Message 日本配給にあたって
2006年5月
シネマコリア代表 西村嘉夫
シネマコリアは、まだ「韓流」という言葉すら存在しなかった1998年12月に名古屋で設立されました。以来、毎年、映画祭・上映会を主催する形で、国内未配給の韓国映画を紹介してまいりましたが、このたび初めて、日韓オムニバス青春映画『まぶしい一日』を配給することになりました。
シネマコリア配給作品第一号となる『まぶしい一日』は、韓国の若手監督と日本の若手俳優・スタッフが、日韓関係をテーマにして作り上げた3本のオムニバスです。韓国で日本映画の上映が解禁され、また日本で韓国映画がヒットするようになった1990年代末以降、様々な形で日韓映画界のコラボレーションが行われてきました。それらは主にビジネスを目的とした商業ベースのものでしたが、それと並行して、日本で継続する韓国映画ブームは、韓国映画を見る年齢層を押し下げ、韓国映画界で活躍することを夢見る若者を生み出しました。そして、そういった若き人材は、やがて海を渡り、韓国の若手映画人と友人関係を構築した上で、映画製作をするようになります。『まぶしい一日』は、そういったインディペンデント界における新しい動きの発露の一つです。
日韓新時代の到来を予感させるこういった動きを日本に知らせ、これまでの日韓合作とはひと味もふた味も違った軽やかでフレッシュな作品群を紹介したいと思いました。そして、より多くの観客のもとにこの作品を届けるためには、映画祭で一度上映して終わりではなく、いつでもどこでも上映することが可能なように、作品の上映権を購入して配給するのがベストと判断しました。
配給はシネマコリアにとっても初めての経験で、大いなるチャレンジとなります。シネマコリアは当初、知られざる秀作を日本の観客に見てもらいたいというスタッフ一同の個人的欲求からスタートしましたが、上映作品の監督など関係者を招待し、日本の観客との交流の場を設けると、監督など関係者の喜びようは尋常でなく、そういった姿を目にして以来、「映画の上映を通じてフィルム・メーカーの創作活動を間接的に支援する」ことを明確に意識するようになりました。今回、配給という作業を通じて、日韓の若手フィルム・メーカーをより直接的に支援できることをうれしく思っています。
朝鮮半島に初めて映画が上陸した年には諸説あるのですが、映画が誕生した1895年から遅れること数年、1897年から1905年の間と言われています。そして、その最後の年、1905年は第二次日韓協約(保護条約)が結ばれた年であり、5年後の1910年には韓国併合ニ関スル条約が調印され、韓国は世界地図から消滅しました。最初の韓国映画が製作・興行されるのはそれから更に数年後になりますが、いずれにせよ、韓国映画はその黎明期から日本とは切っても切れない関係にあったと言えます。朝鮮半島に映画が伝来して約100年後に製作された『まぶしい一日』。新たなる日韓映画コラボレーションの歴史は、ここから始まる。そんな予感がしています。
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