Q: |
原作となった『私の生涯でたった一日だけの特別な日』は、韓国で1990年代の女性小説としてとても重要な位置を占めています。初の劇映画にこの作品を選んだ理由は? |
A: |
まず、この作品を作るにいたった背景からお話しましょう。ドキュメンタリー映画『ナヌムの家』三部作を撮り終えた後、私はとても苦しい思いをするようになりました。その時点では褒め称えられることすら嫌になってしまったんです。よく言われた言葉が、「映画は観ていないのですが、あなたが好きです」、「とっても尊敬しています。映画は観ていませんけれど」。それらの言葉を聞くのが本当に嫌でした。様々な新聞や雑誌が私を褒め称えてくれたにもかかわらず、そのなかで私の映画を観たことのある人はごく僅かだった。それで私は「観なくても褒め称えることのできる映画を自分は撮っていたのだな」と思ってしまったんです。また、私のドキュメンタリー映画をご覧になった方はお分かりになると思いますが、私は直接カメラをまわしていました。ところが両目とも白内障に罹ってしまい、手術を受けたのですがうまく焦点を合わせることができなくなってしまったんです。もともと劇映画を作りたいという気持ちはあり、その時期を探していたのですが、このようなことが重なったため、まさに「今だ!」と思ったわけです。それからは、どういう素材で劇映画を作るべきかと随分悩みました。少なくとも従軍慰安婦問題を扱うものではないであろう、と。私がドキュメンタリー三部作を通して何らかの作り上げたものがあるのだとすれば、それはそのままにしておいて次の段階に進むべきだと思ったんです。そして、決してビョン・ヨンジュが選ばないだろうと人々が思うような素材を探したかった。実際に作品を観なければ何のコメントもできないような、そんな映画を作ろうと思いました。そんな思いを抱きながら主題を探しているときに、以前読んだことのある、この原作にたどり着いたのです。これを素材にして映画を作ってみようと思った理由の一つが、それが本当に良くある話だということです。旦那さんに浮気をされた女性が自分も浮気をやり返すという話。まるでソフトポルノにあるようなあらすじなわけです。でもそういったありふれた物語が女性的な言葉で綴られていた。原作はとてもナルシストなところがあるんです。それがむしろ女性的だと言える理由なのですが。そういうところを取り上げて映画を作っていけば、とても面白いものになるのではないかと。そのときの私のアイディアは、『クリスマス・キャロル』のように作ってみたらどうだろうかというものでした。スクルージが幽霊を通じて自分の過去、現在、未来を見たように、ミフンがその時々で違う選択をしていたら、こんな人生をおくっていたのではないか、という女性たちを登場させることによって、過去、現在、未来というものを描写していく。最初にミフンがまったく違う人生の選択をしていたらファースト・シーンに出てくる夫の愛人の立場になっていたかもしれません。また、ぜんぜん違う家で産まれていたとしたら、通りの途中にある休憩所の女性だったかもしれない。そして、夫の愛人が自宅に訪ねてこなかったら、下の階に住んでいる普通の主婦のようになっていたかもしれない。そういった、ミフンという女性の人生の移動の経路をあらわすような映画にしたかったんです。それが、この映画を作るにいたった理由でもありコンセプトでもあります。ですから、この小説を選んだのです。 |
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Q: |
キャスティングについてお聞かせください。 |
A: |
キャスティングは本当に難しかったです。まずミフン役の女優。この役は服を脱がなければいけないという問題があり、また女優が映画自体を導いていかなければならないという負担もある。キム・ユンジンさんには、プロデューサーの勧めで会うことになったのですが、私は彼女には、女性戦士というか、強い女性のイメージを持っていたので、「メロドラマにキム・ユンジンさん?」と思っていました。ところが彼女は私に「自分は服を脱ぐ事が怖いのではなくて、このミフンという女性の痛みがとても強く感じられるから、それを自分が演じることに怖さを感じる」と言ったんです。その言葉を聞いて、私は彼女に興味を持ち始めました。彼女を変身させることができるのではないかと思ったんです。そうしてまずミフン役をユンジンさんに決めてから、次にインギュ役の男性俳優を探し始めました。この役は男優たちにとって本当にやりたくない役だったようです。「こんなに男優中心の映画が多い国で、どうして私が女優の助演にまわらなくてはならないのか」と、数え切れないほどの拒絶を受けました。そうこうしているうちに、イ・ジョンウォンさんが映画をやりたがっているという話を耳にし、とりあえず会ってみようということになりました。彼はずっとテレビ・ドラマに出ていたのですが、当時は映画をやりたいということで、三ヶ月くらい仕事をせずに休んで遊んでいたそうです。そのおかげて10キロくらい太ってしまっていた。私としてはこの役はあまり男性的ではない人を選びたかったのですが、彼は見るからに男性という感じでした。ですから最初は「あ、どうしようかな」と。でも彼自身はとてもやりたがりましたし、体重も落とすと言うんです。そして共演の女優がキム・ユンジンさんだということをとても喜んでいました。彼は実際に話してみたら誠実そのものでしたし、彼自身、変わりたがっていた。そして監督である私も何か変わりたがっている。だったら皆で変わろう、と彼に決めました。この映画は最初から男優に光が当たるものではなかった。でも彼は良くやったと思います。曖昧模糊でヒストリーが見えないような役をうまくこなしてくれた。本当に誠実な人です。監督の言うことを良く聞きますし、自分が理解できなくてもとりあえず監督の支持通りにやる。それでもできない場合はまた独りで悩む。そういうタイプの人です。この作品でどれほどストレスを受けたのか分かりませんが、その後、出ている映画では本当に男性的な役をもらい、活き活きと演じていますよね(笑)。ミフンの夫、ヒョギョン役を演じたケ・ソンヨンさんは、『血も涙もなく』という作品に出ていましたが、ほとんど新人といっていいと思います。基本的に男性と女性で一人ずつ主演級の俳優を選んだら、他は新人でいきたかった。初めて彼に会ったとき、とても才能があり、声がいい俳優だなと思いました。私はミフンの夫に、普通のメロドラマにおける傷ついた女性ヒロインのような人物像を求めました。夫が悪い人になってしまったら、それで映画がダメになってしまうと思ったんです。浮気をしたから、性格が悪いからということではなく、イデオロギーの面において、夫は敗者となる。「家族を守る」ということのために折れるということです。そういった面からも彼はとてもはまり役だったと思います。 |
画像提供:リベロ |
Q: |
作品の舞台となる慶尚南道の美しい田舎町、南海を選ばれた理由は? |
A: |
まず、舞台としては、慶尚南道でなくてはいけなかった。原作は、南海ではありませんがもともと慶尚南道を舞台として書かれていたから。南海の海というのは、湖のような印象を与えるんです。その雰囲気がこの映画にぴったり合うだろうと思いました。それに、周りにある木々の葉などがさらさらと揺れる感じが、ミフンの心の揺れととても似合う。最初に、この映画の撮影コンセプトを考えたときに、モネの絵が頭に浮かびました。印象派の画家たちが描くような絵、それを思い起こすような映像にしたい。ですから、撮影監督には絵を見せて、「こういう風にして」とお願いしました。それから、これは映画を撮るたびに思うことなのですが、私は自分が感動を受けた映画の監督が撮ったような作品にしたい。もちろん能力の問題でぜんぜん違う映画になってしまう、ということがままあるのですが(笑)。『密愛』の場合は、ルキノ・ビスコンティを意識しました。 |
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Q: |
ロケ地は南海という海のある町を選ばれた。しかし、実際には海が映画の中で大きく出てくることはなく、むしろ室内の場面の方が強く印象に残りました。もちろん、南海という空間自体が非常にいい雰囲気を醸し出していたとは思うのですが、映画の中ではあえてその空間をあまり前面に押し出さず、むしろそれを隠すという表現がなされていたと思うのですが。 |
A: |
ローカリティーを活かそうというつもりは最初からありませんでした。ローカリティーというものを押し出しながら、結局は嘘をついてしまうという映画が多いから。ですから方言は殆ど使わないようにしました。慶尚南道の方言を使ってしまったら私自身、分からなくなってしまいますしね(笑)。ローカリティーを本当に活かそうと思うのであれば、礼儀を持ってちゃんとやらなくてはいけない。私たちにそのような時間はありませんでした。そこが農村であれば、どこでも良かったのです。ですから、むしろ私が南海が良いなと思ったのは、周りの木々の葉の揺れ方ですとか、そういったことです。映画の中で殆ど海が出てこなかったと仰いましたが、それでもやはり重要な部分では海が出てきたはずです。ひとつは防波堤でミフンが夫から殴られるシーン。もうひとつはミフンとインギュが逢瀬を重ねる、背景に海が見えているシーンです。それ以上にあまり海を見せなかったのは、あまり海ばかり見せてしまうと、ミフンがある島に幽閉されている、閉じ込められている、というイメージを与えてしまう怖れがあったからです。また、これは映画の中でどれほど皆さんの目に付くかわかりませんが、ミフンとインギュが外で会う場面では必ずどこか片隅に農夫が働いているようにしました。彼らの恋愛というのは、つまりそういうものなのです。ソウルからやってきた中流階級よりちょっと良いクラスの人たちの恋愛。誠実に、健康に暮らしてきた人たちではない。そういう意味からもローカリティーを生かす必要はなかったのです。映画の中で重要だったなと思う場所は、彼らの関係において、ガソリンスタンド、休憩所の二箇所ではないでしょうか。 |
画像提供:リベロ |
Q: |
今までドキュメンタリーを撮ってきたということが、今回の劇映画を撮るということに何らかの形で反映されているのでしょうか。 |
A: |
全面的に影響を受けたと言えると思います。一つ一つをステップとして歩いてきているわけですから。現場でいろいろなことを変えていくのを怖がらないということ。モニターを信じないということ。撮影中、私は常にカメラの横にいました。スタッフは嫌がっていましたけれど(笑)。スタッフは往々にして監督が少し離れた場所でモニターの横に座っていてくれると自分たちは仕事がしやすいと感じるようです。でも私はずっとカメラの横にくっついていました。そうするとかなり感じるところが違うんですよ。 |
Q: |
ドキュメンタリーと劇映画の撮影現場での違いは? |
A: |
ドキュメンタリーの頃は七人で撮っていました。言ってみればその七人が私のまたといない仲間であり同志であったわけです。でも劇映画の場合は60人近くのスタッフがいて、どの人が自分のスタッフかもわからず、なかなか適応できませんでした。これは私の性格でもあるのですが、何かをするときに皆が私に集中してくれてなくてはならない。でもそういう風にはなかなかいかないんです。自分の仕事が終われば、どこか他所で休憩している人もいる。そのような現場で作業していくことが最初は大変でしたね。 |
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Q: |
撮影中の面白いエピソードなどありますか? |
A: |
キム・ユンジンさんとは毎晩のようにああでもない、こうでもないと話し合っていました。本当に楽しかったですね。ただ、問題は朝方まで二人で話しこみながらも、その内容が映画のことではなかったということです(笑)。撮影中の思い出として一番よく印象に残っているのが、映画の中でミフンが頭痛を訴えるシーン。ユンジンさんは実際そのとき具合が悪く、一週間くらい点滴を受けながら撮影に臨んでいたんです。ですから、あのシーンでは演技ではなく本当に頭が痛かったんです(笑)。で、インギュに出会うシーンの撮影あたりから彼女の具合も回復しだした。それがとても面白かったですね。また、大変だったのは丁度撮影がサッカーのワールドカップの期間と重なってしまっていたこと。そのときは韓国が負けてほしいと真剣に思っていました。ユンジンさんは広報大使ということでしょっちゅう日本に行っていましたし、本当にワールドカップが嫌いでしたね(笑)。 |
Q: |
ラストシーンで『ドナドナ』の英語版が流れますが、韓国では反戦歌として歌われたこの英語版がポピュラーなのでしょうか。 |
A: |
そうでもないですね。日本のように教科書に載っているようなことはありません。最後のあのシーンには、女性を応援するような牧歌的な曲を使おうと思っていました。いろいろ候補曲があったのですが、『ドナドナ』を推薦してくれたのは音楽監督でした。とても強く、前進するイメージを与える曲を使ってしまうと映画全体の雰囲気を駄目にしてしまう可能性がある、と。私もなかなか良いなと思いました。 |
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Q: |
日本の観客、特に女性に対して、この映画を通して何を感じ取ってもらいたいですか? |
A: |
主人公のミフンという女性の気持ちになって観ていただければ、人間の持つ複合性、いろいろな要素が絡み合っているというところを感じていただけるのではないでしょうか。悩みながらも、良い道を選んでいけばもっとうまく生きられるのに、でも彼女はひたすら一生懸命に直進してしまう。ミフンは何一つ自分から始めたことがないんです。でも最終的には自分がしたいようにしてしまう。そういうミフンの気持ちについて行っていただければとても面白く観ていただけるのではないでしょうか。 |
一年ぶりの再会だった。去年釜山国際映画祭が開かれた南浦洞の街角で偶然に出会ったとき、彼女は『密愛』が公開された直後で、(たぶん彼女自ら意図していたか、あるいは予測していたであろう)激しい賛否両論の渦中にいた。
そして一年後、東京で再び彼女に会った。私はこれまで彼女に幾多のインタビューをしてきた。しかし、すでに新作『私の美しいバレエ教室(My beautiful Ballet institute)』(仮題)の準備に入っていた彼女の言葉は、これまでのどんな時よりも率直で明快であった。もう彼女は作ってから一年が経った『密愛』に対して自分なりの評価を終わらせている様に見えた。50分余りのインタビューの最中、彼女はこんなことを言った。
『密愛』は韓国社会で非常に微妙な問題を扱っている。それは新しい世代の女性たちに対して、もしかしたらその最前線の話を伝えてくれるかも知れない。ぜひ劇場に足を運び、観て判断していただきたい。
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