韓国における子供向け映画の質の向上、そしてその地位の向上に命を懸ける男。
1958年1月3日生まれ。1980年に高麗大学食品工学科を卒業。1982年にKBSのコメディアンとしてデビュー。1984年にはKBSコメディ大賞を受賞する。映画は、1984年のナム・ギナム監督作品『辻芸人プンバの打鈴』でデビュー。以後、同監督の『ヨングとテンチリ』シリーズ、キム・チョンギ監督の『ウレメ』シリーズなどの子供映画で絶大なる人気を得る。
1992年の『ヨングと吸血鬼ドラキュラ』で初めてメガホンを取り、1993年にZERONINEエンターテイメント社を設立。創立作品として『ヨングと恐竜チュチュ』を製作し、以後全作品で製作者と監督を兼任する。ちなみに、"ZERONINE"は『ヨングとテンチリ』シリーズで彼が演じたおばかキャラクター「ヨング」を英語表記したもの。
自ら製作・監督を担当した『ヨングと恐竜チュチュ』、『ティラノの爪』(韓国版『ジュラシック・パーク』)、『パワー・キング』、『ドラゴン・トゥカ』はいずれも完成度が低く、低級コメディ映画の扱いを受ける。
1999年に韓国映画史上最高の製作費(110億ウォン)をかけ、最先端のSFXを駆使した怪獣映画『ヨンガリ』を製作。この映画は公開前に272万ドルもの海外プリ・セールを達成し(ただし、その多くは後にキャンセルされる)、一躍時の人となる。そして、彼の企画力、海外輸出を目指した映画作り、ディズニー映画を範としたキャラクター商法などが評価され、『アジア・ウィーク』誌の「21世紀のアジアを先導する先駆者」27名のうちの一人に選定されたり、韓国政府公認「新知識人」に認定されたりした。ただし、肝心の映画『ヨンガリ』はその技術力と「新たに子供市場を開拓した」点は評価されたものの、シナリオの出来の悪さ、どうしようもない俳優陣の演技などが酷評された。
1999年12月に、ZERONINEエンターテイメント社は文化日報と合弁でZERONINE文化アート(ZERONINEアート・ムービー)を設立。
2001年には、1999年に公開した『ヨンガリ』を約30億ウォンの製作費を投入してアップグレードし、『2001 ヨンガリ』という題名で再公開した。なお、日本公開される『怪獣大決戦ヤンガリー』はこの『2001 ヨンガリ』。
初版:1999/12/20
最新版:2001/1/28
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