Review 『D-WARS ディー・ウォーズ』『最強ロマンス』『キム館長対キム館長対キム館長』『ザ・ブライド 花嫁はギャングスター2』
Text by カツヲうどん
2007/12/9
『D-WARS ディー・ウォーズ』
2007年執筆原稿
アメリカのLAに突如出現した謎の怪物イムギ(大蛇)。事件を取材したイーサン(ジェイソン・ベア)は、自分がいにしえの朝鮮に生を受け、現代に転生した人間であることを知る。そこには世界の存亡を賭けた白龍と黒龍の死闘伝説が秘められていたのだ。
この作品、純然たる韓国映画であるか否かは、ちょっと意見が分かれそうな作品です。なにせ、舞台も主要人物もスタッフもアメリカと、「どこが韓国映画?」の印象が一杯だからです。しかし、映画を観てみれば一発でこの『D-WARS ディー・ウォーズ』は立派な「韓国映画」であることがわかるでしょう。監督のシム・ヒョンネが『怪獣大決戦ヤンガリー』の後に韓国で製作していた企画を、仕切りなおす形でアメリカに移動させ、時間とお金をかけて完成まで漕ぎ着けた作品のようですが、アメリカを舞台にしていても、かなり力を注いで物語の因縁が朝鮮時代から始まったものであることが説明され、映画はあくまでも韓国のもの。アメリカを舞台にしたのは、主人公たちの魂が輪廻転生した先が現代のLAに過ぎなかったということを強調し訴えています。
例えるならば「アメリカ版『銀杏のベッド』」。そこからラブとメロを排除して、怪獣を加えたような映画でしょうか。とにかくベタでストレート。一歩間違えれば失笑の連続になりかねないシーンが一杯ですが、前作『怪獣大決戦ヤンガリー』とは全く異なり、軽快に物語が進んでゆくので、気になりません。こういった作品につきものの、アメリカ側の不自然さ、未熟さ、安っぽさ、演技のひどさなど、何一つクリアしていないのに、映画の根底からメラメラと燃え上がる情念とスピーディーな展開が、そういった事をまったく感じさせないばかりか、執拗な「これは韓国の伝統的な物語だぁ!!」というゴリ押しがうまく効いていて、全編が力強さと軽快感で彩られた不思議な映画になっているのです。映画の前半、世界の支配を狙う黒龍・ブラキ率いる悪の軍団が、朝鮮の町に押し入って大虐殺を行いますが、そのミスマッチも魅力的です。正直いって、あまりにも対称的な要素を、こんなにストレートに並べて世界観が成り立つのかと疑問でしたが、驚いたことに違和感がありません。現代のLAにブラキが突然復活。白龍の刻印を持ったイーサンとサラ(アマンダ・ブルックス)を追い回し、まわりに大迷惑をかける様子はまさに『銀杏のベッド』そのままで、ご愛嬌です。
監督のシム・ヒョンネは韓国では有名なコメディアンだったので、ぶち壊しのお笑い一杯かと思えばまったくそういうことはなくて、幾つかのギャグも適材適所で効いており、好感が持てます。そして、ブラキ軍団が街中で暴れ始めると、映画は今までの日本の怪獣映画でもハリウッド映画でも観たことがなかったような、阿鼻叫喚の凄まじいものになって行きます。9.11テロや大地震以降の「自主規制」といった遠慮が全くなくて、とにかくシム・ヒョンネが求めるイメージを強烈なパワーで描いていきます。誰が死のうとまったくのお構いなし。「情無用」という点ではマイケル・ベイの『トランスフォーマー』を超えてしまったといっても過言ではありません。イムギとアメリカ軍の戦いも、怪獣映画やミリタリー・マニア垂涎のイメージが連続。攻撃ヘリと怪獣の本格的な戦闘をここまでしつこく描いたという点で、しばらく語り草になりそうなくらいです。
もうひとつ、筆者が見ていて意外だったのはVFXにかける姿勢です。その完成度は別にしても、爆発などミニチュアを使った方が確実な質感が出るカットはきちんとミニチュアを使い、その他でも実写との絡みがきちんと出来ているので迫力満点。デジタル特有のたるさは感じません。この手のパートは、韓国では歴史が浅いため、どうしても「なんでもデジタル」に寄りかかりっぱなしになってしまうのですが、監督のシム・ヒョンネはそこら辺もきちんと理解していて、こだわりがあった人のようでした。
VFXは総じてアメリカの会社が担当しているようで、完成度は高いものですが、幾つかのカットは韓国で作られたもののように見受けられました。ですから各シーンの出来栄えは、けっこうデコボコしているのですが、これもまた編集がスピーディーなので気になりませんし、「ミニチュア破壊の快楽」という独特の魅力もちゃんと出ています。
この映画は、具体的な内容を直前まで伏せておいて、公開と共に大々的に宣伝を打ち上げる方法がとられましたが、映画自体が前々から色々と噂になっていたこともあってか、2007年の韓国映画一番の大ヒットになりました。この手の映画は、どうしても韓国の市場では苦戦を強いられるのが常でしたが、『グエムル −漢江の怪物−』のヒット以来、一般の認識が変わったのかもしれません。
映画の最後は決してハッピー・エンドではなくて、これまた『銀杏のベッド』のような最後を迎えますが、「アリラン」のメロディに乗って、シム・ヒョンネ監督が『D-WARS ディー・ウォーズ』にかけた熱い執念が長々と語られてゆきます。ここら辺は、日本では色々と取り沙汰されそうですが、韓国の観客の心を強く打っていることも間違いないでしょう。
とにかく、この『D-WARS ディー・ウォーズ』。今まで観たことがない韓国映画であり、他と比較しようがありません。巨額の製作費ゆえ、韓国でいくら大ヒットしても利益をすぐに出すのは困難でしょう。しかし、そういったことなどまったくお構いなしに、怪獣映画に全てを賭けた一映画人の熱い情念が、とにかく画面から激しく吹きつけて来て、圧倒される作品です。ここまで凄まじい情念が滲み出た韓国映画は、筆者にとってキム・ギドク監督の『受取人不明』以来だったかも。賛否両論、そして色々な攻撃にさらされる性格の映画かもしれませんが、とにもかくにも劇場鑑賞必見の映画、と申し上げておきます。
『最強ロマンス』
2007年執筆原稿
気が強く恋人ナシの女性記者チェ・スジン(ヒョニョン)と、仕事は出来るが先端恐怖症で失態を重ねる刑事イ・ドンウク(カン・ジェヒョク)の恋を軸に、警察と麻薬組織の闘いを描いたコメディ・アクション。
『救世主』でスマッシュ・ヒットを飛ばしたキム・ジョンウ監督が前作同様、低予算でサクサク撮り上げたような映画が、この『最強ロマンス』。ネット新聞の記者がヒロインだったり、職場で活躍するお局女性がヤクザ相手に大暴れだったりと、意外にフェミニズム性が強く、その姿勢も真面目。人間像も結構きめ細かく描かれていたりして、監督とシナリオ作家の志向性が感じられた作品でした。つまり両者とも好きでコメディを作っているわけではなく、仕事として割り切って撮っているのでは?ということなのです。こういったことは韓国映画界ではごく常識的なことなので、いまさらどうのこうの発言する気はありませんけど、その資質と企画のズレがまた、本作を笑えない作品にしてしまったのかな、とも感じました。
話自体はマンネリもマンネリ。そこに角の立ったキャラクターを加えることで時事風のコメディになるよう試みた感じですが、いかんせんバランスが悪くどっちつかずで、かなり退屈です。また、キム・ジョンウ監督の前作『救世主』は、チェ・ソングク&シニという脇役系俳優の主演ながらも、実質かなり強力なキャスティングだったので、内容はしょぼくても、それなりに観客を引っ張る力があったのですが、ヒョニョン&カン・ジェヒョクのペアは、主演を張るにはちょっと弱すぎ。麻薬組織のボスをチャン・ヒョンソンが演じていて、最後に派手な立ち廻りをしますが、体がなかなかよく鍛えられていて、「プロだねぇ」とへんなところで感心しただけでした。映画の最後でスジンの先輩にあたるオ女史が泥酔して大暴れしますが、演じていたチョン・スギョンがなかなか魅力的なキャラだったので、これだったら彼女をもっと話の中心にすればよかったのに、とも思います。
本作はよくある低予算コメディ。特筆すべき内容ではありませんが、無駄な話題作が増えすぎた韓国映画界の中で、原点回帰を目指した作品だったのかもしれません。
『キム館長対キム館長対キム館長』
2007年執筆原稿
この映画は絵に描いたような「バカにされるコメディ」。つまり評論家は端からゴミ扱いし、観客はバカにして観にいかないという、最低映画の烙印を最初から押されたような映画です。実際、私が韓国で観ていた時も、こんなに途中退場者が多かった経験は初めてでした。しかし、私はこの映画を観ているうちに、実は崇高なテーマが作品の裏にはあって、それが韓国の一般論にそぐわない少し進みすぎたものだったからこそ、商品としてうまく機能しなかったのではないか?と直感したのです。その崇高なテーマとは「中国・韓国・日本の共存」という大きなメッセージ。
最近の作品では『青燕 あおつばめ』が「隣人・日本との共存」を明確なテーマとして掲げ、映画自体は非常に良い作品だったにもかかわらず、韓国でありがちな無責任かつ心無いネット世論の攻撃を受けて失敗したことは記憶に新しいところですが、この『キム館長対キム館長対キム館長』は、同じようなテーマをさらに大きく拡げたように感じた作品だったのです。そして、韓国の観客が途中退場した理由が、この映画から「三国の共存」というメッセージを感じとり、無意識にそれを拒否したことにあったとすれば、我々日本人としては隣人・韓国人と付き合うことの難しさを改めて痛感させられる出来事でもあったのです。
映画の舞台は田舎町の一角。そこにはもともと、テッキョン(韓国の古武道)と剣道(日本の剣道)の道場があって、経営者である二人のキム館長(テッキョン道場=シン・ヒョンジュン、剣道道場=チェ・ソングク)はライバル関係。いつもせこい争いを繰り広げていますが、実はとても仲良しで、困ったことがあれば助け合っていたのでした。そこに何をやっても卓抜した、もう一人のキム館長(クォン・オジュン)のカンフー道場がやってきたことから、テッキョン・キム館長と剣道・キム館長は共闘して立ち向かうのですが、三人はすぐに仲良しになり、今度は外からやって来たヤクザ一派に戦いを挑むことになります。
三人のキム館長が普段ライバル関係にあっても、互いの違いを認め合あった近所の仲良し同士でもあり、危機が迫れば共に闘う、という姿は「中・韓・日の共存」というヴィジョンそのもの。以前、日本のテレビ番組で、あるアメリカ人タレントが「政治では相手を非難していても市民レベルでは皆仲がいいじゃないか」という発言をしていたことがありましたが、それは『キム館長対キム館長対キム館長』で描かれた三人キム館長の姿にピタリと重なり、私はそこに気がついた時、衝撃を感じたのでした。また、テッキョン・キム館長の息子は剣道やカンフーの格好よさに魅かれるたびに、あっちふらふら、こっちふらふら。これは若い韓国人の姿そのものに見えます。
もし、私の考えが大げさな勘違いでないとすれば、実は『キム館長対キム館長対キム館長』は進んだ思想を背景に持った、決して侮ってはいけない映画である反面、こういった「バカコメディ」の体裁を被らないと、テーマを「前向き」に謳えないことも現実である、ということなのです。
日本でも「韓流ブーム」のおかげで日本と韓国の合作が作られる機会は増えましたが、そこでは互いをパロディにして笑い飛ばすような気軽さはタブー。そういった自由な表現を許さないところは日本も韓国も似たようなもの。しかし『キム館長対キム館長対キム館長』のように、こういったテーマをお笑いで表現した作品が先に韓国から出てきたことは、「結局日本における韓国ブームはなんだったの?」とがっかりしてしまいます。いまだに韓国側の顔色を伺い続け、「過去を乗り越え反省し仲良くしましょう」とセリフでいっているようではだめだと思うのですが。特定国家や文化への関心というものは基本的に個人的な事柄であり、行政や企業が率先して友好イベントを行うこと自体、もう政治的な虚言であって、そもそも映画やテレビ・ドラマでこうしたメッセージを公に扱うことは、おかしな気もします。
本作が日本で公開されても評判になる可能性はゼロですし、韓国で客が入らなかったのも当然のしょぼいコメディだったことは事実ですが、『キム館長対キム館長対キム館長』のような作品が日本でも一刻も早く出て来て欲しいと強く感じてしまったのも正直な気持ちでした。
なお、出演者の中ではクォン・オジュンが傑出しています。彼はテレビよりも映画の方が映えるという珍しいタイプの俳優で、演技力も優れてかなりのポテンシャルを持っていると思います。本作だけではわかりにくいと思いますが、興味があれば他作品と見比べてください。また、日本ネタのギャグが多々ありますが、日本語のネイティブか、かなりの事情通が背後にいる気配があって、日本人の方がより笑えるのではないかと思います。
『ザ・ブライド 花嫁はギャングスター2』
2003年執筆原稿
『花嫁はギャングスター』シリーズ第一作は、B級に徹した娯楽アクション・コメディのように見えながら、松竹喜劇映画『男はつらいよ』や『釣りバカ日誌』を愛するチョ・ジンギュ監督のこだわりが見え隠れする作家性の強い映画だった。
今回の作品は、そんな一作目とは打って変わって、アクションとギャグ、人情ドラマを、どれだけ映画に詰め込める事が出来るか、を目指したかのような、思い切った娯楽快作に仕上がっている。チョン・フンスン監督の手腕は、彼の前作『大変な結婚』の時よりも、キレが鋭くなり格段に洗練されたようで、カン・ウソクの名作『トゥー・カップス』すら連想させてしまう。
物語は、第一作からのヒロインであるウンジン(シン・ウンギョン)が、死闘の末、ビルから転落し記憶を失うところから始まる。前作でおなじみの彼女のファミリーは、ほとんど出てこないが、心配は無用。そうしたハンディを逆手に取った巧妙な脚本により、人情喜劇として抜群に面白いコメディに仕上がっているのだ。
主役のシン・ウンギョンにとって、この武闘派ウンジン役は、まさに一世一代のはまり役である事は間違いない。シリーズ自体がヘタっても、この役柄は続けて欲しいと思う。ウンジン役の演技に余裕も出て来たようで、時々アドリブを楽しんでいる様子すら伺える。
今回、一番魅力的なのは、中華料理屋の親父を演じたパク・チュンギュ(テレビ・ドラマ『野人時代』に出演)だろう。渋い声に、独特の抑制された演技は、役柄の人間的魅力を非常に深くしている。ヒロインと対立する白鮫組の頭を演じるチャン・セジン(これまた『野人時代』に出演)は、前作とは全く異なる演技を見せ驚きだ。今までの彼は、映画でもテレビでも、どちらかといえば寡黙で、ボーッと突っ立っている印象が強かったが、今回は快活な三枚目を演じて見せ、まるで別人である。第一作の強面(こわもて)印象からは想像も出来ない。
この『ザ・ブライド 花嫁はギャングスター2』は、前作を観ていないと笑えないギャグもあるし、話自体も尻つぼみ、こじんまりと収まってしまったきらいはあるものの、テンポとキレの良さはそうした弱点を補って余りある程のものだ。チョン・フンスン監督のセンスが、非凡なものであることを改めて証明した作品であると同時に、2003年度の韓国コメディ映画においても、屈指の愉快で楽しい作品であることは間違いないだろう。
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