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明日に流れる川


題名
英題
ハングル
明日に流れる川
Broken Branches
내일로 흐르는 강
製作年 1995
時間 96
製作 三宇メディアセンター
監督 パク・チェホ
出演 イ・デヨン
キム・エリョン
イ・インチョル
ミョン・ゲナム
イ・ホンソン
アン・ヘスク
日本版
Video
DVD
なし

 朝鮮戦争以降の激動の韓国史を主人公ジョンミンの一家を中心にたどる第1部と、ジョンミンが同性愛に目覚める現代編の第2部からなる。第1部では封建的な家族の変遷を描き、第2部は一転して主人公のゲイ生活を描く。第2部のラストシーンでは声高らかにゲイ宣言をし、その愉快・痛快さは爆笑を誘う。1960年代のヒット曲『黄色いシャツ』などが多用されてるのもちょっと懐かしくてウレシイ。

 韓国インディーズ映画界から生まれた韓国初のゲイ・ムービー。といっても『覇王別姫』,『ブエノスアイレス』などに出てくる美男子を想像してはいけない。この映画で出てくるのは、小太りの若い男と頭の薄い愉快な中年男性。映画は2部構成になっていて、その繋がりの悪さが良く指摘されるが、これについては【ソチョンのノンストップ・ネタバレ解説】を参照。

 脚本は監督のパク・チェホ。

 第14回(1995)バンクーバー映画祭、第14回サンフランシスコ映画祭、第6回(1997)東京国際レズビアン&ゲイ映画祭出品作品。第10回(1996)福岡アジア映画祭では『恋する男たち』という題名で上映された。

初版:1998/5/17



投稿者:SUMさん 投稿日:1998年5月1日(金)10時50分00秒

 劇場を出て、たまたま一緒に見ていた知人二人と感想を交わすと、「前半と後半で同じ映画とは思えなかった、後半こうまで変える必要があったのだろうか」というところで揃って一致した。
 前半は封建的な家長の家庭に育った主人公とその家族の物語、そして後半はただ何げにゲイの独身生活を送る主人公の日常。
 前半の主人公の生い立ちと後半の彼の現在の関連性がやや薄く、映画として1本にする必然性があまり感じられなかったために、結局なんだったんだという印象が残ってしまった。
 見せ方は割にうまく、テンポ良く進んでいるので、まま見やすく、前半と後半で全く雰囲気が違うのは、オムニバス的にして観客を飽きさせないためのテクニックだったのかもしれないとも思う。そうでもしないと退屈になってしまったかもしれない、そのくらいの映画と表現するのがよいのだろうか。
 そういえば、女性歌手ハン・ミョンスクの*62のヒット曲「黄色いシャツの男」をゲイ二人で歌うシーンが何度もあるが、どれもいやらしくチャーミングであった。

【評価:★★★】


【ソチョンのノンストップ・ネタバレ解説】

 映画のチラシには「韓国インディーズ映画界から生まれた韓国初のゲイ・ムービー」と紹介されてまして、問答無用に「ゲイ・ムービーなんだって? わくわく」という期待を抱かせてしまいますが、この映画は韓国の伝統的な家族概念を揶揄するのが目的の映画だろうと思います。

 第一部では、「アイ アム ナンバーワン」と親指でも立てそうな、そんな典型的癇癪持ち&儒教こてこて大韓おやじ(ミョン・ゲナム)がでてきます。主人公ジョンミン(イ・デヨン)の母親は、朝鮮戦争で夫を失い生活の糧を求めてミョンヒ(キム・エリョン)、ミョンス(イ・ホンソン)の二人を連れて、このおやじと再婚。まもなく主人公のジョンミンが生まれます。さぁ、これから家族揃って幸せに過ごすのよ... と思うまもなく次から次へと問題が発生。連れ子のミョンヒ、ミョンスには特に辛く当たるおやじ。ミョンスは同世代の女の子と付き合いますが、「お前ん家の不良坊主とうちの娘は付き合わせられん」と相手の父親に怒鳴り込まれ、それが原因でおやじから勘当。軍隊に入隊しベトナム戦争で死んでしまいます。一方、姉のミョンヒは、従兄弟(理屈からいって、血は繋がってないんだろうな)と大恋愛に陥ります。が、そこはそれ同姓同本の結婚すら許されていない韓国(最近、変わったんでしたっけ?)。

「従兄弟と付き合うなんて犬ころのすることだよっ!」

とアジュマにたしなめられます。それにも拘わらず、ファイト一発同棲する二人。しかし、相手の男はある日道でばったり父親に出会うや首を垂れて実家に帰ってしまいます。おやじの威厳に屈する男ども。ミョンヒは大学に進学し、自立して一人娘を育てていく決心をします。

 ここで第一部が終了。

 第一部は、韓国現代史(朝鮮戦争、ベトナム戦争、学生運動などなど)とストーリーの絡めかたが結構うまくて、全く飽きずに見ることができました。平均制作費が8億ウォン強の中、たった3億5千ウォンの予算で、1950年代から90年代まで描くのはなかなか大変だったろうと思いますが、さほどセットもちゃちくなかったし。そういえば、映画の中で『誤発弾』のポスターが出てきますね。あぁいう細かい所の遊びも好きです。

 第一部を見ていて一番困ったのが、ややこしい家族構成。誰と誰がどう繋がっているのか主人公たちを除いてほとんど理解不能。親戚の呼称を覚えるのをあきらめてしまった私には、台詞から聞き取ることも不可能で、お手上げ。まぁ、韓国の大家族らしいといえばらしいけど。でも第2部のラストのシーンで前述の犬ころ発言をしたアジュマの還暦かなにかの祝いの席でジョンミンが爆弾発言をする訳ですが、あれなんかもジョンミンとアジュマの関係が分かっていたらより一層面白味を増したのかも知れないと思うとちょい残念です。

 さて、お待ちかねの第2部。

 「今まで家族の話しをしてきました。ここからは私の話しをしましょう。」というジョンミンのナレーションのあとは、愛しのスンゴルちゃんとのラブリーな毎日の描写。スンゴル役のイ・インチョルはアホの坂田似の可愛い叔父様。あぁ私もこんな恋人が欲しい。という冗談はさておき、結局監督の意図は、「現在の韓国社会にも根強く残っている家族という枠組みの中の慣習・保守性・(親の)独裁制を風刺するのにゲイを使った。」ということで、決してこの映画はゲイ・ムービーという冠で紹介されるべき映画ではないと思います。あの頑固親父の血を唯一(?)受け継いだジョンミンがあろうことかゲイの世界に。そして、ラストでジョンミンが、親戚の前で「私たちは夫婦です」とスンゴルを紹介するシーン。あのシーンで観客の笑いを誘いつつ、伝統的価値観をバンラバラバラに叩き壊してやる(そこまでいくとオーバーか)のが監督の狙いだったんだろうなというのが私の印象。

 この映画を見ると、ほとんどの人が第1部と第2部の繋がりの悪さを指摘され、1本の映画にする意義を疑われますが、私は、こんな解釈をしてみました。もっともこんなこと書けるのは見てからずいぶん時間が経ってるからで、鑑賞直後は私も同様の印象を受けましたね。その辺の第1部と第2部の繋がりの悪さがこの映画の決定的な欠点。第2部は、伝統的価値観に振り回される悲惨な第1部とは対照的に明るく愉快に描かれていましたが、それをすればするほど第1部と第2部の関連が分かり難くなって終映後、観客を戸惑わせる。また、本格的なゲイ・ムービーを期待してきた方にとっては、現実はあんなに楽しいことばかりではない、描き方に深みがなさ過ぎると酷評される可能性大だと思います。特に、韓国社会では日本以上にゲイに対する風当たりが強いであろうことは予想できるわけで、その辺の辛い事情を描いた作品を期待した方には肩透かしもいいとこだったでしょうね。


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