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アジアフォーカス・福岡映画祭2003 リポート
『もし、あなたなら』

Reported by 井上康子
2003/10/17受領



『もし、あなたなら』
 2003年/原題:六つの視線/劇場公開時邦題:もし、あなたなら〜6つの視線
 製作:国立人権委員会
 プロデューサー:イ・ジンソク

 国立人権委員会が六人の監督に依頼して作られた六編の短編からなるオムニバス映画です。製作が国立人権委員会ということで、観る前は、小中高校生時代に見せられたような説教くさい映画なんじゃないか、という一抹の不安があったのですが、全くの杞憂でした。ゲストで来日したチョン・ジェウン監督がティーチ・インの中でおっしゃいましたが、六人の監督が選ばれた時点で、六人の監督で人権委員会に「私たちの作る作品に口出しをしないでほしい」と申し入れ了解された、というだけあって、各々の監督の問題意識、撮り方についての個性も強く感じることができ、作品としてとても面白いものでした。また、六編の短編から垣間見ることができる、現在の韓国社会の抱える問題そのものにも色々考えさせられるものがありました。お薦めの作品です。


<作品紹介>

『大陸横断』
 監督:ヨ・ギュンドン『セサン・パクロ 外の世界へ』『寵愛』
 主演:キム・ムンジュ
 脳性マヒを有するキム・ムンジュ本人が出演。障害のため、ほとんど家に閉じこもって過ごさざるを得ないムンジュだが、彼は光化門の交差点を横断しようと一大決心をする。映画前半の「エロビデオばっかり見てないで彼女を作れよ」と障害を有する友人に励まされたりする、彼の日常の悲喜こもごものエピソードは、彼の気持ちと彼の置かれている環境とに大きな隔たりがあることを穏やかに観る側に伝えている。


『大陸横断』


『その男、事情あり』 原題:その男の事情
 監督:チョン・ジェウン『子猫をお願い』
 主演:ペク・チョンハク、ピョン・ジョンス、チョン・ハウン
 舞台は生活臭が排除された高層マンション。無機的な冷たい雰囲気が怖い。ここでは個人情報はすべて当局に把握され、エレベーターに乗るにも横の機械で靴の汚れを落とすことが強要される程、徹底的に人々は管理されている。性犯罪歴のある男の自宅のドアには、彼の指紋と共にその旨が刻印されている。このマンションの住人でおねしょを繰り返す男の子は、母親から罰として下着を脱がされ、その格好でお塩をもらいに行かされる。しかし、隣人は何やかやと言ってお塩をくれない。やむを得ず彼は、性犯罪歴のある男の家を訪ねるのだが・・・


『その男、事情あり』


『彼女の重さ』
 監督:イム・スルレ『三人友達』『ワイキキ・ブラザース』
 主演:イ・ソリ
 太めで一重まぶたの女子高三年のソンギョンは、学校でも、アルバイトを探すにも、就職でも、苦戦を強いられる・・・ 実はとても風刺的な台詞をユーモアでくるんでしまっているのはシナリオと演出の力によるものだろう。上映中、笑いが絶えなかった作品。圧巻はエンディングに番外編でイム・スルレ監督自身が本人役で出演しているシーン。通りがかりの男に「エッ! あの太ったおばさんが監督!! ウソだろー」と言わせるイム・スルレ監督の潔さに脱帽です。


『彼女の重さ』


左端の女性がイム・スルレ監督


『顔の価値』
 監督:パク・クァンス『チルスとマンス』『イ・ジェスの乱』
 主演:チ・ジニ、チョン・エヨン
 日韓合作ドラマ『ソナギ〜雨上がりの殺意〜』で熱血刑事を演じたチ・ジニ演じるドライバーが、駐車場の精算ゲートの美女を口説こうと、えげつなく、しつこく、もう、絡みに絡みます。しかし、実は彼女は・・・ このタイトルには、美しい顔という本来プラスの価値を有するはずのものにより、マイナスの結果が招かれた、という意味が込められているのであろう。


『顔の価値』


『神秘的な英語の国』 原題:神秘な英語の国
 監督:パク・チンピョ(『死んでもいい』
 主演:キム・セドン
 英語の発音がうまくできない男の子は、教育熱の高い両親により、舌の手術を受けさせられる。映画では延々とひたすら、この手術の模様(舌をクローズアップし、舌に針を貫通させるところを見せたりする)と、泣き叫ぶ男の子を映し出すことで、パク監督は観る者にメッセージを投げかけている。


『神秘的な英語の国』


『平和と愛は終わらない』 原題:信じるか信じないか、チャンドラの場合
 監督:パク・チャヌク『JSA』『復讐者に憐れみを』
 主演:チャンドラ
 ネパール人のチャンドラは無銭飲食の疑いで交番に連れて行かれる。しかし、ネパール語をネパール語と認識されず、精神病と誤解されたことから、六年四ヶ月もの間、精神病院に拘束されていた、という実話をドラマ化して再現している。現在ネパールにいるチャンドラ本人も最初と最後のシーンで登場している。貧しく、コミュニケーション能力も持たなかったチャンドラは社会的弱者の象徴であり、社会的弱者はこのような境遇に置かれ易いという危惧がパク監督にこの映画を作らしめたのであろう。


『平和と愛は終わらない』



<第1回ティーチ・イン チョン・ジェウン監督>

 2003年9月16日 エルガーラホールにて
 司会:佐藤忠男(アジアフォーカス・福岡映画祭ディレクター)
 通訳:根本理恵

司会: この映画は役所の啓蒙宣伝用映画ですね。それにしては非常に面白くできていたと思うんですが。役所の注文、あるいは企画が成り立つ過程はどういうものだったんですか?
監督: 韓国に国家人権委員会ができたのは、今から7〜8年前のことです。韓国はそれ以前は、政治的にも人権的にも非常に厳しい環境にありまして、人権が蹂躙されるような事件が数多くありました。そういう歴史を踏まえて、金大中大統領政権の時にこの人権委員会がつくられた訳です。国家人権委員会は、もちろん委員会の活動の一環として宣伝活動もしているわけで、国家の人権の問題をもっと考えていこうという、そういう意味で最初にこの映画の企画が立ち上がりました。

司会: 具体的に映画になる過程では、人権委員会の方から、こういう人にやってほしいとか、色々注文があったと思うんですが、どうでしたか?
監督: 最初、国家人権委員会から、私たち六人の監督が選ばれて、作品を任されたのですが、選ばれた時点で、私たち六人はひとつだけお願い事をしました。それは「私たちの作る作品に口出しをしないでほしい」ということでした。そういうふうに事前にお願いしましたところ、その約束を守ってくれまして、私たち監督は自由に、人権委員会の方からは干渉されずに、映画を撮ることができました。今回、人権委員会の方が、私たちに要求したのは、テーマを人権の中でも「差別」という問題にしてほしいということでした。私たち六人はその差別の問題を浮き彫りにするために、どういうふうな作品を撮っていったらいいのか、テーマをそれぞれ考えました。だから、テーマがだぶらないように事前に話し合って調節をして作っていきました。確かに、国家が企画したものは、普通は教育的であったり、啓蒙的であったり、宣伝的なものになりがちなんですが、私たち六人は単なる啓蒙映画で終わらせたくないという気持ちがありました。ですから、映画の中にユーモアを取り入れたりして、差別の問題をなるべく距離感を持たずに観客の人に感じ取ってほしいと思いました。ですからユーモアを交えてさまざまな問題提起をしようということを私たち六人の間で話し合いました。

Q: 人権委員会の製作の映画ということで商業的な上映はされなかったのだろうと思いますが、どういうところで上映されてどういう反応があったのか教えてください。もうひとつはチョン監督作品『その男、事情あり』の中でおねしょをした男の子がお塩をもらいに行かされますが、罰として行かされるという以外に、お塩を(おねしょを直す)おまじないに使うのか、とも想像しましたが、このお塩の意味について教えてください。
監督: この作品が完成したのは今年の初めのことです。まだ韓国では劇場公開されていません。韓国では国家人権委員会は政府の機関ですから、言ってみたら、政府がお金を出して、しかも自由に映画を撮らせたということで、これは全く初めてのことでした。まず、どういう形で配給したらいいのか全く決めずにこの映画の製作を始めました。完成した後に、幸い商業映画を配給している会社の方で「うちでやりましょう」と言ってくださる方がいまして、今年中に劇場公開されることが決まりました。お塩についてですが、韓国でも今は子供がおねしょをしたからといって、下着を脱がせて、お塩をもらって来なさいと言うことはしていないと思います。そして、私がこの映画を準備しながら色々資料をあたって、どうして子供がおねしょをした時に、米とかお砂糖ではなくて、お塩をもらいに行ったのか、どうしてそういう習慣があったのか、ということを調べてみました。で、正確なところはよく分からないんですが、私が読んだ本の中にお塩というのは水分の発散をよくする効果があるということが書かれていまして、そういったことに由来しているのではないかなとも思うのですが、それ以外の様々な説があるので、本当のところはどうしてお塩なのかということは、よく分かっていません。この作品は御覧の通り、ある男性、つまり性犯罪を犯してしまった、誰だか分からない男性と、おねしょ癖のある少年が出会うというお話で、その出会い方というのが、おねしょをした少年がお塩をもらいに行くということをきっかけとして出会うというストーリーになっています。まず、一般の人たちは人権と言いますと、その人権を保障されていない側の人の方がすぐに頭に浮かぶと思います。つまり被害者の方ですね。しかし、犯罪を犯した人、加害者側にも、やはり人権があるのではないかと考えました。で、確かに、犯罪者・加害者、というのは人間として悪いことをしたから、犯罪者・加害者になるわけで、その人たちの人権は、尊重される必要はないという観方が一般的かと思います。例えばある人が犯罪を行なったとします。でも私はその人の犯罪の内容にかかわらず、一応その人も人間ということでその人の人権も尊重すべきではないかという考えを持っています。韓国では三年前に性犯罪者に限って、インターネットで、その人の実名を公開するという制度ができました。これは実名を公開することによって、性犯罪を防止できるのではないかという観点から、そういう制度ができたわけなんですけれども、でも、いくら性犯罪者とはいえ実名をインターネットで公開するというのは果たして人権という側面から考えたらどうなのかという疑問を持って、こういう作品を作りました。私の投げかけた疑問を、皆さん、どのように受け取ってくださったのか非常に気になるところです。

Q: 他の監督の作品についてですがパク・チャヌク監督作品『平和と愛は終わらない』について、ネパールの人が六年四ヶ月も精神病院に拘束されていたというのは実話なのですか? また、実話ならこれはドキュメンタリー映画になるんでしょうか?
監督: これは実話です。そして被害にあったのが最後に名前と顔が出てきたチャンドラさん御本人です。もうひとつの質問については、私が答えてしまっていいかどうかわかりませんが、ドキュメンタリーというよりも、ドキュメンタリーと劇映画の境界線の辺りにあるような作品といえるのではないでしょうか。描かれている内容は実話でして、それを映画に置き換えていったわけなんですが、ちょうどドキュメンタリーと劇映画の境界のような、そういう雰囲気を出していて、しかもその中に実際に被害にあった本人が出てくるという、非常に面白い作りの作品だと思います。


『その男、事情あり』

Q: チョン監督作品『その男、事情あり』では、性犯罪者のところに最後に行ったところで話が終わっていますが、少年は無事お塩をもらえたのか、それとも性犯罪に巻き込まれてしまうのか、監督ご自身の中ではどう考えていらっしゃるのでしょうか。それから、マンションの各戸のドアの前に大きなペットボトルがあったのですがあれはなんですか?
監督: 最初は、マンションのあるドアの前で止まったところで終わりにしようかな、と思っていたんですね。この物語は結論がないような物語ですので。韓国では、日本でもそうだと思うんですが、マンガがあって、絵が描いてあって、台詞が書いてある所は丸い形で囲ってあって、その中に台詞が書かれていますが、韓国では、マンガの台詞が書かれている部分を「言葉の風船」と呼んでいます。私は最後に丸い風船を登場させることによって自分自身どういうふうに答えたらいいのか、どう最後の結論で答えたらいいのか、非常に複雑な気持ちだったので、あの中に何かの言葉を入れたいなという気持ちで風船を登場させました。そして、最後は、観ている人にも、これ何だろう?というような気持ちで、終わっていただく方がいいのかなということで、あのようなエンディングにしました。これは、今申し上げたように、最初から答えのない映画であり、また、最後に更に答えの書かれていない風船が上がっていくような作品ですので、私もあの後少年がどうなったのか、非常に気になっているところです。玄関のドアの前にあった大きなペットボトルのようなものは、お水を入れているペットボトルです。韓国では、家庭では水道の生水は飲まずに、ああいう大きな筒のようなものに水を入れて、それを買ってきて家の中で飲んでいるんです。飲み終わったら外に出しておくわけなんですが、だいたい水は配達してもらっています。配達してもらって、家庭で飲んでいるんですが、少し残っているのもありますので、映画の中の男の子は、喉が渇いて、お水が飲みたくて仕様がなかったわけで、ああいう少し残った水を飲むといった場面を入れたらどうかなと思って、ひとつの小道具として登場させました。

Q: チョン監督作品『その男、事情あり』で性犯罪者の家のドアに、指紋と一緒にAという文字が書かれているんですが、あれはホーソンの「緋文字」にヒントを得られたんでしょうか?
監督: たぶん、緋文字に関係があるかと思いますが、小説などを見ますと、何か少女に烙印を押すというようなシーンがよく出てくると思うんです。その映画だったか、小説だったかには、Hという文字を押される、そういうことが出てきたかと思うんですが、それと若干関係があるような形で、今回はAでしたが、イニシャルをその人に押された烙印という意味で、映画の中に使いました。


『顔の価値』

Q: パク・クァンス監督作品『顔の価値』は、どういう意図の作品かわかりませんでした。
監督: 私の答えで果たして合っているかはわかりませんが、よく顔に関する差別というと、少し不細工だったり、体型が太っているとかいうことで、差別されるというふうに思いがちだと思うんですが、実は非常にきれいな顔立ちの人にも差別があるのではないかということを訴えていたのではないでしょうか。その差別というものが良いにしても悪いにしても、きれいな人に対する差別もあるんだという意味なのではないかと思いました。



<第2回ティーチ・イン チョン・ジェウン監督、イ・ジンソク プロデューサー>

 2003年9月20日 エルガーラホールにて
 司会:八尋義幸(アジアフォーカス・福岡映画祭事務局スタッフ)
 通訳:根本理恵

Q: 六つの短編の中に女性の美しさに関するものが二編、男性のパク・クァンス監督は男性が美しい女性を見るという視点で、女性のイム・スルレ監督は美しくない女性の視点で描かれていましたが、六編の中の二編なので多いな、と感じました。また、描かれている内容からも、文化的に日本よりはるかに女性の美しさについての意識が強い、と思いました。それから、映画の中で女性は美しくなければ就職等でも差別を受けるし(イム・スルレ監督作品『彼女の重さ』)、美しければ美しいで、性的な獲物のような対象にされてしまうし(パク・クァンス監督作品『顔の価値』)、どちらにしても大変で、こういう環境にある韓国という国で女性として生活していたら大変息苦しいだろうと思いました(笑)。抽象的な質問ですが、こういう文化について、また監督が女性として韓国で生活していて、どう感じていらっしゃるかについて伺いたいのですが。

『彼女の重さ』

監督: ハーッ(ため息&笑)。いまのご質問は本来でしたら、その作品を作られたパク・クァンス監督とイム・スルレ監督がお答えになった方がいいかと思うんですが、私がちょうど韓国で女性の監督ということで、代わりにお答え致します。韓国という国は思ったことを率直に話す国民性がありまして、たぶん生活していて誰かに会った時も、まず、容姿・ルックスのことを口にします。こんな感じの顔立ちですねとか、誰々さんに似ていますねとか、外見から先に話をすることがよくあります。韓国では、人と人の距離とか、人と人の関係を考えるときに、どの位の心の距離感があるのかとか、礼儀をどうしたらいいのかとか、そういうところから人間関係を築くのではなくて、とにかく思ったことを正直に口にするという、そういう習慣があるという気がします。ですから、本人もこんなルックスになりたいという、望んだ理想形があるとしたら、それに向かって、なるべくそれに近づけようとする、そういう傾向があるように思います。ですから、韓国という国では、外見は非常に重要になっています。それが人によっては強迫観念になったりもしていると思います。で、私は、誰かに会っても、身体的な特徴から話したりするのはそんなに好きではありませんし、韓国という社会が人の身体を結構気にする社会だということを考えますと、そういう国に生きているのはちょっと辛いなという気がします。そういうことから、私はどちらかというと女性らしくもないし、かといって男性らしくもないし、中性的な立場でいたいという気持ちがとても強いです。そしてまた、子供でもなく、大人でもなく、その中間にいるような、そういう状態で過ごしたいな、と考えています。このご質問に対する答えは、人類学者とか社会学者の方が的確なお答えができるかもしれませんが、私の答えとしてはこの位です。

司会: イ・ジンスクさんに伺いますが、六名の監督さんはどうやって選ばれたのですか? 最初から六人決めて選ばれたのですか?
イ: まずこの六人の監督さんは、今現在韓国で非常に旺盛な活動をしている、活躍をしている監督さんですが、最初は韓国の国家人権委員会からパク・クァンス監督にお話がいきました。こういう映画を作りたいので六人選んでほしいというお話があって、パク監督と私で、最終的に六人決めた形になります。もちろん人権について関心の高い監督さんを選びました。

Q: チョン監督作品『その男、事情あり』について、おねしょをする子供がお塩をもらいにいくのは罰なんでしょうか? それとも、お塩をもらうと直るといった、言い伝えがあるんでしょうか?
監督: ずっと昔からの習慣なんですが、子供がおねしょをした場合に、下着を脱がせて、お塩をもらいに行くという習慣がありました。いつから始まったのかは分からないんですが、そういう習慣がありまして、きっと、下着を脱がされてお塩をもらいに行かされるという行為は、子供にとって非常に恥ずかしいことですので、そういう恥ずかしいことをしたくないから、もう次からはおねしょをしないという考えを持つようになるという意味があったようです。大人はお塩をもらいに来た子供に対して、本当は叱りたくないんだけれども、この子がおねしょをしなくなるためだということで、あえて、きつく叱ったりしていたようです。今はもうこういう習慣はほとんどなくなっています。実は日本でも昔こういう習慣があったという話を耳にしたことがあります。

Q: チョン監督作品についてですが、おねしょはお塩をもらいに行っても直らないんじゃないでしょうか? また、ヨ・ギュンドン監督作品『大陸横断』を観て思いましたが、日本では障害者がかなり町に出て行けるようになりましたが、韓国ではまだ厳しい状況があるんでしょうか?
監督: (お塩をもらいにいっても直らないということについては)わかりました(笑)。映画でお塩をもらいに行く子供を登場させましたが、お塩をもらったからおねしょをしなくなるとか、そういうことを描きたかったのではなくて、ひとつの童話のような感じでああいう状況を設定してみました。
イ: 私がヨ監督の代わりにお答えします。『大陸横断』の主人公の方はキム・ムンジュさんという方で、今28歳なんですが、彼は実際に20歳まで外出したことがなかったそうです。その位、障害者の方たちが外に出る機会が韓国には少なくて、最後に彼が光化門通りという大通りを横断するシーンがありますけれども、光化門通りは韓国では交通あるいは政治の象徴的な場所になっている所です。しかし、本当に道路が広くて障害者の方が道を渡ろうとしたら地下道を通るしかないんですが、地下道の階段には身体障害者用のリフトもありませんし、横断歩道も近くにないので、もしあそこを渡るとしたら、障害者の方は車道を車の中を縫って渡るしかないという、そういうことをあの映画では表わしていました。また、そういうことを考えてみますと、韓国はまだまだ障害者の方に対しては後進国といえるのではないかと思います。しかしながら、最近、この映画にもあったように、障害者の方たちが自分たちの権利を訴えてデモをしたり、そういった活動を通して、今、少しずつ、以前に比べれば実情は良くなっていると思います。それから、あの通りを横断するシーンを撮るときは俳優もスタッフも全員、生命保険に加入して撮影しました(笑)。

Q: チョン監督作品で、おねしょの少年がマンションの前に置かれたビンの水を飲みますが、あれは昔あったハエ獲りのビンなんでしょうか?
監督: 1回目の上映でもこのペットボトルのことをご質問いただきました。大きなペットボトルは飲むための水、ミネラルウォーターが入っているものです。韓国の家庭では、一般に水道の水は飲まないで、外の会社に頼んでお水を運んでもらうということをしています。で、業者に注文すると、業者があの大きいペットボトルに入れて運んでくれて、飲み終わったら空いたペットボトルを外に出しておき、そしたら業者がまた回収して水を満たして届けてくれるというシステムになっていて、韓国ではよく目にするものなんです。

Q: チョン監督作品中、エレベーターに乗る前に「靴を磨きましょう」とか、壁に「隣の人はどういう人だろうか」という標語の書かれたものがたくさん出てきましたが、本当にああなっているのか、それともマンガの吹き出しのようなものだったのでしょうか?
監督: 『その男、事情あり』という作品は、できる限り、現実感とかリアル感を出す方式とは違う感じの映画にしたかったんですね。例えば、どの時代なのか、どの場所なのか、ということも明確にさせたくないと思いました。だから、できるだけそういうところを、具体的にリアルに描かない方向で考えていましたので、色々な小道具や文字を思いつきました。で、実際一つ一つ見れば、韓国の生活の中でも使われている物です。先程お話があった大きなペットボトルもそうですし、それから靴磨きの機械も実際に置いてある所もあるんですね。ただ、今回の映画の空間の中にそういったものを取り入れることで、ユニークな組み合わせになるのではないかと思って、使ってみました。ですから、映画に出てくる小道具は私がこの映画のために意図的に取り入れた物です。それから、壁の文字についても同じような意味合いなんですけれども、韓国のマンションではこういう文字が書かれているマンションはもちろんありませんで、これも映画のためにひとつひとつ文字を作ってテープにして、そのテープを壁に貼り付けました。これも、独特な空間という意味合いを出したいと思いまして、文字を使ったり、ドアが開きますという放送をあえて入れてみたり、そういうふうにして、独特な空間を作ってみました。



<ティーチ・インに参加して>

 チョン・ジェウン監督は舞台挨拶では、「他の監督さんたちがお忙しくて来ることができなかったので、暇で時間のある私が福岡に参りました」とおっしゃっていましたが、他の監督の作品についての質問にも、一つ一つ丁寧にかつ適切に答えられて、その責任を果たしていらっしゃいました。

 意外な質問にもきちんと答えながら、その中にしっかりとご自分のメッセージを込めていらっしゃるのは、さすがだなあ、と感心してしまいました。あの位じゃないと監督さんなんてできないんでしょうね。


『その男、事情あり』

 チョン監督作品『その男、事情あり』については、監督の問題意識の背景に、韓国では実際に制度として性犯罪者の実名がインターネット上で公開されているということがティーチ・インに参加してわかったのですが、そのことを予備知識として持ってこの映画を観ると、映画の印象はずいぶん変わってくるだろうと思いました。



<チョン・ジェウン監督インタビュー>

 2003年9月20日 ソラリアホテルにて
 インタビュアー:井上康子
 通訳:根本理恵


−インタビューにあたって−

 私はチョン・ジェウン監督作品『子猫をお願い』(日本公開予定作)が好きで、この作品に強い愛着を感じています。それは、映画の中でテヒ(ペ・ドゥナ)が家庭の中で感じている息苦しさ、ヘジュ(イ・ヨウォン)が会社の中で感じている努力では超えられない壁のようなもの、ジヨン(オク・チヨン)が感じている貧しさのために自己実現が阻まれるという現実、それらが、若干の質の違いや程度の違いはあるにしても、ずっと私が感じてきたことで、彼女たちに強い共感を抱いたためです。

 また、東大門でチープな服一枚を買うのが彼女たちにとって大きなイベントであったりすることが、とても愛おしく感じられたり、テヒが脳性マヒの詩人と詩をつむいだり、同じくテヒがジヨンのおばあさんが出してくれた食べ物を思いやりを感じて一生懸命食べたり、といったシーンにもとても暖かみを感じたことも、この作品を好きな理由に含めることができます。

 ただ、チョン監督ご自身については情報不足で、ずいぶんお若いときから多くの賞を受けてきた方ということで、才能豊かな方なのだろうという程度の認識しか持っていなかったのですが、『もし、あなたなら』の1回目のティーチ・インでのチョン監督のお話を伺って、色々な問題意識を持っていて、それを的確な言葉で表現でき、かつユーモアと温かみを備えた、たいへん魅力的な方だなあ、と感じるに到り、この機会を逃すものかとインタビューをお願い致しました。チョン監督は快く受けてくださり、今回のインタビューが実現致しました。


● 『子猫をお願い』について

Q: ジヨンは貧しくてバラックに住んでいましたし、ヘジュはキャリア・ウーマンを目指しているが高卒のため雑用係のような立場に置かれていました。このような具体的内容から、貧困とか階級差のような社会的問題をチョン監督は強く意識していらっしゃると思いましたが、いかがですか?
監督: 映画は、現実の世界をそのまま同じように描くことはできないと思うんですね。でも、『子猫をお願い』の場合は、私が感じたもの、あるいは今現在感じていることを、なるべくありのままに描こうと思いました。特に、韓国の女性が抱えている現実をできるだけありのままの形で描写しようと思って作りましたので、観ている人にとっては非常にリアリティがあるというふうに感じていただけたかもしれないです。韓国では、映画もそうですし、文化もそうですし、事実主義というんでしょうか、リアリズムの伝統は深いものがあると思います。これまで過去を見てきても、非常にリアリズムに根ざした作品が多かったと思うんですね。映画とか文化においても。ですから、ファンタジーの分野ですとか、いわゆるジャンル映画と呼ばれているようなものは、始まったばかりで、これから韓国に根付いていくものではないかと思います。ですから、私が勉強した映画に関することですとか、それから、私以前の監督さんが作った作品は、非常にリアリティーを意識してアプローチしていくような形で作られた作品が多かったんじゃないかと思います。ただ、私の考えでは、映画は必ずしもリアリズムに根ざしていなくてもいいと思います。でも、今回『子猫をお願い』の場合は、なるべく、その現実と映画の境界線のところで描いてみたいと思った作品です。

Q: 最近の阪本順治監督との対談(『KOREA TODAY』2003年9月号に収録)の中で、「女性を描こうと思ったのではなく、家や家族の問題を描こうと思った」と語られているのが、印象に残りました。映画の中でも、女性たちの家族が登場し、各々の家庭の生活の様子がわかるように小道具も丁寧に選ばれていました。監督が描こうとなさった家や家族の問題について、具体的にお聞かせください。
監督: 日本では、おそらく韓国よりは家族の関係とか家族の問題から自由ではないかと思います。というのは、韓国は家族の中で女性の役割が非常に決められているんですね。例えば、長女としての役割、母としての役割、娘としての役割、そういった社会的役割を非常に強要されている国だというふうに思います。ですから、女性は家族の中で、女という理由だけで、非常に圧迫を受けているところがあると思うので、そういうところを描きたいと思いました。でも、一口に家族といっても、その範疇は非常に広いものがあります。例えばヘジュの場合は、両親が離婚しているという設定。貧しいジヨンは、両親がいなくて祖父母に育てられて最後の頃は祖父母も亡くなってしまって、行く場所もない、まるで孤児のような存在に彼女はなってしまいます。テヒの場合は、非常に安定した家庭かなと一見思えるんですが、本人にとっては家庭や家族というものが息苦しい場所だと描かれていて、あと、ピリュとオンジョという双子が出てきますが、彼女たちはお父さんとお母さんの国籍が違うという設定なんです。韓国と中国ですね。そういうふうに、さまざまな家族を描こうと意図的にバラエティに富んだ家族設定にしました。そして、そういった家族に中で、女性たちはどういった位置づけにいるのかということを描いてみたいと思いました。

● 韓国の公的映画製作支援について

Q: 『子猫をお願い』は映画振興委員会から20〜30%の資金援助があったと伺いました。援助の申請のためには、具体的にどんな準備が必要で、どういう過程を経て援助を受けられることが決定されたのですか?
監督: 『子猫をお願い』の場合は映画振興委員会から全体の20%位の資金援助を受けました。この申請の過程ですが、まずシナリオの提出を要求されます。そして、それから作品の計画書を提出しまして、その後で映画振興委員会に審査員の方がいまして、この作品に援助をすべきかどうかを決める審査員ですが、その人たちが審査をしてくれます。インタビューとか面接があるんですね。で、色々聞かれまして「どういう作品が作りたいのか」ということを直接面接形式で聞かれて、最終的には委員の方たちが判断をしてくれて、決定をしてくれたということになります。

Q: 援助を受ければ何らかの義務が生じると思いますが、具体的にどんな義務がありましたか?
監督: 細かい規約については分からないんですけれども、利益が出た時点で援助をしてもらった金額分を返すということです。赤字が出た場合は返さなくていいんです。利益が出たら、その利益の中から援助を受けた金額分を返して、それ以上の金額は返さなくていいことになっています。この制度がなぜあるのかといいますと、商業映画の枠の中から取り残されてしまう、低予算の映画とか芸術映画がありますよね。そういう作品は、なかなか一般的には作られ難いので、そういうものに支援しようということで始まったものです。ただ、そういう作品は、なかなか利益をあげるのが難しいので、実際には返すのは簡単なことじゃないと思います。
Q: 監督の場合は返したんですか?
監督: 私の場合は返せていません(笑)。

Q: 資金援助を受けた場合、表現内容について、例えば非常に暴力的なシーンを入れてはいけないとか、表現上の規制を受けることはないんでしょうか?
監督: それは全くなかったです。最近、韓国では創作の自由はかなり守られていまして、20年前、10年前は難しかったかもしれないんですが、今は本当に自由に映画作りができるようになっています。自由の幅というか水準が非常に高くなったといえます。今回作った国家人権委員会の作品も、「国家人権委員会の要求とか圧力みたいな干渉とかあったんじゃないですか?」ってよく言われるんですけど、そういうところから依頼された作品ですら全く自由に作ることができました。

Q: 韓国の海外セールス会社"E PICTURES"のチョ・ウンジョンさんが、最近日本で出版された本(田代親世『韓国はドラマチック』東洋経済新報社、2003年、pp.104-108)の中で、「『子猫をお願い』のシナリオは、もともとはもっと五人の女の子の性格描写も詳しいものだったが、そのまま撮ると長くなってしまうのでカットしなければならない部分が多々あったと思う」とか、「監督は自分のメッセージをもっとたくさん入れたかったけど、そうするにはたくさん戦わなくてはいけなかったし、色々悩んだこともたくさんあったようです」と述べられていました。どういう部分で戦わなくてはならなかったのでしょうか? また、監督が入れたかったメッセージで入れることができなかったものがあったとしたら、その内容をお聞かせ願えませんか?
監督: さっきお話したように、国家の機関からも全く圧力がなくなったんですね。韓国で今、映画作りで圧力が残っているとしたら、商業的な側面、あるいは産業的な側面からの圧力ですね。どういうことかというと、シナリオがありますね。そのシナリオを見た製作サイドの人が「これは観客の観てくれる映画だ、これは観てくれない映画だ」っていうふうに判断するわけですね。だから、結局そのシナリオで、お客さんが入ってくれる映画なら作るけど、入ってくれない映画だったらなかなか作り難いのが韓国の現状だと思います。それで、冷静に判断して「この映画は作るべきだ、作ろう!」ということになれば、製作にとりかかるわけなんですが、今回『子猫をお願い』の場合、私は非常に運が良くて、良いプロデューサーに出会うことができましたし、さきほどお話したように、国の機関である映画振興委員会の支援も受けることができました。ただ、一般の配給ラインに乗せて、劇場に掛ける場合は、やっぱり商業的なこと、産業的なことを考えないといけないですね。大事なのは上映時間でして、最近の映画は、1時間50分を越えると、なかなか劇場で掛け難いという慣例があります。長い映画が好まれなくなってきているので、なるべく1時間50分以内に抑えるというようなことをよくするんですね。この映画の場合も、実は撮ったんだけど30分くらい入れなかった場面があるんです。この作品に限らず、映画作りは、監督がこれを撮りたいと意図したものと、観る人がどんなものを要求しているのか、その中を取ってうまく調整しながら作っていくのが、映画作りだというふうに私は思いまして、30分入れなかったシーンがあるんですけども、入れなかったのには入れなかったなりの理由がありますので、出来上がった作品に関しては非常に満足しています。

● 『その男、事情あり』について

Q: 監督はティーチ・インの中で、犯罪加害者の人権も尊重すべきではないかという考えを持っていらっしゃること、そういう考えを持たれたのは、韓国では三年前に性犯罪者に限ってインターネットで実名が公開されるという制度ができたためだということをお話になりました。この制度について確認させていただきたいのですが、名前に加えて、住民登録番号(日本では反対意見も多い住民票コードのようなシステムが、韓国では全国レベルで徹底されており、また社会生活上の色々な場面でこの登録番号は必要とされ、生活の中に浸透している)のような個人を特定できるものが公開される情報には含まれているのですか?
監督: 公開されるのは、実名と住民登録番号、現住所、それから犯罪の内容まで書き込まれます。日本も同じだと思うんですけど、同姓同名の人がいますよね。しかも、年齢が近かったりすると勘違いされることがあるんです。私の友達も、ある日、別の友達に呼ばれたんだそうです。こっそり呼ばれて、何を聞かれるのかと思ったら、あなたの名前がインターネットで公開されていたけど、本当にあなたなの?と聞かれたそうです。実際、勘違いされて、疑われて被害を受けた人もいますし、それからその人だけじゃなくて、その人の周囲の生活にまで、色々影響を及ぼしてしまうと思うんです。私は性犯罪は本当に悪いことだと思っていますし、なくさなくてはいけないことだと考えているんですが、それとは切り離して、人権という視点から考えると、果たしてこのやり方でいいのかな?と思いますし、一緒に考えてみるべきだと思ったのです。


『その男、事情あり』

● 次回作『台風太陽〜君がいた夏〜』について

Q: 男性が主人公と聞きましたが、どんなお話で、進行状況はいかがですか?
監督: 今、シナリオが出来上がりまして、ファイナンシングの段階に入っています。キャスティングも準備中です。『子猫をお願い』の時は女性を登場人物にしたんですが、そうしたら「何で女性が主人公なの?」って聞かれたんですね。今度は男性が主人公だから、またきっと「今度は何で男性を撮るの?」って聞かれるんじゃないかと思ってます(笑)。内容的には、これまでの伝統的なゲームではなくて、いわゆるXゲーム、エクストリーム・ゲーム、ローラーボードとか、ローラースケートとか、室内のスポーツが題材になる予定で、それはまさに新しい文化なんですね。新しい青年たちの文化といえると思うんですけれど。彼らは、一種の青年失業者の第一世代にあたると思うんです。で、そういう新しい若者の文化を面白く描きたいなと思っています。おそらく日本では青年文化が発達していると思うんですが、韓国ではまだまだ若い人たち独自の文化が根付いていないんですね。そういった意味でも、非常に新しいと思いますし、新しい世代の失業者、フリーターといってもいいかと思うんですが、そういう人たちの文化を、Xゲームを取り入れながら描いてみたいなと思っています。また、ただ描くのではなくて、彼らが失業問題を乗り越えていくような、そういう姿も取り入れようと思っています。できるだけ皆さんに楽しんでもらえる映画にしたいですね。(笑いながら)私はやることがない、暇な若い人たちに関心があるんです。例えば、家でマンガ読んでたり、ゲームしたりする人たち。

● 映画監督になるまで

Q: チョン監督は高校一年の頃から「映画を見る」ことを意識的に行なうようになったそうですが、早くから映画に興味がおありだったんだろうと推測しました。映画監督になることはどのように意識されていったのですか?
監督: 確かに私は、幼い頃から映画を見るのが好きだったんですね。映画を見た後に、自分で色々感想を書きとめてみたり、あと、自分がどんな作品が好きなのか考えてみたり、監督が誰なのかを気をつけて見たりするようになりました。本当に、ずっと前から見ていましたので、見ているだけでは満足できないかな、とは思っていたんですが、ただ、監督になろうとまでは思っていなかったんですね。絶対監督になってやろう!というつもりで映画を見ていたわけではなかったんですが、見ているうちにだんだん映画作りという方向と結びついて、映画好きが高じて、その延長線上に今の自分がいるような気がします。


−インタビューを終えて−

 一つ一つの質問に、適切な言葉を選んで、丁寧に、こちらが尋ねていることをさらに補強して答えてくださっているな、というのが感じられて、とてもありがたかったですし、誠実で温かみのある方だなと改めて感じました。

 『子猫をお願い』の製作時は色々御苦労があったようですが、30分入れなかったシーンには、「入れなかったなりの理由がある」と冷静に話されているのを伺うと、さすがプロだと思いました。チョン監督の作品やティーチ・インで伺った発言も含めて、監督は現在の世の中を分析できる観察眼、それを言葉や映像で表現できる能力、具体的に作品化するための冷静さや調整力、これらの能力を兼ね備えている方だと思いました。今後長く活躍されることを期待しています。ファンとしては『台風太陽〜君がいた夏〜』の撮影開始、『子猫をお願い』の日本公開が待たれるところです。



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