Review 『韓半島 −HANBANDO ハンバンド−』『多細胞少女』『アラン』『フィッシュ・レース』
Text by カツヲうどん
2006/10/8
『韓半島 −HANBANDO ハンバンド−』
この映画の企画が公にされ、製作が開始、そのシノプシスが明らかにされたとき、「え? 今頃なんでこんな企画を」とあっけにとられた人は日本でも韓国でも多かったことでしょう。韓国固有のストーリーラインとして「反日物」があります。かいつまんでいうと「豊臣秀吉の時代から今に到るまで、日本という存在は朝鮮(=半島)文化の根絶と支配を狙っていて、日帝時代が終わった今でも、日本の奥底では軍国主義者たちによって、その悪巧みは続いている」という前提のもとで創られた物語のことを指します。しかし、これは実質、有名無実化していて、あくまでも「おはなしの上でのお約束事」であり、これらにおける「日本」という存在も、実は中国やアメリカその他、韓国に大きな影響を及ぼす国家のたとえであって、日本人としては、むやみに激怒したり卑屈になったりする必要はまったくないと思います。問題があるとすればマスコミが大騒ぎをして、それを信じてしまう人が日本にも韓国にもいるということでしょう。
この『韓半島 −HANBANDO ハンバンド−』が製作された理由の背景には、西暦2006年が、第三次日韓協約締結の年、つまり日帝時代の始まりから数え年で100年目であったことが大きかったと思いますが、最近の日本映画における動向=戦争・軍事映画の連続製作が多少なりとも原因になっているのではないでしょうか。日本で『亡国のイージス』や『男たちの大和/YAMATO』、『ローレライ』を観て、将来自衛官になろうとか歴史を勉強しようとか思う若者はいても、日本を積極的な軍事大国にしようと志し行動する人はまずいません。でも韓国では、そういう作品群が日本で作られることに対して、どうしても現実的な分析より偏ったイメージが先行して伝播されがち。日本の動向に対して神経質になって対抗しようとする気持ちが、一部韓国映画人に芽生えることは、なんら不思議ではないわけです。でも、海外渡航が自由化されてはや二十年。ネットで日本の生情報が入り、個人同士の正直な意見交換と意思表明が出来るようになった今の韓国では、こうした古臭いスタイルの日本に対する牽制表現は、かなり効力を失ってきているのではないでしょうか?
<物語>
映画は韓国と北朝鮮を結ぶ京義線開通式典から始まります。上座には韓国大統領閣下(アン・ソンギ)と北朝鮮の総書記兼将軍様(ペク・イルソプ)が並んで座わり、会場には歴史的瞬間をとらえようと世界中からマスコミが来ていました。でも、ある一行がだ〜れも来ないので、式典が始められず皆イライラして待っています。こなかったのは一体誰でしょうか? そう、陰謀好きで高慢な日本政府の人たちなのでした。翌日、青瓦台に「京義線開通は認められねぇーよ、日韓協約の鉄道借款状に沿って、日帝が投下した資本は全部没収するからな」という日本人からすれば常識を疑うような通牒が「日本政府」から送られてきます。
回答をぐずる韓国側に対して、威圧的な「日本政府」は海上自衛隊を大派遣(こんなに艦船動員したら日本の海上防衛が機能しなくなること必至)、韓国政府を脅します。対する韓国政府も空軍・海軍を動員して玄界灘から西側は一発触発の状態に。この危機を乗り越えるには「相手が日韓協約を盾にガタガタいっているんだから、その協約が実は無効であることを証明すればいいのだろう」ということで、ある人物が呼び出されます。彼の名はチェ・ミンジェ博士(チョ・ジェヒョン)。日韓協約に捺された国璽(こくじ:国家の印章)は、日本人が偽造した偽物であり、本物はどこかに隠されているぞ!と強固に主張して学会を追い出され、今は主婦向けのカルチャーセンターで「お前らの歴史認識はなっておらーん!」と怒り狂っているソウル大学卒業の変人歴史学者。彼は、協約書に調印された国璽が嘘でたらめであることを、コンピュータ・グラフィックスを使って、これでもか、これでもか、これでもか、と持論を展開、解説するのでした。
最初はチェ博士の説に懐疑的、それでなくてもなんだか全てにおいて無気力にしか見えない韓国大統領(盧武鉉の次期大統領という設定に大笑い)でしたが、派手な「国璽は偽モンだよ、オッカサン!」パフォーマンスに愛国心を誘発されたのか、突然人格が豹変、ついでに人相も変わって、日本政府の嘘を証明することに全力を注ぐよう閣僚たちに命令を一喝〜! 政府のお墨付きを受けたミンジェ博士は早速、国璽を探して文化財の盗掘を繰り返す(←つまり泥棒ですね)キム・ユシク(カン・シニル)に協力を求めます。彼は、朝鮮王朝・高宗側近の子孫。曾爺さんが書いた『五岩日記』を元に本物の国璽を探して放浪の生活を送っている人物でした。
早速、国璽探しに奔走する二人組みの掛け合い漫才が発掘の模様を交えて始まります(ここら辺がカン・ウソク監督ですねぇ)。しかし同時に、国政を司る総理(ムン・ソングン)は大統領のトチ狂った行動に「しまった! こりゃあ、まずい! 飯が食えなくなる!」という訳で、国家情報院所属の真面目と忠実を絵に描いたような書記官イ・サンヒョンに国璽探索の妨害を命じるのでした。とにかく、馬鹿がつくほどスーパー真面目なサンヒョンは、任務を真剣かつ忠実に実行、ミンジェ博士がキム・ユシクと進める国璽発掘を邪魔し、ミンジェたちが見つけた国璽を無理やり銃で脅して取り上げ破壊します。でも、その国璽も真っ赤な偽物。
同じ頃、大統領は毒を盛られて意識不明になります。その隙に大統領代行となった総理は日本と和解を進めようとしますが、実は彼、韓国経済界と癒着していて、国体よりも経済が大事、という理由で大統領の行動を邪魔していたことが明らかになるのでした。そのことを飲み会(!?)で知ったサンヒョンは、根がとっても純真な人物らしく、国を裏切ったことを悔やみ、涙を流してゴメンナサーイ。今度は大統領側の国璽探索に協力することになります。やがて本当の印章はソウルを訪れた日本人の99%が「あっ、あそこ、知っている!」というメジャーな場所(明洞や南山タワーではありませんよ)に隠されていたことが『五岩日記』によって新たに判明、ミンジェたちは国家情報院協力の下、偽の爆破テロを演出、周辺の邪魔な韓国の民間人を追い払い、見事、国璽を探し出すのでした(でも、これって、後で賠償やら何やらで大変なことに・・・)。発見された国璽は日韓専門家鑑定の元、本物であることが証明され、日韓協約は無効ということで、めでたし、めでたし。日本の軍艦に乗り込んだマンガのような凶悪軍人たちは、さも惜しそうに引き上げてゆくのでした。
この作品、正直言って非常に退屈、「時代錯誤」という四文字が脳裏を横切ります。ただ、これだけ込み入った話を簡潔に判りやすくまとめ、多彩なキャラクターもきちんと分けて描けているところは、カン・ウソクの優れた手腕といったところ。映画の出来栄えとは別に感心させられる部分ではありました。反面、シンプルにまとめすぎて「エッー!? これで終わり?」といった内容になっている事実は否めませんが、複雑なポリティカル・フィクションを娯楽作として仕上げるという意味では、色々と参考になるかもしれませんね。でも、韓国に関心のある人間からいわせれば、明成皇后(閔妃)暗殺のシーンにあんなに力を入れながらも、当時現場にいた日本、朝鮮の人々が実際何を考え、どう行動したかが一方的な視点でしか描かれておらず、「韓国では常識だから、あれでいいの!」ということでも、肝心の日本人に対しては、全くアピールしない中身になっているのではないでしょうか?
日本に対する描写も仕方ないとはいえ相変わらずトンチンカン。皆さん、野蛮で尊大です。大陸浪人は変な着物を来ているし、自衛官はまるで街頭演説をする右翼のお兄さん。日本大使は国連決議を蹴って退出した、どこかの国の人みたいです。また、韓国海軍の軍艦に無理やり日章旗をはっつけて「日本海軍じゃ〜」とやっているので、韓国軍と自衛隊が海上でにらみ合うシーンは、実質、韓国海軍同士がにらみ合っている構図になってしまい、なんだか笑ってしまいます。こういう視点は軍事オタクの邪道な見方だと釘をさす人もいるでしょうが、情報開示が進んだ今だからこそ、ミニチュアやCGIを駆使してでもリアルに描くべきだったのではないのでしょうか。それにどうせここまでやるなら、ちょっとした戦闘もやるべきです。その方が、問題提起としてよっぽど健全。映画『ユリョン』じゃあ、勝手一方に日本の潜水艦を沈めまくったのですから、やって出来ない訳がない。また、日本と韓国の衝突について諸外国、特に中国やロシアの反応は、毎度お馴染み、お茶を濁す程度に触れているだけ。つまりこの手のお話は、国際関係をリアルに描こうとすると成立しない、という訳ですね。韓国では中国との関係をネガティブに描くことが一種のタブーになっているのは分かりますが、毎回中韓問題はないことにされて、ロシアは無視、日本やアメリカばかりが悪の根源として描かれていることは、良識ある人々からすれば文句の二つ三つ出ても仕方ないでしょう。
また臨戦下に、韓国の一般人がどう対応しているかも全く描かれていません。あれだけ常時大量に滞在している日本人も、どうなったの?という疑問が残ります。まあ、劇中、日本大使館は韓国軍によって閉鎖の憂き目に遭う訳ですから、みんな強制送還なのでしょうけど、さぞ帰国便の手配が大変だったのでは? それだけで、ドラマ・ネタになりそうです。
この『韓半島 −HANBANDO ハンバンド−』、2006年度韓国映画として突出した珍作、最近ではあまり見かけなくなった希少な映画。日本人としては、目くじら立てて怒るのではなくて、なぜ未だこんなになってしまうのか?を考察しつつも、逆に皮肉を並べて笑ってあげる態度の方が、より公平な姿勢なのではないかと思います。表向きは過激ですが、実際は玉虫色の決着をみせる製作側の巧妙な計算も感じさせる作品であり、反日映画というよりも韓国の映画人が韓国人に対して喝を入れるべく製作した映画と表現した方が正しいのではないでしょうか。
『多細胞少女』
この映画、原作がネットのカルト漫画だったことや、監督が『スキャンダル』や『情事』のイ・ジェヨンだったこともあり、一部マニアから密かに期待されていた作品です。でも製作年度が2005年だったり、配給元が期待できない某社だったりと、不安な要素も一杯。公開が始まれば始まったで、早々にキャパの小さい劇場に廻されてしまうなど、その出来栄えは想像できるものでした。韓国内の評価は賛否両論でしたが、私にとっては猛烈に退屈な睡眠系映画。実際、私の隣の観客は大爆睡状態で、映画よりこちらの方が可笑しかったくらいです。
これといった物語は基本的にはありません。どこかにある奇妙奇天烈な「なんの取柄も無い」高校を舞台に、ハチャメチャな個性派キャラクターが織りなす一発ネタをダラダラと並べた内容。全体に共通することは、皆がセックスに対してアンモラルで自由だ、ということでしょう。ここには韓国の青春映画によくある性への憧れや不安、純愛といったことよりも、セックスへの憧れが壊れてしまった後の姿が描かれています。そこには、一部韓国人が勝手に想像している日本の若者へのイメージが、ちょっと交錯しているように感じたのは私だけでしょうか。
イ・ジェヨン監督は、テレビCMだとか、やおいよろずの日本アニメのような、たくさんの情報量を持つ映画を作りたかったのでしょうけど、ちょっと力的に無理だったようです。『トンマッコルへようこそ』のパク・クァンヒョンのような資質を持つ監督が、この『多細胞少女』を手がけていたならば、かなり革新的な作品になっていたような気はします(ないものねだりを言っても仕方ありませんけど)。この映画が、日本のアニメーションや中島哲也作品『下妻物語』『嫌われ松子の一生』の影響下にあったかどうかはわかりませんが、端々に日本に対する一種のコンプレックス、記号化された日本といったイメージに対する反感や憧れを感じさせる部分があって、韓国人が持つ何か抑圧された複雑なものを観たような気もしました。
主演は基本的に新人が大集合。ヒロインのキム・オクビンが、まあまあ売れているくらいで、次世代スターが気になる方には、ご贔屓を探すといった楽しみはあるかと思います。個人的には誰もぴんと来なかったのですが、ヒロインの背中に張り付いた貧乏神の計算されたチープさだけが光っていて笑わせてくれます。でも、可笑しかったのはここくらい。ちなみに最も怪奇なキャラとして、一つ目の純情少年バギ(イ・キョン)が出てきますが、存在に違和感が全然なくて、逆に肩透かし。奇をてらったデザインだけでは、キャラはどうにもならないという、よい例になっています。
原作はネット以外にも本で出ているので、書店での入手も可能です。キャラが某アニメみたいでイヤーとか、絵のタッチがちょっとねぇ、という方もいるとは思いますが、日本とは異なる韓国ネット・マンガの文化に触れるよい機会かもしれません。
『アラン』
ここ数年、ホラー映画はビジネス的に外れなし。という訳で、韓国ではコンスタントに製作され、毎年夏になると映画館は韓国製ホラー映画が有象無象の大行進。本数が増えれば、それだけ差別化の工夫を迫られますから、内容的には多彩になってきていますが、質の面ではまだまだといった横ばい状態。韓国製ホラー映画の特徴は、とにかく脅かし第一、内容は陳腐で幼稚という印象がどうしても拭えません。観客もそんなワンパターンにうんざりしたのか、一昔前に比べると客足も明らかに鈍っているように見えるのですが・・・
この『アラン』は、キム・ジウン監督のホラー映画『箪笥』のベースになった朝鮮時代の復讐奇談の、さらに基となったお話からモチーフを得て製作された作品ですが、今までの韓国ホラーと比較した場合、物語のテーマ性とドラマ性の充実を目指したところが特徴的。映画の後半には、今までの韓国ホラーにはなかった深い感動があって、ちょっと泣かされる展開になっています。
<物語>
時は現代。ソウルで裕福な青年たちが次々と変死する事件が相次ぎます。共通しているのは、事件現場に残された一通の電子メール。中を開くと野原に建つ一軒の廃屋を描いた光景が映し出されますが、何を意味しているのか、さっぱりわかりません。事件を担当する女刑事ソヨン(ソン・ユナ)は、新人刑事のヒョンギ(イ・ドンウク)と組み、捜査を進めて行きますが、同時にソヨンは悪夢にうなされるようになります。それはまるで誰かがソヨンにメッセージを送っているかのようです。
ソヨンらは、被害者たちが学生時代、友人関係にあったことを突きとめ、彼らの仲間であった医者のトンミン(イ・ジョンス)に疑いを抱きます。しかしトンミンもまた謎の電子メールを受け取っていて、妻を殺害した後、謎の錯乱を起こして死んでしまうのでした。やがて、第一の被害者の元からビデオの残骸が発見され、記録されていたのは学生時代の被害者たちが一人の少女をレイプしている光景でした。こうして事件は意外な方向へと進んでゆきますが、VTRの撮影現場に第三者がいたことから、連続殺人事件の裏に隠された青春の悲劇が明らかになってゆきます。
この『アラン』という映画、着眼点はかなりよかったと思います。ヒロイン、ソヨンと、殺された少女の念がなぜシンクロしていったのか、映画の最後には、ちりばめられた符号が合致して謎が解けるとともに、衝撃的で深い感動を呼び起こします。もしこの作品が、もっと社会的なテーマを重視した作りになっていれば、今までの韓国ホラーの中でもドラマとの融合という点において記憶すべき傑作になっていたでしょう。でも、それをすべてぶち壊したのが凡庸なホラー演出。監督のアン・サンフンは、きっと色々なホラー映画を観て本作に臨んだのでしょう。まじめに誠実にホラー演出の定石を踏んでゆきますが、はっきりいって、これがシナリオの持つ可能性を抹殺してしまいました。
血だらけ黒髪、ずぶ濡れ、白コンタクトをはめた母娘の怨霊が「ババーン、ドドーン、ババーン、ドドーン」と毎回姿を現すくだりは、冒頭から同じパターンの繰り返し。たぶん監督の演出意図ではなく、業務命令でこんなトホホなホラー演出ぶりになってしまったのでしょうけど、事件の真相が明らかになってゆく後半部があまりにもよかったので、その落差にはガックリ。また、映倫その他の都合もあるのでしょうけど、レイプ問題をなんとなく外側をなぞるだけでごまかしたことも映画の深みを無くしてしまいました。都会から来た若者たちの無邪気な犯罪が、淡い初恋を地獄に変え、悲しい復讐劇へと繋がっていった様子を解き明かす後半部は、韓国のホラー映画としては傑出した出来栄えだったのですが、「ホラーとはこういうものである」とばかりのおかしな公式から脱することが出来なかったことが、この『アラン』の悲劇だったといえるでしょう。そういう意味では、『6月の日記』と並んでシナリオの持つ強いテーマ性を活かせなかった、実にもったいない作品です。
『フィッシュ・レース』
この作品は「世界市場を目標に」(←韓国アニメーションの企画では必須の枕詞ですね)という訳で、音楽やポスト・プロダクションなどをアメリカが、その他メインな部分を韓国が担当して製作されたフルCGI作品です。あくまでも「韓国製アニメ」として観れば出来はそれほど悪くなく、そこそこバランスは取れていた作品だとは思いますが、「これだ!」という売りが何もないので、観たら記憶から即消去されてしまいそうな作品でもありました。企画自体がどこかで観たような、聞いたようなデジャブ感200%の話なので、新鮮さは全くありませんが、国際市場では逆にそういった内容の方が売りやすい、という計算があったのでしょう。
キャラクターも結構こなれていて、アメリカン・スタイルのキャラクターをやらせたならば韓国のスタッフは日本よりもうまいという事がよくわかりますが、魅力的であるかどうかは全く別。それなりに面白いキャラ(カジキの爺さん三人組とか)もいますが、キー・キャラとなる主人公パイや、ガール・フレンドのコーデリアがメカジキにはとても見えず、巨大な化け物金魚。これではちょっとアレンジしすぎです。
この『フィッシュ・レース』を観ると、ピクサーの『ファインディング・ニモ』という作品がいかに優れているかが嫌になるほどよくわかります。これは技術うんぬん以前のアニメーションに対する意識の差異といえるでしょう。どういうことかというと、『ファインディング・ニモ』という作品は、劇中、魚たちを擬人化してはいても、基本的な自然界の絶対ルールを大きく捻じ曲げることなく、リアルな海の生態を描こうとしていたのに対して、この『フィッシュ・レース』はめちゃくちゃ。環境汚染の影響で「グエムル」のような奇形魚がわんさと蠢く都市近海に、メカジキその他外洋性の生物が当然の如く一緒に暮らしていたり、どの生き物も大きさも皆同じだったりと、年少者向けのアニメーションであることを悪い意味で逆手にとった、観る側を完全になめた世界観。子供が観るからこそ、『ファインディング・ニモ』のようなリアリティーが大切なはずなのですが、そういった配慮があまりにも欠けています。たぶん現場の若いスタッフに聞けば「我々もそう思い、主張したのですけど・・・」といった、よくある答えが返ってきそうですが、韓国アニメを巡る根本的な問題をはたまた強く感じてしまいました。
技術的には「まあ、O.K.」レベル。そんなにひどくありませんが、画質がよくなく、色彩もなんだか澱んでいます。これでは青いご飯に、どぶ色の味噌汁を食べさせられているようなもので、デジタル・アニメーションであることの意味に、背を向けた演出のようにも見えます。まさか、監督のアンチ・アニメの意思表示とか?
物語もメリハリがない上、核となるものがありません。世間知らずのパイが、弱肉強食のカリブ海に流されて大冒険を繰り広げ、成長してゆく、というといった内容に思えますが、結果的にはドヨヨーンとして閑散な偽カリブ海で繰り広げられる、子供たちのせこい喧嘩話。文字通り亀仙人が出てきて、パイに拳法を伝授、不良ホオジロ鮫をやっつけるという物語が後半の見所にはなっているのですが、あくまでも話のオチをつける程度。「どんな映画?」と聞かれたら「人面魚が出てきて漫才をして、拳法を使う話」としか答えられません。「お子様向け」と限定して考えてみても、根っこが「お子様向け」をなめているような内容ですから、多くの子どもに受けるとはとても思えず、とりあえず海外セールで一本でも多く売れることだけを祈りましょう。合掌。
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