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異端児と呼ばれる男キム・ギドク、その素顔

Text by 全雪鈴
2001/9/7受領


Profile 全雪鈴(チョン ソルリョン)

 出版社、放送局勤務を経て、現在フリーの通訳・翻訳、編集者として活動中。『魚と寝る女』のプロモーションで来日したキム・ギドク監督の通訳をつとめる。



 2001年7月23日、キム・ギドク監督が『魚と寝る女』のプロモーションのため来日。その日、私は日本側のスタッフとともに成田空港まで監督を迎えに出た。午前11時の到着予定だったのでその時間から到着ロビーで監督が現れるのを待っていた。が、実は私たちは監督を見つけられるか内心ドキドキしていた。誰も直接会ったことがないので当然面識はない。顔の記憶といえば、映画の宣伝用リーフレットの裏にある小さなプロフィール写真一枚である。しかも帽子を被っているものだから、顔の印象がよくわからない。

 目を皿のようにして出てくる人をチェックしていたら、出てきましたキム監督。キャップのついた帽子を深く被り、スポーツバックを肩にかけ、恥ずかしそうに笑顔で私たちへと近づいてきた。ほぼ写真どおりの印象。挨拶を交わし、さっそくタクシーでインタビューが行われる都内のホテルへ向かった。

 キム監督は今回が初めての来日とのことで、日本にどんな印象を持つのか楽しみだったが、最初のカルチャーショックはタクシー料金だったようだ。20分ほど走ったところで、「あれ、(表示金額を指して)88,000ウォンってこと?!」と首をふりふり信じられないといった様子。日本の交通費は韓国に比べるととても高いことを説明してあげると、その後、監督は帰国するまで交通費のことをやたら気にするようになり「交通手段はなんでもいいから安いほうにしてくれ」と、とても控え目になってしまった。

 緊張が溶けたのか、少しずつ口を開き始め会話も弾んでいった。私事だが、実はひとつ傷ついたことがあった。監督が最初に私に向かって言った言葉

「あなた主婦みたいですね」

 もう大ショック。そんな所帯じみて見えたのか?! もちろん独身だと胸を張って答えたが、それ以上何も聞かれなかった。こんな第一声を浴びせられて複雑な思いだったが、その数時間後、今度は「君、学生みたいだね」と言ってきた。どうやら監督はその時々で思ったことをすぐ口にする性格のようだ。なにしろ、その後も新しい人(主に女性)と出会う度にそんなことを口にしていたのだから。

 さて、ホテルに到着するとさっそくインタビューの準備が始まった。部屋に入るとテーブルの上にフルーツが盛られていたのだが、監督はソファに座り、プラムひとつを手に取ってテーブル用ナイフで薄くスライスし、黙って食べ始めた。そのナイフを扱う手がとても器用なのに驚いた。後でわかったのだが、監督は海兵隊に5年間所属していたので、そのころの生活が身に染み付いているらしい。なるほど野性的。手先も器用で『魚と寝る女』の撮影時に木でつくった即席の手作り鏡をソ・ジョンにプレゼントしたと自慢していた。

 インタビューで、ある記者が監督は体格も良くて健康的に日焼けしているし何かスポーツをしているのかと聞いたとき、監督は臆面もなく、家が貧しかったので幼いころから父の手伝いで農作業をしたり、工場で働いたりしていたからと笑顔で答えていた。キム監督は正直だ。かっこつけたり、虚栄心を張ったりということがまるでない。すべてが自然体という印象。

 インタビュー終了後、私はスタッフとキム監督と夕食をともにし、そこで話をする機会を得ることができた。一番印象的だったのは監督デビュー作品『鰐 〜ワニ〜』(1996)の話。監督はそれまで(脚本執筆は別にして)映画製作経験ゼロであったのに、自分の書いた脚本が他人の手によって映画化されることに我慢できず、頑強に自らが指揮することを主張したそうだ。もちろん現場のことは何もわからない。実は監督、別の撮影現場に行ってはその様子を遠くから鏡の反射を利用して盗み見て勉強していたのだという。本当にそんな原始的な方法をとっていたのかと疑いたくなるが、とにかく『鰐 〜ワニ〜』が発表された当初、韓国では「キム・ギドクはいつの間に監督の勉強をしたのか?」という謎を生み、「奴は天才か?!」とさえ囁かれた。

 監督は自分のことをよく話してくれた。幼いころの話、海兵隊での話、パリで絵の勉強をしたころの話、ロッテワールドで似顔絵描きのバイトをしていた話、今後の映画製作の話など、本当に気さくに何でも話してくれた。食事のときも出てきた料理を真っ先にみんなに配ったり、手のマッサージが得意だといって一人ずつやってくれたり・・・ フレンドリーでどちらかというと人なつこいという感じだ。

 しかし監督は最後にぽろっと、自分の作品は海外での評価は高いが、自国での評価がイマイチであることにやはり寂しさを感じると話していた。さらっと言っていたが、それは監督の本心であり痛切な思いであろうと思う。

 三日間の短い滞在であったが日本に好印象を持って帰国していったようだ。次作は、日本の島を舞台に撮影したいと話していたが、さてどうなるのだろう? どなたかキム監督と出会ったら聞いてみてください。


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