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Review 『ウリハッキョ』『マウミ...』『ポッピ』『永遠の片想い』

Text by カツヲうどん
2007/5/5


『ウリハッキョ』

2007年執筆原稿

 日韓現代史の象徴でもある「在日」。北海道に実在する民族学校を舞台に、監督と学校の人々の3年5ヶ月を描いた異色のドキュメンタリー。なお、在日コリアンは朝鮮学校を「ウリハッキョ(私たちの学校)」と呼ぶ。

 私がこの作品を観終わった時、最初に疑問に思ったのは、監督のキム・ミョンジュンは韓国で暮らす在日なのか?ということでした。さっそく調べてみましたが、どうやら在日ではない様子。次に思ったのが「なぜ『在日』をテーマにしたのか?」ということでした。一般的に、韓国人が自ら進んで「在日」をテーマに選ぶには、何か大きなきっかけでもない限り、ちょっとあり得ない選択肢と思えたからです。そこで、さらに調べてみると、ちょっと意外で、運命的な因縁が映画の背景には見えてきたのでした。簡単にまとめると、この『ウリハッキョ』という作品は、キム・ミョンジュン監督が、急逝した妻であり映画監督であった故チョ・ウンリョンの企画を引き継いだ作品であり、この映画のテーマとはまた別の「夫婦の絆」というドラマが裏にはあったのです。

 元々、この映画を企画していた女性監督、チョ・ウンリョンは、雑誌記者から始まって、アメリカで映画の勉強をしてから監督として活動を始めたアクティブな経歴の持ち主。韓国の若手クリエイターとして将来を嘱望されていました。彼女が「在日」というものに関心を持ったのは2000年の8月。偶然ある新聞で「総連vs朝総連」というタイトルの短い記事に接し、同時期にテレビ放送された民族学校に関するドキュメンタリーを見たのがきっかけだったといいます(*)。以来、彼女は「在日」というテーマに使命を持って取り組んでいて、その第二作目になるはずだったのが、この『ウリハッキョ』でした。しかし、チョ・ウンリョンは2003年に不慮の事故で亡くなり、その遺志を引き継いだのが、夫であり撮影監督だったキム・ミョンジュンだったのです。

(*) チョ・ウンリョン監督の追悼映画祭パンフレットに掲載された監督遺稿の記述による。

 映画は全編を通して底抜けに明るく、力強く生活する「市井の人々としての在日」を描いていて、口先だけのイデオロギー論だとか、似非反省論だとか、幼稚な政治論争の叩き台にこの作品がなることを拒否しているようにも見えます。膨大な素材を抱えた作品だったゆえ、こういう方向になったという解釈も可能でしょうが、一韓国人から観た「在日」の一面を描いたスケッチと考えれば、なかなか優れたドキュメンタリーになっています。

 もちろん、民族学校を巡る様々な問題もここかしこに挿入されていますが、日本のこの種の作品でよくあるような、深刻でドロドロした雰囲気は皆無です。これはたぶん監督が民族学校の普通の日常、普通の人間関係を描くことに徹したからでしょう。しかし、映画の中では、生徒たちの明るい表情が連続しているからこそ、一瞬垣間見せる複雑で暗い表情や発言が、テーマの複雑さを表現しているともいえるのです。

 キム・ミョンジュンのチームは、長い撮影の間に、かなり学校関係者と親しくなったようで、日本ではちょっと観る事が出来ないシーンが一杯です。さすがに万景峰号に乗って北に行った時のエピソードは、学校の生徒に撮影を委託してはいますが、そこで描かれた情景もまた、日本の大げさな北朝鮮報道などでは観られない、貴重なものです。ここにおいて、民族学校の生徒たちが祖国=異国の風景に驚き、日本語と朝鮮語を混ぜて語っているところは、この作品のテーマをもっとも濃縮して象徴していたシーンに思えました。

 歴史問題をドキュメンタリー映画の素材に選んだ場合、どうしても際どいものでないと評価を受けにくい今の日本では、この『ウリハッキョ』に対して真逆な評価もきっとあるでしょうが、私がこの作品を観終わった時、日本人として強く感じたのは、この題材と同じものを日本人自身もまた撮るべきでもあって、被写体となった民族学校の人々と家族もまた、心の決して明かされることのない部分でそのことを望んでいたのでは?という想いでした。


『マウミ...』

2006年執筆原稿

 親に見捨てられた貧しい兄妹。ふたりに育てられた白い犬は、どんなにひどい目に遭おうと人間を信じ、遠く離れた飼い主を探して困難な旅路を行く…。「オイ、オイ、またこの手のお話かい?」と、呆れた王道を行くのが、この『マウミ...』。親のいない兄と妹、飼い主を探して旅をする忠犬の組み合わせは、韓国の定番ネタ。出てくる犬が珍島犬ならぬラブラドール・リトリバーなのが今風なくらいで、超古典的ともいえるお話になっています。

 このワンパターンな物語には、おそらくは何らかの原典が存在するのでしょう。「親が子を捨てる」「兄妹」「白い忠犬」「旅」という要素は、韓国文化に脈々と流れる社会的、歴史的、因習的な記号のエッセンスとも解釈できるものであって、「韓国=ベタ=日本人は失笑」という解釈だけでは片付かない、結構奥深いものなのかもしれません。

 さて、肝心の作品は「メロ・コメディ」ともいうべき、なかなか笑える作品になっていますが、子供から大人まで、どこか釈然としないながらも、とりあえず楽しめる、奇妙でおかしな映画になっています。特に犬の扱いは、日本人にとっては衝撃的。率直そうな雌のラブラドールが、これでもか、これでもかと、ボコボコされる様は、犬好きの人が怒り出しても仕方ないくらいひどいものです。撮影終了後、このラブラドールの心に深い傷が残らなければいいが、と心配になってしまうほどでした。韓国の場合、日本と比べると「上位の者が下位の者(この場合、人間と犬)の殺生権を握って当然、何をしてもされても問答無用!」という絶対的線引きがどうも裏にあるようで、その根底には冷酷なヒエラルキー意識も感じます。

 兄チャニ演じたユ・スンホは『おばあちゃんの家』で不愉快極まりないわがまま少年を好演しましたが、今ではすっかり大きくなってまるで別人。『おばあちゃんの家』の時も、素はシャイでおとなしい少年でしたが、成長するにつれて、いい意味で控えめ、真面目な印象の二枚目好少年になっていたことが驚きでした。しかし、この映画でなんといっても注目株なのは、子供たちを搾取するヤクザ演じたアン・ギルガン。ここ最近、脇役として引っ張りだこ、やたら色々な作品に出ていますが、田舎臭い顔立ちに、オヤジなのか若いのか判らない個性的な風貌と幅広い演技力は、今の韓国映画界では貴重な存在です。アン・ギルガン演じたヤクザは、ホームレスの子供たちに物乞いをさせ、お布施を搾取する悪人ですが、反面、彼が身寄りのない子供たちに衣食住を提供している、という事実もあって、一概には悪と切って捨てられないキャラクター。今時分の韓国でこんなことがおおでを振ってまかり通るとは思えないのですが、十年位前の韓国の光景を思い出すと、案外フィクションでは片付けられない現実味が、この憎めない悪人キャラクターにはあったように思います。

 この『マウミ...』、家族向けの企画でもあるためか、総じて安っぽく、ノンスターに、大げさなメロドラマ、思わず笑ってしまう過酷な犬の扱いと、突っ込みどころ満載ですが、良くも悪くも、2006年韓国映画屈指の珍作といえるでしょう。


『ポッピ』

2002年執筆原稿

 今の韓国は、日本人が考えるよりもペット産業が盛んだ。ここ5、6年は動物病院やお店が急速に増え続け、以前、東大門にあるペット専門の通りに初めて行った時も、予想外に多くの動物が揃っていて驚いた記憶がある。

 この作品、ビデオで撮影され、劇場ではプロジェクターで上映された、一時間ほどの中編だが、決して実験的な映画ではなく、真面目な姿勢が貫かれたオーソドックスな内容だ。物語は、主人公(キム・ジヒョン監督自身がモデルとなっている)の古い愛犬、ポッピが危篤状態に陥り、動物病院に連れてこられる所から始まる。やがてポッピは死に、戒名を貰って納骨されるのだが、その様子の合間に犬と共に暮らす人々のインタビュー・ドラマが綴り上げられてゆく。

 作品自体は習作の域を出ず、特筆すべきものではないが、現代の韓国人とペットとしての犬の関係がテーマになっている点はかなり目新しい。私にとって「韓国人と犬」というと、個人的にはあまり良い印象はない。これはなにも「犬が食材に使われているから」という訳ではなく、韓国の場合、日本よりも犬に対して一層の厳密な上下関係が存在するように見えるからなのである。

 そういう点も含め、この『ポッピ』は、外国人には見えにくい、韓国の変わり行く部分を描いた作品でもあるのだが、普遍的かつ個人的な動物愛をテーマにしただけで終わってしまってもいる。そこを越えて、もう少し特異な視点が取り込まれていれば、もっと面白く価値ある作品になっていただろう。


『永遠の片想い』

原題:恋愛小説
2002年執筆原稿

 過去と現在が交差する手法は、まさに韓国メロドラマの典型だが、この『永遠の片想い』は制御された演出と俳優陣の静かな好演もあいまって、他とは一味違う格調高い感動的な作品となった。

 物語は、現在と五年前の時間軸を中心に、主人公ジファンを巡る二人の女性ギョンヒ、スインの三角関係、ヒロイン二人の意味深な関係、ジファンの妹ジユンの恋のエピソードが絡みあって進行してゆく。時間軸が入り組んだ韓国のドラマは、たびたび観る者を混乱させるが、この作品はきちんと時代の違いが整理されている方である。また、予測がつきそうでつかないドラマの行方も巧妙で、「五年」という時間の隔たりがもたらす残酷な宿命も胸を打つ。

 チン・ヨンファンの撮影も地味ながら構図のセンスが非常に良く、それを観客に押しつけてこない演出姿勢も好感が持てる。

 『猟奇的な彼女』では、ちゃんとした兵役につかなかったフニャフニャ二十代という役柄を上手に演じていたチャ・テヒョンは、この作品でも夢破れた青年の姿を好演。五年前と現在の表情をきちんと演じわける。彼を巡る二人のヒロイン、ギョンヒ(イ・ウンジュ)と、スイン(ソン・イェジン)は、対照的な存在として登場するが、その役割は複雑に絡み合い、やがて意外な逆転を見せてゆく。イ・ウンジュはそういう微妙な役柄をきちんとこなしており、ソン・イェジンも薄幸なイメージがよく似合う。ギョンヒとスインの行く末は一種衝撃的でもある。ジファンの妹を演じるムン・グニョンも重要で、作品の中では救済の意味を担っている。濃い眉毛が印象的だが、兄と仲の良い普通の女の子を爽やかに演じている。

 イ・ハン監督は、総じてきちんと交通整理を行うことに長けており、定番ながらも意外性のある物語展開もあって、『永遠の片想い』は大人の鑑賞に耐えうる作品となった。韓国伝統の物語を受け継ぎつつ、円熟と新しさを感じさせる名作の誕生である。


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