ホン・ギョンピョ
名前 ハングル |
ホン・ギョンピョ 홍경표 |
性別 |
男 |
撮影作品 |
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頭は金髪。光と色彩を巧みに操る新世代撮影監督。その映像が他の韓国映画と微妙に異なるのは、彼の作品を見れば一目瞭然。これは、場面毎にカメラのフィルターを交換し、状況に応じた色彩と質感を表現する努力をしているためといわれている。撮影監督のライバルは、『スプリング・イン・ホームタウン』、『ペパーミント・キャンディー』、『Interview』のキム・ヒョング、そして『接続』、『シュリ』、『カル』、『JSA』のキム・ソンボク等。
1962年、慶尚北道生まれ。除隊後に二番目の兄がビデオ・カメラをくれたのがきっかけとなり、撮影の勉強を始める。そして、何気なく訪れた撮影監督協会でイ・ソッキ監督と出会い、イ監督が撮影を担当した『墜落するものには翼がある』(1989)で映画界入りする。そしてしばらくイ・ソッキ監督作品などで助手生活を送った後、1992年にアメリカに留学。三年半をアメリカで過ごしたが、その間『哀愁のハーモニカ』(1994)のアメリカ・ロケを担当する。帰国後、『仏に似た男』(1995)の製作にタッチしたほか(この作品は『韓国映画年鑑』に記載されていない)、ペ・ヨンギュン監督の助監督出身のキム・ドンヒョンと2人で『気土に行く船』(1996)、『愛』(1996)などの短編映画を製作。他にミュージック・ビデオなども製作したが、キム・ヒョングと同様、自分で照明の責任を負うことができる作品にこだわったという。
1997年に『モーテルカクタス』の撮影助手を担当。ウォン・カーウァイ作品の撮影監督として知られるクリストファー・ドイルの元で経験を積む。そして、同年のインディペンデント16mm映画『ハウドゥン(夏雨燈)』で撮影監督としてデビュー。ただし、無報酬で参加したこの作品が公開されたのは撮影終了からニ年経った1999年だった。
1998年に、日本でも公開された『ディナーの後に』でメジャー映画の撮影監督として本格的にデビュー。1999年には韓国初の潜水艦映画『ユリョン』の撮影監督を担当。水のかわりに照明と特殊スモッグを利用して深海を表現する "Dry For Wet" という特撮技術で迫真の映像を実現し、一躍注目を浴びる。そして同年末、映画雑誌『シネ21』の年末特集「今年の映画人」の撮影部門で一位に選定される。
2000年の『反則王』では、レスリングのシーンを超高速撮影するために、『マトリックス』、『インデペンデンス・デイ』、『スター・ウォーズ』シリーズ、『ターミネーター2』などで使用された高級高速カメラ・フォトソニック4ERを使用(通常のカメラは24フレーム/秒だが、フォトソニック4ERは360フレーム/秒)。ハイライトの華麗なプロレス技を美しく映像化した。
その他にも2000年には美しい映像が話題となった恋愛映画『イルマーレ』と、本格的な日韓共同製作映画として話題となった『純愛譜−じゅんあいふ−』の韓国ロケ・パートの撮影を担当した。そして、第8回(2000)春史映画芸術賞で新人撮影賞を受賞する。
2001年には『ガン&トークス』を発表。クールで切れのある映像が観客を魅了するこの作品では、映画のラスト・シーンで殺し屋に殺人を依頼する二人の男のうちの一人としてカメオ出演している。
2002年には、韓国・タイ・香港の有名三監督による共同製作オムニバス・ミステリー映画『THREE/臨死』の第一話『メモリーズ』の撮影を担当した。
初版:2000/4/1
最新版:2002/9/12
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