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イ・ヒョンスン


名前
漢字
ハングル
イ・ヒョンスン
李鉉升
이현승
性別
監督作品
1992君の中のブルー
1995ネオンの中へ陽が沈む
2000イルマーレ

 映像の美しさに定評のある監督。大学でデザイン科を卒業しており、その監督作品はいずれも美しい映像と美術セットが特長。他作品のアート・スーパー・バイザーを担当することもある。

 1961年8月18日、ソウル生まれ。弘益大学視覚デザイン科卒。大学2年生の時に「映画タイトルのデザイン」という科目を受講してから、映画に関心を持つようになる。そして、パク・チョルス監督の『おふくろ』(1985)を見て映画監督になることを決心し、同監督の『霧の柱』で助監督として映画界に入門する。

 1987年には韓国映画アカデミー(4期)を卒業(韓国映画アカデミー卒業製作作品『女性F』[16mm短編、11分、1988年]は第25回(2003)ぴあフィルムフェスティバルで紹介されている)。YMCAの活動を通じて女性問題に対しても関心を持つようになり、1989年には、女性問題相談団体「女性の電話」に依頼されて、鞭で打たれる妻を題材にした16mm映画『くびきを脱いで(束縛から抜け出して)』を演出する。

 その後、パク・クァンス監督の下で修行を始め、同監督の『チルスとマンス』『追われし者の挽歌』『ベルリン・リポート』などで助監督を経験する。

 自ら「映画を作る理由はフェミニズム」と公言し、1992年に「韓国初のフェミニスト映画」と評される『君の中のブルー』で監督デビュー。この映画は、それまでの韓国映画には見られなかった美しい映像と美術セットも話題となった。また、第二作の『ネオンの中へ陽が沈む』もキャリア・ウーマンを主役にしており、これまた女性問題を扱ったフェミニズム映画として注目された。

 しかし、その後フェミニズム映画を企画するものの、それを製作する機会を与えられず、映画界に失望してしばらく映画監督から遠ざかる。この間は、釜山国際映画祭、三星の「エニコール」、そしてハンソルのPCS「ワンショット 018」のCMなどを製作していた。

 1998年に、『ネオンの中へ陽が沈む』の撮影を担当したユ・ヨンギル撮影監督死去の報を聞き、映画界復帰を決意する。

 5年ぶりの映画監督復帰作となる恋愛映画『イルマーレ』では、映画の主役ともいえる一軒家を江華島西側の席毛島に建築。監督のセットに対するこだわりは、2000年8月11日にNHK-BS1で放送された『韓国紀行「ニューシネマが熱い! −社会をうつす映画人たち−」』で垣間見ることが出来る(この番組は事実上『イルマーレ』のメイキングといった内容)。この作品は、これまでのフェミニズム的視点は控えめになっているが、ビジュアル面に全力投球したのが功を奏したのか、女性観客のハートを捕らえてヒットした。ちなみに『イルマーレ』は、監督の言によれば「映画を初めて好きになった頃の純粋な気持ちで撮った初恋のような映画」とか。

 『ネオンの中へ陽が沈む』と『イルマーレ』では、自ら脚本も担当。また、キム・ソンス監督の短編『悲鳴都市』(1993)や、『マン?』『真の男』のアート・スーパー・バイザーをつとめるほか、『太陽はない』ではちょい役出演もしている。

 2001年には、映画人会議事務総長に就任。

 第3回全州国際映画祭2002で上映された五人の監督によるオムニバス・デジタル映画『アミグダラ(Amygdala)』では、第三編『Between』の演出を担当。

初版:1999
最新版:2002/5/4


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