チョン・ドヨン
『ハッピーエンド』より 画像提供:ムヴィオラ
名前 漢字 ハングル |
チョン・ドヨン 全度妍 전도연 |
生年月日 |
1973年2月11日 |
性別 |
女 |
血液型 |
O |
サイズ |
165cm 48kg |
家族事項 |
1男2女の1番目 |
宗教 |
キリスト教 |
出身校 |
ソウル芸術専門大学放送演芸科 |
趣味 |
ポケットボール 音楽鑑賞 ビデオ鑑賞 映画鑑賞 水上スキー |
デビュー |
1992年 KBS特別採用 |
出演映画 |
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ドラマ |
われらの天国(1992,MBC)
総合病院(1994,MBC)
恋の香り(1995,SBS)
愛はブルー(1995,SBS)
若者の陽地(1995,KBS)
別れの6段階(1995,KBS)
TV 孫子の兵法(1996,KBS)
プロジェクト(1996,KBS)
愛する時まで(1996,KBS)
郵便局に行けば失ってしまった愛を取り戻すことが出来るか(1996,KBS)
簡易駅(1996,MBC)
星に願いを(1997,MBC) (原題:星は私の胸に)
かたつむり(1997,SBS)
大切なものは忘れられない (1998,MBC)
星を射る(2002,SBS)
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演劇 |
リタ・キルドゥリギ(1997)
涙の女王(1998)
演出:イ・ユンテク
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私(ソチョン)が大ファンの女優。決して絶世の美女と言う訳ではないが、可愛いおでこと右首のほくろがチャーミング。基本的に清楚な可愛らしさが特徴なのだが、時にはドキッとするようなセクシーさを見せることもある。また、ウーパールーパー系の愛敬のある表情を見せることもあり、これがまたファンにはたまらない(笑)。韓国人女性らしくない薄化粧も日本人にはうれしい。出演作ごとに演技変身をし、常に異なる印象を観客に与えてくれる演技派女優。本人曰く「あらゆる配役をこなすため、一つの色に染まった俳優にはなりたくない。敢えて言えば色のない俳優になりたい。」とのこと。
高校卒業後、雑誌『ハイティーン』のモデルとして撮った写真が編集長の目にとまりカバー・モデルに。そしてジョンソン&ジョンソンのCMに抜擢され芸能界入り。1992年、MBCの『われらの天国』で本格的に俳優デビュー。出演ドラマは、『総合病院』,『恋の香り』,『愛するときまで』,『星に願いを』など多数。MCなどを勤めた経験もある。
1997年に『接続』で映画デビューを果たし、一気にトップ・スターの座へ。本作品の演技で 1997年第35回大鐘賞・第18回青龍賞などの新人女優賞を、また1998年の百想芸術大賞では人気賞、映画評論家協会賞では、新人女優賞を獲得。ある調査によれば、「結婚したい女優ナンバー1」とのこと。『接続』では、健気で純粋な女性を好演したが、TVのバラエティ番組では、けらけらと笑い声をたてるなど親しみやすいキャラクターの持ち主でもある。
『接続』後は、多くの映画出演要請を断り、歌劇『涙の女王』に出演。この作品では女パルチザン役を演じ、歌や踊りも披露した。
映画第2作の『約束』では、自信満々のキャリアウーマンでありながら限りなく可愛い女医を好演し、単なる清純派ではない演技を披露。第22回(1999)黄金撮影賞人気女優賞、第35回(1999)百想芸術大賞女優主演賞を受賞する。また、この作品も第1作の『接続』に続いて大ヒットし、たった2本で韓国映画界の看板女優に上り詰めた。1999年3月、ソウルのシネコア劇場前に韓国映画の発展に多大な貢献をした俳優16人のハンド・プリントが埋め込まれたが、「5本以上の韓国映画に出演した俳優」という基本条件を満たしていないにもかかわらず、ハンド・プリント俳優に選ばれるという栄誉に預かる。
1999年の『我が心のオルガン』では、進級が遅れた17歳の小学生役を演じるために髪をばっさり切って熱演。もともと童顔ではあるが、26歳でありながら周りの小学生と完全に溶け込むという離れ業は他の女優には不可能。試写会では「チョン・ドヨンのチョン・ドヨンによるチョン・ドヨンのための映画」との評も。そして、年末の第20回(1999)青龍賞では、この作品の演技で女優主演賞と人気スター賞をダブル受賞。翌年の第37回(2000)大鐘賞でも女優主演賞を受賞し確固たる地位を築いた。
『我が心のオルガン』と同じく1999年に公開された『ハッピーエンド』は、オール・ヌードのセックス・シーンがあるにもかかわらず、女性キャラクターの描写に優れ、かつ作品性を持った作品ということで出演を決意。新しい女性像のキャラクターを演じきり、絶賛された。また、若手トップ・スターが果敢に写実的なセックス・シーンに挑戦したという点も評価された。そして、この作品の演技で第20回(2000)映画評論家協会賞女優主演賞、第1回(2000)釜山映画評論家協会賞主演女優賞、第8回(2000)春史映画芸術賞主演女優賞を受賞する。なお、『ハッピーエンド』は2001年春に香港で公開され、プロモーションで現地を訪れたチョン・ドヨンは熱烈歓迎を受けた。
2001年に公開されたナチュラル・ラブロマンス『私にも妻がいたらいいのに』では、『ハッピーエンド』からは一転、筋向いで働く銀行員に密かな恋心を寄せる「隣のお姉さん」的平凡な女性を演じた。広いおでこも可愛らしさも全開フルスロットルのこの映画では、日本でも流行りの癒し系演技を披露し、第37回(2001)百想芸術大賞最優秀女子演技賞を受賞。
最新作はコミカル・アクション『血も涙もなく』。
2002年には、ザ・ネーム(The Name)の新曲『ザ・ネーム』のミュージックビデオにスリ役で出演し、トニー・レオン(梁朝偉)と共演した。ちなみに、このミュージックビデオは約5億ウォンもの大金を投入した超大作。
次回作はイ・ジェヨン監督の『スキャンダル』。
初版:1998
最新版:2002/5/4
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ドヨン様とワタクシ(^^;
ソチョン
2000/4/21執筆(初出は掲示板)
2000/11/16加筆訂正して転記
私はチョン・ドヨンのファンです。30過ぎて、年甲斐もなく「ドヨン様」などと平気で書きます(汗)。そんな私に対して、しばしば次のような質問が寄せられますので、お答えします。
「ソチョンさんは、生ドヨンさんを見たことあるんですか?」
ホテルの一室で2人っきりでお話する約束をしたことがあるのですが、3日前に突然ふられました(号泣)。
どいうことかというと、1998年秋のアジアフォーカス福岡映画祭で『接続』と『八月のクリスマス』が上映されたとき、ドヨン様がゲストで来日予定だったのです。そして、それを察知した私は、当時映画のミニコミ誌に記事を書いていたのを唯一の伝手にして映画祭にプレス申請をしたのでした。地方の映画祭って、とってもフレンドリーでミニコミなんかにもすごく理解があるので、結構受け付けてくれるんですよね。
で、プレス申請を受理してもらった私は当然のようにドヨン様にインタビューを申し込んだのでした。申し込み用紙には「通訳 要/不要」を選択する欄があったのですが、もちろん「不要」に丸を付けました。今でも韓国語の会話能力は不十分極まりないのですが、当時はまだ若かったせいか「愛さえあれば、言葉なんて・・・」と思ったものでした。ちなみに同映画祭では『接続』のチャン・ユニョン監督と『八月のクリスマス』のホ・ジノ監督も来日されており、お二人にもインタビューを申し込んでいたのですが、こちらは「通訳 要」に丸を付けました(極悪)。
映画祭スタッフの方からの「どうしてチョン・ドヨンさんの時だけ通訳がいらないのですか?」という問合せには、「簡単な会話ならできますから。」とかなんとか、まるで理由になってない返事をしたような気がします(冷汗)。
1998年当時は、日本ではハン・ソッキュの「ハ」の字も知られておらず、映画祭スタッフの中にもドヨン様を知る人はいませんでしたので、映画祭から請われるままにドヨン様のプロフィールをA4紙2枚程度に<簡潔にまとめ>て提供したものです。プレス用の資料として実際に配られたドヨン様のプロフィールは、たった4行に圧縮されていましたが(大泣)。
そんなこんなで来るべき日をドタキャンの恐怖に脅えながら待っていたのですが、映画祭初日の4日前に映画祭事務局から確認の連絡があり、ドヨン様は来日され、インタビューの時間も確保したと告げられたあの瞬間、あれは人生最良の瞬間でした。
「これでもう大丈夫」と安心しきった私は、翌日ドヨン様の御尊顔をドアップで撮るために200mm望遠レンズを○万円はたいて購入しました。よくよく考えれば、インタビュー・ルームで撮影するなら望遠レンズはなくてもよいのですが、そんな事には気が回らないバーボなワタクシでした。
あぁ、それなのに、その日の夜、運命の不幸の電話はやってきたのです。
「チョン・ドヨンさんは、都合で来日できないことになりました。」
「声を失う」という表現がありますが、あの時ほどこの表現が誇張ではないと実感できたことはありませんでした。たった1日で人生最良の日から人生最悪の日へ・・・ 当時の私の落胆ぶりは・・・ とても自分では書けません(涙涙涙)。
1998年の夏、韓国では豪雨が頻発し、それが原因でドヨン様第2作の『約束』の撮影が遅れていました。「撮影スケジュールが伸びたのなら、しょうがない。」こう言い聞かせて、イヤイヤする足を無理やり引っ張って私はドヨン様のいない福岡へ飛び立ったのでした。
しかし、私は福岡の空を見上げながら誓ったとですよ。
「他人様が主催する映画祭でオイシイメ、見ようなんて甘かった。
いつか、自分が主催した映画祭でドヨン様呼んでやるぅ!」
と。
そして、福岡から名古屋に帰った私は翌1999年からシネマコリア上映会を始めたのでした・・・
【注】 この記事は事実に基づくフィクションです(笑)。全て本気にはしないで下さい。といいながら、大筋はほとんど本当なんですけどね(自爆)。
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