HOME団体概要support シネマコリア!メルマガ登録サイトマッププライバシー・ポリシーお問合せ



サイト内検索 >> powered by Google

■日本で観る
-上映&放映情報
-日本公開作リスト
-DVDリリース予定
-日本発売DVDリスト
■韓国で観る
-上映情報
-週末興行成績
-韓国で映画鑑賞
■その他
-リンク集
-レビュー&リポート
■データベース
-映画の紹介
-監督などの紹介
-俳優の紹介
-興行成績
-大鐘賞
-青龍賞
-その他の映画賞


Review 『浮気日和』『里長と郡守』『情事 セカンド・ラブ』『ライターをつけろ』

Text by カツヲうどん
2008/1/6


『浮気日和』

2007年執筆原稿

 男尊女卑という概念が、いつ頃どこで生み出され広まっていったのかは私にはわかりませんが、どこでも男性より女性の方がしたたかであり、感性の自由度という点では男性より先を進んでいると感じている人は結構いるはず。でも、それは男女の優位性とかいうものではなくて、なにか別の仕組みなのでしょう。ですから今日、日本と韓国を比較する時でも、「男尊女卑」だとか「開放的だ」とか「先進的だ」とか、口先だけの比較や表現は単なる誤解のもと。その大意は間違ってなくても、全てでもない時代に突入して久しいのではないかと思うのです。

 この『浮気日和』の女性像というものも、従来のフィルターで見てしまうと、単なるエセ・フェミニズムに見えてしまうかもしれません。でもここで描かれた女性像は、自由奔放というよりも、男性視点で見た「女って自由でいいよなぁ」といったイメージが強く、監督チャン・ムニルが日ごろ持っている女性への憧れや羨望といったものが投影されていたのではないでしょうか。

 本作で特徴的なことは、男性のキャラクターはどうでもいい存在であり、そして女性キャラクターたちは格別に夫や家庭に不満を持っていて不倫に興じている訳ではない、ということでしょう。結婚して家庭を持っても、恋愛の自由が消失するわけではなく、恋を求め続けるその姿は、ずうずうしくも逞しいといった感じで、それに反感を覚えた一部男性諸君も実は心の底で納得していたのでは?

 イスル/露(キム・ヘス)の大学生との火遊びが発覚し、旦那(パク・サンミョン)がラブ・ホテルに警察と乱入するシーンは印象に残りますが、これは韓国社会の保守性を糾弾したもの、というより、世の変化に対応できずおろおろするのは男性ばかり、といった自嘲的皮肉の方を強く感じました。またプレイ・ボーイのはずだったヨウ・ドゥマリ/狐二匹(イ・ジョンヒョク)が人妻チャグン・セ/小鳥(ユン・ジンソ)をいつも肝心なところで落とせなくて、相手の要求する通り、いつも瓶ビールを抱えて(なぜ瓶ビール?というところが^∀^)あたふたする様子も、そういったユーモアだったと思います。

 出演者の中ではユン・ジンソが光っています。最近まで女の子的な役ばかりといった彼女でしたが、ここ2年ほどその個性を開花させ始め、20代の若手女優ではもっとも注目株のひとりといえるでしょう。不倫相手のヨウ・ドゥマリ演じたイ・ジョンヒョクは珍しく三枚目。でも彼の持ち味がほどよく利いていて、大げさでベタになっていないところが二重丸。

 監督のチャン・ムニルにとっては1999年の『幸福な葬儀屋』以来、久しぶりの新作でしたが、今回も人間愛いっぱいの視点と、良い意味でのシュールさは健在です。彼の作風は地味ではありますが、伝統的なものと先進性をほどよくミックスさせているところが特徴で、これからもコンスタントに映画の中で人間を描いていってほしい監督といえるでしょう。


『里長と郡守』

2007年執筆原稿

 江原道の山奥で農業を営むチュンサム(チャ・スンウォン)。彼の前に20年ぶりに姿を現した小学校時代の旧友デギュ(ユ・ヘジン)は大出世を遂げていた。昔の因縁にこだわって、出世した友人に対抗しようとする主人公の姿を軸に、故郷と人のあり方を問いかけるヒューマン・コメディ。

 映画の題名はまるで日本の時代劇のようですが、韓国の行政区分は大まかにいうと「道>直轄市>市>洞」もしくは「道>市>郡>邑>里」になっていて、日本式に平たく訳せば「町内長さんと市長様」。「郡守」という役職の概念は、日本ではイメージが沸きませんが、劇中、郡守になったデギュが、地域振興目的のために、核廃棄物処理場誘致を計画し、それを巡って大騒ぎが起きることからも分かるように、それなりの権限を持っている行政職です。

 さて、本作品はチャン・ギュソン監督お得意の田舎を描いた映画。今までで最も監督の故郷、江原道の生活を正面から描いた作品といえそうです。韓国映画には田舎を描いた作品が以前から何本かありましたが、どこか都会的で冷たくて作為的な視点を感じることも多く、真に田舎そのものを描いた映画は意外とありそうでありません。でもこの『里長と郡守』で描かれたものは、かつて自分が日本のド田舎で体験した記憶そのもの。チャン・ギュソン監督はデビュー以来、『おもしろい映画』を除いては全て地方をテーマにした作品ばかり作っていますが、今回の『里長と郡守』を観ると、下手に他の路線に手を出さないで「田舎」にこだわって突っ走って欲しい、と思うくらい本作で描かれた田舎の風景は、質感をともなって巧みに捉えられています。格別強調した表現をしている訳ではないのですが、映画で人々が農業を営む姿には自然相手に黙々と仕事に対峙し、日常を送る専業農家のリアリズムといったものが圧倒的に感じられ、監督自身の記憶がそこには込められているのでしょう。

 映画のお話は、不満を抱えながら故郷に留まり農業を営むチュンサムと、都会に出て郡守として故郷に錦を飾って帰ってきたデギュの因縁が主題にはなっていますが、その対立は決して殺伐としたものではありません。故郷を出たくても出られなかった者の、故郷を出て出世した者への、妬みや羨望といった人間臭い業がきちんと織り込まれていて、非常にリアリティを感じます。これはおそらく、故郷において勝ち組の一人であるチャン・ギュソン監督の実体験がかなり入っているのではないでしょうか。

 総体的に観れば、コメディとしては半端だし、社会派作品かというとそうでもなく、主人公二人の描き方もワン・パターンで底が浅くてあまり魅力的ではありません。でも、田舎そのものを描くという点で、比類ない説得力を持っているので、人間ドラマとしては決して悪くありません。ただし、笑えるかというと決してそうでもないし、深く胸に染み入るかといえば、やはりそれも難しくで、表題に『里長と郡守』と掲げた以上、もっと政治的な内容に挑戦してもよかったのでは、とも思いました。

 実際、映画で一番秀逸なのは、チュンサムが反対派を率いて、郡庁前でハンガー・ストライキを行う一連のエピソードです。一応、ハンガー・ストライキを行い、火炎瓶は飛び機動隊と揉めますが、それはかつての命を賭けた闘いとは全くの別物。どこか牧歌的であり危機感が全くありません。チュンサムがハンスト中に腹をこわして下痢で苦しむシーンは、彼の邪念に対する皮肉のようで下ネタですが笑わせてくれます。

 本作はチャン・ギュソンらしい、のんびり感覚溢れる、ある意味ノンキな映画。それがいいか悪いか、人によって異なるでしょうが、平和で豊かな今の韓国の断面を切り取った作品であることは間違いないでしょう。


『情事 セカンド・ラブ』

2007年執筆原稿

 アメリカで不法滞在を続ける青年ジハ(ハ・ジョンウ)。まともな仕事に就くことは出来ず、その日の暮らしにさえ困る生活を送っていた。ある日、その彼の前にアメリカ人女性ソフィー(ヴェラ・ファーミガ)が現れ、自分と寝て妊娠させたならば高額の報酬を支払うと持ちかけてくるのだが。

 この作品、若き韓国人女性監督キム・ジナのもと、アメリカと韓国のスタッフそしてキャストが協力し製作された作品ですが、日本でもこの手の合作作品が中途半端でムズムズすることがほとんどであることと同じように、『情事 セカンド・ラブ』もまた、あくまで新人監督の習作レベルに留まっている作品です。しかも、若手監督らしい先走った実験的作品でもあるため、一般の劇場で上映するには非常に疑問を感じる作品でもあって、映画が終わると劇場の観客は皆「ポカーン」状態。監督のキム・ジナは映像作家として注目を集め、アメリカに留学。その後もアメリカで活動しているようですが、その手のクリエイターにありがちな独りよがりで冷静さに著しく欠けた感覚が全編を覆っていて、見苦しいものを感じます。独断的であっても、それを超える魅力があればまだよいのですが、そうであるにはストレート過ぎる監督なのかもしれません。

 この映画の物語、そして登場人物たちの行動は、男性と女性によってかなり異なって映る事でしょう。男性の視点で考えれば屈辱的であり、女性の視点で考えれば汚らわしくで、キャラクターたちの行動を受け入れられない人たちがたくさんいても決しておかしくありません。しかし、うそ臭くても人間の持つ裸の部分というものも、それなりに表現できていたので共感した人もいたとは思います。この映画で唯一優れていたと感じたのは、アメリカで暮らす韓国系社会にいつものように固執せず、あくまでも日常の感覚での登場人物像を追う努力をしていたことでした。そこら辺はアメリカに留学していたキム・ジナ監督の体験を感じる部分でした。

 ジハ演じたハ・ジョンウはそこそこがんばっていて、英語のセリフもそれなりにこなれています。しかし、彼としては標準的な出来栄えといったところ。ソフィー演じたヴェラ・ファーミガは、舞台出身なのが災いしたのか時代錯誤の古典劇のような演技の連続。興ざめです。彼女自身は非常に真面目に役作りに取り組んでいたとは思いますが、演出側の意図と俳優側の解釈が微妙に食い違っているように見受けられ、歯がゆいものを感じました。なお、ソフィーの夫アンドリュー演じたデイビット・マッキニスは演技以前の問題。ちょっとこれではいくらなんでも…な演技力。ここら辺のキャスティングこそ気を配って欲しかったところです。

 しかし、そういったことよりももっと気になったのは、全編を貶める映像の雑さです。本作のような低予算合作は、正規ユニオンに所属している腕のいいスタッフを雇うことが難しいという事情もあるのでしょう。映像が貧相なのは仕方ないことではあるのですが、全編プロが担当したとは思えない、いい加減な映像の連続。特に照明は悲惨の一言。これだったらVTRで撮った方が遥かによかったのではないでしょうか?

 『情事 セカンド・ラブ』という映画は正直、色々な点で、かなり無理を感じる作品であって、どこかヒステリーで排他的なものを感じさせます。個人的にはあまり共感できない作品でしたが、観客の大半を占めていた韓国人女性たちも最後は「なにこれ?」大合唱。果たしてこれは監督が意図していたものだったのでしょうか?


『ライターをつけろ』

2002年執筆原稿

 主なスタッフと配役は、破壊力一杯の『アタック・ザ・ガス・ステーション!』と、元気一杯な『新羅の月夜』の混合部隊。しかも列車アクション&コメディときては、期待に胸を膨らませる方々も多かったに違いない。だが、映画はそんな予想とは裏腹の、実にのんびりした『釣りバカ日誌』のような牧歌的ともいえるコメディに仕上がっている。

 実はこの作品、最大の見所が、セマウル号内部で繰り広げられるドラマではなく、前半に描かれた予備兵役鍛練の様子なのである。まさに韓国ならではの風景であろうし、こんなに直接的に描かれたのは韓国映画では初めてではないだろうか? 普段、日本人にはうかがい知ることの出来ない韓国社会の断面と、現在の風潮をかいま見ることが出来て、ここだけでも観る価値が十分ある。

 主演のチャ・スンウォンは、チンピラ頭の役を実に楽しそうに、余裕すら持って演じており、数年前の彼を思うと嘘のようだ。この作品で彼は三枚目俳優のブランドを確立させたといっても過言ではないだろう。もう一人の主役、失業者ボング役のキム・スンウは、脱力系の駄目な三十路男を地味ながら的確に演じている。彼の駄目ぶりは日本の同世代には笑えないものがある。

 その他脇役陣も映画やテレビでおなじみの個性的な面々が周りを固めている。特に一番おかしいのがボングの友人役で、異様なおしゃべりを演じるカン・ソンジンだ。女優陣は残念ながら彩り程度で、全員不発だが、演出側としては元々この映画で野郎どもを描くことしか念頭になかったのだろう。なお、秒数は短いものの韓国映画では非常に珍しい大がかりなミニチュア・ワークが使われている。

 派手な内容を期待すると肩透かしを食らうが、年配の観客にも優しい、ほのぼのとした映画と考えれば決して悪くない作品だ。


Copyright © 1998- Cinema Korea, All rights reserved.