Review 『黒い土の少女』『宮女(クンニョ)』『ブラボー・マイ・ライフ』『アー・ユー・レディ?』
Text by カツヲうどん
2008/3/2
『黒い土の少女』
2007年執筆原稿
少女ヨンニム(ユ・ヨンミ)は寂れた炭鉱で父ヘゴン(チョ・ヨンジン)、自閉症の兄トング(パク・ヒョヌ)と三人で暮らしている。兄トングは天真爛漫だが毎日トラブルを起こし、妹のヨンニムが彼の母親であり姉でもあった。ある日、父ヘゴンは病気で炭鉱の仕事を辞めることになったが、新しい仕事を持ちかけたブローカーに騙されて財産を失ってしまう。昼間から酒を飲み続けるだけになってしまった父を見て、いつしかヨンニムの胸の中にはどす黒い殺意が沸き起こってくる。
この作品の監督チョン・スイルは、1990年代後期から今までコンスタントに作品を作り続けている韓国でも稀な映画作家の一人。だからそれなりに知られているが、肝心の映画を観ている人はあまりいない。作風は商業主義と大きくかけ離れており、独自の美学であるとか哲学といったものが内包されているものの、難解で退屈なことが特徴だ。かつて『鳥は閉曲線を描く』で無名時代のソル・ギョングを抜擢したり、『犬と狼の間の時間』ではバイ・プレーヤーのアン・ギルガンを主演に起用したりと、先見の明を感じさせる事もあるが、やはり映画は退屈で内向的。「観たい人が観に来て、理解できる人が理解できればいい」という姿勢を貫いている。ただ「つまらない、面白い」とは別に、低予算ながらもこれだけコンスタントに作り続けているという点では、賞賛に値する人物でもある。
今回の『黒い土の少女』は、チョン・スイル作品群の中では、おそらくもっとも普通に作られた作品だろう。江原道の寂れた炭鉱を舞台に、絶望的な暮らしを送る一家を突き放した視点で淡々と描き、とにかく暗い。夢も希望もなく、全てに絶望がはびこり、唯一の救いであった少女ヨンニムでさえ、最後はどん底に自らを突き落としてしまう。正直、何がおもしろいのか、さっぱりわからない映画だし、ヨンニムの行動も唐突過ぎる。ただし、うらぶれた炭鉱の絶望感はきちんと映像に出ているし、それは現代韓国が持ち合わせる社会の虚勢と貧しさの比喩に見えなくもない。そして、元鉱夫ヘゴンの絶望は、今の日本人にも切実に感じられるものだ。
チョン・スイル作品を観たことがない人には、ちょうどいい入門作といった感じの作品だ。
『宮女(クンニョ)』
2007年執筆原稿
李氏朝鮮時代、華やかしき頃。男子禁制の宮廷の一角で宮女ウォルリョン(ソ・ヨンヒ)の縊死死体が発見される。医女チョルリョン(パク・チニ)は徹底した科学的合理性で、それが殺人であることを主張するが、密かに捜査を進めてゆくにつれて驚愕すべき事実に突き当たる。だが、チョルリョンの運命もまた危険なものへと狂わされてゆく。
この『宮女(クンニョ)』は最初ミステリーとして幕を開ける。絶対男子禁制の女宮を舞台にした謎の殺人事件。そしてそれに敢然と立ち向かう近代的思考のヒロイン。だが、話が進むにつれて、物語は「朝鮮女宮残酷史」へと変わって行き、当初のミステリー的展開からは予想もつかなかったようなホラー映画へと転じてゆく。そこにシナリオ的な破綻、節操の無さを指摘することもできるだろうが、一筋縄ではいかない映画になっていることは間違いない。
日本でも人気を博した『宮廷女官チャングムの誓い』が表の存在であれば、この『宮女(クンニョ)』は「真説・裏版チャングムの誓い」だろう。韓国でこの映画に人気が集まったのは、韓国の封建的呪いの醜さ、残酷さをこれでもかこれでもかと執拗に描いたことにあったのではないか。テレビ・ドラマ『宮廷女官チャングムの誓い』も、封建制への怨念が満ちた作品であり、非常に面白い情念のドラマだったが、『宮女(クンニョ)』は映画という利点を生かして、『宮廷女官チャングムの誓い』でチャングムが戦いを挑んだ、李氏朝鮮王朝の奥底で蠢く化け物を正面から取り上げた物語ともいえるだろう。
『宮女(クンニョ)』の医女チョルリョンは、『宮廷女官チャングムの誓い』のチャングムと同じく、合理的で近代的な考え方をするヒロインだ。しかし理性的だからこそ、二人とも悲劇的な運命を辿っていく。『宮女(クンニョ)』の人間関係は絶望的だ。がんじ絡めのルールに従えば衣食住が保証されるが、周りは憎しみと敵意、陰謀に満ちている。そして、油断をすれば即、死に繋がる。ここには白馬に乗った王子は誰も出てこない。男たちにとって女とは子供を生み、性欲を満たすだけの奴婢に過ぎない。
『宮女(クンニョ)』は近年の韓国映画では稀に見る憎しみに満ちた映画といってもいい。女性監督キム・ミジョンが描きたかったもの、それは史劇でもミステリーでもホラーでもなく、女性であることへの激しい憤りであり、韓国社会に対する恨みだったのかもしれない。その激しい情念に突き動かされたかのような演出ぶりは徹底していて容赦ない。画面には宮女たちの涙が血や肉片となって飛び散る。韓国映画を観ていて、生理的にゾッとしたり、血の気が引いたりしたことはほとんどないが、『宮女(クンニョ)』はそんなゾッとする瞬間の連続だった。その残酷さは女性監督だったから出来たのでは?とつくづく感じさせるものだ。
出演者の中では、唖のお針子オッチン演じたイム・ジョンウンがとにかく素晴らしく、彼女の前に他の女優たちは完全に霞んでしまっている。言葉を発することが出来ないゆえ、男にも女にも利用され翻弄され、虐待・拷問されて死んでゆくオッチンの姿を、イム・ジョンウンはセリフ一切なしで演じきる。最後に彼女が恨みを自分の体に縫い付けて息絶えるシーンは絶句してしまう。彼女のキャラクターは端役に過ぎないが、映画の持つ恨みと憎しみをそのまま背負ったキャラだったのかもしれない。
『宮女(クンニョ)』は決して面白い作品ではない。退屈で話も凡庸だが、ドロリと渦巻く生臭い情念には凄まじいものがあって、監督キム・ミジョンの今後を大きく期待させる映画だった。
『ブラボー・マイ・ライフ』
2007年執筆原稿
定年退職を目前に控えたチョ・ミニョク部長(ペク・ユンシク)は、幸せで充実したサラリーマン人生を送ってきた。そんな彼の心残りはミュージシャンとして得意のドラムを人前で披露する機会がなかったこと。だが引退式典を目の前にして、ミニョク部長の元には意外な同志たちが集まってくる。
この映画の宣材を見た限りでは、ほぼ同時期公開の『楽しき人生』によく似た印象を受ける。企画競合は韓国でよくあることだから、この作品もそんな「ソックリ」ものかと思って観にいくと、実は全く異なる内容だった。『楽しき人生』が意図せず会社からリタイアを命じられた中年男の哀愁を描いたとすれば、『ブラボー・マイ・ライフ』は幸せに会社人生を終えることが出来た初老男の美談だろう。
出だしだけは音楽映画を予感させたが、それを過ぎれば万年部長チョ・ミニョクの幸せな引退までの日常が牧歌的に描かれていく。家庭も会社も全て順調、盛大な花道を持って送られていく彼の姿は「平凡であることの幸福さ」を「エゴに忠実に生きる」ことよりも強く説き続ける。そのためか映画は退屈だ。なぜミニョク部長がドラマーにこだわるのか、その理由は音楽的な彼の過去が描かれていないからよくわからないし、傍から見ればそれは幸せすぎる人たちの身勝手な愚痴にしか見えなくもない。会社の人間模様も和気あいあい過ぎて現実味に欠ける。
好きなことで飯を喰おうと志すが現実に挫折して平凡な人生をまっとうする人は日本でも韓国でもたくさんいる。だから、この映画で描かれた初老男たちの「幸せな渇き」は理解できるものだが、『楽しき人生』が運命のいたずらで再び音楽を始めることに比べ、『ブラボー・マイ・ライフ』は全く逆。そこにはドラマが感じられない。会社の人たちが、実は隠れ技で音楽に熟達していたことが判明するくだりは驚きも感動もなく、本編のドラマとも大して関係なくで、結局この作品の目的が「サラリーマンの幸せな会社人生」を描くことであり「音楽うんぬん」といった要素は『楽しき人生』に便乗した宣伝でしかなかったことに、映画を観ていて気がつかされる。もちろん「幸せな定年退職」が正面きって韓国映画で描かれたこと自体は珍事だろうが、結局なんのエンターテイメントにも成りえず、ほのぼのだけでTHE END。これでは観客の多くは騙された気分だっただろう。
ミニョク部長演じたペク・ユンシクは、初老俳優としては珍しく若手アイドル俳優に対し堂々と対抗できるベテラン俳優だが、今回は好々爺しているだけで配役に必然性が感じられない。彼を密かに慕う若いOLユリをイ・ソヨンが演じたが、メジャーになった彼女にかつて持っていた輝きを見出すことはできなかった。唯一格好よかったのがスンジェ課長演じたパク・チュンギュだが、彼も他の人々と同じように、作品を支える役割を与えられなかった。ただし他の俳優のほとんどが首から下の代役で楽器演奏を誤魔化している中、彼だけはリード・ギターをかき鳴らし、ロックを高らかに歌い上げる姿がロング・ショットに耐えている。それだけが『ブラボー・マイ・ライフ』の中で一番真実に近かったようだ。
『ブラボー・マイ・ライフ』は「平凡な幸せ」という普通に思えたことが困難になった今に対する深刻な提訴のようでもあり、現実に夢を見たいファンタジーのようでもあり、虚飾に満ちた作品であり退屈ではあっても、裏側に一筋の真実がちょっとだけあったのかもしれない。
『アー・ユー・レディ?』
2002年執筆原稿
なんともジャンル不明の怪作だ。登場人物たちが各自のトラウマ世界に飛ばされてしまう様子は、まるでP.K.ディックの小説『虚空の眼』を連想させるが、一番近いのがアメリカ映画の『ジュマンジ』だろう。テーマ曲こそ『インディ・ジョーンズ』風だが、内容はアクション・アドベンチャーには程遠い。
物語は、閉鎖された謎のアトラクション施設「R U ready?」に迷い込んだ老若男女のグループが、異世界に飛ばされてしまい、冒険を繰り広げながら自己のトラウマを克服するという、かなり教訓臭いファンタジーもどきだが、その発端が唐突で物凄い。サファリ・パーク内を巡回するバスが、興奮したヒグマの群れに襲われるところから始まるのだ。ヒグマは車内に乱入し、逃げ延びた幾人かが導かれるように問題の施設に迷い込み冒険は始まる。だが、演出は極めて真面目一徹で、ちっとも笑えない。大筋の話こそ子供が書いたような内容だが、登場人物たちの描き方は生真面目そのものだ。もっとコメディー路線か、ギャグに走れば、作品として生き残る可能性もあったろうが、ユン・サンホ監督は、そういったお遊びを一切否定している。劇中、ベトナム戦争のシーンや失恋して自殺を図った高校生時代の様子などが、不必要と思われるほど延々と描かれる。ユン・サンホ監督は、多分こんな娯楽一辺倒の企画は本音ではやりたくなかったのだろう。おかげで映画の後半はかなり退屈である。
出演する俳優陣は全く魅力がない。別に演技が下手だとか個性がない、という訳でもないのだが、誰一人、主人公らしいキャラクターがいないのだ。出演者たちにとっては、大作ゆえ大変なチャンスだったろうが、スターらしいスターがいなかった事も、この作品の興行的失敗を招いた原因だったのだろう。
この映画は2002年の7月に公開され、すぐ劇場から消えてしまった。既に忘れ去られた映画だが、1999年度の怪作『建築無限六面角体の秘密』に匹敵する珍品だから、変則的な韓国映画が好きな方は一度観てはいかがだろうか。ちなみに私はDVDで鑑賞したが、購入した際のエピソードが、この映画の運命を象徴しているようでおかしかった。私はお店で物色している際、「何をお探しですか?」と若い男性の店員に聞かれたので、「『アー・ユー・レディ?』ありますか?」と聞いたところ、その実直そうな青年は一目散に洋画の置かれた一角を探し始めたのである。そこで「いやいや、韓国映画の『アー・ユー・レディ?』ですよ」といったところ、彼は困惑して「ありません」。そんな作品である。
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