HOME団体概要support シネマコリア!メルマガ登録サイトマッププライバシー・ポリシーお問合せ



サイト内検索 >> powered by Google

■日本で観る
-上映&放映情報
-日本公開作リスト
-DVDリリース予定
-日本発売DVDリスト
■韓国で観る
-上映情報
-週末興行成績
-韓国で映画鑑賞
■その他
-リンク集
-レビュー&リポート
■データベース
-映画の紹介
-監督などの紹介
-俳優の紹介
-興行成績
-大鐘賞
-青龍賞
-その他の映画賞


Review 『お客様は王だ』『シン・ソンイルの神隠し』
『チ・ジニ×ムン・ソリ 女教授』『フー・アー・ユー?』

Text by カツヲうどん
2006/5/3


『お客様は王だ』

 スタイリッシュな美術、きちんと練り込まれたシナリオ、じっくりと腰を据えた映像と、最初から終わりまで丹精に構築された2006年度韓国映画の注目作です。一体、どういうジャンルの映画であるか、ちょっと切り分け難い内容なのですが、ミステリーの体裁をとった人間ドラマといったところでしょうか。私は何の予備知識もなく観に行ったので、昔観た日本のテレビ・ドラマと話が全く同じじゃないかと思ったりもしたのですが、最後のクレジット・ロールで疑問が解氷。なぜなら原作が西村京太郎の短編小説『優しい脅迫者』だったからです。私が小学生の頃に観たテレビ・ドラマ版は、確か床屋役が伊東四郎、脅迫者役が坂上二郎だったと記憶していますが、基本的なストーリーラインは同じであっても、監督&脚本のオ・ギヒョンは、オリジナルのテーマを組み込むことで、単なる翻訳小説の映画化ではない独特の作品に仕上げています。

 二転三転四転するストーリー展開は、ミステリーサスペンスであると共に、脅迫者キム・ヤンギル(ミョン・ゲナム)の複雑な人生を描く優れた人間ドラマにもなっていて、それが韓国映画に対する敬意と愛に繋がってゆくところは、思わずハシッと手を打ってしまうような見事さでした。しかも、よくある映画青年の自己満足ではなくて、洗練された「韓国映画へのオマージュ」になっているところが実に素晴らしいのです。監督のオ・ギヒョンは元々CM業界の人間だったようですが、それゆえ一歩引いたところから自国の映画的動向というものを観ていたのでしょう。この映画の持つ視点には「韓流」という空回りする言葉に対しての業界人からのメッセージが含まれているようにも思えて、ちょっと痛快です。

 出演者は完全なノースターですが、皆キチンとした演技スキルに支えられた俳優ばかりなので、安心して観ていられます。誠実な床屋の主人アン・チャンジン演じたソン・ジルは、個性派の名バイ・プレーヤーとしてお馴染みですが、今回は粗野ではない内気でおしゃれなキャラクターを抑えた演技で見せてくれます。その妻チョン・ヨノク役のソン・ヒョナや、探偵イ・ジャンギル役のイ・ソンギュンは、誇張されたキャラクターの狂言回しとして、非常に重要な役割を果たしています。最近、映画出演が目立つソン・ヒョナですが、彼女くらいの年齢の女優に活躍の場が増えることは、とてもいいことだと思います。一昔前だったら三十過ぎたら「ハイおしまい」だった訳ですから。イ・ソンギュンの演技はかなりわざとらしいので、ちょっと鼻につくかもしれませんが、独特の個性は、これからの活躍が期待できそうです。

 さて、これらキャステング陣の中で、本当の主役であり、ギラギラに魅力的だったのは、脅迫者キム・ヤンギル演じたミョン・ゲナムであったことは、作品を観た人の99%は異論ないはず。いろいろな事情があって、しばらくぶりの映画出演ですが、「俳優ミョン・ゲナム」というものが、この映画のもう一つのテーマでもあって、彼に対する製作側からの愛情と尊敬が劇中からは濃く滲み出ています。ヤンギルが何者であるかは、映画を観て確かめていただいきたいのですが、そこには記号としての役割以上の深い主題が重なってもいて感慨無量。ちょい不良(ワル)オヤジを地で行くゆくようなダンディぶりも、韓国の初老男性には珍しく格好よくて、これからは韓国オヤジ連中のイケメン時代が来るのかもしれません。

 この『お客様は王だ』は、内外のマスコミでおおげさに取り上げられる「韓流」の薄っぺらさに、韓国の映画人たちが喧嘩を売ったともとれる作品になっていますが、韓国映画の体系というものを考察した時、久々に伝統に則った「新しい韓国映画」の登場だったのではなかったかとも思いました。とりあえず、2006年度韓国映画前半期におけるベストの一本といえるでしょう。


『シン・ソンイルの神隠し』

 韓国のクリエイターって、どういう訳かディストピア物が好きなようで、SFにしてもファンタジーにしても、暗い未来や世界を描きがちなのですが、明るい未来を標望しつつも、本当の心根はもっとシビアだということなのでしょうか。日本のクリエイターが絶望的な世界を描いても、どこか楽観的でのんびりしているのとは対照的な感じがします。この『シン・ソンイルの神隠し』という作品も、旧共産圏で書かれた暗いSF作品を連想させる雰囲気を持った映画で、シノプシスを読んだ際はSF寄りのファンタジーかと思いましたが、さにあらず。宗教映画です。

 物語の舞台がカルトな孤児院である、ということもありますが、主人公シン・ソンイルが、真実(=約束の地)を求め孤児院(=故郷)を捨てて放浪する様子や、彼の前に時折姿を表す救世主(=預言者、もしくは天使)のイメージは、聖書を連想させます。私はキリスト教に対して唯物的にしか関心がないので、感情レベルでのキリスト宗教感覚というものが理解できないことは残念なのですが、そうではない人には、この作品はもっと違った価値観で訴えかけてくるのでしょう。

 物語はパステナージュでもあり、様々な情報が脈絡なく挿入された現代文学を思わせます。ですから、ただボーっと観ているだけでは、眠くなるばかり。登場人物たちに著名な映画俳優の名が冠せられていることは、監督の持つ映画への愛やパロディ、というよりも、何かもっと深い意味合いを思わせます。この作品、なぜ韓国でそれなりに評価を受けたのか、私のノーミソでは理解しがたいことなのですが、この作品を観ていて一つ感じたことは、朝鮮半島が太古より持つ宗教的風土が、実はキリスト教的思想が生まれた風土とかなり相似した要素を持った関係にあるのではないか?ということ。平たくいえば、両者の根っ子が同じなのでは?ということです。

 昔、私はある韓国についての事情に詳しい日本人に「韓国のことを理解したければ東学を理解しないとだめだよ」とアドバイスを受けたことがあります。今もって、この問いかけはよくわからないのですが、「東学」というものが乱暴にいって、「儒」が持つ中国大陸的な原始宗教の要素と、「キリスト教」が持つ中東+ヨーロッパ的な原始宗教の要素の折衷だといってしまえば、韓国社会にキリスト教的な物が深く根を降ろしていること、『シン・ソンイルの神隠し』のような作品が生まれてくることは、なんとなくぼんやりとですが、見えてくるようにも思えます。日本の混沌とした多様さは、諸外国のクリエイターにとって羨望のまなざしになることが多い昨今ですが、それもまた日本という風土が持つ多神教的なものが根本にあるのかもしれません。

 熱心な(狂信ではなく)クリスチャンの日本人の方がこの作品を観た時、どういうものが目に映るのでしょう?


『チ・ジニ×ムン・ソリ 女教授』

原題:女教授の隠密な魅力
2006年執筆原稿

 独りの女性教授を巡る、男性たちの駆け引きと奇妙な関係を描いたドラマですが、ラブ・ストーリーというよりも、狭いコミュニティ内での複雑な人間関係を描いた、個性的な作品です。まず、注目はその演出のスタイル。最近、韓国映画の若手の中に、日本の北野武監督のスタイルを連想させるものが頻繁に出現するようになってきていることは、他のレビューで何度か触れていますが、この『チ・ジニ×ムン・ソリ 女教授』もそんな一本であり、特に北野監督の初期作品群を濃く連想させる映像となっています。こうした現象は、果たして北野作品の影響下におけるものなのか、時代や遺伝子、社会が生み出すものなのか、なんとも言い難い不思議なことですが、新しい韓国映画スタイルの芽生えなのかもしれず、それを生かすか殺すか、韓国映画界の動向は再び未来を見据える時期に来ているのかもしれません。

 映画の物語はあって無きに等しく、ヒロイン、チョ・ウンスク(ムン・ソリ)と、彼女に振り回される男性たち、漫画家パク・ソンギュ(チ・ジニ)やテレビ・プロデューサーのキム・ヨンホ(パク・ウォンサン)、大学教授ユ(ユ・スンモク)の無常な人間喜劇を描写してゆきます。登場人物像に共通しているのは、皆、何かしら鬱積を抱えており、どこか心が歪んでいること。「いい人」は誰もおらず、ヒロインのウンスクですら、気に入らない同僚をいじめる嫌な性格です。ホン・サンス監督が描く人物像と共通するものを感じますが、もっとフラットで冷たい人物像です。えてして韓国の作家主義的作品は、主要な登場人物に平凡ながらペシミステックな性格付けを好むようですね。

 もうひとつ特徴的なのは、どのカットも妙にガランとして虚しい映像になっていることです。まるで放課後の学校か人口過疎の工業団地の光景のようで、独特の冷たい印象を与えますが、これは逆に日常の一瞬というものが、いかに孤独な時間の連続であるかを表現しているようにも感じさせます。この感覚が本作デビューのイ・ハ監督の個性であり、狙いであったとすれば注目すべき映像感覚といえるでしょう。

 ヒロイン演じたムン・ソリは、今回は一つのパターンに沿った形式的な人物像の表現を試みています。田舎の大学で、マンガ科講師としてやる気なさげなソンギュ役のチ・ジニは、テレビでの活躍が中心ですが、こういった作家性の強い作品への出演が、今後のキャリアを変えるかもしれません。

 この『チ・ジニ×ムン・ソリ 女教授』は、そのリズムや作風にある程度乗れないと、退屈で苦痛な作品でしかありませんが、現代韓国映画の風潮の一つとして位置づけることは出来ると思います。


『フー・アー・ユー?』

 「オンライン・ゲームを通じた現代のラブ・ストーリー」というと、いかにも韓国的で「またぁ?」と思う方もいるだろう。だが、映画は極めて良い意味で期待を裏切り、2002年度韓国映画娯楽作の中では、最も記憶に残る一本となった。

 映画はゲームソフトが開発され、そのベータ版が配られて行く様子から始まる。主題歌に合わせて軽快に展開するその様子は、その後の映画の進展を十分に期待させてくれる。この映画の良さは、大きくいって三つある。まず第一に、手堅い演出である。ドラマはゲーム・ソフト「フー・アー・ユー」に、絶対に振り回されたり、浸食されたりしない。あくまでもゲームは、登場する人物を陰で支える小道具にしか過ぎないのだ。第二に、主人公たちの暮らしがきちんと描かれている点である。ここに登場する若者たちは、身分不相応なエリートではない。かといって、過度に貧しかったり、汚かったりもせず、極めて自然体の都会の若者たちが登場する。第三は、洗練された編集とカット割りだ。こういう部分が案外ずさんな韓国映画にあっては、作品を光らせる大きな長所となっている。

 登場するゲーム自体は、ビジュアル的には、ひどい物だが、そのコンセプトが出会い系ナンパを目的としているため、日本でも案外受けそうだ。

 ヒロインのインジュを演じるイ・ナヨンは、今までの韓国映画では、あまり見かけなかった独特の雰囲気を持つ女優で、今回は、はまり役だ。一種のストイックさがあり、現状の仕事にベストを尽くそうとするヒロイン像は、非常に好感が持てる。一見軽薄そうだが、実は誠実な人柄の相手役ヒョンテを、『春香伝』(2000)で若様イ・モンニョンを演じたチョ・スンウが好演。ポスト、ハン・ソッキュともいうべき魅力を見せている。この映画を観て、彼のファンになる日本人は大勢いるだろう。

 インジュの親友ボヨンを演じるチョ・ウンジ、彼女は『ティアーズ』(2000)の不良少年に貢ぐホステス役で、嫌味のない不思議な魅力を振りまいていたが、この映画でも、ごく自然な可愛らしさを披露している。彼女の女優としての個性は、韓国映画界では、他にお目にかかることが出来ない貴重なものだ。

 『フー・アー・ユー』は韓国映画というよりも、「日本の若手監督作品」と表現した方がピッタリな感性を持つ作品であり、韓国よりも日本の観客の方が、この映画の心地好さ・暖かさを理解してくれそうな気がする。キャスティングが地味であるため、興行的にはアピールしにくいきらいがあるものの、まさに愛すべき佳作である。


Copyright © 1998- Cinema Korea, All rights reserved.