名前 漢字 ハングル |
チャン・ドンゴン 張東健 장동건 |
生年月日 |
1972年3月7日 ソウル出身 |
性別 |
男 |
血液型 |
O |
サイズ |
180cm 70kg |
家族事項 |
2男の長男 |
宗教 |
仏教 |
出身校 |
韓国芸術総合学校演劇院中退 |
特技 |
バスケットボール アイスホッケー |
趣味 |
歌 |
デビュー |
1992年 MBC21期 |
出演映画 |
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特別出演 |
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ドラマ |
われらの天国(1993,MBC)
イルジメ/一枝梅(1993,MBC)
最後の勝負(1994,MBC)
(Final Jump)
アイシング(1996,MBC)
医家兄弟(1997,MBC)
(ドクターズ)
英雄神話(1997,MBC)
(Hero's Legend)
モデル(1997,SBS)
愛(1998,MBC)
(LOVE)
Ready Go!(1998,MBC)
青春(1999,MBC)
ゴースト(1999,SBS)
イヴのすべて(2000,MBC)
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アルバム |
1993年『われらの天国』(サントラ)
1994年『Friendship』
※ チャン・ドンゴン/チョン・チョル
1995年『飛翔』(ソロ・アルバム)
1998年『ク・ボンスン&チャン・ドンゴン』
※ チャン・ドンゴン/ク・ボンスン
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哀愁を帯びた黒い目が印象的なハンサム男優。1990年代後半、今はなき香港スタープラス(SKY PerfecTV)で出演ドラマが放映されたのがきっかけとなり、日本でも女性ファンを獲得。『友へ/チング』の公開により、その名を全国に轟かせた。
1992年にMBC21期で芸能界デビュー。TVドラマ『われらの天国』(1993)、『最後の勝負』(1994)で瞬く間に人気を得、そのフィーバー振りは「貴公子シンドローム」と呼ばれた。その後、演技の勉強をするために韓国芸術総合学校に入学するも現場での演技を渇望し、大学を自主退学してTVドラマ『アイシング』(1996)で芸能界に復帰。以後、二年間のブランクにもかかわらず『医家兄弟』(1997)、『モデル』(1997)の熱演で人気を得、演技派としても認められるに至る。実は歌も歌っており、バラエティに専念するといってコメディをやっていた時期もある。
映画デビューは1997年の『敗者復活戦』。この作品の演技で1997年の第18回青龍賞新人男優賞を受賞する。第二作の『ホリデー・イン・ソウル』では、不眠症に苦しめられて都市を疾走するタクシードライバーを演じ、それまでの貴公子風イメージを払拭した。
1999年の恋愛映画『恋風恋歌』ではコ・ソヨンと共演。そして同年、刑事役を演じた『NOWHERE 情け容赦無し』は大ヒットし、彼の映画界での地位も上昇。年末には『NOWHERE 情け容赦無し』の演技で第20回(1999)青龍賞男優助演賞を受賞する。
2000年の『アナーキスト』では、モスクワ大学出身の虚無主義的なインテリ青年セルゲイを演じている。
2001年には記録的な大ヒットとなったコリアン・ノワール『友へ/チング』に主演。この作品では、陰のあるヤクザ役を引き受け、それまでのハンサム男優というイメージを払拭。新境地を切り開き、第46回(2001)アジア太平洋映画祭で助演男優賞を受賞した。なお『友へ/チング』では2億ウォンのギャラのほかに、ソウルを基準として観客が40万人を超えた場合、観客1人あたり100ウォンの歩合給を受け取る契約をしており、巨額の出演料を受け取ることになった。
最近では『医家兄弟(ドクターズ)』などのドラマが放映されている関係で、東南アジアでも大人気。特にベトナムでの人気はものすごく、彼自身現地でコンサートを開いている。
公式サイト「張東健+ADONIS」(韓国語)はこちら。"Yahoo! KOREA" の「チャン・ドンゴンのホームページ一覧表」(韓国語)はこちら。日本のファンが作った"complete manual for JangDongGun"(日本語・韓国語)はこちら。
初版:1998
最新版:2002/6/30
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