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Review 『タイフーン TYPHOON』『セックス イズ ゼロ』
『浪漫刺客』『風のファイター』

Text by カツヲうどん
2006/4/1


『タイフーン TYPHOON』 ★★★

 今までのクァク・キョンテク監督の作品を思い起こすと、このようなワールド・ワイドなサスペンスを撮ることになろうとは、ちょっと想像できなかったことですが、この作品の根底にも、最近の韓国映画の傾向ともいえる「世界的流れの中の韓国人・朝鮮民族」という考えが存在します。これはよくある自己称賛型ナショナリズムとは、ちょっと違っていて、韓国映画が国際市場に通用する今だからこそ起こりえた必然事なのかもしれません。クァク・キョンテク監督はドメステックな映画で優れた才能を見せる監督ですが、今回も、その作家性から離れた内容にはなっていません。

 映画は『ボーン・アイデンティティー』のような世界を股にかけた国際諜報物の形をとっていますが、やはり根っ子にあるのは自らの文化や民族に対するこだわり。物語は、復讐者シン(チャン・ドンゴン)と海軍将校セジョン(イ・ジョンジェ)の対決を軸にしていますが、行動の動機や理由こそ違え、両者があいまみえる真の理由とは、立場は違っても同族の血が流れたものは運命を共有するという、強烈なナショナリズム。ただ、世界市場を前提にした企画なので、舞台となる場所は、韓国内よりもタイやロシア、セリフも韓国語より、タイ語、ロシア語、英語の方が多いくらいで、シンが復讐を目論む相手も、家族を不幸にした極東体制であり、立ち向かう韓国国防省の面々も、極東の一員として行動する、といった印象が強く、『シュリ』などとは違うグローバルな視点でドラマは展開して行きます。

 主演の二人はどちらも韓国を代表するトップスターですが、注目すべきは休業から復帰したイ・ジョンジェでしょう。徹底的に体を絞り上げ、時には過激に任務を遂行するセジョンのキャラクターは、彼のキャリアではもっともハードといえる役柄で、韓国人男性のアグレッシブな理想像といったものを体現しようとしているかのようです。ただ、ここまで極端な役作りがうまくいってしまうと、今後のイ・ジョンジェはどうなるんだろうと、ちょっと心配にもなりました。海賊団リーダー、シン演じたチャン・ドンゴンも、彼に負けじと、かなり減量して役作りに取り組んでいますが、エキゾチックな容貌がさらに強調されて、どこの国の人かよく分かりません。その分、彼が北朝鮮難民の役であることにちょっと説得力が欠けてしまっているようにも感じましたが、逆に彼以外の俳優だったら、今度は無国籍海賊団のカリスマとしての説得力がなくなるような気もしますから、難しいところでしょう。

 イ・ミヨンはシンの姉ミュンジュ役として出演していますが、クァク・キョンテク監督は女性を描くことに興味がないのか、苦手なのか、重要な役にもかかわらず、あまり印象に残りません。また、国家情報院で作戦の指揮を執る司令官を名優キム・ガプスが演じていますが、彼を含めて脇役は皆総じて影が薄く、ドラマに厚みが出なかったことは残念です。『シュリ』が優れていた点は、脇役が個性豊かに活き活きと描かれていたことですが、『タイフーン TYPHOON』はそこら辺がかなり弱かったようです。

 映像自体はかなり物凄く、特に最後の船上での戦いはハリウッドもびっくりの迫力。ちょっと今の日本では無理といった出来映えで『亡国のイージス』も韓国で撮っていればもっと面白かったのに、と思ってしまいました。VFXは、毎度おなじみオーストラリアの会社が参加していますが、ここでいつも残念に思うのは、韓国映画において日本のVFXプロダクションがちっとも参加できないことでしょう。

 この作品のもう一つの問題は、たぶん上映時間が短過ぎたこと。理想をいえば一部、二部と別けて、合計4時間くらいにまとめることが出来たならば、この作品の大きなテーマでもある「絆」というものが、もっと深く描けていたのではないか、と思いました。可能であれば、完全版を望みたいところです。映画は幸福な「if」の世界を描いて終わりますが、それは民族分断の悲劇を強調するようでもあり、この作品の最終的なテーマを象徴したラストだったのかもしれません。



『セックス イズ ゼロ』 ★★★★

 ユン・ジェギュン監督の前作『頭師父一体』は無駄な演出が目について、とても良い点を付けられない映画だったが、この『セックス イズ ゼロ』は、将来彼が大化けする予感を感じさせ、「実は名作なのでは?」という困った印象を抱かざるえない特異に傑出した作品である。

 ここ数年の韓国映画において<最も志の低い映画>と評されても仕方のない内容で、あまりの下品さ、汚さは、観る者の多くに拒否反応を抱かせるだろうし、拒絶することも容易である。だが、ここまでやればむしろ清々しさと作家性すら感じさせ、ふざけているようであっても、実は演出側の緻密な計算に成り立っているのではないかと思わせる、カッチリとした構造を持つ作品だ。

 本作最大の見所は、主人公ウンシクを演じたイム・チャンジョンの存在だ。彼の演技は素晴らしいの一言に尽きる。特に傷心のウンシクが、病院の廊下で泣き叫けぶシーンは、後世に残る感動的な名シーンといえるだろう。そして『セックス イズ ゼロ』は彼のキャリアにおいて、代表作になることは間違いない。

 ヒロインのウニョを演じたハ・ジウォンは、相変わらず演技が固い。だが、前作『ボイス』からは想像も出来ない役柄に挑んでおり、その不器用な、お人形ぶりが逆に良い結果を生み出した。また彼女を含め主要な女優陣は、全て下品に徹しており、その姿勢にも大変好感が持てる。ただし、一部の日本人が見たら卒倒するかもしれない。

 俳優たちの素晴らしい演技と、あまりにも下品な内容という、相反するものが共存して成立している不思議な映画である。



『浪漫刺客』 ★★

 ユン・ジェギュン監督の前作『セックス イズ ゼロ』が、なぜ優れていたかという理由の一つに、汚い下品なギャグを、ちゃんと客がついていける笑いにしていた事が、まずはあげられると思う。だが、『浪漫刺客』は、その点で完全に失敗した。今回はスカトロネタ(NGには鼻くそネタもある)が中心だが、単に生理的な嫌悪感と軽蔑感を観客に抱かせるだけである。また、『セックス イズ ゼロ』が、タブー破りのどぎつい面白さがあったのに比べ、『浪漫刺客』は全体的にソフトであり、その分だけ安易で魅力が薄いのだ。

 小学生が執拗にくり返すが如くの、せこいギャグの連打は、テレビのコントと思えばそれなりに面白くもあり、冒頭20分くらいまでは、そこそこ楽しめる。しかし、全編それだけなので、やがて飽きてしまい苦痛になってくるだろう。また、時代劇である必然性も、よくわからない。これが現代韓国を舞台にしたホラーのパロディであったなら、かなり愉快な作品になったのではないだろうか。ユン監督の意図には、時代劇の枠を壊す考えや、キン・フーなど昔の香港映画への郷愁があったのかもしれない。だが、『黄山ヶ原』のような、強い歴史的背景に支えられていないため、その時代劇である必然性に疑問を感じてしまう。

 落ちこぼれの刺客ヨイを演じたキム・ミンジョンは、ここ数年出演した映画の中では、最良の演技をしている。しかし、彼の努力にもかかわらず(フルチンで踊るシーンがあるくらいだ)、今回も映画的な成功に縁が無かったようである。刺客集団のリーダー、イェラン演じるチェ・ソングクは、日本のマンガ『こちら葛飾区亀有公園前派出所』に出てくる、ほんだら拳のような必殺技を得意とするが、前置きが長すぎるので、あまり笑えない。

 肝心の鬼神四人娘演じる面々は、『セックス イズ ゼロ』の脇を固めたキャストがそのまま移動しただけで、ヒロインに相応しい女優は残念ながらいない。ヒャンイ役のチン・ジェヨンは、かなり頑張っているが、主役を張るには程遠いし、訛が売りのシニ(役名も同じ)も、準主役をやるには、かなり辛い。他の二人は、本当に単なるエキストラだ。唯一、ヨイの心の恋人を演じた子役のコ・ジュヨンだけが、きらりと光り感動的だ。彼女はきちんと年齢相応の子供らしい雰囲気を残した演技が出来る女優なのである。彼女がいたからこそ、『浪漫刺客』はほんの少しだけ救われたといえるだろう。

 この映画は、製作費こそ大きいが、全てに詰めが甘く、単なる思いつきのアイディアをそのまま羅列してしまったようなコメディになってしまった。



『風のファイター』 ★★(再掲)

 この映画を観ていて思い出した韓国映画がある。それはイム・グォンテク監督の『将軍の息子』シリーズだ。ここで描かれた日本人のイメージと、それに対峙する韓国人の図式は、ある意味では非常に興味深かった記憶がある。時には、あまりの情けない描写に、「おいおい、恥ずかしいなあ」と韓国側に突っ込みを入れたくもなったりするが、それもまた、韓国の日頃見えにくい部分を見ているようでもあり、色々と参考になった思い出がある。それから約15年の月日が経ち、韓国の政治も変わり、日本人の韓国におけるありようもだいぶ変わったはずの今、登場したのが、この『風のファイター』なのだが、映像テクニックの向上以外には、本質的には『将軍の息子』における日本と韓国の記号表現から、ちっとも変わっていない。日本から大幅な製作協力を受けているため、色々と遠慮している部分は見受けられるものの、極めて保守的。『ロスト・メモリーズ』が、いかにプログレッシブな企画と内容であったかがよくわかる。ただし、こういった勘違いと固定された悪意なき偏見は日本も同じだろう。それは最近よく製作される日韓合作と銘打ったテレビ・ドラマを観れば一目瞭然だ。

 さて、この映画で、時代考証の目茶苦茶さは仕方ないと好意的に解釈しても、ちょっと許せなかったのは、その編集だ。尺が長すぎて、このような乱暴な編集になった可能性もあるが、ヤン・ユノ監督の作品はどれも同じような問題を抱えているので、悪しき作家性なのではなかろうか?と思わずにいられない。とにかくカットの繋がりが唐突で、時間経過がさっぱりわからない。そのせいで、見どころが台なしになっている。

 主演のチェ・ペダル(崔倍逹=大山倍達)演じたヤン・ドングンは、彼の個性に語感が合ったのだろう。日本語のセリフは非常にきれいで、事情を知らない日本人が観たら、日本の俳優と勘違いしそうなほどである。ほかの韓国人俳優の日本人なりきりぶりも、そこそこだが、いつものエセ日本人パターンなので、主人公の演技とまるで噛み合っていない。

 日本人俳優の扱いも、いつもの韓国映画スタンダードである。皆、何を考えているかさっぱりわからない不気味なキャラばかりで、不自然極まりない。外国の作品ゆえ、こういうことは避けられない宿命なのかもしれないが、続編を作るのならば是非、改善すべきだろう。加藤雅也演じる加藤大尉も、平山あや演じる陽子も、お馴染みのステレオタイプ日本人で、生きている人間に見えない。それゆえ、主人公が加藤大尉に勝っても、ちっともすっきりしないし、陽子とペダルの恋愛も一方的で不自然だ。

 ペダルの道場破りも、かなり失礼な描写の連続で、大山倍達を主人公にしながらも「武術をなめている、軽く扱っている」と批判されても仕方ない。ただ、これを観て文句がある日本人観客は、単純批判するのではなく、なぜ、このような作品になってしまうのか、冷静に考察すべきだし、日本のマスコミも黙殺か、うわべの称賛だけではなく、きちんと客観的な意見表明をすべきだろう。また、韓国人のすべてが、この映画で描かれたものを、決して了承している訳ではないことも、付け加えておきたいと思う。


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