださった『電影城市』編集部に感謝します。また、合同記者会見と上映時の質疑応答の収録を許可して下さったアジアフォーカス・福岡映画祭にも感謝いたします。

 収録されている写真のうち、映画のスチール写真は製作社のウノ・フィルムの提供です。また、一番最後のホ・ジノ監督のアップ写真は映画祭のプレス用写真。「ホ・ジノ監督インタビュー」の項にある写真の撮影者は藤田知子(さよ)さん。それ以外はすべて西村嘉夫(ソチョン)が撮影しました。

 当日、通訳として根本理恵さんにご同席いただきました。また、アシスタント、及びインタビューのテープおこしには藤田知子(さよ)さんにご協力いただきました。記して感謝いたします。

1999年1月9日 西村嘉夫(ソチョン)

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