映画・演劇・TVドラマで主に助演で活躍する演技派だったが、2001年の大ヒット作『友へ/チング』でブレイクし、「第二のソン・ガンホ」とまで評されるようになった男優。
1992年に『血筋』で演劇俳優としてデビューする。映画は1994年の『私は望む、私に禁じられたことを』でデビュー。以後、印象に残る脇役で数多くの作品に出演する。
助演時代の代表作は『友へ/チング』と同じくヤクザを演じた『ビート』だが、この作品のナイト・クラブでの激闘シーンでは、格闘相手も自分も負傷するほどの熱演を見せ、第35回(1997)大鐘賞で助演男優賞にノミネートされた。いかつい面構えのせいか初期は悪役専門のイメージがあったが、『ドクター・ポン』ではハン・ソッキュ演じるポンの息子のガールフレンドのお父さん役を、『スプリング・イン・ホームタウン』ではソンミンのおじさん役を演じるなど、普通の役柄も器用にこなす一面も持ちあわせていた。
万年助演役者だったが、1998年のTVドラマ『明日に向って撃て』で初めて主役に抜擢され、続いてキャスティングされた映画『SPY リー・チョルジン 北朝鮮から来た男』でも初主演。この作品では、製作社が実施した20代の男女500名を対象にしたアンケート調査で彼の主役抜擢が決定した。
1999年5月30日、『SPY リー・チョルジン 北朝鮮から来た男』にも出演している俳優のミョン・ギョンスと結婚。
『SPY リー・チョルジン 北朝鮮から来た男』に続いてキャスティングされた『アタック・ザ・ガス・ステーション!』では、いかつい顔の「ムデポ」を熱演し、第1回(2000)釜山映画評論家協会賞助演男優賞を受賞。
2001年に記録的なヒットとなった『友へ/チング』は、ユ・オソン自身がそのシナリオに惚れ込み、数々の困難があるにもかかわらず出演を決心した作品。なお、ユ・オソンは元々『ビート』で縁のあるキム・ソンス監督の『MUSA−武士−』に出演する予定になっていたが、『友へ/チング』のシナリオを見て急遽『MUSA−武士−』への出演を断ったという逸話がある。『友へ/チング』では暴力団の親分を父に持ち、ヤクザになる運命を背負った人物ジュンソクを入魂の演技で演じきり「ユ・オソンの映画」との高い評価を得る。そして、第46回(2001)アジア太平洋映画祭主演男優賞と第9回(2001)春史羅雲奎映画芸術祭主演男優賞を受賞。ちなみに、この映画は監督の実体験に基づいており、ジュンソク役の実在人物がいたため、ユ・オソンは実際に彼に会いに刑務所を訪れたという。
『友へ/チング』以降は評価・人気共にうなぎ上りで、2001年5月に行われたアンケート調査では「韓国映画界の看板スター」の男優部門1位に選ばれた。また、CMの契約料も高騰した。
次回作はクァク・キョンテク監督の『チャンピオン』と、チャン・ヒョンイク監督の『星』。
日本のファンが開設している応援掲示板「おそん掲示板」が、「へっぽこ写真館」(日本語)内にある。"Yahoo! KOREA" の「ユ・オソンのホームページ一覧表」(韓国語)はこちら。
初版:1999/5
最新版:2002/4/7
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