ピョン・ヒョク
名前 ハングル |
ピョン・ヒョク 변혁 |
性別 |
男 |
監督作品 |
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英語名 "Daniel H.Byun"。1966年、全羅南道光州生まれ。高麗大学仏文科卒。韓国映画アカデミー7期卒業。映画アカデミー卒業作品として、シンシネの協力を得てイ・ジェヨンと共同制作した短編映画『ホモ・ビデオクス(Homo Videocus)』(1991年、16mm、19分)がサンフランシスコ映画祭で最優秀短編映画に選ばれ、Clearmont Pelang 短編映画祭では芸術功労賞・若い批評家賞を、モンテカティーニ映画祭では銀賞を受賞。その新鮮な感覚と独特の演出力が注目された(『ホモ・ビデオクス』は第25回(2003)ぴあフィルムフェスティバルで紹介されている)。
その後、フランスに留学し、パリVIII大学映画学修士課程を修了する。そして、韓国人としては初めてフランス国立映画学校(FEMIS)を卒業する。フランス留学期に最初に製作したのは『FROID』(1994年,16mm,10分)。その後、『ブルノ・ウィダン34歳』(1995年,Beta-cam,25分)を作り、バンドム国際映画ドキュメンタリー部門大賞・ジャンディエ映画祭ドキュメンタリー部門大賞を受賞する。また1996年に作った『誕生記念日(A Birthday)』(35mm,10分)は、オーバーハウゼン映画祭、カルロビバリ国際映画祭、第1回(1996)釜山国際映画祭「ワイド・アングル」部門などに招待された。
FEMIS卒業作品として製作した『ORSON』(1997年,35mm or 16mm,51分)はフランスで公開された。その後、パリI大学美学博士課程に進学し、現在も在学中(三星文化財団メムフィスト1期奨学金授与/映画学博士課程部門)。
韓国に一時帰国し、2000年にドキュメンタリー&フィクションの実験的作品『Interview』で長編映画監督としてデビュー。第1回(2000)釜山映画評論家協会賞新人監督賞を受賞する。この作品は、1998年にハリウッド劇場とシネ2000が共同公募した「予感21」シナリオ当選作で、元々は4億ウォンの低予算映画として企画したものだが、紆余曲折を経て、実験映画と商業映画が融合した形で完成した。当初の構想と同じなのは題名だけだという。ピョン・ヒョクはパリ1大学美学博士課程の学生のため、映画公開後はまたフランスに戻り博士論文を執筆する予定。
初版:2000/4/1
最新版:2001/1/1
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