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Review 『テコンV』『ハーブ』
『ワンダフルデイズ』『ボス上陸作戦!!』

Text by カツヲうどん
2007/6/10


『テコンV』

2007年執筆原稿

 この作品は、1976年に公開された韓国オリジナルの巨大ロボット・アニメを修復したものですが、その存在は今も韓国ポップ・カルチャーの代名詞であり、他に匹敵するものはないといっていいでしょう。日本ではマジンガーZのパチモノと嘲られ、著作権の関係もあってか、きちんと紹介されないことは非常に残念ですが、デザインは似ていても中身は全く違います。そこにはオリジナルを目指そうとした製作者側の熱意が満ち満ちているのです。

 今回公開された作品は以前修復されて発売されたDVD版とも、また異なります。DVD版は修復こそされていても、かなりズタズタで観ていて苦しいものでしたが、今度は音声を含めてかなり良い状態にまで修復されていて、きちんと鑑賞に耐えられるものになっていました。韓国で消耗品に過ぎなかった過去の作品(特にアニメーション)を、多額の費用をかけて修復したこと自体が驚きであり、それはソフト・コンテンツを巡る韓国の考え方が大きく変化していることを証明した出来事といっていいでしょう。

 物語はテコンドー世界大会で優勝したキム・フン少年が、父の残した巨大ロボット、テコンVを操って、謎の巨大スポーツ・ロボ(!?)軍団に挑むというお話ですが、そのテイストはダイナミックプロというより横山光輝の世界に近いものです。テコンドー技にはロト・スコーピング(フィルムで撮影した実写を紙焼きして、手描きアニメーションに動きをトレースする方法)を多用し、リアルなアクションを目指しています。日本の巨大ロボが飛び道具系をよく使うことに比較して、こちらは殴る蹴るが中心。巨大メカがぶつかり合う重厚感が良く出ていて、今観ると逆に新鮮な印象すら受けるでしょう。物語もかなり社会的なメッセージが込められていて当時の国内外の政治状況を内包しているところは韓国らしい点です。

 本作を観る場合、是非とも注目してほしいのは、プロデューサーを担当した往年の名監督ユ・ヒョンモクの存在です。彼は日本でも特集上映が組まれるほどの人物であり、『誤発弾』は不朽の名作としてあまりにも有名です。『テコンV』といえば、アニメ界のスーパー・クリエイターたる監督のキム・チョンギばかりが紹介されがちな傾向にありますが、第一作を名作にしたのは間違いなくユ・ヒョンモクであったことを改めて強調したいと思います。『テコンV』には、日常性の描写、人間の持つ複雑な心理と葛藤、ハッピーではない結末と、作画に追われることで終わらない映画監督ユ・ヒョンモクの意志が確実に感じられるのです。真に『テコンV』を支えたクリエイターとは、監督キム・チョンギ+製作ユ・ヒョンモクのコンビだったのではないでしょうか。どの段階からユ・ヒョンモクの関わりが消滅してしまったか定かではありませんが、「テコンV」シリーズが1980年代に『ロボット・テコンV84』として再登場したとき、あまりにヘロヘロなひどい内容になってしまったことは悲しい事実でした。

 第一作後、1976年『ロボット・テコンV 宇宙作戦』、1977年『ロボット・テコンV 水中特攻隊』、1978年『ロボット・テコンVと黄金の翼の対決』と、本道といえるシリーズは三本続きますが、どれも大人の鑑賞に耐えるドラマ性を兼ね備えているようで、ある意味、今の韓国アニメーションよりも進んでいたとさえいえそうです。しかし、これら三作品は諸々の事情により現在観ることが出来ません。ですから近い将来、今回のように修復して陽の目をみることを切望したいと思います。

 今の日本で『テコンV』を公開したならば十中八九、若い世代はバカにして嘲笑するだけか、嫌韓意識を募らせるだけかもしれません。しかし、マジンガーZ・リアル体験世代の大人こそ、この『テコンV』の真価を理解できるのではないでしょうか。韓国の現代史を理解する上でも、韓国のサブ・カルチャーを理解する上でも、絶対に見逃してはならない必見作といえるでしょう。


『ハーブ』

2007年執筆原稿

 年齢は二十歳でも知能は七歳のサンウン(カン・ヘジョン)と、彼女を愛し守り通した母親ヒョンスク(ペ・ジョンオク)の哀しい別れを描くヒューマンドラマ。と書けば『マラソン』や『裸足のギボン』を思い出す人も多いはず。それは全くその通り。そのまんまの家族向け映画です。ですから小学生以下の子供を連れて親が観に行くにはバランスがとれており、大義名分も立ちますが、一緒に行った親兄姉としては「また、これ?」と感じた人もいたはず。

 話はとっても健康的なのですが、赤裸々な問題を全ておざなりにしてソフトに描いているので、大人としては心の隅で「白々しい」と正直感じてもしまうのでした。『マラソン』の場合、障害者と暮らす家族の葛藤がきちんと描かれていましたし、『裸足のギボン』は単なるギャグだったので、それなりに認めることはやぶさかではありませんでしたが、本作はあまりにもご都合主義というか、悲劇であるべき最小限の部分までソフトにあたりさわりなく回避してしまったので全然感動できません。母親ヒョンスクの娘を守ろうとする努力は感動的なものですし、彼女がガンに犯されたことを知り、ネガティブな行動に走ってしまう様子もきちんと描かれてはいますが、あくまでも「一応」。全体が厚化粧で粉飾されたようなお話なので、ちっとも胸に響かないのでした。

 韓国映画には『オアシス』という傑作がありますが、『オアシス』の勇気があった点は、障害者のエゴと彼らを取巻く家族のエゴを一切ごまかさないで描いたことでした。『マラソン』は『オアシス』の遺伝子を引き継げた作品であったことに比べて、『ハーブ』は後退してしまった感さえあったのです。

 決して全てダメとはいいませんが、毛皮を着てベンツに乗ったオバサンが、物乞いを指さして、自分の子供に「人は皆平等なのよ!」と力説しつつ、粉塵を吹き付けて走り去るようなお話であり、社会意識の高い人には、ちょっとお薦めできない一本です。


『ワンダフルデイズ』

2003年執筆原稿

 この作品を、日本のアニメーション関係者が観た時、欠点を幾らでもあげる事が出来るだろう。だが、特別な理由や偏見を持たない一般の観客の多くは、この『ワンダフルデイズ』を観て驚愕するだろうし、日本の会社を含む海外の企業から「次回作に資金を出しましょう」という申し出があったとしても、なんらおかしくない出来映えに作品は仕上がっている。劇中の幾つかのカットは美しく情緒的で、中々素晴らしい。特に空や遠景といったカットには、作り手のこだわりが非常に感じられる。オープニングに登場する巨大な廃墟をヒロイン、ジェイがバイクで駆け抜けるシーンは巨大感と虚無感が良く出ている名シーンだ。

 アニメーションの水準は、劇場用というより、オリジナル・ビデオに近いものだが、作画レベルは総じて高い。時折、アメリカン・スタイルとジャパニーズ・スタイルの相違が対立している部分も目立つが、均一化は取れている方だろう。人物の動きや表情は全体的に固く、手描き特有の脈動感に欠けるので、観る側としては感情移入しにくくなっている。これは、作画を3D-CGI側のレイアウトに合わせざる得なかったからだろうと思う。手描きの2Dと、コンピューターでモデリングされた3Dは、言わば水と油の関係にあり、アニメーション自体のシンクロも難しい。両方の共存が一長一短であることを、この『ワンダフルデイズ』も超える事には成功していない。ミニチュアの応用については決して失敗していないし、デザインとして独特の味わいも出ている。だが、当初の構想ほど上手く取り込めなかったようだ。だが、これは作り手側の実験にしか過ぎず、最初から予想できた事である。

 この『ワンダフルデイズ』を観て、日本のCGアニメ映画『ファイナルファンタジー』を思い出す方々も多いだろう。『ファイナルファンタジー』が、実写であれば、あそこまで失敗はしなかっただろう、という事と同じ問題が、この『ワンダフルデイズ』にも含まれている。それは、デジタル主体の作品全てに共通する「現実感」の致命的な欠如、つまり「生命あるものが生きているように見えず、質量ある存在が重さを持って見えない」という問題だ。今の二十代以下の若い観客からすると、CGI特有の固さや電気的質感は、さして気にならないだろうし、最もなじんだビジュアル・スタイルなのだろうが、映画の場合、観ている最中の感動や、観た後の余韻は、デジタル造形主体の場合、全てがアナログ主体で作られた物に比べ、遥かに劣ってしまう事実は、幾ら技術が進んでも中々改善されない。デジタルの手法は、色々な点でアナログを圧倒し、既に主流の座を占めているかのようだが、この『ワンダフルデイズ』を観ても明らかなように、映像から観客に投げかけられるべき感情の高ぶりも余韻も、一過性の物に過ぎず、ちっとも心に残らないのである。また、『ワンダフルデイズ』の背景カットは、明らかに「実写」用に近い作りであって、この作品の人物群が、作画によるアニメーション作品であったという事が、後々マイナスの評価となってしまう事態もありえると思うのだ。実際、登場人物が全て生身の俳優であったならば、ラストシーンの青空も兄弟同士の葛藤も、もっと重く感動的になっていたに違いない。

 さて、この『ワンダフルデイズ』には、デジタルうんぬん以外に、今後とも注目すべき点が一つある。それは、おおもとの原作者であり脚本を執筆したチョン・ユンスの作家性ともいうべきこだわりである。彼は映画『イエスタデイ 沈黙の刻印』での監督デビューが先になってしまったが、両作品には「暗い未来」、「降りしきる雨」、「巨大な廃船」、「戦う女性」といった、共通する記号が幾つか見受けられる。もちろん、これらの要素を作家性と形容するには時期早尚だし、他作品の借用とも取れるが、彼の持つSFへのこだわりは、今後とも韓国映画界が大切に育ててゆくべきものの一つなのだ。

 彼の作品をパクリと指摘するのは実に簡単な事だが、それはあまりにも無責任かつ安易であると思う。チョン・ユンスの良い意味で「オタク」な姿勢を、ユーザーと共に企業がどれだけ長い視点で支援できるか否かが、韓国のソフト・コンテンツ産業の将来を左右してゆく結果に繋がるのではないだろうか。

 『ワンダフルデイズ』は、その膨大な製作費と製作期間、それらの原因の中心を占めたであろうトライ&エラーから来る作業効率の悪さを考慮すると、ビジネス的には疑問も多く出てしまう作品ではあるけれども、これを徒花に終わらせないためには、もっと洗練された次回作へと繋げなければいけないのである。日本的なケチはひとまず捨てて、全体として評価をすべき異色作であろう。


『ボス上陸作戦!!』

2002年執筆原稿

 この映画、面白そうなネタは沢山揃っている。洒落たオープニング、「サロンと警察」という対比、とても水商売に向かない硬派な婦人警官たち、個性派揃いのホステスたち、目標をなかなか殺せない運の悪いヒットマンと、そこで描かれる組合せは、本当なら大爆笑なのだろう。だが、ちっとも可笑しくないのだ。冒頭から終わりまで、棒読みのナレーションが入り、いちいち説明がなされるが、それはまるでキム・ソンドク監督の投げやりな演出姿勢そのままのようだ。

 俳優たちも、その資質とは別に、ちっとも説得力を持って役を演じていない。検事テフン役のチョン・ウンテクは、この作品が初主演となるが、この作品が彼のキャリアには残ることはないだろう。ヤクザのボス、毒蛇演じるキム・ボソンは雰囲気が竹内力そっくりで、二人は兄弟役が出来そうだ。だが、それだけ。イ・ジヒョン演じるチェリは、プライドが高いだけの、乱暴なホステスにしか見えない。とてもではないが、高いお金を払って客として酒など注いでもらいたくない。唯一、冴えない婦人警官演じるアン・ムンスクだけが、個性派としての片鱗を感じさせたが、結局は端役に過ぎず、中途半端な扱いで終わっている。

 この作品は低予算で作られたそうだが、演出やシナリオのレベルも予算に合わせて低レベルに抑えられてしまったようだ。


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