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アジアフォーカス・福岡国際映画祭2010リポート
『豆満江(とまんこう)』 チャン・リュル監督インタビュー

Reported by 井上康子
2010/10/10受領
2010/10/25掲載


作品Review

 チャン監督は在中国の朝鮮族で、自身の故郷である延辺朝鮮族自治州の豆満江付近の村に脱北者が多く訪れたことに心を痛め、この作品の構想を得たという。脱北者に対して、朝鮮人として共通のアイデンティティをもつ人々であることによる強い共感と、食料や居場所を乞う、また政治犯でもある彼らとの間に生じる葛藤がたいへんリアルに描かれており、この作品は確かにそういう背景をもつチャン監督でなくては描けなかった作品だろうと納得させられる。


『豆満江(とまんこう)』

 季節は冬である。村は豆満江を境にして北朝鮮と接しており、冬の豆満江は凍結するために特に脱北者が増える。カメラが雪に覆われた山と凍結した豆満江をとらえると、豆満江を越える脱北者の姿は小さく頼りなく、彼らが厳しい自然に象徴される過酷な環境に置かれていることを一瞬で印象的に伝えている。北朝鮮の子どもたちの一群が歩いているが、さっきまで咳き込んでいた子どもが倒れて動けなくなる。年長の子はその子がもはや息をしていないのを確認すると「死んだ」とつぶやき、そのまま表情も変えずに歩き始める。死は身近であり、また子どもたちは感情を表現する余裕もすでに失っている。

 作品では、まず朝鮮族の住んでいる村がどういう場所で、人々の営みがどのようなものかを丁寧に描いている。日本の歴史にも関係が深いことでありながら、朝鮮族自治州に住んでいる朝鮮族が言語や文化をどの程度保っているかについて知らなかったが、主人公の朝鮮族の少年チャンホをはじめとする子どもたちは朝鮮語で日常会話を行い、漢族との会話が必要なときは中国語を使い(ティーチインでの監督の話によると、実際に子どもたちは二ヶ国語を使い分けて生活しているとのこと)、家庭では朝鮮料理を食べていて、朝鮮族としてのアイデンティティを保って暮らしている。その村には酒屋や文房具屋も兼ねる商店が一軒あるだけで仕事が無く、チャンホの母は韓国に出稼ぎに行ったまま帰れず、チャンホは祖父と、話すことができない姉と暮らしている。

 仕事を探すことも諦め、つけで酒を飲むことへの遠慮から寒い店外でいつも酒を飲んでいる男たち。村でただ一人豆腐を作ることができるおばさんは子どもたちを気遣う優しい人だが、村長との関係がばれて村長の妻に殴られる。なかでも、村長の母親で認知症ではあるが上品で美しいおばあさんが「帰ることはできないし、たとえ帰れたとしても、もう昔のようなところではなくなっている」と言われつつ、生まれ故郷の北朝鮮に帰ろうと村を徘徊する姿は胸を打つ。脇を固める人々についても、彼らのせいいっぱいの生き方を描いていて、監督が故郷に住む人々に抱いている愛情を感じさせられる。


ティーチインの模様

 物語は主人公である少年チャンホの視点で語られていく。チャンホは、ある日、北朝鮮の少年ジョンジンと親しくなる。ジョンジンが病気の妹の食べ物を得ようと命がけで豆満江を渡って来ているのを知ったチャンホは彼を自宅でもてなし、妹への食べ物も渡すようになる。サッカーの達人のジョンジンは、お礼がしたいとチャンホが所属する負けてばかりのサッカーチームに加わって試合に出ることを約束する。しかし、脱北者が増えるにつれ村では食料が奪われ、脱北を助けていたチャンホの友人の父親も捕まってしまい、チャンホとジョンジンの関係も変わっていってしまう。

 北朝鮮の子が羊を盗んだことで、思わずジョンジンを殴ったチャンホは、ジョンジンの置かれている立場がいかに過酷かに改めて気づき自分の行いを後悔する。そして、ジョンジンに危機が訪れた時に、チャンホはある意志的な行動で彼を救おうとする。

 ラストは予想できなかった衝撃的なもので、子どもの純粋さとひたむきさが、社会状況が厳しい大人の世界で、何とはかないものになってしまうかが示されている。はかなく、美しいものであるからこそ、子どもの思いを守らなくてはならないという監督のメッセージがひしひしと伝わってくる胸の痛むラストである。


チャン・リュル監督インタビュー

2010年9月19日
聞き手:井上康子

監督プロフィール
 1962年生まれ。在中国の朝鮮人。2001年に短編映画『11歳』を発表。2004年に長編映画『唐詩』を発表。2005年の長編『キムチを売る女』は、2006年にフランスのウズー国際映画祭でグランプリを受賞するなど、国際的に高い評価を受け、日本でも注目を集めるようになる。アジアフォーカスでは、2007年に『風と砂の女』、2009年に『イリ』が上映されており、今回の『豆満江(とまんこう)』を含めると三作が上映されている。


ティーチインの模様
1.作品の構想

── 脱北者のおかれている環境が、いかに過酷なものかがとてもリアルに伝わって来ました。また、中国ではあるけれど、朝鮮族が住む村で人々がどういう暮らしをしているのかも丁寧に描かれていますね。村長の認知症になったお母さんが故郷の北朝鮮に戻りたいと訴えるのが印象的でしたが、今もそういう人が住んでいる場所なんだというのがわかりました。中国に住む朝鮮族であるという監督ご自身のアイデンティティが強く反映されていると思いますが、この作品の構想はどういうふうに作っていかれたのですか。

実はこの作品の構想は『キムチを売る女』よりも前にできていました。でも出資が得られなかったので、『キムチを売る女』が先になりました。結果的に、長くこの作品の構想を練っていたことになります。こういう脚本を書き上げたのは私の出自に関係があります。私の故郷は豆満江の村で、父は今もそこにいます。二人の姉も豆満江の岸辺の村に住んでいます。なので、私も、年に2・3回はそこへ帰省しているんですよ。脚本を書いたのは脱北者がたいへん多く、いろいろ問題が起きた時で、それで書かなくてはと思ったんです。出資者が得られず、作品にするのを諦めようと思った時もありました。けれど、時間が経っても状況が変わらず、脱北者はやはり苦難に見舞われている。それで、勇気をふるって映画化しなくてはと思いました。この作品をどうしても撮っておかなくてはと思ったのは、マスコミによる脱北者の報道の仕方に納得できなかったためです。彼らの状況を政治的な観点からしか報道せず、また社会の底辺にいる人についての報道は見当たりませんでした。それに、人と人の関係はどうなっているのか、また彼らの心の中はどうなのかというリアルな人の営みについて、マスコミは一切触れることがありませんでした。私は脱北者の状況を、その人たちと関わる地元の人たちを含めて、イデオロギーの目をもって見るのでなく、人と人との真実の関係として描きたいと思いました。

2.ラストについて

── 衝撃的なラストでしたが、それについて映画祭のカタログの監督からのメッセージに「卵と岩」と表現なさっているのを読みました。これについて少しお話していただけますか。

子どもの純真さが「卵」で、現実の社会が「大きな岩」です。ラストは最初からあのように描こうと決めていました。われわれの現実はいつも子どもたちを傷つけています。子どもの純粋さを壊してはいけないのに、私たちの社会は壊してしまっているんです。現実の社会は本当に残酷で、誠実さや友情も壊してしまいます。純粋さをもっているのは子どもだけです。大人はもう純粋さを大切にはしていません。誠実さや友情が壊れていってしまうものであるにしてもそれを求めていくところに希望が存在すると思います。

3.監督の描く女性について

── チャンホの姉のスニは幼い時に、豆満江の洪水にのまれたところを父親に助けられたが、父親はその時に亡くなってしまい、その後、話をしなくなったという設定でしたが、ラストでは不思議な力で離れた場所にいるチャンホの危険を感じ取り、初めて声を発しますね。チャンホへの強い愛情が表れていました。スニは『イリ』のジンソのように無垢で虐げられる人でもあり、二人には共通の要素を感じましたが、監督が意識的に描いているものだと感じました。

『キムチを売る女』や『イリ』もそうですが、私の描く女性は苦難をじっと耐えている女性で、不思議な雰囲気をたたえています。とても善良で純粋で、その善良さと純粋さでもって周囲の人々に対しています。私の映画の主役の女性たちはそういう意味で理想的な女性たちです。社会の中に、こういう人はわずかにいることはいますが、認められることなく嘲笑されていることさえあります。

4.チャンホの祖父についてなど

── 作品全体に通じることですが、感傷を排した表現をされていることが、作品に重みをもたせていると思いました。また、チャンホの祖父は心に残る登場人物でしたが、寡黙でどんなに困難な場面でも黙ってそれらを引き受ける人物として描かれています。感情表現を抑えるということも監督の作品ではしばしば感じられますがいかがですか。

よく人間を観察していると、チャンホの祖父のように底辺で生きている人はなるべく感情を外に出さないようにしています。それには理由があって、なるべくコントロールしているともいえますが、すっかりその状況に慣れてマヒしているともいえます。お金をもっている力のある人は怒りを爆発させて自分の思いを通そうとしますが、底辺の人は感情を表現しても誰も聞いてくれないので感情を表現しなくなるんです。

── 祖父は存在感がありましたが、演じた人はプロの俳優ではありませんね?

地元の村の農民です。村に行っていろいろな人と話して観察して、私のイメージに近い人を選びました。最初からプロの俳優は考えていませんでした。

5.認知症のおばあさんについて

── おばあさんが最後に橋を渡って故郷の北朝鮮に戻るというシーンは、希望を示していましたが、幻想的で息をのむほど美しかったです。おばあさんを演じた俳優さんについて少し教えていただけますか?

おばあさんを演じたのは、延辺州の中心都市である延吉にある劇団の俳優さんです。認知症のおばあさんなので村の人がやりたがらなかったし(笑)、演じてもらうのも難しいと思いました。あの俳優さんには私の理想とする雰囲気があって、それはなかなか素人には出せないだろうとも思いました。

6.次回作について

── また、監督の新作をこの映画祭で拝見できたらうれしく思います。次回作のご予定をお教えください。

計画はいっぱいあります。映画監督はみんな頭にいろいろな構想をもっているものです。ただ、出資が得られるか、ご縁があるかで作品になるかどうかが決まっていきます。今の状況だと来年に映画化は無理だと思います。将来は「福岡」というタイトルでも作品を撮りたいと思いますね。今日は柳川に行ったところなのですが、ここで映画を撮りたいなあと思いました。


取材後記

 チャン・リュル監督はアジアフォーカスに三度目のご登場。監督自身も「福岡が好きで、また来ました」とおっしゃっていましたが、映画祭で上映された監督の作品をすべて見たと話す観客の声も聞けたし、この映画祭との縁が深い方なのでしょう。「福岡」というタイトルで作品を撮りたいという発言もサービストークではなさそうです。近い将来、福岡で、監督の作品「福岡」を観ることができるのを切に願っています。


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