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アジアフォーカス・福岡映画祭2004 リポート
『僕が9歳になったら』

Reported by 井上康子
2004/10/15受領



『僕が9歳になったら』 2004年 劇場公開時の邦題『僕が9歳だったころ』
 監督:ユン・イノ
 主演:キム・ソク、イ・セヨン、キム・ミョンジェ、ナ・アヒョン、チョン・ソンギョン

 舞台は1970年代。小学校に通う9歳のヨミン(キム・ソク)は、貧しいが優しい両親のもとで育った思いやりのある子だ。喧嘩も強く、上級生にも一目置かれる存在だ。両親を失い姉と暮らしている親友のギジョン(キム・ミョンジェ)や、ヨミンに想いを寄せるグムボク(ナ・アヒョン)と一緒に、いじめっ子の黒ツバメ(パク・ペンニ)をやっつけ、昔、工場で働いていた時に片眼を負傷してしまった母(チョン・ソンギョン)にサングラスを買ってあげようと内緒でアイスを売ってお金を稼ぎ、毎日を力一杯生きている。

 そんなヨミンのところにソウルからウリム(イ・セヨン)という女の子が転校して来た。彼女の登場にヨミンの心はときめき、揺れていく。だが、ウリムは一筋縄ではいかない子で、ヨミンの想いはもつれていく。そして、彼女には何か秘密があるようだ……


レビュー

 9歳になるということは、人間が成長していく過程を階段に例えるなら、やや高い段を一段上るような、大きな節目の年齢になるということなのだと思う。それまで感じていたよりも、世の中はずっと広く、人はいろいろなことを考えているものだということに気づき、そして、そこに親の手を借りてではなく、自分自身の力で関わっていきたいと感じる、そんな年齢だ。自分は、どんなふうに世の中や人に関わっていけばいいのか、9歳の子供たちが、成長の過程で感じるそんな戸惑いがこの作品ではみずみずしく描かれている。

 主役のヨミンをはじめ、ウリム、グムボク、ギジョンなど登場する子供たちのキャラクターは、このような9歳という年齢がもつ望みや戸惑いを、丁寧にすくい取って設定されていて、たいへん説得力がある。子役が中心の作品によくある、大人が見てかわいいと感じる子供という安易な設定をしている作品とは一線を画する。

 さらに、特筆すべきは、子供たちの演技が本当に自然であることだ。ユン・イノ監督はティーチインやインタビューで、撮影に入る前から子供たちと過ごす時間をとって、監督という以前に人間として信頼してもらえるように努めたこと、撮影開始後は、子供たちが自然に演技できるまで、とにかく忍耐強く待ったことなどを述べている。通常の演出力というような範囲を超えた監督の熱意や、それに応えたスタッフや子供たちの大変な努力が、このような子供たちの自然な演技を引き出した源だ。

 またユン・イノ監督は、子供たちが登場する舞台となる1970年代という時代を、私たちに感じさせることにおいても巧みだ。ガキ大将になりたいが喧嘩に弱い黒ツバメ、腕力だけがとりえのゴリラとその腰巾着、弁は立たないが心優しい太った女の子たち、彼らの容姿は1970年代の子そのままだ。そして、へこんだ鍋を頭にかぶっての戦争ごっこ、ビー玉遊び、林の中の秘密基地。それらは、私たちをその頃に誘ってくれる。上映後の観客の感想に、「自分が子供の頃の友達の顔が浮かび、その頃考えていたことを思い出した」というものがあったが、私も長く思い出すこともなかった、私のクラスメートだった黒ツバメやゴリラや太った女の子の顔が浮かび、その頃の会話を思い出し、不思議な幸福感を味わった。

 この作品のストーリーの核になっているのはヨミンの母親に対する愛情と、ウリムという異性に対する愛情である。9歳のヨミンは、愛する彼女たちを守るために凛々しく行動するのだ。ヨミンに愛される2人は素敵な女性だ。ヨミンの母は、貧しいながらも弁当を持参できないギジョンの食べる分も、ヨミンの弁当箱に詰め込む温かい人だ。ウリムは自尊心が高く、機知に富む魅力的な女の子だ。ウリムは抱えている悲しみのために頑なになっているところがあるが、その悲しみにもヨミンは無意識に気づいていて更に彼女に魅かれていったように思える。ヨミンは母にサングラスを買ってあげようとする過程で、また、ウリムの自尊心を守ろうとする過程で、さまざまな困難に直面することになるが、それらの困難が彼をさらに凛々しくさせていく。

 また、ヨミンの母への思いは母を支え、彼女に「片眼がつらいと思ったことは一度もない。それはヨミンがいるからだ」と言わせる。そして、ヨミンのウリムへの思いは、ついには悲しみを抱えるウリムの支えとなり、彼女に大きな決心をさせることになる。

 ピアノの先生に思いを寄せる「小部屋の哲学者」と呼ばれたパルボンさんは「別れが辛いのは、愛する人に何もしてあげられなくなるからだ」という言葉を残してヨミンの前から姿を消してしまったが、「愛する人に何かをしてあげたい」という思い、「愛されている」という思いが、人を強くし成長させるという、忘れていたそんなことも静かに思い出させてくれるのがこの作品だ。

 静かな幸福感に満ちた秀作。子供の頃に戻ってみたい大人に、そして秘密基地を持つこともできない現在の子供にも、ぜひ見てほしい。2005年一般公開予定。


ティーチイン

ゲスト:ユン・イノ監督、主演男優キム・ソク
司会:佐藤忠男(アジアフォーカス・福岡映画祭ディレクター)
通訳:根本理恵

※ 以下は映画祭期間中3回行われたティーチインの内容の抄録です。

Q: 原作があるのですか?
ユン: 映画の原題と同じ『9歳の人生』(ウィ・ギチョル著)というタイトルの小説です(邦訳は清水由希子の訳により河出書房新社より出版されている)。哲学的でちょっと深みがある小説です。私が、そもそもこの小説を映画化しようと思った動機は、最近、大人が見て幸福だと思える映画が少ないような気がしたからです。悲しい気持ちになる映画はあるのに、最近、大人が見て幸福だと思える映画がなぜないのかなと思うようになりました。今を生きている私たちは、幸福だと思って生きている人が少ないような気がします。ですから、みなさんに観ていただいて幸福を感じるような映画を私自身みたいと思いましたし、作ってみたいと思いました(拍手)。

Q: 子役はどうやって探したのですか?
ユン: 今回出演してもらった子供たちは、最初からできるだけ演技経験のない子供たちを選ぼうと思ってキャスティングしました。慶尚道という地域の都市をあちこち回って、学校とか海水浴場に行って、自分が考えているキャラクターに合うような子を見つけたら、その場でお願いして、少しずつ選んでいきました。ただ、唯一、主演のキム・ソク君だけは演技経験があったのですが、彼を見た瞬間、この役は彼に任せるしかないと思いましたので、彼だけは最初に決定していました。

Q: 子役の自然な演技はすばらしかったですが、監督は子役の自然な演技をいかに引き出したのですか?
ユン: 子役の自然な演技を引き出すのは本当にたいへんでした。最初、いろいろやってみましたが、結局時間をかけて、私が何か話すことによってではなく、忍耐心をもって、私から子供たちに愛情をかけることによるしかないという結論に達しました。子供たちのいる撮影現場という世界の中で、信じられるのは私だけなのだと思ってもらえるような、そういう関係を築いていこうと思いました。そのために撮影に入る前に1ヶ月から2ヶ月、子供たちと一緒に過ごすようにして、なるべく監督としてではなく、人間対人間として接し、お互いが信頼できる関係を作ろうと思いました。大人の俳優に対してなら、注文をつけることもできたのですが、相手は子供たちなので、私の方が忍耐心をもって彼らに愛情を注がなければならないと思いました。

Q: 子役の演技指導ではどんな苦労がありましたか?
ユン: キャストがすべて決まった時点で、果たして自分は子供たちを演出できるかどうか非常に心配でした。周囲の人からも、子供と映画を撮ると本当にたいへんだよ、と言われていましたし、なおさら心配でした。でも、私は子供好きな方なので、あまり、あれこれ演出方法を考えるよりも、とにかく良い演技が出るまで待つしかない、そういう結論に達しました。そのおかげで忍耐力をかなり養えたと思います。忍耐力をもって彼らの演技を待たなければ、なかなか良い演技は引き出せませんでした。ですから、忍耐力がついたということは子供たちからのプレゼントではないかと思っています。

Q: 演じていて難しかったところはどこですか?
キム: 僕にとってはどのシーンもみんな難しかったです。台本を見ながら練習したのですが、ワン・シーン毎に監督が本当に丁寧に説明してくれたので、撮影中も僕は本当に監督に感謝していました。監督の説明をきっちり聞いて自分も自然な演技ができるようにしました。

Q: 厳しい体罰が見られましたが、現在はどうなのでしょうか?
ユン: 今は先生が生徒を殴ると生徒の方が先生を警察に通報したりしますので、生徒が殴るべきことをしたとしても、先生は殴ることができないという状況になっています。1970年代当時、私が小学生の頃は私もかなり殴られて、先生を憎んだりしましたが、今は誰も私のことを殴ってくれませんから、殴ってくれる人がいないということは、逆に不幸なことかなと思ったりします。当時を思うと非常に懐かしい気持ちも致します。殴られた子供にしたら、どうして先生が殴るかは大人にならないとわからないと思います。

Q: 劇中の体罰の場面では、本当に叩いていたのですか?
ユン: 実際に殴っています。ヨミン役のキム・ソク君が映画祭の合同記者会見で、NGが出ると結果的に殴られる回数が増えていくので、なるべくNGを出さず1回で終わらせるようにがんばったと話していました。ウリムの靴を汚したことで、先生から激しく体罰を受けるという場面の撮影後は、彼は本当に具合が悪くなって、病院に担ぎこまれるということがありました。ですから、キム・ソク君のお母さんは隣で見ていて、「もう、うちの子には演技をさせられない」と言って泣いていらっしゃいました。

Q: たいへんノスタルジックな印象を受けました。
ユン: 韓国でも、この映画を観て昔のことを懐かしく思い出しました、という意見が非常に多かったです。私も、この映画の作り手ではありますが、例えば、この映画の中で、ヨミンがウリムの頬にちょっとキスをして走り去っていく路地に、自分も本当に同じ時間に立っているような気がしまして、作り手の自分としても、映画に登場した子供たち、そして、この映画を愛さずにはいられません。

Q: 作品の舞台はどの地方ですか?
ユン: 私が子供時代を過ごした釜山が舞台です。釜山は日本の大阪とよく似ていると言われるところです。舞台になったのは、釜山の中でも都市ではなくて、少し外れた街です。

Q: ヨミンの父が水汲みのお礼に、大切そうに扱われた卵をもらうのが印象的でした。
ユン: 当時は、卵は貴重品でした。私が子供の頃、卵はなかなか食べられなかったのですが、どうしても食べたくて、母と歩いている時に、たまたま卵売りのおばさんが通りかかったので、母に「あの卵売りのおばさんが、僕のお母さんだったらいいのに」と言ったことがありました。そうしたら、その日の夕方、母がどこかからお金を工面したのでしょう。卵をたくさん買ってくれたことを覚えています。


インタビュー ユン・イノ監督

2004年9月16日(木) ソラリア西鉄ホテル
聞き手:井上康子
通訳:根本理恵

ユン・イノ
 1963年生まれ。明知大学英文学科卒業。ユ・ヒョンモクなどの監督の下で映画製作に従事した後に渡米。UCLAで映画製作について学ぶ。その後、パラマウント映画に入社し、『アポロ13』、『フレンチ・キス』の製作に参加して経験を積む。韓国帰国後、テレビ広告を製作。外国人労働者の問題を素材にし、父親と息子の関係を描いた『バリケード』で、監督デビュー。第2作の『マヨネーズ』は母親と娘の関係を描いた作品。

 私自身が本当にこの作品を好きになったことに加え、ユン・イノ監督のティーチインでのお話が本当に熱く、この作品にかけた監督の愛情や執念を強く感じるものであったので、直接お話を伺うのをとても楽しみにしていた。インタビュー・ルームに現れたユン監督は「いつも、一番前の席で熱心に取材されていたので、私もお話したいと思っていました」と言ってくださり、緊張していた私もリラックスしてお話を伺うことができた。

● 親子の関係

Q: 監督の第1作『バリケード』は父親と息子の関係を描いていて、第2作『マヨネーズ』は母親と娘の葛藤と和解が描かれていて、今回の『僕が9歳になったら』も、主人公ヨミンと母親のお互いを思う強い愛情関係が丁寧に表現されていて、「親子の関係」は監督にとって関心の高いテーマであると思いました。
A: 『僕が9歳になったら』を撮るまで、本当に私にとって大きなテーマでした。というのは、私は16歳の頃から両親と離れて暮らすようになったんです。それも、国内で離れて暮らすのではなくて、両親は外国に住むようになり、私はソウルに住むようになったんです。そういった中で、親と子について様々なことを考えるようになりました。両親と私が良い関係を維持していれば良かったのですが、そういう関係ではなくて、私が30歳になる位までは両親のことを恨んで生きてきたんです。その後、30歳を過ぎてから、両親に対する見方がちょっと変わって、両親に歩み寄ろうと思ったんですが、もう時既に遅く、今度は逆に照れてしまって、なかなか歩み寄ることが出来なくて、そういった気持ちを映画を通して描こうと試みてみました。そして、撮った映画が『バリケード』であり、『マヨネーズ』であり、今回の『僕が9歳になったら』なんですけど、この3作を撮ることによって、両親との間にあった心の傷が少し癒されたという気がします。

Q: 16歳から御両親が外国にいて、離れて暮らすというのは、本当に特殊な環境で過ごされたのですね。
A: そもそも当時両親がフランスで暮らしていたんです。私は両親に背いて、一緒に暮らすのが嫌で、私から飛び出して韓国で暮らすと言って、その時の気持ちは、本当に一瞬の気持ちだったのですが、自分から両親のもとを離れたにもかかわらず、後で自分を正当化してしまって、自分は両親に捨てられたんだというふうに思い込んでしまっていて、それで両親を恨むようになってしまいました。だから大人になっても結構、両親と衝突することが多かったんです。ただし、両親の方は私にずっと言葉を投げかけてくれていたんですが、私の方が心を開かなかったという状態でした。今思えば、両親のもとを飛び出したのは私ですから、自分が悪かったなと思って、映画を通して反省するという、そういう意味合いもあって、これらの作品を撮ったんですが、撮り終えたことによって、今度は他のテーマでも映画を撮れるんじゃないかと思っています。

● 異質な文化に対する時

Q: 『バリケード』では韓国人と外国人の間にある心の障壁も描かれているそうですが、『マヨネーズ』ではマヨネーズが母親にとっては髪の毛に塗るもので、娘にとっては食べるものであるということで、文化の対立が描かれていましたし、『僕が9歳になったら』でも、二人の女の子、ウリムとグムボクの対立には、アメリカ的なものと韓国的なのものという対立が含まれていました。異質な文化の対立を表現されているのには、ご自身がフランスやアメリカで過ごされたことが、影響しているのでしょうか?
A: やはり、私はこれまで生きてきた人生からいろいろな影響を受けていると思います。もちろん、いろいろな文化とかアイデンティティーを受け入れてはいますが、まだまだ受け入れられないものもたくさんあると思います。外国で生活した経験はありますけれども、受け入れられないものがあるという状況になった時に、すごく新鮮な衝撃を覚えるんですね。私にとっては、文化と文化の衝突とか、アイデンティティーとアイデンティティーの衝突は、すごく新鮮で特別なものに思えますので、好んで映画の中に取り上げるようになっているのだと思います。

● 主演男優キム・ソク君のキャスティングについて

Q: 主役のヨミンを演じたキム・ソク君の演技は本当に自然で、落ち着いていて、すばらしいと思いました。主役はほとんど出ずっぱりなので、主演俳優の決定は大きな決定だったと思います。彼の出演作を見て彼を主演にと意識なさったりされたのかと想像していましたが、ティーチインの中で「彼を見た瞬間、彼に任せるしかないと思った」とお話されていました。彼を選んだ決め手になる要素は何だったのですか?
A: 彼の出演作は実は観ていませんでした。例え観たとしても、これまでの出演作は本当に全くの子役で、赤ちゃん役で背中に負ぶわれていたり、演技らしい演技ではなかったんです。それで、作品を観ないで彼本人に会って決めたんですが、彼を見た瞬間、まるで異性・女性に対して一目惚れする様な気持ちになったんです。だから、この映画を撮り始めて、撮り終えるまでの間というのは、何か女性と恋愛しているような気持ちで、お互い愛し合うような気持ちで映画を撮りました。それで、スタッフからは結構、嫉妬されまして「ソクばっかりかわいがっている」とか言われたのですが、やはり、ご指摘のように、この映画の中ではキム君が演じた役は、大事で絶対的なものでしたから、役を演じる子と私が意志の疎通がはかれないとダメだと思ったんです。うまくコミュニケーションがとれないとトラブルになってしまうと思いまして、彼ならと思い選んだんですが、キム・ソク君の方も、本当に私からの愛を受け入れてくれたようですね。ですから、キム・ソク君と私で一人と一人で二人のはずなんですけども、ソク君と私で一人の人間だったような気がします。見方を変えれば、彼は私の分身でもあったような気がします。そんな思いで一年間撮っていました。

● 子役への演技指導について

Q: 合同記者会見で、釜山方言で話すという設定のために、「釜山方言を事前に子供たちに毎日練習してもらったし、更に子供たちが自然に釜山方言で会話ができるようにするために、スタッフもみんなが釜山方言を習得して、撮影中、子供たちと釜山方言で会話をするようにしていた」とお話されたのを伺うと、改めてこの作品のために監督はじめスタッフ一同が大変な努力をされたのだというのがよくわかりました。監督が子供たちの自然な演技を引き出すために意識してなさった具体的なことを、もう少し、教えてください。
A: いろいろ教えても、子供ってどうしてもカメラを意識してしまって、そうすると自然な演技を引き出せないんです。なので、とにかく子供たちがカメラを意識するのに疲れて、意識しなくなるまで待つことが大事だったんですね。ですから、劇映画という体裁になっていますけど、まるでドキュメンタリーを撮っているような、ドキュメンタリーを観ているような気持ちでした。子供たちがカメラを意識しなくなるまで待つということが、私は全く平気だったんですが、スタッフは大変でした。というのは、ちょうど良い光線が出ているときに撮らなければいけないのに、日が落ちてしまって撮れなかったりすると、翌日に撮影を持ち越さないといけませんから。だから、待つということはとても大変でした。時間が過ぎていくと、子供たちもカメラを意識することに、だんだん疲れてきて、撮っても撮らなくても、どうでもいいよ、みたいな感じになってきて、自然な演技になっていったんです。

Q: 子役は釜山方言で話すという前提があるなら、台詞はあらかじめ決められた台詞を覚えて話すというようにされていたんでしょうか?
A: 実は子役は一日に4時間位、2ヶ月かけて方言の練習をしました。ところが子供は、その場ではよく覚えるんですが、すぐ忘れちゃうんです。練習の時間が終わって、ふざけたりしているともう習った方言を忘れてしまいまして、だからこそスタッフにも釜山方言を覚えてもらって、スタッフが普段から釜山方言を使っていれば、子供たちがふざけている時も、自然と方言が出ると思って、スタッフには強要して釜山方言を覚えてもったんです。台詞に関しては、シナリオには基本的なことだけを書いておいて、ほとんどは撮影時に現場で決めていきました。子供たちに「こういう状況だったら、どういうふうに話す?」って尋ねてみて、子供たちと話し合って「じゃあ、この台詞にしよう」と決めていって、ほとんどが現場で決めていきました。

Q: 子供も納得できる台詞ということですね?
A: 監督はこういう状況で撮るからと状況設定した後は、その場から抜けるんです。そして、助監督に任せて録音機を持たせておいて、子供たちがその状況でどんなことを話すか録音させました。その録音を後から私が聞いて、その中で、これが自然な台詞だなと思うものを抜き出して、次の日にそれを使ったんです。でも、子供たちは無意識にしゃべっているんで、自分がしゃべったということも忘れていたりしました。

Q: やはり、すごく時間をかけて作っていかれたんですね。
A: そうですね。私は普段、子供が出てくる映画を観て、少し不満に思っていたのが、どうして自然な演技ができないんだろうということでした。あくまでも子供は子供だという感じの描かれ方をしている映画しか観ていないように思い、それを変えてみたいと思い、そのために努力をしようと思ったんです。でも、子供たちはかなり苦痛だったと思います。学校にも行けず色々やらされましたので。


取材後記:「映画の質は現場にある」

 子供の自然な演技をいかに引き出したかを具体的に伺っていると、撮影前の準備期間や撮影中の現場で、私が想像もしていなかったような工夫や努力をされているのが分かり、興味が尽きず、いつまでも話を伺っていたいという気持ちにさせられた。

 9月15日にエルガーラホールにて開催されたフォーラム「韓国映画・新世紀」でユン監督は、パネリストとして映画の作り手の立場から発言されたが、「映画の質は現場にある」ということを、また「映画というのは、いくら産業的な側面が発展しても、やはり芸術的な面の方が上回るのではないかと思っています」と、力強く述べられたことも大変印象的だった。

 『僕が9歳になったら』は、丁寧に種子を植えるところから作業をはじめて、糸を紡ぎ、細心の注意と愛情で織り上げられた、派手ではないが深い味わいのある手織物のような作品だ。ユン監督は、これからもこういう作品を作っていかれる方なのだと思う。

 まずは、2005年劇場公開予定の『僕が9歳になったら』が成功することを心から願う。



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