HOME団体概要support シネマコリア!メルマガ登録サイトマッププライバシー・ポリシーお問合せ



サイト内検索 >> powered by Google

■日本で観る
-上映&放映情報
-日本公開作リスト
-DVDリリース予定
-日本発売DVDリスト
■韓国で観る
-上映情報
-週末興行成績
-韓国で映画鑑賞
■その他
-リンク集
-レビュー&リポート
■データベース
-映画の紹介
-監督などの紹介
-俳優の紹介
-興行成績
-大鐘賞
-青龍賞
-その他の映画賞


アジアフォーカス 福岡国際映画祭2008リポート


  1. Review『7月32日』
  2. 『7月32日』チン・スンヒョン監督インタビュー
  3. Review『見知らぬ国で』

Reported by 井上康子
2008/9/23受領
2009/7/7掲載


Review『7月32日』

 父親に連れられた幼い女の子が、海に臨む美しい丘で、亡くなった母親を偲んでいる。父親マンスは慈愛に満ちていて、幼いコンニムは彼の腕に安心しきって抱かれている。しかし、マンスはいったんナイフを握ると冷徹な殺し屋に変身するという裏の顔を持っていた。ある日、刑事に追い詰められたマンスは、刑事を刺して逃亡を図るが、結局、拘束され収監されてしまう。コンニムは、7月31日の夜に、逃亡前のマンスに「明日、7月32日に迎えに来てね」と言い、マンスは約束する。コンニムが幼さゆえに誤って無邪気に口にした「7月32日」が現実にはないように、マンスの約束が果たされることはなく、彼女は待ち続けなくてはならないことが私たちには予め知らされ、そのことがこの作品を悲哀に満ちたものにしている。マンスに刺された刑事のチャンは重傷を負ったために失職し、妻も息子を連れて去ってしまう。仕事も家族も失ったチャンはマンスへの復讐のためにコンニムを連れ出し、島の売春宿へと売り飛ばしてしまう。


『7月32日』

 チン・スンヒョン監督は互いにはぐれてしまったマンスとコンニムの悲しみに、息子を失ったチャンの悲しみも併せて、愛する者を喪失した激しい焦燥感を巧みに描いている。中でも、丁寧に描かれているのは、チャンの企てにより、父親に捨てられたと思い込んでいるコンニムの複雑な心情で、無邪気な女の子から、長じて悪態をつく娼婦に変貌したコンニムが、父親への思慕の強さと表裏一体である膨らんだ憎悪、そして、逃れられない現実から自虐的になり、リストカットし自身にタバコの火を押し付ける姿からは彼女のヒリヒリした生傷のような痛みが伝わってくる。常にコンニムの傍らにいて彼女を守ろうとするコジャという青年は、母親が売春婦であったために、女性を抱こうとすると、母親のイメージがかぶさり不能となってしまうのだが、コンニムとコジャは互いの存在により、親に対する思慕と憎悪を再確認する。

 売春宿へ売られた娘と父を扱ったこの作品は描き方によっては古臭くドロドロしたものになっていたと思う。ここが本作で長編デビューしたチン・スンヒョン監督の手腕だと思うのは、具体的な時代が浮かび上がらないように背景をコントロールし、さらに海や島の自然の明るい青や緑、マンスとコンニムがすれ違う石段や売春街の色や光を上品に統制し、斬新な映像を作り出しているところだろう。それが、この作品を現代的で軽やかな肌合いをもつものに仕上げている。


『7月32日』ティーチインの模様

 主演のパク・ウンスはさすがの貫禄があり、父親としての慈愛や威厳、殺し屋としての冷徹さを併せ持ったマンスという人物を体現していてベテラン俳優としての面目躍如たるものがある。オーディションで選ばれたというソン・ヘリムはプロ根性で身も心もずたずたになっているコンニムを熱演していて好感が持てる。

 マンスは終盤で命をかけて、彼のやり方でコンニムとの約束を果たそうとする。果たされなかった思いが余韻として胸に留まる。


『7月32日』チン・スンヒョン監督インタビュー

 作品を観る前に目を通した映画祭のパンフで、この作品が高銀(コ・ウン)の短編小説『満月』(1977年)を原作としているとあり、売春宿が舞台になっていることもあり、どこか古くて説話的なものがイメージされました。けれど、チラシの画像やタイトルの「7月32日」という言葉からはたいへん斬新なものが感じられ、そのイメージのギャップから、どのような作品なのだろうと興味をもったのがこの作品との出会いでした。実際に見て、チン監督が新しい感覚でこの作品を作り上げたというところに強い作り手としての思いや力量を感じることもできました。高銀の短編を原作としたいきさつ、また、低予算で作られたことも推測できたので、どのように製作・撮影が進められたかも知りたくてお話を伺いました。


チン・スンヒョン監督

── 高銀は日本でも有名で、彼の短編小説が原作となっていることに興味を持ちましたが、彼の短編を脚色するというのは監督のアイデアですか?

 企画は製作会社が考えたものです。原作のイメージだけをもって来て、クォン・ジェウさんという脚本家が80%は新たに創作して脚本を書きました。高銀先生にもそのことは了解してもらいました。脚本は数十回書き直し、映画を撮る一年前に高銀先生とは正式に契約をしました。脚本も当初は80年代の雰囲気があったのですが、もっと現代的に脚色したいと思いました。父親の職業が最初は闇の屠殺業だったのを殺し屋に変え、クォンさんから提案があった「月影」というタイトルを現在の「7月32日」に変えたのもそのためです。

── 「7月32日」というタイトルは想像力を刺激され印象に残る良いタイトルだと思いましたが、監督が考えたものですか?

 そうです。私が考えました。脚本家の方が提案してくださった「月影」というのは過去志向的で、現代的なものにしたいと考えました。「待っている間に止まってしまった時間」というサブタイトルもついていますが、内容にピッタリ合ったタイトルにしたいとも思いました。

── 低予算で苦労して作られた作品だと思われましたが、いかがでしたか?

 低予算以下の本当に信じられないような劣悪な環境で作りました。商業映画という枠から見たら考えられないような環境でした。「記憶の中のセミ」という製作会社が企画して動き出し、いろいろな支援をいただきました。私は東国大学の映像メディアセンターの博士課程を修了したので、そこからはカメラと編集の機材を無償で貸与してもらえました。プログラム名は今思い出せませんが、申請が通り、国家の映像支援の援助も受けました。釜山でオールロケでしたが、釜山のフィルムコミッションは、私がここで撮影したいと言うと撮影時の交渉までしてくれ、さらに資金援助もしてくれました。私は釜山の東明大学で教えているのですが、撮影のために時間的な配慮をしてもらい、学生の協力者を得て、また、学校の人脈で約100人のエキストラを集めてもらい、といろいろ支援をいただけました。ですので、エンドクレジットの協力者のところにはたくさんの方の名前を載せていて長くなっています。

── 父親役のパク・ウンスさんは貫禄があってはまり役だと思いましたが、キャスティングの経緯を教えてください。

 製作会社から複数の候補者の名前が挙がったのですが、私は彼が一番いいと思いました。会社の方もやはり彼がいいと思っていたようでした。パク・ウンスさんは脚本を見て「欲が出た。やりたい」と言ってくれました。役をうまく消化できる方だし、彼がやってくれることで、良い影響があると思いました。製作環境が劣悪で、こんなひどい環境だったら映画を作れないと思える位だったのに、それでも「やりたい」と言ってくれて有難かったです。彼は脚本を読んで「これは自分の話だ」と感じたようでした。本当に意欲をもってやってくれましたし、彼以外にこの役ができる人はいなかったと思います。

── 今回の福岡での上映が世界初公開で、韓国では未公開だそうで、早く公開されるといいと願っていますが、公開のめどはいかがですか?

 まだ、はっきりしていませんが、10月かそれより少し後に公開できればと思い話を進めています。


取材後記

 白いシャツ・白いパンツ・白いスニーカーで、清潔感にあふれていてまぶしい好青年。20代後半くらいに見えるので好青年と言いたくなるが、実際は30代後半か40代前半のはず。

 ひとつ質問を投げかけると関係したことも含めて丁寧に具体的に話してくださり、エネルギッシュで話が途切れることがありません。お若く見えるのも、エネルギッシュなためでしょう。

 厳しい環境でも、能力のある作り手が情熱を傾けて撮った作品にはきらきらした輝きがあるものですが、この作品はまさにそういう作品です。韓国で公開されていないとうのは本当に残念で、早く公開されることを期待しています。



Review『見知らぬ国で』

 脱北者と外国からの不法就労者のおかれた厳しい実態をきちんと描いた作品でありながら、感傷にひたることなく、ユーモアをちりばめた秀作。キム・ドンヒョン監督の長編デビュー作で2007年の釜山国際映画祭でNETPAC賞を受賞している。

 脱北者のジヌクは教育院での韓国への適応訓練を終え、彼の担当の刑事(治安上の懸念から脱北者は全員が刑事の監視下におかれるのだろう)に自立生活を送るために準備されたマンションに案内される。支給された生活準備金を引き出すのもATMが初めてのジヌクは戸惑い、何もないマンションに一人残された彼は不安と孤独感に押しつぶされそうになるが、思い直して布団を買いに出かける。貨幣価値の違いから布団が彼の予想をはるかに越えて高価であることに驚愕し、クレジットカードで買い物した客を真似てサインしようとすると、店員から現金での支払いにサインはいらないと言われ、あわてふためいてお釣りをもらうのも忘れてしまう。あげくの果てに、外観が類似している高層マンション群から自分の部屋を見つけられず、町を歩き回り、タクシーを捕まえて「家がどこかわからないから連れてって!」と懇願する。


『見知らぬ国で』

 作品前半のジヌクは情けなく、町をさまよう描写が長すぎるという欠点もあり、こんなにタラタラやっていて、どうやって脱北できたんだと思わせられるのだが、作品後半、ベトナムからやって来た不法就労者のティンュンとジヌクのロードムービーとなってからはテンポもよく、言葉が全く通じない彼らの会話にならないコミュニケーションのおもしろさで一気に盛り上がっていく。

 ティンュンは自分を捨てて韓国に渡った恋人を探すためにやって来た不法滞在の労働者だ。彼が不法滞在であるため、勤め先のあこぎな社長は給料も出さないでこきつかう。切羽詰まったティンュンはタクシーからわずかな売上を奪い、高速バスで恋人のいる村を目指すのだが、韓国語の全くできない彼は乗るバスを間違え、面倒を避けたい運転手にも見捨てられてしまう。たまたま、同じバスに乗り合わせていたジヌクも関わり合いたくはないのだが、人の良さに加え、自身が韓国社会で戸惑っている同じ立場であることから、どうしてもティンュンをほうっておくことができない。結局、ジヌクはティンュンを恋人のいる村まで自腹で送り届けることになってしまう。

 村には着いたものの、ティンュンの恋人は業者が仲介するお見合いで韓国の農家の男性とすでに結婚しており、出産間際の大きなおなかをしている。興奮したティンュンがあばれはじめると、すでにそこを去ったと思っていたジヌクが現われてティンュンをかばう。タイミングよく現われて、ティンュンをかばうジヌクの姿は、まるでスーパーマンのようで、彼が格好よく見えてくる。

 韓国語を全く話すことができないティンュンだが、農家の男性に殴られた瞬間、「私を殴らないでください。私も人間です」と突然、韓国語で叫ぶ。その瞬間、ティンュンが韓国にやって来て、いかに悲惨な環境で過ごしたかをみなが知らされる。

 クライマックスは、その後、宿泊することになったモーテルの一室での二人の会話である。ティンュンを励ますつもりだったジヌクが「悲しいのはおまえだけじゃない。おれの妹は中国で売られてしまったんだ」とたまらず泣き出すと、言葉のわからないティンュンは「あなたも恋人と別れたんですか」と自己流の解釈をするので、場内はしんみりしながらも笑いに包まれる。最後にジヌクは「おまえは飛行機に乗れば国に帰れるが、おれは統一されない限り二度と故郷に戻ることもできない」とつぶやく。二人はそれぞれの困難な問題を抱えているが、確かにこれ以上に困難な問題はないであろう。

 作品の中では、ベトナムと韓国の歴史についても触れられている。ティンュンが金を奪ったタクシー運転手は、ベトナム戦争時にベトナムに派兵された経験を持ち、ティンュンによるベトナム語の「動くな」という言葉を聞いて、ベトコンに襲撃された経験を生々しく思い出す。米国を介してだが、敵として戦ったベトナムから、現在は経済格差を背景にして、ティンュンのような不法就労者、彼の元恋人のような業者の仲介による花嫁が訪れており、時代が大きく変化したこともさりげなく示されている。

 ジヌクと対照的に、脱北して長い時間が経過し、タクシー運転手としての仕事にも慣れ、すでに韓国社会に適応できている存在として、ヘジョンという女性も登場するが、「脱北者はなるべく脱北者と関わらないようにする」という彼女の言葉は、韓国で生きるための処世術であるのだろうが、仲間を求めることもできない脱北者の孤独感がリアルに浮かび上がってきて切ない。

 不器用で、自分に余裕がなくても、「困っている人を見捨てない」というジヌクの生き方は、筋が通っていて、それが彼自身を支えるつっかい棒になっていることも伺える。ヒューマンドラマとしても見ごたえがある。


Copyright © 1998- Cinema Korea, All rights reserved.