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アジアフォーカス・福岡国際映画祭2011リポート
『浄土アニャン』レビュー

Reported by 井上康子
2011/10/16掲載


 実兄パク・チャヌクと共同監督した短編映画『波瀾万丈』で、第61回ベルリン国際映画祭(2011年)短編部門・金熊賞を受賞したパク・チャンギョン監督の長編デビュー作。ソウル近郊の衛星都市アニャン(安養)市の公共芸術プロジェクトから委託を受け、公共的な目的で企画された作品でもある。製作期間が3ヶ月という短期間のプロジェクトだったという事情が背景にあるようだが、アニャンについて知り得たことをまとめて作品にして伝えるという形でなく、アニャンについて調査を行うという過程そのものを作品にして見せている。アニャンについての映画を作るためのスタッフたち(パク監督自身が演じる映画監督と俳優が演じるスタッフ)はフィクションとして登場するが、映画スタッフからインタビューを受けているのは実在のアニャン市民であり、調査の対象になっているのも実際にアニャンで起きた事件、アニャンにある建築物で、それらはドキュメンタリーであるという異色の構成になっている。


パク・チャンギョン監督
(写真提供:アジアフォーカス・福岡国際映画祭事務局)

 調査対象として最も重きが置かれているのは、1988年に起きた縫製工場の火災で若い女性工員22名が亡くなった「グリーンヒル縫製工場火災事件」である。この事件に重きが置かれているのは、アニャンの経済発展を支えたのは(韓国全土がそうであったように)彼女たちのような低賃金の女性労働者であり、女性労働者こそがアニャンにおいて誰よりも敬意を払われるべき存在であり、縫製工場火災事件の犠牲者たちはその最もたる存在だからである。

 監督やスタッフは犠牲者の墓を探し回るがどこにあるかさえ分からず、アニャンで彼女たちをきちんと弔った形跡はない。監督はこの事件を小説にした作家を登場させ「彼女たちは夜間外出ができないように監禁されていたために火災が起きても逃げることができなかった」という監禁が本質的な問題であったことがわかる重大な発言を示す。そして、その直後にこの作家役の女優を登場させ、映画スタッフに対して「映画を作るときはこの火災の場面をリアルに描くのですか?」という問いを投げかけさせている。実在の人物を俳優に演じさせてまで表現する必要があったこの問いは、監督にとって重要なものであったことが伺えるが、火災の再現映像では生々しい描写を極力避け、節度のある描き方をしている。ティーチインで監督は「事件から20年以上経った現在、どういう表現が哀悼の意になるのかを考えました」と述べているが、作品全体を通して哀悼の意を表現するためのさまざまな試みが行われていることからも、監督が真摯な態度で現在にふさわしい表現で哀悼の意を表すということに取り組み続けたことが伺えて感銘を受けた。

 縫製工場火災事件について作家が発言した章に続いて、“女性”という章が設けられている。撮る側の意図をたいへん強く感じさせられる構図になっているのに驚いたが、当選した男性新市長の就任スピーチの場面で、実際にカメラがアップで捉えているのは、そのスピーチを手話通訳する女性であり、市長は彼女の肩越しの遠景になっている。また、その後、カメラが捉えているのは市長選に落選した繊維産業代表の女性候補者であり、彼女は年配の支援男性から「私の心の中ではナンバーワン!」と気遣われている。独立した章として見てもおもしろいが、1980年代に若い女性たちに人権無視の扱いをしたアニャンが現在は一定の成長を遂げたことを示し、また哀悼の意も込めているという縦断的な見方をしたくなる章である。ドキュメンタリーにありがちな説明的なナレーションは排除されており、観客は自由な見方をすることが許容されているのもこの作品の特長である。

 作品をつらぬいているモチーフのひとつは新しいものと伝統的なものの共存である。作品冒頭では韓国伝統の女性円舞カンガンスルレを見せ、結末では同じ場所でのスポーツ・ダンスを見せていることはその象徴であろうが、重要な近代の建築物とその下に発見された歴史ある寺院の遺跡をどう共存させるかということも映画スタッフが調査の対象にしている。シャーマンが韓国伝統の土俗的な祭司を行っている場面(縫製工場火災事件の犠牲者たちがシャーマンによりあの世へと見送られる)が繰り返し出てくることから、ティーチインでシャーマニズムに対する関心を問われたときも、監督は「非常に関心があります。近代化されていく時代の中でもバランスよく残していきたいと思います」と新しいものと伝統的なものの共存を重視した発言をしている。


『浄土アニャン』

 監督が遊び心から挿入しているシーンがいくつも含まれていることも印象的であり、アニャンを道草するような感覚で眺めたらよいのだろうが楽しませてもらえる。アニャンに住む中年の女性が屋上に立ってサキソフォンを吹くシーンや、モネの『草上の昼食』を模して、突然、全裸の女性を登場させているシーン(ティーチインで観客からの質問に答えて「アニャンという地名が極楽浄土を意味することから、極楽のイメージとしてモネの『草上の昼食』の裸の女性を模倣して登場させました」と説明している)は、もともと、監督が絵画や写真も専門にしているというだけに記憶に残る見応えある映像になっている。

 アニャンの歴史や文化について発言する市民。そして、そういうドキュメンタリーとドキュメンタリーのつなぎのような役割を担うのがフィクションである俳優演じる映画スタッフであるが、つなぎ方が巧みでドキュメンタリーとフィクションは渾然一体となって融合している。観客はいつしか映画スタッフと共に調査に参加しているような感覚になり、示された対象について考え込んでしまうことになる。哀悼の意をどう表わすかということ一つをとっても簡単に答えは出せない。本当に大事なことは簡単に答えが出せないもので、時には道草をしてもいいから、真摯に模索を続けていくしかないのだということにも気づかせてくれる。本当に個性的で希有な作品だ。


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