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Review 『浜辺の女』『家族の誕生』『赤い靴』
「韓国のインディ・アニメーション」、そして『いろいろなお話』

Text by カツヲうどん
2006/10/15


『浜辺の女』

 日本でも昔から高く評価され、コアなファンの多いホン・サンス作品ですが、私はどうも好きになれません。確かにやっていることは凄いし、「何気」を映しているようでも実際はかなり作りこみ、演出を行っているようで、そういった俳優に対する演出力、監督としての統率力は賞賛すべきものがあります。韓国人からいわせると、彼の作品は会話的な面白さにもある、といいますが、韓国語が全くわからない外国人の多くがホン・サンス作品を高く評価しているわけですから、言葉を超えた優れた表現力を持ち合わせているのでしょう。

 彼の作風を、一部フランス人監督の作風に重ねることは、私はやりたくないのですが、偏った意味での「フランス映画みたい」という形容は、この『浜辺の女』にはぴったりかもしれません。題名自体、フランス映画の邦題みたいですし。話はいつものホン・サンス的世界。男女の不明瞭かつ流動的でいい加減な三角+αな関係を、だらりだらりと日常的会話の中で描いてゆきます。今回も「こういう奴いるよなぁ」とか「確かにこういうことはあるよなぁ」とかうなずきながら観ていたのですが、やっぱり退屈。その退屈さが心地よい人もいるでしょうし、ワンパターンぶりに卓越したものを感じる人もいるでしょうけど、たまには違うものを撮ってほしいとも思います。

 ホン・サンス監督も、ある意味では非常に恵まれた映画監督でしょう。デビューから一貫して好きなことばかり撮っているように観えますし、海外でも評価が高く、韓国内でもそれなりの規模で映画がかかり、スターも出てくれる。商業性と作家性の折衷という点では、現時点では比類なき存在なのかもしれません。

 今回、最大の話題だったのが、ヒロインをコ・ヒョンジョン(ドラマ『砂時計』で一世を風靡)が演じたこと。企業家と結婚し、一時姿を消していた彼女ですが、離婚後仕事を再開。映画界進出の第一弾がホン・サンス作品であったことは、彼女の今後にかける意欲を感じさせます。そして、面白い存在だったのがソン・ソンミ。何が面白かったかというと、今までの濃いメイクをがらりと変えて、素っぽい顔での登場だったことです。でも彼女の個性はきちんと感じられます。その他、ちょい役でイ・ギウが出ていたりして何気に豪華な配役。ホン・サンスのプロデューサー的賢さも良く出ている映画です。


『家族の誕生』

 日本人の韓国に対する視線(その逆も然り)というものはなかなか複雑で、何がなんでも嫌という人がいれば、やたらと賞賛してしまう人、全く無関心な人と、三者三様です。一昔前に比べれば、お互いを等身大の人間として実感できる機会は圧倒的に増えていますから、変な神格化や現実感のない敵意というものは、どんどん少なくなって来ていますが、やはり思惑を含んだマスコミ媒介での情報や、観光旅行だけの関係を通してでは、お互いの核心に触れる機会はまだまだ難しいような気がします。この『家族の誕生』という映画は、そんな壁をちょっとだけ越えさせてくれるかもしれない、すてきな小作品といえるでしょう。

 構成は、時代がはっきりしない三組のカップルと彼らを巡る肉親たちのドラマを個別に描いてゆきます。もちろんこの構成にはトリックがあって、感動的な大団円へと収束してゆくのですが、この作品の素晴らしいところは、そういったテクニカルなことよりも、「男女関係」というものを個々のレベルに因数分解して、「家族」という最大公約数の単位にまとめあげて表現して見せた、というところにあると思います。どの愛憎劇も、一見たわいないものですが、個人の相手に対する想いというものが、何気ない会話や生活描写の中に深く重く込められていて、観た人はどちらの立場にも妙に共感してうなずいてしまうことうけあいです。でも辛気臭い深刻なドラマかといえばまったくそんなことはなくて、明るく軽く、洗練されたタッチで映画は進行してゆきます。

 監督のキム・テヨンは、かつて相棒ミン・ギュドンとともに『少女たちの遺言』でまばゆいばかりの感性を見せたクリエイターですが、互いに独立して映画を撮っている今、二人別々の作品を観ると、『少女たちの遺言』という映画が、本当に二人三脚の感性で成り立った作品であることがよくわかります。『少女たちの遺言』が好きな人は、この『家族の誕生』と『私の生涯で最も美しい一週間』(ミン・ギュドン最新作)の両方を見てほしいと思います。あくまでも私見ですが、映像美的にはミン・ギュドン、ドラマ的にはキム・テヨンといった感じでしょうか。

 キャスティングの中で、日本で一番有名なのは、弟べったりのミラ演じたムン・ソリですが、なんといっても一番光っていたのは、母との関係に苦しむソンギョン演じたコン・ヒョジンでしょう。ソンギョンは日本人相手の観光ガイドを、彼女の母親は梨泰院(イテウォン)で観光客向けの衣料品店を経営している設定になっているのですが、ここには外国人相手に生計をたてている韓国人独特の葛藤というものが感じられて、大変印象に残ります。もうひとつ面白かったのは、ミラの弟ヒョンチョル(オム・テウン)と恋人ムシン(コ・ドゥシム)の熱々な恋人関係。男よりも女の方が二十歳も年上という設定は、通常の映画やドラマでは単なるアジュマ・ギャグや、よろめき婦人のメロとして片付けられてしまいそうですが、それをギャグに終わらせなかったところに、現代韓国の若い監督らしい視線を感じさせます。

 『家族の誕生』という映画が、すぐに韓国の劇場から消えてしまったことは残念なことでしたが、是非、口コミで評判が拡がって再評価されてほしい作品の一本です。

P.S.
 この作品、韓国では一旦上映を打ち切られましたが、その後再上映され、地味ながらロング・ラン興行になったことを付け加えておきます。


『赤い靴』

 この作品は『南極日誌』と並んで、2005年度韓国トンデモ・ホラーにぜひ位置づけたい作品だ。内容自体はシンプルなのだけど、ぐちゃぐちゃの大混乱。観終わった後、呆然とすることうけあいだ。内容的には巻き込まれ型サイコ・サスペンスに近く、ホラーであることが実はどうでもいいオマケ的な要素だったりする。

 物語は、血に飢えた赤い舞踏シューズが突如出現し、その靴を拾った人々に無残な死を振りまいてゆく話だが、実際は悩めるキャリア・ウーマン、ソンジェの苦悩を延々と描いており、出だしから監督と製作側の意見不一致ぶりが目立つ。夫の浮気に愛想をつかして家を出た主人公ソンジェと愛娘が、その呪われた靴に出会ってしまったことから、不可解な殺人事件に巻き込まれてゆく事になるのだが「赤い靴」が出てこなければ、もっとまともなサスペンスになっただろう。題材が全く異なるにもかかわらず、物語の核である「赤い靴」は『ロード・オブ・ザ・リング』における指輪のパクリにしか見えず、靴の所有を巡る争いは、ゴラムとホビットの争いそのまんま、しかも全く説得力がない。

 恐怖演出も、いまさら的なスタイルなので、オリジナリティは一切感じられず、唯一アパートで女子高校生の幽霊に遭遇するシーンだけ例外だが、タイ映画『the EYE【アイ】』のワンシーンとあまりにもそっくりなので、参考以上の参考ぶりだ。映像はおしなべて暗く見にくく、イメージ優先の編集はこま切れで、話を混乱させているだけであり、登場人物たちも、いったいどういう人たちで、どういう背景を持つのかが、きちんと描かれていないため、最後のオチがとってつけたような結末になっている。

 この映画において、キム・ヨンギュン監督が、人の脳内世界といった抽象的な事象を表現しようとしていること、文章に依存する物語性よりも、映像イメージで全体を語ろうとしていることは伝わってくるのだけど、そういう手法が必要とされるような高尚な企画とはとても思えず、製作者側が最後まで勘違いしていたのか、単に収拾がつかなくなってしまったのか、何を意図していたのか非常にトンチンカンである。他の韓国ホラーと異なる点をあえてあげるとすれば、事件の核となる怨念の発端が、日帝時代のソウルにさかのぼる、ということだろうか。よくある無意味な「日帝のわるだくみ」といったバカ設定ではなく、それなりに必然的な背景であり、当時ソウルで花開いたモダニズムが、チョロッとだけ描かれていることは目新しい。ここら辺がもっと丁寧に描けていれば、この映画の価値も大きく変わったのだろうけど、残念ながら「日本人男性、皆軍人」、「淫乱な日本人女性が韓国人男性に横恋慕」といった、いつものパターンでしか進まないので、シナリオ的にはどうでもよかったのだろう。

 主演のソンジェ演じたキム・ヘスは、将来の大女優を約束された実力派だが、なんでこんなヘンテコ映画への出演を承諾したのか、さっぱりわからない。監督のキム・ヨンギュンは、『ワニ&ジュナ 〜揺れる想い〜』で日本のファンの間でもおなじみだが、さまざまな事情があったにせよ、こんな映画を撮ってもらいたくなかったと思った人も多かっただろう。この作品はかなり長尺の予告編が製作され、公開前の劇場で流された。しかし、本編の1エピソードをまるまる使った内容は、宣伝側の良識を疑わざる得ないものだ。結果オーライとして興行に結びついたのなら、仕事としては成功したことにはなるのだろうけど、作品の価値を自ら引き下げる行為だ。

 「ホラーとコメディは損をしない」といわれて久しいが、こんなことばかり続けているようだと、この黄金律が効力を失う日も近いのではないだろうか。


「韓国のインディ・アニメーション」、そして『いろいろなお話』

 2005年の10月7日から9日にかけて、東京都多摩市にある複合文化施設パルテノン多摩で、「シネコレクション 韓国のインディ・アニメーション」が開催されました。「韓国のアニメ」といっても想像がつかない人も多いと思います。テレビ・シリーズに関しては日本でも放映されたので、観た人もある程度いるでしょうが、一般的にいって「韓国のアニメ」とは一体どんなスタイルなのか、よくわからないでしょうし、アート系作品ともなれば一層はっきりしません。大きな原因のひとつとして考えられるのは、「韓国におけるアニメーションとは何か?」という部分が、韓国側自身にとっても、なんだかはっきりしないことです。特にアート系作品に関しては、日本のように広告やテレビなどで活用する場も少なく、インターネットの盛況に従い、いっそう地下に潜ってしまった感すらあります。

 今回、開催された「シネコレクション 韓国のインディ・アニメーション」は、きちんと年代別、カテゴリー別にプログラムが組まれており、全体の流れといったものは一通り観ることができるようになっていましたが、一番新しいものでも2000年度の作品と、決して新しいとはいえなかったことが少し残念でした。機会があればもっと新しい作品群が観たいものです。

 今回、私はすべてを観ることは出来なかったので(今回鑑賞できたのは約半分です)、特に印象に残った三作品について紹介しましょう。

『雨傘』『茂みの中の灰』

 この二本は、『マリといた夏』を手がけたイ・ソンガン監督の作品です。暗くシュールな物語に、モノトーンに近い色彩設計は、『マリといた夏』からは想像もつかない内容かもしれませんが、その豊かな詩情性は、まさしく『マリといた夏』と同じものです。また、音楽の使い方にも共通するものを感じました。『雨傘』は戦争を巡る悲劇、『茂みの中の灰』は民族分断から来る悲劇を描いていて、政治的争いが、いかに個人の孤立や精神の破壊をもたらすか、といったことを切々と訴えています。そこにはまた、人が抱える救われない疎外感や孤独といったものも非常によく出ていて、なかなか感動的でした。

 イ・ソンガン監督が優れているところは、観客が観たいと思うものを、きちんと提示出来るということでしょう。この二作品を観ると、『マリといた夏』が、いかに純然たる商業作品だったかがよくわかります。

『純粋な喜び』

 個人的には一番お勧めしたい作品です。なぜなら、韓国アニメーション業界の内幕を赤裸々に描いた内容だからです。また、リアリズム路線の作品としてもよく出来ています。主人公チャンスは、アニメーション演出家ですが、商売ではない作品を作ることを願い、あてのない売り込みを続けています。しかし、どこの会社も彼の企画を褒めはすれども門前払い、逆にお金になる作品を作ることを勧めます。チャンス自身も、売れる作品でなければ企業は決して出資をしないことをよくわかっていますが、夢と希望を抱いて入ったアニメ業界なのに、結局はなんのために仕事をやっているのか、自問自答し、葛藤する日々が続きます。

 ここで描かれた日常は、リアルで、韓国でのアニメーションを巡る現実、といったものがよく伝わってきます。美術もキャラクター設計も、なかなか味のある出来映えで、どこか他の映画祭でも紹介してほしい作品だと思いました。ちなみに、日本語版を作るとすれば、主人公チャンスの吹き替えは山寺宏一がぴったりでしょうね。

 さて、この「シネコレクション 韓国のインディ・アニメーション」から数日後、私はソウルで、アニメーションのオムニバス映画である『いろいろなお話』を観る機会に恵まれました。こちらの作品群の第一印象としては、デジタルのスキルが大幅に向上し、デザインワークも垢ぬけて、現場を先導する世代が全体的に変わったかな、という感じでしたが、オリジナリティという点が弱いところはあまり変わっていない気もします。

 過去からの大きな変化を感じられなかった理由は、この映画が「国家人権委員会」出資による人権をテーマにした作品、つまり『もし、あなたなら〜6つの視線』シリーズのアニメーション・ヴァージョンであり、描くべきテーマに大きな制限があったからだったのかもしれません。それゆえ、クリエイターの感性に委ねるままとはいかなかったのでしょう。ただし、各作品の表現方法については、ヴァリエーションを持たせる工夫がされていて、一種のアート系アニメーション図鑑のようにもなっています。

 それでは各作品について、簡単に紹介してみましょう(アニメーション技法については、私個人の見解および表現によるものです)。

『いろいろなお話』

1.『昼寝』(素描を中心としたドローイング・アニメーション)
 監督:ユ・ジニ

 生まれつき手足が形成不全の女の子の日常を描いた作品です。彼女は両親の愛情の元、素直に育ってゆきますが、成長して外出するようになると、世間からひどい偏見と差別にさらされてゆくようになります。どの施設も彼女を受け入れてはくれず、最後、やっと見つけた幼稚園には、高い高い階段がそびえていた、という鮮烈な問題提起で終わりますが、ここで描かれた「差別」というものが「自分の子供を大切にすること」と表裏一体である、というメッセージにも受け取れます。幼い子供を大変可愛がる韓国では一層強烈なのでしょう。


2.『動物農場』(粘土とフィギアを組み合わせたモデル・アニメーション)
 監督:クォン・オソン

 人形アニメーションで描かれた、これもまた差別を描いた物語です。マスのコミュニティが、マイノリティを拒絶し排他する、という問題は、どこの社会にもつきまとうものですが、この物語において深刻なのは、ひとりぼっちの山羊が、自分の所属するべき集団をどこにも見つけられないということでしょう。また、彼をいじめ抜く羊たちの規律が、都会から牛やニワトリの混成グループが農場にやってきた途端、なし崩しに瓦解する様は、色々な意味で韓国人社会への皮肉にも感じられるものです。


3.『彼女の家』(素描を中心としたドローイング・アニメーション)
 監督:キム・ジュン、パク・ユンギョン、チョン・ヨンジュ、チャン・ヒョンユン、イ・ジンソク

 一年中、休みなく家事や子育てに追われる主婦の生活を、無限地獄に例えながら、淡々と描いてゆきます。それゆえ、テーマが切実に伝わってくる作品で、きっと、この作品を観て、つくづく納得する女性も多い反面、男性陣は、かなり反省を強いられるかもしれません。アニメーションとしても非常に優れており、描き絵の特色を生かした演出は、クリエイターのこだわりを感じさせるものです。


4.『肉多骨大女』(フラッシュ・アニメーション)
 監督:イ・エリム

 変わった題名ですが、簡単にいえば「ゴツい女」といったところ。李氏朝鮮時代から現代に至るまで「ゴツく生まれた」ヒロインの受難を、シュールなアニメーションで描いてゆきます。容姿差別というものは、本当に非情なものですが、これもまた、韓国ならではの問題提起といえると思います。今回一番凝った作りのアニメーションになっていて、ダリやマグリットを下敷きにしたシュール・リアリズムな空間や個性的なキャラクターデザインは、なかなか個性的ですが、どこかで観たような・・・


5.『自転車旅行』(水彩タッチのアニメーション+3D-CGI)
 監督:イ・ソンガン(『マリといた夏』)

 とても切なく悲しい物語です。韓国の郊外を舞台に、記憶を失った自転車が持ち主を捜して街をさ迷ううちに、持ち主であったネパール人労働者の悲劇が浮かび上がってくるというお話です。そこには、海外からの労働者がいなければ産業が成り立たず、かといって大幅に受け入れることは社会が許さずといった韓国社会のジレンマが描かれています。盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権は、ソウル市内の工場を全て地方に移転させることを、現在、実践中ですが、それは韓国全土に、より多くの外国人労働者が根づいてゆくということでもある訳で、この作品で描かれた問題が大きくなってゆくだろうという点で、きわめて旬なテーマを描いた作品といえるでしょう。


6.『人になりなさい』(水彩タッチのアニメーション+3D-CGI)
 監督:パク・チェドン監督

 未来の昆虫学者を夢見るゴリラの少年が主人公という話ですが、動物学校の話かと思いきや、実は学歴のないものは人間ではない、という学歴偏重社会を描いた作品になっています。韓国でも昔に比べると価値観が多様化し、「よい大学=よい人生」という意識は変わりつつあるのかもしれませんが、科挙制度を取り入れたか、入れなかったかは、日本と韓国のステイタスに対する考え方に想像以上の差異をもたらしているのかもしれません。ラストは衝撃的で、学校に通う子供を持つ親にとっては、人事とは思えない重い問題を投げかけてきます。


 この『いろいろなお話』という企画は、お役所的なルールに従った内容なので、正直いって帯に短し襷に長し、物足りない作品でした。ただ、他のアート系アニメーションと含めて、テレビでいいですから、日本でも紹介する価値は十分あるでしょう。商業ベースにならない作品だからこそ、NHKなどに積極的に紹介してほしいな、とも思いました。

 ここ最近の韓国アニメーション界を巡る状況は厳しく、急速に明るくなるようなことは、ちょっと望めない状況です。下請け仕事は中国に奪われつつあり、日本やアメリカのアニメーション業界の韓国離れは進む一方です。自由な感性を持った若いクリエイターや消費者が育っていることは、希望の光かもしれませんが、一部の頑強な古い体質が入れ替わるには、まだまだ時間と、大きなテコ入れも必要でしょう。しかし、アメリカや日本からの仕事が激減している今だからこそ、それを好機として活用すべき時が来ているのかもしれません。まずは、韓国人自身を自国の作品に振り向かせることが一番重要なのではないでしょうか。

<付記1>
 2006年10月28日(土)・29日(日)、パルテノン多摩で「韓国アニメーション最新事情」が開催され、『いろいろなお話』は『もし、あなたなら…:アニメ編』という邦題で日本初上映されます。その他の上映作品など詳細は以下のURLをご参照下さい。

http://www.parthenon.or.jp/

<付記2>
 「韓国のインディ・アニメーション」上映作品は日本で配給されていますので、映画祭・自主上映などで上映可能です。詳細は以下のURLをご参照下さい。

http://www.kj-net.jp/cinema/


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