韓国における日本映画解禁第3弾
西村嘉夫(ソチョン)
2000/10/22受領
2000年6月27日、映画・歌謡曲など日本の大衆文化に関する開放方針の第3弾が発表されました。これにより、映画に関しては、18禁映画を除く全ての日本映画が韓国で公開可能になりました(但しアニメは国際映画祭での受賞作に限る)。本稿では、これまでの開放措置と日本映画公開の流れを概観します。
1998年10月20日に行われた開放第1弾は下記要領でした。
- 四大国際映画祭(カンヌ,ヴェネチア,ベルリン,米アカデミー)受賞作(監督賞・作品賞)は上映可。
- 韓国・日本共同製作映画(韓国側が20%以上出資)は上映可。
- 韓国映画人が監督・主演した映画は上映可。
- 日本俳優が出演する韓国映画は上映可。
簡単に言うと、四大映画祭受賞作と、日韓合作に関してはオーケーということです。これに基づいて日韓合作『愛の黙示録』の輸入が許可され、輸入第一号となりました。しかし、この作品は興行性が問題になったのか結局公開されず、日本映画として最初に公開された作品は北野武の『HANA-BI』(1998年12月5日公開)となりました。
『HANA-BI』とその翌週公開された『影武者』に対する日韓両国のマスコミの関心は高く、過剰なまでの報道がされましたが、観客の出足は鈍く両作品とも期待されたほどの成績をあげることが出来ませんでした。この時期の宣伝は「日本映画」であることを売りにした内容が多く、あたかもジャパン・プレミアムがあるかのような錯覚(それは、釜山国際映画祭で日本映画が大人気だったことにより形成されたのかも知れません)に陥っていたのが失敗の原因でしょうか。反日感情が少なくない韓国で「日本映画」であることを全面に押し出すというのは今から思えば結構な賭けだったように思いますが、当時は「解禁第一号 初の日本映画」であることを頼りに多くの映画館で同時公開。しかし『HANA-BI』は内容的にあまり一般受けしない(韓国で流行るのはアート系の作品ではなく誰もが好むような大衆的な作品です)、『影武者』は製作年が古すぎるということで客足は伸びず、結局座席占有率が低いために早期上映打ち切りの憂き目に遭いました。
さて、年が明けて1999年。四大国際映画祭受賞作の『うなぎ』と『楢山節考』が公開されましたが、この時は学習効果が働いたのか、少な目の映画館で公開し高い座席占有率をキープ。それなりにロングランしました。しかし、映画館の数が少ないため、トータルの動員数は少な目で、話題となるような大ヒットには至りませんでした。
ここまでで分かったこと。それは、韓国においてジャパン・プレミアムなどは存在せず、韓国の観客は面白ければどの国の映画でも見るし、つまらなければ見ないという至極当然の事実でした。もちろん一部に熱狂的な日本映画マニアがいるのは事実で、彼らが大挙押し寄せる釜山国際映画祭などでは日本映画はフィーバーと表現しても良いほどの大人気ぶりを発揮しますが、全国レベルで日本映画に対して特別な人気がある訳ではないのです。しかし、初期に公開された4作品の成績がいずれも芳しくなかったことは、日本映画脅威論の発生を招かなかったということで、逆説的ですが長い目で見て良かったのかも知れません。もし、初期に公開された作品が大ヒットしていたら、その後の解禁スケジュールは大幅に遅れた・・・かも知れませんね。
1999年9月10日、解禁第2弾が発表されました。内容は下記の通り。
- すべての年齢層が鑑賞可能な内容の作品。
- 一般的に公認されている約70の国際映画祭(*)での受賞作。
(*)「一般的に公認されている国際映画祭」とは、韓国の映画振興委員会(旧、映画振興公社)が韓国映画が受賞した際、表彰対象としている13の国際映画祭に、国際映画製作者連盟(PIAPF)が認定している国際映画祭を加えたもの。
韓国では、外国映画を公開する場合、輸入推薦審議とレイティング審査の二種類の審査が必要とされており(日本の「税関審査」、「映倫審査」に該当すると思えば分かりやすいです)、一般公開に先立って映像物等級委員会が作品を審査し、「すべての年齢層が鑑賞可」、「12歳未満観覧不可」、「15歳未満観覧不可」、「18歳未満観覧不可」の4つのレイティングのうち、どれか1つを映画に付与します(レイティングを付与しない=公開できない場合もある)。上記「すべての年齢層が鑑賞可能な内容の作品」とは、映像物等級委員会が「すべての年齢層が鑑賞可」という審査を下した作品ということです。
この解禁第二弾を受けて、1999年11月20日に岩井俊二の『Love Letter』が公開され、日本映画として初めて大ヒットしました。ヒットの理由は何だったのでしょうか? 配給側が「日本」ではなく「岩井俊二」という作家を全面に出して宣伝をしたというテクニカルな事情もあるでしょうが、私は単純に作品の持っているパワー、そして、世紀末を迎えて刹那的なセックス&バイオレンス映画が氾濫する中で、唯一といっても良いほどの純愛物語(韓国ではここのところ冬場になると恋愛映画が大ヒットしています)だったからというのに尽きるのではないかと思います。そして、それは日本で『シュリ』がヒットした理由にも同じことが言えるでしょう。
さて、2000年に入ると解禁第二弾によって公開可能となった作品が続々と封切りされるようになりました。そして、それに拍車をかけるように2000年6月27日、解禁第3弾が発表されました。内容は下記の通り。
- 「18歳未満観覧不可」のレイティングが付与されなければ、つまり成人映画でなければ上映可能。
- 「18歳未満観覧不可」でも、解禁第二弾の時に認められた、一般的に公認されている約70の国際映画祭での受賞作は上映可能。
- ただしアニメーションは、解禁第二弾の時に認められた、一般的に公認されている約70の国際映画祭での受賞作に限って上映可能。
ここで、これまでに韓国で公開された日本映画の興行成績を見てみましょう。
日本映画公開日程(★:日韓合作扱い)
作品名 |
公開日 |
レイティング |
観客動員数 |
解禁第一弾(1998年10月20日) |
『HANA-BI』 |
1998年12月5日 |
18禁 |
37,771 |
『影武者』 |
12月12日 |
12禁 |
57,777 |
『うなぎ』 |
1999年5月1日 |
18禁 |
76,000 |
解禁第二弾(1999年9月10日) |
『楢山節考』 |
10月30日 |
18禁 |
78,000 |
『Love Letter』 |
11月20日 |
|
683,000 |
『リング』 |
12月11日 |
12禁 |
81,000 |
『ソナチネ』 |
2000年1月8日 |
18禁 |
11,500 |
『鉄道員<ぽっぽや>』 |
2月4日 |
|
226,000 |
『絵の中のぼくの村』 |
2月19日 |
|
3,000 |
『SF サムライ・フィクション』 |
2月19日 |
12禁 |
236,500 |
『ガンドレス』★ |
2月26日 |
12禁 |
9,100 |
『愛のコリーダ』 |
4月1日 |
18禁 |
150,000 |
『駅 STATION』 |
4月1日 |
|
2,000 |
『四月物語』 |
4月8日 |
12禁 |
142,000 |
『双生児』 |
4月22日 |
18禁 |
11,000 |
『Shall We ダンス?』 |
5月13日 |
|
265,000 |
『犬、走る DOG RACE』 |
6月10日 |
18禁 |
2,000 |
解禁第三弾(2000年6月27日) |
『平和の時代』★ |
7月15日 |
|
13,100 |
『踊る大捜査線 THE MOVIE』 |
7月22日 |
12禁 |
289,000 |
『リング2』 |
7月29日 |
15禁 |
126,000 |
『ゴジラ2000 ミレニアム』 |
8月12日 |
|
3,000 |
『キッズ・リターン』 |
9月28日 |
15禁 |
上映中 |
『獣兵衛忍風帖』 |
9月30日 |
18禁 |
6,500 |
『ポストマン・ブルース』 |
10月7日 |
15禁 |
上映中 |
『シコふんじゃった。』 |
10月14日 |
|
上映中 |
『愛の亡霊』 |
10月21日 |
18禁 |
上映中 |
注1:2000年10月21日現在。
注2:観客動員数はソウルのロードショー館のもの(全国ではない)。
注3:1999年と2000年の数字はすべて暫定値。
日本映画の公開本数は1998年が2本、1999年が4本であったのに対し、なんと2000年は20作品(10月21日現在)が公開されるという怒涛の公開ラッシュ。さて、その原因はどこにあるのでしょうか?
韓国で公開された日本映画の中で最高の動員数を記録したのは1999年に公開された岩井俊二の『Love Letter』で、ソウル683,000人。おおざっぱに言ってソウルで50万人(=全国100万人以上)の動員をすれば「大ヒット」と呼んで差し支えありませんが、2000年に公開された日本映画の中で最大のヒットとなったのは、ソウルで289,000人を動員した『踊る大捜査線 THE MOVIE』。つまり、2000年の日本映画は「ヒット」はあっても「大ヒット」はない状況です。しかし、大当たりはないものの平均的には悪くない数字を残しているのが日本映画の特徴。映画興行の損益分岐点をソウルで観客動員10万人と仮定すると(実際には製作費・外国映画であればその購入費・宣伝費・上映館数などが作品によって異なるため、そんなに簡単に決められる物ではないのですが、敢えてそのように仮定すると)、映画興行の成功率は下表のようになり、日本映画はハリウッド・メジャーが直接配給する作品以上の成功率を誇っていることが分かります。ジャパン・プレミアムはないものの、そして大ヒット作はでにくいながらも堅実に利益をあげることができるのが日本映画という訳です。
|
A.公開本数 |
B.ソウル10万以上 |
C.成功率(B/A) |
韓国映画 |
36作品 |
9作品 |
25.00% |
外国映画合計 |
143作品 |
34作品 |
23.80% |
米国直接配給 |
38作品 |
15作品 |
39.50% |
日本映画 |
13作品 |
7作品 |
53.80% |
注1:2000年1月1日から9月13日までの数字。
注2:9月13日現在公開中の作品と1999年に公開され年を越えてヒットした作品は除外。
今のところは、日本映画のうわずみの部分のみ公開しているから、これだけの数字が出るのだろうと思いますが、それにしても53.8%という成功率はすごいですね。これだけの数字を見せられると、今後しばらくは韓国での日本映画公開の流れは継続するだろうと予想せざるを得ません。
さて、ここまでは良いことだらけの日本映画ですが、韓国での公開に関してぼちぼち矛盾が発生してきています。2000年9月2日公開予定だった『富江 replay』と、2000年10月14日公開予定だった『らせん』は、18禁のレイティングになったため公開延期に。また、コギャルの生態を描いた秀作『バウンス Ko GALS』は輸入推薦審議の段階で「不可」判定となり輸入不可能に。そして、三池崇史の『オーディション』はロッテルダム映画祭受賞作であるにもかかわらず、この映画祭が文化観光部が許可した「公認されている約70の国際映画祭」から抜けているため(そして、18禁のレイティングになったため)封切りできず、などなど(いずれも2000年10月22日現在)。特に『らせん』は、輸入推薦審議では15禁判定だったのが、レイティング審査の段階で18禁となるなど、審査基準の曖昧さが問題となっています。
審査基準の不透明さ、曖昧さは万国共通ですが、公開しようと思って輸入したけれど、審査をパスしなかったという事が多発すると、日本映画の輸入に及び腰になる会社が出てくる可能性があります。また、それ以上に、審査をパスするために問題の箇所をカットしてオリジナルとはほど遠いプリントでの公開をする動き、実は『愛のコリーダ』などで既に起こっていることではあるのですが、そういう行動を取る会社が増えてくる可能性があります。もちろん、完全解禁されるまでプリントを寝かせておくという選択肢もあるのですが、利潤を最優先にするならばそういう選択がされる可能性は低い・・・ 日韓友好の立場からはばんばん日本映画を公開してもらいたいのですが、一映画ファンとしては原形を止めないまでに切り刻まれた作品が上映されるのは忍びない物があります。一刻も早い完全解禁を望みたいですね。
※ 文中の数字は、『韓国映画年鑑』,『シネ21』などによります。
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