Review 『フライ・ダディ』『ガチデン 堤防伝説』 『プラスティック・ラブ』『殺人の追憶』
Text by カツヲうどん
2007/4/15
『フライ・ダディ』(再掲)
http://www.cinemart.co.jp/flydaddy/
原題:フライ、ダディ
2006年執筆原稿
この映画を観た後で、知り合いの若い韓国人にこう聞かれました。
「『フライ・ダディ』って、日本版も韓国版も映画は凄くつまらない、って聞いたのですが、本当ですか? 小説は物凄く面白かったのですけど・・・」
私は日本映画の方は残念ながら観ていないし、小説も未読だったので、答えることが出来ませんでしたが、韓国版の本作への問いには「いや、面白かったよ」と答えることは出来ませんでした。ただし、演出は基本的に手堅く、映画の出だしは中々の好印象です。通常、この手の韓国映画は若い観客層に趣向を合わせるために、無駄な移動撮影に、うるさいばかりに派手な音楽、落ち着きがないだけの細かい編集と、観ていてうんざりすることが多いのですけど、そういう部分はかなり少ない作品になっています。主人公の冴えないサラリーマン、チャン・ガピル(イ・ムンシク)の再生をじっくり正面から描こうと努力している意図が強く感じられて、人間ドラマとしては光っている部分があったからです。
しかし、ガピルが喧嘩人生から隠遁した高校生コ・スンソク(イ・ジュンギ)と出会い、特訓を受け始めるあたりから猛烈に退屈な映画になってしまうのでした。その理由はいくつか考えられますが、最大の原因は各キャラクターの生活をほとんどはしょってしまったことにあったのではないでしょうか? 映画の話法として、現実の時間軸に沿って、現実に進行しているエピソードだけを追って描いてゆく、というやり方に異論はありませんが、『フライ・ダディ』の場合、それが人間像を追い切れなくなり、結果説得力もなくなって、カタルシスもなにもない作品になってしまったような気がします。
劇中、もう一つの再生を描く象徴として、太ったバス運転手のエピソードが平行して描かれますが、話を混乱させるだけで不要だったのではありませんか。もし、このエピソードを挿入するのであれば、ガピルとバスの運転手の関係、そしてバスに乗り込む毎度お馴染みの疲れきったお父さん連中の交流を盛り込むべきだったのです。青春映画としても、アクション映画としても、家族ドラマとしても、どれ一つ焦点が絞れないまま物語は進み、終焉し、印象に残るのはガピルがキツイだけで合理性がない不自然なトレーニングに四苦八苦する姿だけ。イ・ジュンギ目当てに来たファンにとっても、どっちらけだったでしょう。なにせ、彼は全く活躍しないのですから。
また、改めて感じさせられたのは、イ・ムンシクもイ・ジュンギも、主演として映画を引っ張ってゆくタイプの俳優ではないということ。ラストの対決は、ちょっとシュールな空間演出になっていて、ここだけ監督の個性が出ていましたが、それだけ。おもしろい、つまらないは別としても、韓国のスターシステムが、確実に瓦解していることを痛感させられた作品でした。
4月21日(土)より、シネマート新宿、シネマート六本木ほかにてロードショー
『ガチデン 堤防伝説』
2006年執筆原稿
チョ・ボムグ監督の前作『チンピラ口調』はあまりにも退屈だったので、全く期待しないで『ガチデン 堤防伝説』を観にいったのですが、予想を覆す出来のよさで驚きました。でも『チンピラ口調』という作品も、思い返せば新人監督にありがちな浮ついた部分がなく、しっかりと人の暮らしを描いてゆこうという姿勢がでていた作品だったので、そういうところが韓国の製作者の間では評価されていたのでしょうね。
基本的にはよくある不良学生+ヤクザのお話。でも、この監督が偉かったのは、定石を外す努力と、一貫した人間ドラマを目指す志を怠っていなかったこと。ですから、日本で若手監督が同様の映画を撮ったら高く評価されそうな作品になっています。乱闘シーンの演出も非常にうまくて、ケレンさを抑えているところに好感が持てました。主人公3人は、高校時代、地元のケンカ大将として有名な不良でしたが、社会に出てみればそんな事は何の役にも立たず、冴えない日々。一番強かった奴はヤクザになったのはいいものの、腕っ節だけではのし上がれず、頭が切れる同輩に追い越され、落ちこぼれチンピラに成り下がっています。この映画で最も優れていた点は、いくら肝の据わった不良でも、しょせんは学生の話であり、現実のヤクザやビジネスの世界では通用せず、不良としての栄光が逆にトラウマになって足を引っ張ってしまうことを描いているところです。
ユ・ジテ演じた若頭チスはとにかく冷徹。平気で残酷な人殺しも行いますが、自分たちの利益にならない暴力は絶対振るわない、怜悧なビジネスマンでもあります。このチスのキャラクターがなかなか良く出来ていたからこそ、元不良3人組は更に現実味を帯びてきます。不良大将3人組を演じた中で一番有名なのは、ユ・ギョンノ役のMCモンでしょう。本業が本業なので、歌って踊ってのパフォーマンスは、この映画のもう一つの見所です。主人公格のパク・チョングォン演じたパク・コニョンは安定した演技力なので安心して観てはいられるのですが、韓国でスターを張るには表情が乏しい気がします。逆に日本映画の方が彼の才能を伸ばしそうな気がするんですが…。アクションのキレは素晴らしく、溜めの少ないパンチやキックは身体能力の高さを感じさせますが、そこがまた大げさな表現を好む韓国でイマイチの原因なのかも。地味ながらも光っていたのが、キ・ソンヒョン演じたイ・チョニ。なんだか無気力でエネルギーがなくて、あまり強そうに見えないのですが、何かを達観したような諦め顔が逆に現代的。ちょっとこれからを期待したい個性の持ち主です。
この『ガチデン 堤防伝説』は、ありがちな物語ながら、現代ならではの青春ドラマにもなっていて、韓国のチンピラ話にうんざりした方には、チョッとだけお薦めしたい映画です。
『プラスティック・ラブ』
https://cafe.naver.com/beforesummer2007.cafe
2007年執筆原稿
この作品、夢と現実の狭間、そして二人の男の間で揺れ動く29歳の女性ソヨン(キム・ボギョン)を描く、ちょっと変わったラブ・コメディといえそうですが、はっきりいって説明したり評論したりすることが難しい作品です。確かに一部は「そうだよね」と共感できるところはありますし、この手のエスプリが好きな人、そういった類の映画を好む人には面白いかもしれません。でも、全編が面白いかというと微妙で、退屈といった方が正確でしょうし、もし本作が御本家のフランス映画であっても、それは全く同じだったと思います。
独身の女性が二人の男の間を行ったりきたり。結局、若い方の男が、経済力・抱擁力・社会的地位といった現実的な度量から、もう一人の年上の男性に完全に負けてしまうという状況を、ヒロインが自覚しないで作り上げてしまって、でも最後まで本人はそのことに気がつかなくて、というところには演出の妙を感じましたが、それまでのダラダラした文字通りの行ったりきたりを、どの程度許せるかを観客は求められそうです。でも、その単調な反復が結果として映画の個性になっているので、大昔のヌーヴェルヴァーグの系譜に近づこうとした映画だったのかもしれません。
監督のソン・ジヘは案の定、フランス留学組。韓国映画界では「ヨーロッパに留学していました」と作品の中で表明することが、どういう訳か一般的ですが、そろそろ意図的に封印すべきなのでは?とも感じます。どうせやるなら、もっと積極的にヨーロッパ留学組特有のコンプレックスを正面から描き、韓国映画界の問題を浮かび上がらせるような企画の方が、より面白いと思うのですが。
「え、そんな企画は誰も観に来ないし、お金を投資しない?」
Comment est-ce que vous pensez?
『殺人の追憶』
2003年執筆原稿
ポン・ジュノ監督の前作『ほえる犬は噛まない』は、何とも形容のつかないシュールで不思議な傑作コメディ(しかも社会派)だったが、その分、興行的に一般的とは言い難く、韓国ではアッ!という間に劇場から消えてしまった作品だった。だが、この『殺人の追憶』は、より一般大衆の嗜好に合わせた味付けの作品となっている。
作品そのものは暗く陰鬱で、救いのない話だが、出だしから物語前半にかけての語り口は、前作『ほえる犬は噛まない』を連想させるコメディ・タッチでテンポ良く進行して行く。華城(民俗村やカルビで有名な水原市郊外に隣接)の地元警察、パク刑事(ソン・ガンホ)らが、よってたかって地元の身体障害者グァンホ(パク・ノシク)を、レイプ殺人犯の容疑者としてデッチ上げてゆく様子を、軽く明るく描いて行くのだが、そういった一連の笑いのオブラートは、物語が進行するにつれて救い様のない悲劇への伏線に変わってゆき、観る者の心をより重くさせる効果を生み出す仕掛けになっている事が、段々と分かって来る。そして、ドラマは唯一生き残った被害者が登場する辺りから、予断を許さない緊迫した展開を加速させてゆく。前作『ほえる犬は噛まない』でもそうだったように、ポン・ジュノ監督は、皮肉なユーモアや細部にこだわったディテールの演出、物語構成の巧妙さ、俳優の使い方が、抜群である。今回も、それが最大の見所だ。
主演のパク刑事を演じたソン・ガンホは、今回は他の地味なキャストから時々浮きがちな印象も受ける。だが、ファンの期待を決して裏切る事はない。都会派のソ刑事演じるキム・サンギョンは武骨だが繊細な演技を見せ、ソン・ガンホ以上に感動的で印象に残る。特に、どしゃ降りの鉄路、ソ刑事の慟哭と彼が流す涙は日本においても大勢の感動を得るに違いない屈指の素晴らしいシーンである。最近売れっ子の若手俳優パク・ヘイルも重要な役を演じているが、これは観てのお楽しみだ。短気なチョ刑事(キム・レハ/『ほえる犬は噛まない』)や、貧しい変質者ピョンスン(リュ・テホ/舞台俳優兼大学の演技講師でもある)ら、脇を固める面々も無名だが、皆いい味を出している。
女性美術監督のリュ・ソンヒ以下、美術スタッフの仕事も繊細で見事だ。当時の風俗を徹底して再現しており、小道具や衣装、女性のメーキャップや下着に至るまで、手抜かりの無い仕事をやり遂げた。撮影のキム・ヒョングと照明のイ・ガンサンのコンビは、緊迫した素晴らしい効果を幾つもあげており、特に二人目の犠牲者が発見される手持ちワン・ショットは、ユーモアと臨場感溢れる名シーンである。日本人の岩代太郎(『セプテンバー11』)が担当した音楽は、その静かで美しい旋律が、観客を一層、悲しみに満ちた印象へ導いて行く効果を上げている。
あまりにも暗く、救われない映画ゆえ、デート・ムービーには全く向かないし、ハリウッド式サイコ・ホラーを期待する向きにも全く向いていないが、一種の映画的お手本ともいうべき高い完成度を持つ作品であり(これは韓国映画としては特筆すべき出来事である)、運命の不可抗力に翻弄される人間の脆さを描いた、奥深い映画だ。最後の最後、初老を迎えたパク刑事と少女の会話シーンは蛇足にも思えるが、未解決事件に対する製作者一同の黙祷であると解釈したい。
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