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シネマコリア2004
『先生、キム・ボンドゥ』Q&Aセッション



文・構成:西村嘉夫 写真:宮田浩史
資料提供:SARU
2005/1/1受領

日時:2004年8月7日(土)・8日(日)
場所:キネカ大森
通訳:大塚毅彦
司会:西村嘉夫

 シネマコリア2004『先生、キム・ボンドゥ』が上映され、監督のチャン・ギュソン氏が来日。上映前後に、観客とのQ&Aセッションが行われました。

 ここではQ&Aの内容の抄録をお届けします。なお、監督の発言内容には一部補足をしてあります。また、『先生、キム・ボンドゥ』は『ぼくらの落第先生』というタイトルで、2005年9月2日にビデオとDVDがリリースされています。

チャン・ギュソン
 1969年生まれ。明知大学貿易学科卒。キム・サンジン監督の『金を持って高飛びしろ』(1995)、『極道修行 決着(おとしまえ)』(1996)、『トゥー・カップス3』(1998)の助監督をつとめた後、全編韓国映画のパロディで構成された異色作『おもしろい映画』(2002)で監督デビュー。第2作となる『先生、キム・ボンドゥ』では脚本も担当。また、『H[エイチ]』『箪笥』のヨム・ジョンアを主演にキャスティングした最新作『ラブリー・ライバル』が2004年末に韓国公開されている。



Q: 上映前に一言
A: この映画は2002年に4ヶ月の撮影期間をかけて完成しました。そして韓国では、2003年3月末に公開され、幸い興行的にもよい成績をあげることができました。それから1年経って、このように日本で上映されることになり、感慨深いものがあります。また、皆さんがどのような反応をされるのか非常に楽しみにしております。是非、楽しんでご覧下さい。

Q: 「キム・ボンドゥ」という主人公の名前について
A: 「キム」はよくある姓の「金」です。「ボンドゥ」という名前は、韓国語で「封筒」のことを「ボンゥ」というのですが、それに引っかけて「ボンゥ」にしました。名前からして、「お金を封筒に入れて下さい」というような意味になっているのです。

Q: 子役について
A: 今回の子役は全員ソウルっ子です。俳優になりたいという志望を持ったソウルの子たちなんですが、今回の映画を撮るにあたって3ヶ月の演技の訓練をして、田舎のことも知らないので、実際田舎の学校に半月ほど通わせました。また、この映画では方言も入ってますので、そういった言葉の問題や田舎の子供たちの感情に慣れさせてから、演技をさせました。演出する立場としては、できるだけ演技っぽくしたくはなかったので、自然にそういう感情が出るように配慮しました。子供たちは大変苦労して演技をしたと思います。

Q: お父さんがいない「ソソク」役を演じた少年について
A: ソソク役の少年はイ・ジェウンといって、この映画で有名になりまして、『殺人の追憶』の冒頭で刑事のマネをする少年を演じました。その後も韓国のトップ・スターと一緒に映画に出ておりまして、ソン・ガンホ『大統領の理髪師』や、チェ・ミンシクの『春が来れば』などに出演しています。テレビのコマーシャルにも3つ出ています。この映画でとても有名になったんですが、私には電話の一本もかけてきてくれないんですよね(笑)。これは冗談ですけど。

Q: 子供たちの演技が素晴らしかった。韓国では泣くシーンで唐辛子を使うという噂を聞いたことがありますが、本当ですか?
A: 子供たちは、映画の撮影が始まる3ヶ月前から演技の勉強をしたので、どういう脚本か、どういう感情か、どういう役割なのかを十分に練習して役作りをしました。現地に行っても方言のコーディネートをする方がいらしたのですが、その方と一緒に練習をして、自分の役に入って状況を理解して、つまり単純に泣くシーンだから泣くのではなく、どうして悲しいのか、ということを分かって自然に涙が出るように、そういう風に子供たちは演技しましたし、私も演出しました。特に、ソソク役の子は元々演技がうまい子なんですが、そういう子に対してもわざと厳しく演技指導をして、例えば後半でふくらはぎをムチで打たれて泣くシーンですとか・・・あれは本当に痛くて泣いたのかも知れませんが(笑)、その結果、子供たちが感情を込めて役を理解して自然な涙が出たのだろうと思います。唐辛子のお話しは一体どこから出た話か分かりませんが、そういうことは一切ありませんでした(笑)。

Q: ロケで使った山間の分校について
A: 映画に出てくる学校は本物の学校で、1999年に廃校になった分校です。学生数の減少という、映画と同じ理由で廃校になりました。あちこちの山の中をロケハンして見つけたのですが、周りの自然も素晴らしいし、映画にぴったりということで、この学校を使ってロケをすることになりました。撮影で苦労した点は、俳優やスタッフが寝泊まりしている所から、この学校まで片道1時間半くらいかかりまして、映画の最初の場面でキム・ボンドゥ先生が山の中を車で通って学校にたどり着きますが、あれと全く同じ道を通っていました。往復で3時間かかるんですね。あと、周りが山に囲まれていて、その山が高いのですぐに日が落ちてしまいまして、昼間撮影する時間も限られていて、そういう点では非常に苦労しました。また、あの場所は雪や雨が降り始めると非常に激しくなるんですが、雨や雪が降ると宿泊地からロケ地までの移動が、坂道や崖があるため、非常に困難になりました。ただ幸い、なんの事故も起こることなく撮影を終えることが出来ました。

Q: シネマ・スコープ(ワイドスクリーン)で撮った意味
A: 舞台が田舎で自然がとても美しい、その美しい自然をスクリーンにおさめたいということで、撮影監督と相談してシネマ・スコープで撮りました。

Q: キム・ボンドゥ先生のその後について
A: 最初の構想ではエピローグがありました。キム・ボンドゥ先生が廃校になった後にソウルの学校に復職する。そして、冒頭のシーンと同じような状況に出くわす。つまり生徒の父兄から袖の下の入った封筒を差し出される。そこで、ボンドゥはその封筒に手を伸ばすのだけれど、さて、封筒を受け取ったのか、受け取らなかったのか? それは分からないような、そんなシーンの構想があったのですが、そこまでやるとハリウッド式になるような気もして、そこまでくどくやらずに、今のような結末になりました。

Q: 大人が子供に教えるのではなく、逆に子供から教わるという内容だが、撮影中に実際、子役たちから学んだようなことはありますか?
A: 映画のように、先生が子供に教えたのではなく、むしろ子供から先生が教えられたのだというエピソードと同じような現場の話しというのは、ちょっと思いつかないです。というのも、子役たちは本当に腕白で苦労したので、そういったエピソードは思い浮かばないんですが、子供たちとの関係で撮影中にあったエピソードとして今ちょっと頭に浮かんでくるのは、この撮影はすべて冬に行われたのですが、クリスマスの時に子供たちが50人近いスタッフ全員にクリスマス・カードを送ってくれたというのがとても印象に残っています。大人たちは忙しくてそこまで手が回らなかったのですが、子供たちからクリスマス・カードをもらえて、子供の純粋な心を知ることができました。

Q: 映像的には春夏秋冬があったように見えましたが、撮影はすべて冬に行われたのですか?
A: 冬の間に春夏秋冬すべて撮りました。その意味では色々苦労がありました。例えば、夏の場面は実際には晩秋に撮ったのですが、CG処理で山の緑をより鮮やかに出すといったような処理をしました。白菜の収穫をするところに先生が行くシーンがありましたが、実際には白菜の収穫が終わってしまった後の畑で、白菜は市場から買ってきて、それをいちいち全部畑につきさしていったりしました。あと春の場面では、春の雰囲気を出すために美術スタッフが非常に苦労しました。例えば、花などを場面の端々に配置して、春の雰囲気を出すなどですね。ついでに申し上げますと、冬の寒さに対しても非常に苦労しまして、子供たちが水の中に入って遊ぶという場面は日付もはっきり記憶しているんですが、12月22日、冬至の日ですね、そんな日に夏の場面を撮ることになって、子供たちもすごく冷たい水の中に入って非常に苦労をかけました。子供たちも泣いちゃったりして、これでは児童虐待じゃないかという意見もあったんですが、それでも子供たちがよく我慢してくれて、なんの事故もなくその場面を撮ることが出来ました。

Q: 日本で上映されたことに対して一言
A: 私の非常に個人的な思いが込められた映画なのですが、そういう映画が一般に大衆に受け入れられるのかな?という非常な心配をして韓国での封切り日を迎えました。しかし、幸いなことに、この映画を多くの方が愛して下さいまして、韓国では成功することが出来ました。その後、昨年シンガポールでもこの映画が公開されたのですが、シンガポールは田舎のない国、都市だけの国なので、こういう田舎の映画が成功するのかという心配がありましたが、シンガポールの観客もやはり非常によく受け入れてくれて、感動して下さいました。ですので、同じ人間として同じ反応なんだなと考えたのですが、実は日本でこの映画がどう受け入れられるのか、どういう感想が出てくるのか私は非常に気にしていました。私が聞いたところでは、こういう山の中の分校が廃止されていくという問題は、10年か20年くらい前に日本でも同じような状況があったと聞きました。日本の場合は、政府がうまく処理してすべて廃校になるといったことにはならなかったと聞いていますが、韓国の場合は、単に経済的な論理で、どんどんこのような山の分校が廃校になっています。ですので、同じような経験をした日本で一体どのような反応が返ってくるのか興味津々であり、ちょっと心配でもありました。今日は一緒に映画を観ることが出来なかったので、実際どのような反応だったのかあとでスタッフに聞いてみたいと思っています。とにかく、日本でこの作品が愛してもらえれば私としては非常に嬉しいです。


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