1990年代中期のコメディ全盛時代に絶大なる人気を誇った「韓国のコメディ王」。ニッと笑った笑顔がトレードマーク。映画の中では決してハンサムとはいえない顔立ちだが(実物は結構かっこいい)、そこに立っているだけで思わず笑いが込み上げてくるような独特の雰囲気を持つ。製作会社は彼の興行性を期待してキャスティングし、観客は彼の笑いを求めて映画館に足を運ぶ。その演技が商業的価値を持つ数少ない俳優の一人。
大学在学中の1985年に映画『カンボ』でデビュー。共演のキム・ヘスと共に第23回(1987)百想芸術大賞新人演技賞を受賞し注目を浴びる。その俳優人生の前半期においては、『青春スケッチ』、『私の愛、私の花嫁』など興行性の高い作品(「興行成績」)への出演と同時に、『ウムッペミの愛』、『追われし者の挽歌』など国内外で高い評価を受けている作品への出演も目立つ。その後コミカルな演技をすることが多くなったが、もともとはシリアスな演技も披露。特に『追われし者の挽歌』で演じた煉炭工場の副社長ソンチョルはコミック演技の対極にある役。ユーモア・ゼロ、不満をぎっしりと体中に詰め込んだ冷たい不良のソンチョルの演技こそ「パク・チュンフン最高の演技」と評する者も多い。ちなみに1996年の作でシリアス演技をしている『極道修行 決着(おとしまえ)』の役名もソンチョル。
『私の愛、私の花嫁』の完成後、アメリカへ留学してニューヨーク芸術教育大学院を卒業。そして帰国後最初に出演した『トゥー・カップス』が彼のその後の演技人生を決めた。この映画でアン・ソンギと共にコミカルな演技で堕落した警察官を好演。この映画は大ヒットし、第32回(1994)大鐘賞では男優主演賞をアン・ソンギと共に同時受賞。以後、パク・チュンフンといえば「コメディ演技」となり、製作社は彼のワンマンショー映画を作り、観客は笑いを求めて彼の映画を見るようになる。
1997年以降、コメディ偏重気味だった韓国映画のジャンルが多様化するに連れ、最近の彼の配役も変わってきた。1997年には Ralph Hemecker 監督の『アメリカン・ドラゴン』に主役で出演(公開は1998年冬)。ハリウッド進出した最初の韓国人俳優となり、アメリカでの公開時には映画雑誌で紹介された。また、1998年は日本で語学研修をしながら一年休養。復帰第一作となった『NOWHERE 情け容赦無し』では、やくざのような刑事を演じ、強烈な性格派演技を披露。国内外の映画賞で主演男優賞を受賞した。
2000年の『不朽の名作』ではポルノ・ビデオの監督役で出演。平凡な恋愛映画であるこの作品でも、彼独特の表情演技を発揮している。そして、2001年の『セイ・イエス』では殺人鬼を演じており、初のスリラー演技に挑戦した。
最新作はハリウッド・メジャーのユニバーサルが製作し、2002年10月25日に全米公開されたアクション・スパイ映画『The Truth about Charlie』。ちなみに、いわゆる韓国のスター俳優がハリウッド・メジャー作品に出演するのはこれが初めて。監督は『羊たちの沈黙』、『フィラデルフィア』のジョナサン・デミ。今回のキャスティングは、サンダンス映画祭で『NOWHERE 情け容赦無し』を見たジョナサン・デミが監督のイ・ミョンセを通じてパク・チュンフンに連絡してきたのがきっかけという。『The Truth about Charlie』は東京国際ファンタスティック映画祭2003で『シャレード』という題名で上映され、同じく『シャレード』という邦題でDVD&Videoがリリースされている。
次回作はイ・ジュニク監督の『黄山ヶ原』。
数々の国内映画賞で主演男優賞・男優演技賞を受賞し、1990年代は、年末に開かれる青龍賞人気スター賞の常連さんだった。テレビ・ドラマへの出演はほとんどないが、CM出演が多くお茶の間の人気者でもある。また、1994年からは韓国俳優労働組合副会長をつとめている。
"Yahoo! KOREA" の「パク・チュンフンのホームページ一覧表」(韓国語)はこちら。
初版:1998
最新版:2002/11/10
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