Review 『B型の彼氏』『クァンシクの弟クァンテ』 『あんにょん・サヨナラ』
Text by カツヲうどん
2006/1/22
『B型の彼氏』 ★★★★(一部修正して再掲)
韓国は、昔から四柱推命やら易やら、手相人相やら、東洋系の占いは盛んではあった。ただ、今のように西洋占星術や血液型占い、タロットが一般的な人気を集めるようになったのは、つい最近なのではないだろうか? ほんの2・3年前まで、医者以外は誰も血液型など気にもとめなかったのだから、一昨年のB型騒動や、この『B型の彼氏』のような企画が出てきたことは、やはり韓国の多様化を象徴しているのかもしれない。
この映画は、題名やキャスティングだけから判断すると、安易な娯楽作品にも見えるが、かなり出来がよく、ここ1、2年間に公開されたコメディの中でも、もっとも面白い作品の一つだろう。
まず、語り口が洗練されている。軽快で泥臭さはほとんど感じさせず、日本人にも、しっくり来る内容だし、この映画で商業デビューした監督のチェ・ソグォンのセンスも、今後期待できるといえるだろう。この映画で描かれるB型の彼氏は、自己中でマイペース、独善的だが、個性的でさっぱりした人物として描かれている。A型の彼女が、そんな彼氏に振り廻されてゆく様子がこの物語の核となっている訳だが、この構図は、私にとって、韓国人(=B型)と日本人(=A型)の関係を表わす比喩にも見えて、別の意味で面白かった。
問題のB型の彼氏、ヨンビン演じたイ・ドンゴンは、人によっては好き嫌いが別れそうな俳優だが、嫌味なく、素敵なB型男を演じていて好感が持てる。A型の彼女ハミ演じたハン・ジヘは、予想以上に演技が上手く、この作品を面白くしている。彼女はプロポーションも大変良いが、見かけだけでは終わらない、きちっとした女優としての素養を感じさせた。その他にも、シニやペク・イルソプが脇を固めているが、彼らについては「またかよ」的なキャスティングなので、ここら辺は韓国の芸能界に、新しい人材の登用を期待しよう。
この『B型の彼氏』は、一見安っぽい印象の作品なので、ちょっと損をしているが、十分以上に見る価値のある、コメディの好編といえる。
『クァンシクの弟クァンテ』 ★★★★
ちょっとおとぼけながら、独特の間合が笑わせてくれる、現代的なコメディですが、同時に韓国の伝統的な家族劇を連想させる作品です。監督のキム・ヒョンソクはメジャーデビュー作『爆烈野球団!(原題:YMCA野球団)』で端正な絵作りを披露してくれた監督ですが、今回はもっと身近な人々の恋愛模様をテーマに、男女のすれ違いから生まれる甘酸っぱい感傷を、とても愉快に描き上げました。
主人公のユ・グァンシク(キム・ジュヒョク)は写真館を経営する三十代の独身男。大学時代から、後輩のコ・ユンギョン(イ・ヨウォン)と密かに相思相愛の仲ですが、互いに奥手で、恋人同士になれません。やがて大学を卒業したユンギョンはアメリカに移住してしまい、二人は本当の気持ちを切り出せないまま、月日が過ぎてしまいます。数年後、共通の友人の結婚式で二人は運命の再会を果たすのですが、昔と同じで、二人の仲はちっとも先に進まず、やがて女癖の悪いキム・イルン(チョン・ギョンホ)に横取りされてしまいます。グァンシクの弟、グァンテ(ポン・テギュ)もまた、ミステリアスな美女、イ・ギョンジェ(キム・アジュン)に一目ぼれし積極的に攻め立てますが、つかみどころのないギョンジェに振り回され苦悩する日々。対象的に見えながら、実は似たもの同士の兄弟を巡る恋愛狂騒曲を、映画はスタイリッシュに描いて行きます。
私がとても共感できたのは、好きな女性に対する男の煮えきらない気持ち、運命の悪戯に翻弄される男の姿が、実感を持って描かれていたことでした。一般的に日本では「韓国の男性は恋愛に関しては強引」といった線びきがされがちですが、うまく行かない恋愛模様に悩んでいる様子は、日本人男性とさして変わらないと思います。
兄グァンシク演じたキム・ジュヒョクは、『シングルス』では、いかにも韓国人男性っぽく、『どこかで誰かに何かあれば間違いなく現れるMr.ホン』では、なんだかつかみどころのないキャラと、幅広く役柄を演じている俳優ですが、今回は『Mr.ホン』のおとぼけ路線をさらに進めて、彼の三枚目としての個性が一番よく出た作品かもしれません。しかし、真の主演は弟グァンテ演じたポン・テギュでしょう。『浮気な家族』で、年上の人妻に手ほどきを受ける高校生を演じて、一躍スターダムにのし上がった彼ですが、本作では演技のうまさが驚くほど光っています。ややもすれば、かわいい若手三枚目として忘れられてしまいそうなタイプの俳優でしたが、この作品では、彼の持つ優れた資質がはっきり出ていて、もっと上に行けそうな印象を受けました。
この映画で、もう一人注目すべき存在は、グァンシクの永遠の憧れの君、ユンギョン演じたイ・ヨウォンです。かつてアクティブな美少女として注目を集めた彼女ですが、結婚・出産を経ての久々の登場は、色々な意味で彼女の人生を感じさせるものでした。昔とは別人のようになってしまった彼女ですが、その枯れた具合が、好きな男を待ち続け、結局は積極的な別の男性のもとに嫁いでしまうユンギョンのキャラクターに、思いもかけない深みを与えました。
一種の悪女としてグァンテを翻弄するギョンジェ役、キム・アジュンは、演技者としてはまだまだですが、彼女自身が持っているクレバーな部分をキム・ヒョンソク監督はうまく引き出していて、彼女のキャリアにとって今回の作品は大きなものになったと思います。この『クァンシクの弟クァンテ』は、監督キム・ヒョンソクの作家性がよく出ているという点でも、前作『爆烈野球団!(原題:YMCA野球団)』より観る価値のある好編といえるでしょう。
グァンシクがスプリンクラーの雨の中、バーでつかんだ運命的出会いは、きっと多くの人たちの心に残ると思います。
日本と周辺諸外国の外交合戦において格好のネタになっている「靖国問題」。それを、キム・ドンウォン監督のドキュメンタリー『送還日記』で撮影を担当したキム・テイル監督と、日本の加藤久美子監督が中心になって作りあげた日韓共同ドキュメンタリーが、この『あんにょん・サヨナラ』です。
ネタがネタであるだけに、日本人の視点から観た韓国の一個人と戦後処理の問題、そして「靖国」「第二次世界大戦」が日本人にとり何であったかを、韓国人にも客観的に伝わるように構成して描いていますが、日本人スタッフ主導により製作されたような印象が強く、日本人が観た場合、それなりにまとまっているとは思うのですが、肝心の韓国の一般大衆がこの作品を観たとき、彼らの「建て前的ナショナリズム」の前に、どこまでこの映画の客観性が伝わるのか疑問にも感じました。逆に、日本人にとっては、どれだけ「建て前的懺悔主義」を捨てて観ることが出来るのだろうか?ということでもあるのですけど。
まず、日本人および日本にとっての帝国主義の歴史、日本人にとっての第二次世界大戦におけるナショナリズムとはなんであるかが丁寧に語られ、現代日本における老若男女の右派・左派の立場というものを、インタビューで出来うる限り拾いあげてゆきます。しかし、それが丹念であればあるほど、韓国側の描写があまりにも簡潔で物足りなくて、一般的な現代韓国人の率直な意見の反映が希薄に見えてきて、そのバランスの差が気になります。私はこのドキュメンタリーを観ている最中、「今の韓国人の若者は日帝時代どころか、歴史なんか全く興味がない。今の自分たちのことしか興味がないんだ」という韓国人友達の言葉を思い出しました。日本・韓国のバランスの格差は、この言葉を裏付けているようでもあり、最後まで釈然としないものを感じたのです。
映画の後半、靖国神社前で右翼と左翼がもみ合います。ある日本人の団体は「薄汚い朝鮮人は日本から出て行け!」と叫び、ある若い日本人のグループは「歴史を認識して、謝罪をしろ!」と主張します。また、日本人と中国人運動家は怖い形相で靖国の宮司に詰め寄り、靖国神社のあり方を責め立てます。ここで一番恐ろしいことは、それら当事者たちのほとんどが戦後生まれであり、当時を、実感を持って理解している者たちではない、ということです。それは、実際に時代を生きた人々の気持ちが置き去りにされ、言葉と憎しみ、イデオロギーだけが、記号として増幅して次世代に伝えられてゆく、という恐怖を感じさせる一幕でもあって、歴史認識問題をめぐる、どこか偏った部分を見ているようでもありました。
この作品の主人公でもあるイ・ヒジャさん(彼女の父親は日本人として中国南部で戦死、靖国に英霊として祭られています)に、若い日本人の運動家が涙ながらに、たどたどしい韓国語で語りかける印象的なシーンで映画は終わりますが、その姿もどこかずれていて、未来への明るい希望の象徴というよりも、終わりのない争いの象徴のようで、私は喜べませんでした。なぜなら最後に泣いていた日本人の若者たちが、今後、真剣に韓国や中国と向かい続けたとしたら、十年後のその時も、こんな純粋に涙を流せるだろうか?と、ちょっと不安になる様子でもあったからです。
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