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ユ・ハ


名前
漢字
ハングル
ユ・ハ
柳河
유하
性別
監督作品
1993風吹く日には狎鴎亭洞に行かなきゃ
2002情愛
2004マルチュク青春通り

 身長187cmの体躯をほこる詩人兼映画監督。映画・漫画・ポルノ・武侠誌・流行歌といった大衆文化をこよなく愛し、それらを本職の詩に生かす。

 1963年、全羅北道高敞(コチャン)生まれ。故郷が田舎でテレビがなかった(または電波の状態が悪かった)ため、映画館で映画を見るのが唯一の楽しみだった少年時代には、ハリウッド・クラシックや、当時一世を風靡していた人気女優ムン・ヒに憧れ、映画監督を夢見、また思春期にはブルース・リーなどの武侠物にハマっていたという。

 1981年にソウルの世宗大学英文学科へ入学。大学時代にはチン・イジョンという詩人に影響される。1986年に同じ大学のキム・ソンス(現監督)、アン・パンソク(現TVプロデューサー)らと共に8mmの短編『ものぐさの称賛』を製作。映画に深い関心を持つようになり、1988年にはユ・ヒョンモク監督に会うため東国大学演劇映画学科大学院へ入学する。その一方で文筆家としての活動も本格化させ、同年『文芸中央』新人賞で登壇。翌1989年には詩集『武林日記』を出版する。

 その後も、映像に携わる仕事と文筆活動を両立させ、1990年に16mm短編『詩人クボ氏の一日』を製作。1991年には話題の詩集『風吹く日には狎鴎亭洞に行かなきゃ』を出版して、大反響をよぶ。そして、同作の映画化版権を売って欲しいとの申し出が殺到する中、自ら映画化する決意をし、1993年に『風吹く日には狎鴎亭洞に行かなきゃ』で監督デビューする。しかし、キャスティングやシナリオなどで思い通りの仕事が出来ず、また彼のイメージする詩の世界を映画言語で満足に表現することができず、作品的にも興行的にも失敗。ほろ苦い映画デビューとなる。

 以後、しばらく映画界からは遠ざかり、1993年に詩集『世の中のあらゆる夕暮れ』を、1995年に詩集『世運商店街キッドの愛』と散文集『ブルース・リー世代に捧げる』を、そして1999年には詩集『わが愛は蝶のように軽やかだった』と散文集『ジャズを楽しく聞く方法』を出版する。

 2000年にサイダスのチャ・スンジェから武侠映画のシナリオ執筆の提案を受けるが、当時「今日の作家賞」の審査委員をしており、そこで読んだ小説『情愛』の映画化を逆提案したところ、チャ・スンジェから「監督もやってくれ」と言われ、映画界への復帰を決意。初監督作品『風吹く日には狎鴎亭洞に行かなきゃ』にも出演していたオム・ジョンファを主役に起用した第二作『情愛』を世に送り出す。2002年上半期のスマッシュ・ヒットとなった本作は、既存の結婚制度を風刺する内容で、監督は「一夫一婦制を根幹とする結婚制度は、人々を徹底的に阻害する」との考えから製作したという。

初版:2002/9/12


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