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Review 『シークレット・サンシャイン』『極楽島殺人事件』『京義線 レイルウェイ・ラブ』
『オールド・ミス・ダイアリー 劇場版』

Text by カツヲうどん
2007/12/4


『シークレット・サンシャイン』

http://www.secretsunshine.co.kr/
2007年執筆原稿

 夫を亡くしたシネ(チョン・ドヨン)は、息子ジュンと共に、ソウルから慶尚南道・密陽に移り住む。そこでピアノ教室を始めるが、彼女の気持ちは不安に苛まれ落ち着かない。やがて息子が知り合いに誘拐され、殺害されてしまう。それをきっかけに、シネの心はバラバラに壊れ始める。

 撮った映画は本作を入れてまだ4本目ですが、既に韓国を代表する名匠となったイ・チャンドン監督。社会の弱者、阻害される人々、家族という名の下で苦しむ人々を描かせたら、彼の右に出る者はいないでしょう。そして、イ・チャンドンの宗教的視点が本作では一番出ていたのではないでしょうか? 映画のテーマ自体は宗教そのものを扱っているわけではありませんが、ヒロイン、シネが近所のおせっかいオバサンに誘われて、地元のカルト系キリスト教団体に入ってしまい、自らその活動を疑問に感じつつも、息子を失った悲しみ、精神のやりどころの無さをそこに求め、やがてそれらが何の救いも生み出さない形だけのものであることを知った時の、シネの心の変化と行動、そして壊れてゆく姿には、今までの作品で最も監督が抱えているであろう、エゴと信仰心の拮抗が出ていたように思えました。

 今回の『シークレット・サンシャイン』では、今までのスタイルをすべてリセットし、新たな作品を目指そうとする姿勢が非常に感じられました。今まではどちらかというと、韓国社会が抱える暗闇とそこで暮らす市井の人々の姿をストレートに描き続けてきましたが、今回は映画という最低限の枠内で、一人の人間の内面を徹底的に追って描く、といったスタイルになっています。ですから、物語はあって無きに等しいものです。ただ、粗筋だけでいえば『私のちいさなピアニスト』や『あいつの声』と明らかに被ってしまっていたので、ちょっと残念でした。作品的には全く関係ないことですが、観客はそういった印象に敏感だからです。

 残念ながら、これまでの作品と比べると、個人的には『シークレット・サンシャイン』が一番物足りない作品であり、やたら長いだけで、そのテーマもいまいち伝わって来ませんでした。そして主演二人、そして脇を固める俳優たちの演技も、確実で間違いないことは疑いありませんが、今までのイ・チャンドン作品の中では、どうしても全てが弱く、散漫な印象が免れません。主人公シネの精神崩壊はチョン・ドヨンが持つクレバーさ、その器用で柔軟性溢れた演技ぶりが鮮やかであり、本作一番の売りになっているのでしょうけど、それゆえ心に残りませんし、彼女を巡る人々もまた、あまりにも弱く薄いので、その熱演が活きてきません。ソン・ガンホはシネに密かに心を寄せる中年チョンガー、ジョンチャンを無難に演じていますが、本作においてはあくまでも第三者的な位置にしかなく、主演とはいえません。どちらかといえばゲスト的な役割に過ぎず、イ・チャンドン作品の魅力である、人間たちの濃厚で複雑な関係とぶつかり合い、といったものからだいぶ距離を感じてしまいます。ですから、あっさりしていて物足りないのです。

 また、シネを取りまく田舎の人々との差異、カルト教団との関係など、もっと執拗に描くべきであったと思うのですが、そこら辺もやたらあっさりしていて、通り一遍。映画が始まって半分以上を過ぎても話が進むようで全く進まず、「なんだかテーマが見えてこない映画だなぁ」と不満に感じ始めた頃、誘拐事件が発生し、カルト教団を巡るエピソードが描かれ始めます。「やっとここから、イ・チャンドン監督の挑戦が始まるのかな?」と思って期待をするのですが、それもまたあっさりかわされ、延々とシネの精神崩壊が描かれ続けます。また、誘拐犯の娘との関係がしばしば重い意味を込めたように挟み込まれますが、これもまた、どこか尻切れトンボであり中途半端です。そうしているうちに映画は終了。

 『シークレット・サンシャイン』で監督が何を描きたかったのか?については、今回色々な解釈が成り立つでしょう。一つはコミュニケーションの断絶であり、人は他人を救えるか?という問題提起であり、人が自分を救うのは結局は自分自身でしかない、といったメッセージを汲み取ることはできます。でも、最初から最後まで、一貫して焦点がズレ続け、観た後はとにかく物足りない印象ばかり強く残り続けるのでした。イ・チャンドンの演出方法とは、私が想像するに、カリスマ性だとか理論性だとか、相手を屈服させる方法ではなくて、互いの心の繋がり、あうんの呼吸で成立させてゆくスタイルなのではないかと思うのですが、『シークレット・サンシャイン』の場合、ちょっと俳優たちとの関係がビジネス・ライクすぎたのではないか、と強く感じました。

 シナリオもまた、どちらかというと現場の状況にあわせつつ、臨機応変に改編して撮影を行った印象があって、それなりの新しい臨場感は感じられるのですが、イ・チャンドンの特徴とでもいうべき、素朴な映画美、そして音楽の使い方も含めて、そういった「映像の魅力」というものが、今回は全く感じられなかったことも非常に残念でした。

 イ・チャンドンが国政に関わっていた間、韓国映画は大きく変わり続けていました。ある点では多様化し、ある面では保守化しと、外側でその様子を観ていたであろうイ・チャンドン監督にとっては、今回の『シークレット・サンシャイン』はそういった韓国映画への複雑な想いを込めたかった作品だったのかもしれません。でも、それはリセットそして再生には繋がらず、なんだか歯切れの悪い作品になってしまったように感じます。次回作に是非期待しましょう。


『極楽島殺人事件』

2007年執筆原稿

 韓国、全羅南道の沖に位置する「極楽島」。そこで17人の住人全員が行方不明になる事件が起こる。物語は過去へと逆転し、新任の保健所長ウソン(パク・ヘイル)が島民に迎えられるところから幕を開ける。果たして島で起こった怪事件の真相とは?

 この映画は、とんでもない始まりから幕を開けます。麗水の防波堤で釣り人が腐乱した人間の首を吊り上げ、勢い余って鍋物の中にボチャン。グツグツと一緒に煮てしまうのです。そう、この映画は基本的にはコメディでありパロディであって、実はあまり真面目にミステリーを追求する作品ではないことが、この出だしからわかってしまうのでした。

 映像だけは非常に凝っていて、1980年代の韓国映画の質感を出すことにかなりエネルギーを注いでいるし、死体や殺し、といった凄惨な場面もまた、近年のスタイリッシュ・スプラッターといったところで、監督キム・ハンミンのこだわりがよく出た個性的な部分といえるでしょう。

 しかし、映画をほめる事ができるのはここまで。映画の進展は極めて起伏に乏しく、場所も限定された空間であるためか、非常に単調です。また、どうもカット割りのセンスが演出側にはかなり欠如していて、半端で同じような構図が延々と連続し、カットの衝突といった映画的快楽はまったくありません。これが意図して行ったことならば、それはそれでいいのかもしれませんが、この映画が娯楽作品である以上、映画的なセンスの低さというものが意図したものではなくて単なる技量の欠如からくるものにしか見えないのでした。衝撃的な出だしを過ぎると、後は島民のせこい諍いと、わざとらしい美術の不気味さだけが、冗長に繰り返されます。そこには『異魚島』(キム・ギヨン監督)へのオマージュも感じられましたが、それは単なる私の勘違いかもしれません。

 ミステリーとしての謎解きは及第点、といったところ。現実的な結末を無難にまとめた感じです。俳優陣に見るべきものは皆無ですが、お久しぶりのパク・ソルミが、今までとはうって変わった表情豊かで笑顔こぼれる演技を披露していて、ちょっとビックリでした。これこそ彼女本来の持ち味といった感じでとても魅力的です。こういう彼女の明るく可愛い部分にこそ、日本の会社も気がついてほしいものだと思ってしまいました。

 『極楽島殺人事件』は非常に凝った作品ではありますが、そう感じさせるだけで感心は全くできない作品です。韓国の若手監督やプロデューサーがよく陥る「こうすれば斬新だろう、どうだ!」といったドツボに完全に陥ってしまっていて、中身は全くの空っぽ。こういう奇をてらった企画こそ、中堅やベテランが撮るべきでしょう。とりあえず観客は入ったので、監督のキム・ハンミン氏の次回作では、もっと腰の入ったドラマに挑戦してほしいものです。


『京義線 レイルウェイ・ラブ』

2007年執筆原稿

 ほのかに想いを寄せていた女性の死に傷ついた地下鉄の運転手マンス(キム・ガンウ)は、深夜の京義線で大学講師のハンナ(ソン・テヨン)と出会う。彼女もまた愛に苦しみ、傷ついていた。

 この『京義線 レイルウェイ・ラブ』は、列車を舞台にしたロード・ムービーにも思える、なかなか魅力的なお話に見えますが、その中身は旅情もなにもあったものではありません。一期一会の赤の他人が、たまたま同じ列車に乗り合わせ、終着駅で放り出されたことから宿を共にし、そこでお互いの心情を発露させることで再び日常の生活に帰って行く、という「癒し」をテーマにした作品だったのかもしれませんが、残念だったのは題名の『京義線 レイルウェイ・ラブ』。そして主人公が地下鉄で勤務する若者だった設定を全く上手に活かせなかったことでしょう。

 関わりのない男女の日常とその苦しみを平行させて描き、終わりの方で収斂させるという物語は、この映画ではまったく効果がなく、中途半端な旅情と心情を掛け合わせただけの、安易で実につまらないもので終わってしまいます。低予算の作品であり、監督自身の志向性もあるでしょうから、このスタイルについてはとやかくいうつもりはありません。しかし、鉄道という記号を前面に持ってきた以上、もっとそのモティーフにこだわるべきであって、それをやらなかったから、この映画は「ただ、なんとなく」だけで終わってしまったのではないでしょうか?

 劇中もう一人の主人公であるハンナのドラマは、はっきりいって必要ありません。無理やりこのつまらないドラマを絡めたシナリオは根本的に失敗だったと思います。彼女の描写には何のこだわりもなく、スカスカの不倫物語が平坦にだらだらと流れるだけ。しかも、肝心の京義線編に移ってから、その無駄加減はいっそう際立ってきてしまいます。なぜ、地下鉄乗務員マンスの物語だけに的を絞らなかったのか、私には不可解でした。でも、マンスの物語も、職業人としての鉄道マンを正面から捉えているかといえばそうでもなく、彼のトラウマとなった、自殺する売店勤務の若い女性のエピソードも、すべてが「なんとなく」でおしまい。せっかくの好設定が全く活かせていません。

 朝鮮半島の北と南を繋ぐはずの京義線。しかし実際は分断の象徴、といったアイディアに、人と人の溝、コミュニケーションの断絶といったものを重ねたかったのかもしれませんが、一発アイディアと雰囲気だけに引きずられてしまい、本質を遥か後ろに置き忘れてしまった映画になってしまったようです。


『オールド・ミス・ダイアリー 劇場版』

2007年執筆原稿

 この作品はKBSで放送されて人気を博したテレビ・ドラマの映画版ですが、オリジナルを観ていなくてもとっても面白い作品です。なぜなら私はこのドラマを全然知らないし、観たこともなかったのに大いに楽しめましたから。でも、テレビで個性的なヒロインとその家族の活躍に親しんだ方には更に面白いでしょうね。映像的には安っぽくて、もう少しなんとかしてほしかったのが正直なところですが、十二分に面白いコメディに仕上がっており、2006年度末韓国映画としては大きな拾い物といえそうな作品でした。

 この映画は、タイトルの通り、三十過ぎて恋人もいない声優のチェ・ミジャ(イェ・ジウォン)が新しいロマンスを探して、じたばたする様子を中心に描いていますが、そこに個性的な家族たち、特にお婆さん三人組の恋愛合戦を絡めてゆくことで女性にとって恋とはなにか?というテーマをぐっと掘り下げることにも成功しています。ふた昔前なら「三十過ぎて独身の女は救いがない」とばかりに偏見に満ちたドラマになってしまうようなネタですが、この映画では「幾つになっても恋を楽しむ自由」というものが肯定的に描かれていて、今の韓国ならではといったところ。ミジャの恋愛ドタバタだけでは話がきつかったということもあるでしょうけど、このお婆さん三人組のエピソードこそ、本当のテーマだったのかもしれません。

 シナリオもところどころ捻りが効いていて、よくある韓国式ベタな恋愛ドラマにはなっておらず、ちょっとブラックな人間模様は映画を更に面白くしています。

 イェ・ジウォンが、これ以上望めないほど役にはまっていて、その能動的な表現力は素晴らしいものです。女も男も仕事が生活の中心になってしまうとだらしなくなってしまう、というのはどこでも同じこと。それをイェ・ジウォンは過剰な演技に走らず自然体で表現しています。彼女憧れのプロデューサー(チ・ヒョヌ)も単なるヤサ男ではありません。それどころか、とっても性格の悪い人物として設定されているところがこの作品の魅力になっています。

 この『オールド・ミス・ダイアリー 劇場版』は韓国映画の企画としては珍しいテレビ発の作品ですが、この作品のように映画として独立した面白さを表現できるのあれば、これからも十分テレビから派生した企画を期待できるのではないでしょうか?


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