● 原作小説と映画 |
Q: |
『黒水仙』を監督するに至った経緯をお聞かせください。 |
A: |
以前から、刑事物を撮りたいと思いつづけていたんです。それから、『その年の冬は暖かかった』という作品で取り上げたことのある「朝鮮戦争」という題材でもう一度撮りたかった。その二つが融合した原作にたまたま出会い、それでこの作品を撮るに至りました。 |
Q: |
原作となった小説『最後の証人』(キム・ソンジョン著、1974年)は、学生時代にすでにお読みになっていたそうですが。 |
A: |
ええ、そうです。大学時代に、韓国日報という新聞社が主催した「第1回ミステリー公募」で受賞して、すごく話題になった作品だったんです。当時、新聞に連載されていたものをずっと読んでいたのですが、それが1981年に最初に映画化されたんですね。それから20年後に、私がリメイクしたことになります。この原作者は韓国の推理文学を代表する作家なんですけれども、映画を撮るにあたっては、作品の枠組みだけを借り、状況も背景も犯人も、すべて変えさせていただく事の了解を得ました。そこまで変えてでも敢えて『最後の証人』を選んだのはミステリー形式で朝鮮戦争を描いている作品だったからです。 |
Q: |
ずっと、あたためてきた題材だったのですか? |
A: |
私が監督としてデビューしたのが1982年で、すでに映画化された後でしたので、その当時は再び映画化するということは全く考えていませんでした。今回、ミステリーで朝鮮戦争を題材にしたものを探していたときに、たまたまこの原作が思い浮かんだのです。 |
Q: |
原作の中にも日本は登場するのですか? |
A: |
いいえ。 |
Q: |
日本を登場させた理由は? |
A: |
作品にもっと変化を与え、観客の興味の幅を広げるために登場させました。実際、韓国の歴史の中で、何か問題が起きたときに日本へ渡っていった人たちが多かったのは事実です。 |
Q: |
日本での短いシークエンスの中に、舞妓、焼き芋、地震など「日本的なもの」を多々登場させていますが、日本への関心は高いのですか。 |
A: |
1985年に初めて日本を旅行したとき、日本は推理物のロケをしたら似合うのではないか?という印象がすごく残ったんですね。その後も何度も日本を旅行して、そういう思いがたまっていき、この映画で表現されたのではないかと思います。 |
Q: |
いずれは、日本を舞台にした映画を撮ってみたいというお気持ちもあるのですか? |
A: |
ええ、もちろんあります。機会があれば、ぜひ。 |
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Q: |
南北のイデオロギー対立が背景になっていますが、監督の視点はあくまでも登場人物個人個人の内面に向けられているように感じたのですが。 |
A: |
そのとおりです。いままでは、イデオロギー対立そのものを描いた作品や、反共的なもの、共産主義によって犠牲になった人々を描いた作品が殆どだったんですね。でも実際には、普通の人々は戦争によって、イデオロギーとは全く関係のないところで深い傷を負い、痛みを抱えることになったのです。主人公の一人であるファン・ソクも、自分のイデオロギーというよりはソン・ジヘのために彼女の後を追いかけていったわけで、ソン・ジヘにしても、自身の理念があったというよりは、父親が共産党だという理由で殺されたことへの反発であったりとか、そのへんの影響だったんですね。このように、その当時、自分の意志とは裏腹にまきこまれた人々が多数いたわけです。先ほどお話した『その年の冬は暖かかった』も朝鮮戦争時代のある姉妹の悲劇を描いたものだったのですが、本作もそういう個人個人の悲劇を描いた映画です。それが当時の殆どの人々にあてはまる悲劇だったと思うのです。 |
● 俳優について |
Q: |
1980年代を共に歩まれてきたアン・ソンギさんと、監督の『若い男』の主演で俳優として認めれれたイ・ジョンジェさんという、監督と縁の深いお二人をキャスティングされていますが。 |
A: |
最初に意図したとおりにキャスティングが進んだので、とても気分が良かったですね。イ・ジョンジェの役どころというのは、タフで男らしく、ある意味スタイリッシュに描いてみたかった。その辺は彼にぴったりはまる役だったのではないかと思います。アン・ソンギさん演じるファン・ソクという役は50年という時間を行ったり来たりするすごく難しい役です。ですから内面的にも外見的にも充分に表現できる役者さんでなければならず、彼にお願いして良かったと思っています。 |
Q: |
10年ぶりの共同作業に、アン・ソンギさんの感想は? |
A: |
本当に喜んでいましたよ。撮影現場で会っても、10年も経ったことなど全く感じず、二人とも不思議がって「もう10年経ったのか」と、何ヶ月か前に一緒に撮影をやっていたような気分にとらわれました。 |
Q: |
映画の撮影以外でお会いする事はなかったのですか? |
A: |
それはもう、しょっちゅう会っていました(笑)。 |
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Q: |
イ・ミヨンさん、チョン・ジュノさんのキャスティングも監督の意向だったのでしょうか。 |
A: |
この二人に関しては私の独断ではなく、製作会社との充分な話し合いにより決まったキャスティングです。チョン・ジュノさんの起用は製作会社の意向が大きく反映されたものです。最初の私の考えは、ハン・ドンジュは日本へ渡って日本人のふりをする役でしたから、リアリティを出すために在日韓国人の俳優を使えばよいのではないか、というものだったのです。しかし、この作品をもっと大衆向けにアピールするためには、やはりスターが必要だったし、彼がそういった意味では適任だったと考えています。結果的には良い演技をしてくれたので満足しています。イ・ミヨンさんの場合も非常に難しいキャスティングで、50年を行き来できる女優さんを探すとなると非常に難しいわけですよね。老人役をどうするかということですごく頭を悩ませました。そこが、この映画の限界というか、一番難しかったところでもあるのです。外見的なところをいくら頑張って老けさせても、まあそういうリアリティももちろん重要ですけれども、やはり限界がありますので、内面的なところを出すという部分で勝負するしかなかった。実際私の知り合いに、68歳の皺一つない綺麗なおばあさんがいるんですね。ですからソン・ジヘも綺麗に歳をとったケースだと思っていただければ良いかなと思いました。 |
● その映画作り |
Q: |
監督の作品は、どのような重いテーマを扱っていても、常に観客を楽しませる大衆性を持ち合わせているように感じるのですが。 |
A: |
それは、私の中にあるんです。私の中にある観客性、普遍性、そういったものを追求していくと自然とそうなるのではないでしょうか。監督というのは映画の案内役でもあるわけですよ。ですから親切に案内してくれる監督もいれば、すごく険しく案内する監督もいるでしょう。それをどの程度でいくかというところにかかってくるのだと思います。『黒水仙』は、リアリズムを追求するというよりは、古典的でオーソドックスなストーリーテリングの映画を作りたい、という思いで製作した作品です。ところが韓国ではこの映画を見た人たちの中で、若ければ若いほどこの映画に共感しづらい、という現象があった。韓国では逆にオーソドックスなストーリーテリング物というのが、若い人たちにとってはなじみが薄かったのかもしれません。もっと分かりやすい上に刺激的なものを今の若い人たちは求めているのだと思うのですが、この作品は集中して考えることを要求される映画ですし、朝鮮戦争が背景になっていて、映画でまた北朝鮮の話を聞かされることにひょっとしたら嫌気がさしていたのかもしれません。年齢層が高ければ高いほどこの映画に対する反応は良かったんです。 |
Q: |
1980年代にチェ・イノさんという韓国映画界を代表する脚本家と映画を作ってこられたわけですが、現在の監督の脚本執筆に影響を与えている部分はあるのでしょうか。 |
A: |
それはもちろんあります。人間を深く考察する洞察力、それから文学的な構成の仕方、そういったものにはすごく影響を受けましたね。
チェ・イノ/崔仁浩
1945年、ソウル生まれ。延世大学英文科卒。高校生のとき、『韓国日報』の「新春文芸」短編小説部門で入選。文壇デビューを果たす。以後、『星たちの故郷』、『馬鹿たちの行進』、『ピョンテとヨンジャ』、『赤道の花』、『鯨とり ナドヤカンダ』、『ディープ・ブルー・ナイト』、『鯨とり2』、『黄真伊(ファン・ジニ)』、『神様こんにちは』、『天国の階段』などを発表。1970年代後半から1980年代にかけては原作者・脚本家として自らの作品の映画化にたずさわる。最新作『商道』は韓国で300万部のベストセラーとなり、日本でも徳間書店より邦訳が出版されている。
崔仁浩『商道』(上・下巻)青木謙介訳/2002年11月/徳間書店刊
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Q: |
1980年代の多作だった頃に比べて、最近は製作ペースが2、3年に1本と減ってきていますが。 |
A: |
1990年代に入って、自ら充電の必要があるなと感じて、休んでいた時期があったんです。それから、『若い男』を作ったときから製作もやってきたのですが、製作をやると配給にも気を使わないといけないし、映画全体についても責任をとらないといけない。監督だけをやっていたときよりも、労力と時間が必要になってくるので、一本やるのに時間がかかってしまったというのもある。また、2000年以降、映画一本の製作費がとても高くなって、資金調達が難しくなってきた。だから、しょっちゅうは映画を撮れない、という時代的な流れもあったんでしょう。 |
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Q: |
次回作の予定は? |
A: |
契約はしてあるのですが、作品はまだ決めていません。そろそろ決めないといけないのですけれども。近いうちに。 |
Q: |
『ラブ・ストーリー』、『情』に主演なさっていた奥様でもあるキム・ユミさんの近況を知りたいファンも多いと思うのですが。 |
A: |
子育てに追われています(笑)。 |
Q: |
もう映画の製作にはたずさわらないのでしょうか。 |
A: |
シナリオ執筆時に、女性について書く部分がある時は必ず彼女に聞いて一緒にやっています。 |
Q: |
最後に、日本に数多くいる監督のファンへ、メッセージをお願いします。 |
A: |
こんにちは。ペ・チャンホです。昨日の上映の際に、ある40代の女性が私を訪ねてきて、16年前に東京で開かれ、私の作品が上映された韓国映画特集の際のチラシを持って訪ねてくれたんです。それからまたある若い青年も10年前に上映された『神様こんにちは』のパンフレットを持ってサインを貰いに来てくれました。彼はその当時中学生位だったと思うのですが、今はもう青年になっていて、そういう人々と今回この映画祭で出会えたことが嬉しかったです。そうやって、日本でも私の映画が皆さんに記憶されて、観てもらっているんだなぁと感じ本当に嬉しかったんですが、最近は自分の撮りたい映画をずっと目指しているがゆえに、なかなか1980年代のときのような勢いでたくさん撮ることが出来ず、数は少なくなってしまっていますけれど、本当にやりたい映画作りを地道にずっと続けていくので、皆さんどうぞこれからも応援して映画を観てください。 |
Q: |
ありがとうございました。 |
一度話し出すとなかなか止まらない映画への熱い思いと、夜にはお一人で盛岡の街を散策に出かけてしまう好奇心の強さを見るにつけ、「まだまだ監督の勢いは止まらない。これからも私達を楽しませてくれる作品を生み出してくださるだろう」と期待に胸が膨らみます。その時が訪れるのを、背筋をピンと伸ばして大声で話す監督の姿を時々思い出しながら、じっくり待ちたいと思います。
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