<特別寄稿> 連想・夏物語
Text by 岸野令子
2007/3/21
画像提供:(株)エスピーオー
イ・ビョンホン主演の韓国映画『夏物語』(チョ・グンシク監督)を見ている間、記憶の奥に沈んでいたある映画が思い起こされてならなかった。それは『サマーストーリー』(ピアース・ハガート監督/1988年)というイギリス映画である。
〈映画的記憶〉などという用語は、いまは流行らないかもしれないが、いっとき映画フリークの間ではよく口にされた言葉である。私たちは生まれてこのかたたくさんの映画を見てきたわけで、そのためある作品が、先行する他の作品を踏まえて撮っていることがわかるという体験をする。あるいは、未見の古典の引用があるということを知識として得ることもある。新しい作品は、過去の作品が構築してきた膨大な映画的記憶なるものの上に追加される。例え原典を知らなくても、観客の共通認識となっている映画の法則・文法といったものが存在する。映画の技法であるオーバーラップやワイプ、アイリスイン/アウトなどは、次の場面が回想や過去の出来事であることを観客に理解させる。
『夏物語』は、私にこの〈映画的記憶〉という言葉を思い出させてくれたのだ。『夏物語』の英語タイトルは"Once in a Summer"。韓国語の題は『その年の夏』で、日本題名の『夏物語』の直訳にはならないのだが、もともとの韓国でのワーキングタイトル(仮題)は『よるむ・いやぎ』だったという。それで、よるむ・いやぎ=夏物語=サマーストーリーとすると、私の連想は、イギリス映画『サマーストーリー』に繋がるのである。
『サマーストーリー』、それはゴールズワージーの古典的ラブ・ストーリー『林檎の樹』の映画化である。裕福な青年がひと夏を過ごした田舎で、ある娘と恋仲になるが、結局、彼は彼女を捨て、そのことで一生後悔の涙にくれるという、よくあるパターン。こう書くと身も蓋もないのだが、映画『サマーストーリー』は極上の悲恋もので、私でさえ泣いたのである。しかも、この映画には特別の思い入れがある。それは、私がこの作品の関西公開時の宣伝を担当していたからである。
当時、イギリスのイケメンたちの映画が人気で『眺めのいい部屋』『アナザー・カントリー』『モーリス』などがミニ・シアターで公開されていた。『サマーストーリー』も『モーリス』に出ていたジェームズ・ウィルビィが主演なので、彼で売るべく、最初に作られたポスターは彼を中心としたデザインだった。しかし映画をみたらヒロインのイモジェン・スタッブスの可憐さが印象に残るのである。これは、彼女をクローズアップしてほしい。東京の宣伝部に掛け合うと、やはりそういう意見が出たのか、もう一種類、彼女をメインにしたポスターが出来てきた。
関西ではいまはなき三越劇場での公開が決まり、小予算ながら新聞広告も出すと言うことになり、ここで関西だけの惹句(キャッチコピー)を作っていいと言う許可をもらった。
私が作ったコピーは今でも覚えている。
「できるならば私を許してほしい。
ひと夏の恋に燃え、逝ってしまった
美しいひと」
そしてサブタイトルとして〈林檎の樹〉を入れることにした。原作の知名度を使わない手はないだろうと思ったことと、この原作ではヒロインが死ぬことは自明なので隠さない方がいいと考えたからである。
私が『サマーストーリー』を素晴らしいと思ったいちばんの理由は、ヒロインが決して可哀相な娘として描かれていない点であった。彼女は自分のしたことの責任は自分で取り、決して男に泣き言をいったりしなかった。毅然として生き、病に倒れたのである。決して後悔はしなかった。後悔したのは生き残った男の方であった。
さてさてこのように書くと、韓国映画『夏物語』をご覧になった方は、二つの作品の類似に気づかれるのではないだろうか? 60代の大学教授(ビョンホン)は、生涯独身で、学生時代、田舎に奉仕活動に行き、そこで知りあった娘(スエ)と恋に落ちるが、軍事政権下の時代は苛酷で、スエの父は北に逃亡したと言う理由で、彼女は村からは特別な目で見られていた。秋、大学に帰ったノンポリに近い彼は結局、大学での弾圧でパクられた時、親のコネで釈放される。たまたま彼に会いに来た娘も警察に捕まり、親のことなどを引き合いにいいかげんな捜査で刑務所に送られる。その時、彼は彼女を救えなかったのだ。そして、教授はその後悔を40年引きずっている…。
チョ・グンシク監督は1968年生まれというから、この映画の青春部分はちょうど監督の生まれた頃である。この時代は両親の青春時代になる。また、監督が1988年作品のイギリス映画『サマーストーリー』を知っているかどうかは判らない。ひと夏の恋の終わりの物語は無数にあるだろうから。しかし、この典型的な「ひと夏の物語」は、私になつかしい思い出の映画を呼び戻してくれた。
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