Review 『百万長者の初恋』『師の恩』『チンピラ口調』
Text by カツヲうどん
2006/11/14
『百万長者の初恋』
キム・テギュン監督の前作『オオカミの誘惑』は、(韓国の)特定の若年層ファンにとって理想的な幕の内弁当ともいうべき作品でしたが、本作『百万長者の初恋』もまた、お約束通りの豪華な定食としてなかなか見事な出来映えになっています。脚本はテレビ・ドラマ『パリの恋人』で有名なキム・ウンスクですが、お約束の中にもシビアな現実が見え隠れするドラマになっていて、意外にも奥の深い余韻を残す仕上がりとなりました。
<物語>
主人公ジェギョン(ヒョンビン)は、嫌味なスーパーお坊っちゃま。高級ホテルのスイートで暮らしながら従業員をあごで使い、フェラーリを乗り回して大威張りの毎日。喧嘩をやろうが、学校を勝手にさぼろうが、全てをお金が解決してくてる、やりたい放題人生を送っています。横暴でワガママな彼を、まわりの大人たちは心の奥底では不愉快な存在として冷ややかに見つめていますが、誰も逆らうことができません。ある日、成人を目前に控えたジェギョンは、祖父の遺産管理者たちに呼び出され、遺産引継ぎの条件として、江原道にある廃校寸前の高校を卒業することを言い渡されます。唐突な話に憤慨するジェギョンですが、彼をかばってくれるはずの大人たちも、今回は「ざまあみろ」とばかりに誰も助けてくれません。
嫌々、江原道に移り住んだジェギョンは最初、地元の人々をなめきって、金と恫喝でなんとかなるだろうと息巻きますが、みな純朴で正直、高潔ですらあり、彼が金持ちだろうとなんだろうと全く関係なく、逆に身分不相応に意気がるジェギョンを諫めます。自分のワガママが初めて通らない現実に愕然とするジェギョンでしたが、やがて人生には、お金では買えないものがたくさんあることを学んでゆきます。彼は今までの大人たちが、自分の背後にあるお金に頭を下げていただけだったことを、思い知らされるのです。
そして、村の少女ウヌァン(イ・ヨニ)との真剣な恋。しかし、彼女は余命いくばくもない不治の病に犯されていて、今のジェギョンにはどうすることもできません。学校行事のミュージカル『サウンド・オブ・ミュージック』を成功させようと、クラスメートと一団となって練習を重ねるジェギョンでしたが、ウヌァンの病状は悪化するばかり。お金に換えられない本当の愛を知ったジェギョンは、果たしてウヌァンを救うことが出来るのでしょうか?・・・といった具合。
主人公がお金持ちのわがまま優男、ヒロインは薄幸で不治の病の美少女、仲間たちは純朴で正直者、舞台は江原道(!)といった具合の「超王道」パターン。ですが、ここまでやると爽快感すら覚えました。すべてがお約束であることは概して軽視されがちなことですが、逆にいえば「ワンパターン」というものが、不特定多数の人々の心を捉える作劇の黄金律でもあって、好き勝手やって「新しい」ということより、あるべきものをあるべく見せる「ワンパターン」こそ、もっとも困難なことかもしれません。『オオカミの誘惑』は、若年層に特化した映画だったので、大人はちょっと抵抗を感じる作品でしたが、『百万長者の初恋』の場合、もっと幅広い年齢層に受け入れられる内容になっていると思います。特に韓国映画やテレビ・ドラマに、ある種のイメージを求め続ける日本の一部ファンにとっては理想に近い内容になっているのではないでしょうか。
私も、映画が始まって最初は白けっぱなしだったのですが、ジェギョンの人生が明らかになったあたりから、ドラマに引き込まれはじめて、なんやかんやと感動しながら観てしまいました。個人的にはキム・テギュン監督のスタイルというものは、好きではないのですが、「ワンパターンって、いいね」と妙に納得するものが、この『百万長者の初恋』にはあったのです。
主演のヒョンビンは、近頃人気上昇中ですが、映画の主演を張るには、かなりオーラが足りない感じがします。前作『まわし蹴り』では、とても好演をしていたので、ちょっと残念でした。そのルックスゆえアイドル的なキャラクターになってしまうことは致し方ないことなのかもしれませんが、彼には、もっと普通の役を演じてほしいところです。ヒロイン演じたイ・ヨニも、オーラのなさでは同様です。微妙に可愛いところが役作りの上でのリアリズムではあるのですが、どこかでパッと輝く魅力を見せてもらいたいものです。
『百万長者の初恋』という作品は、「韓流」を毛嫌いする人にとっては悪夢のような作品ですが、ドラマの原点ともいうべきものを改めて思い起こさせてくれる作品です。
『師の恩』
この作品、基本的にはスプラッター。アメリカの『13日の金曜日』や『スクリーム』を連想させる部分が多くあって、うるさ型のファンからは、いろいろと非難されそうな作品ですが、2006年度のみならず、ここ数年の韓国ホラーの中では、最も優れたホラー映画の一つであるといってもいいでしょう。一見、B級映画風ですが、実は教育と学校に対する問題、つまり「生徒は先生を選べない」「教師は絶対尊いものである」という暗黙非情のルールが、どれだけ多くの人々を不幸にしてきたか、という事を力強く描いていて、日本人が観てもかなり共感できる作品になっています。
出演者も地味な若手バイ・プレーヤーが中心ですが、力のある俳優陣を集めていて、監督のイム・デウンも、彼らのポテンシャルをうまく引き出しています。特に、タルボン演じたパク・ヒョジュンは、彼のキャリア中、最良の演技だったのではないでしょうか。独特の映像美、残酷美に彩られているところも、この映画の優れた特徴で、韓国ホラーが持つ、幼稚なだけの印象を、かなりカバーできた、現代的な韓国映画にもなっているのです。
<物語>
地方にある元小学校教師の自宅で凄惨な殺人が起こります。地下室に転がる惨殺死体を見て、刑事たちも吐き気を抑えることが出来ません。担当のキム刑事(キム・ファンド)は事件の目撃者であり、生き残りであるパク先生(オ・ミヒ)と、彼女の介護役で、かつての教え子でもあったナム・ミジャ(ソ・ヨンヒ)に事情聴取をしようとしますが、ミジャは何も語らず、パク先生は意識不明で、何も聞き出すことができません。
やがて物語は過去へと戻り、教師を引退し車椅子生活を送っている恩師パク先生の元へ、かつての6年2組の教え子たちが謝恩会を開こうと、集まってくるところから始まります。久しぶりの再会に、皆は楽しそうに見えましたが、実はパク先生に対する複雑な気持ちと恨みを秘めて集まってきたのでした。今は過去の美しい思い出だけに浸って暮らしている無力なパク先生でしたが、現役時代は、えこひいきと差別を露骨に行う不公平な人物。だから、生徒とその親にとっては独裁者同然のひどい教師でもあり、今回集った若者たちは、パクの心無い仕打ちを受けて大きく傷つき、人生を狂わされてしまった者たちの集いでもあったのです。
パク先生の夫と息子は不幸な末路を辿っていて、教え子の一人、ジョンウォン(チャン・ソンウォン)は、先生の息子が閉じ込められていた半地下室を見て、複雑な思いにとらわれます。最初は和やかな空気で始まる謝恩会でしたが、徐々に教え子たちの恨みつらみが噴出し、いつの間にか美しく楽しい小学校時代の想い出を語る場は、暗く憂鬱ななじり合いへと変わってしまいます。
最初の犠牲者は、元学級長だったセホ(ヨ・ヒョンス)。彼は家が貧しかったため、パク先生に高価な贈り物が出来ず、同級生の前でいじめられた記憶をずっと引きずっていました。浜辺で独り佇むそんな彼を、ウサギの面を被った謎の人物が襲いかかり、地下室で惨殺します。そして同じように、ひとり、またひとりと姿を消して、地下室で殺されてゆくパク先生の教え子たちと、裏で蠢くパク先生の息子らしき影。しかし、事件は二転三転、誰も予想だにしなかった驚愕の結末を迎えることになるのです。
映画の構成はかなり複雑になっていて、詰め込み過ぎ、消化不良の感もありますが、時間軸を切り貼りした話法は成功していて、大きな効果をあげています。ですから、ミステリーとしても、サイコ・サスペンスとしても、楽しめる充実した映画になっているのです。地下室で殺される若者たちの死体も、一種の形式美を目指していて、クライブ・バーカーの小説や映画が好きな人なら、それなりの出来栄え。
映画の結末は、韓国のサスペンス&ホラー映画の定石通り、説明大会になってしまいますが、深い悲しみに満ちたラスト・シーンはやるせなさと共に、美しさすら感じさせる感動の名シーンになっています。この『師の恩』は、夏場に公開されたホラー映画ゆえ、どこにおいても重要視されない作品になりそうですが、是非観ていただきたい、2006年度韓国映画の注目すべき一作です。
『チンピラ口調』
格差社会が問われるようになって久しい日本。考えてみれば、昔は「富める者」と「貧しい者」の構図を描いた日本映画はたくさんあったように思います。でも、現在の日本にそういった作品が無くなってしまった大きな理由は、日本人が持つ横並びへの強い意識が影響しているのかもしれません。『チンピラ口調』は今の韓国における社会の格差を描いた作品といえるでしょう。もっともかつてのような強烈な批判意識というよりも、あくまでも現代の若者の生き様を描いた作品になっていて、ソウルにおける江北と江南の格差、そこで暮らす人々のコンプレックスを描いているところに、ちょっと目新しさを感じます。
<物語>
イクス(ヨ・ミング)とジョンテ(キム・ジョンテ)、トッパル(チェ・ソッチュン)の三人は、ソウル江北で生まれ育った貧しい若者たち。学歴もコネもなく、野心はあっても這い上がる方法が見つからずで、チンピラ同然の生活を送っていました。でも、イクスの母親が交通事故で亡くなり、多額の保険金が入ったことから、人生巻き返しとばかりに、江南に引っ越しますが、住む場所が変わっても、何もよいことは起きません。お店は客を選ぶし、同じ世代の若者たちが平然と高級外国車を乗りつけ、無邪気に遊びまわっています。
華やかな江南の裏側には、三人組が多少のお金を手にしても、どうにもならない格差が、大きく立ちはだかっていたのでした。仕事を探しても、出来る仕事はたかが知れていて、結局は江北時代と同じような生活を送るはめになってしまいます。それに故郷を出た、といってもソウル市内でのお話。生まれた街の因縁は三人について廻ります。洗濯屋の息子、トゥルチェ(チョ・ギョンファン)と街金ソニル(チョン・ウヒョク)の殺るか殺られるかの対立に三人は巻き込まれてしまいますが、そのことを通して、地道に生きることの大切さ、生まれ育った街の大切さに気づいてゆくことになるのでした。
この作品、全編がビデオで撮影された低予算作品なので、どこか学校の卒業製作か、学園祭の作品といった感じ。監督のチョ・ボムグ(この作品のあと『ガチデン 堤防伝説』で商業映画デビュー)はそれなりに将来を嘱望されているらしく、映画製作会社の支援を受けて製作されていますし、ナレーションをアン・ソンギが担当、オ・ダルスやユ・ジテが製作に協力と、監督の人望を感じさせるエピソードは色々あるようですが、果たしてこの作品が商品として価値があるものなのかどうか、かなり疑問に思いました。つまり、それ相応のお金を払って、2時間、観客をイスに座らせる価値があるかどうか、という疑問です。その疑問を促進したのが、ビデオ撮りの画質であり、フィルムの醸し出す感性が、便宜性を超えた価値をもたらす、ということを改めて強く感じました。
この『チンピラ口調』、韓国の新しい才能に関心があって、別に習作でも構わない、という人以外は、ちょっとしんどい作品かもしれません。
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