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アジアフォーカス 福岡国際映画祭2009リポート
『イリ』

Reported by 井上康子
2009/10/8受領
2010/3/28掲載


 2007年に『風と砂の女』が本映画祭で上映されたチャン・リュル監督の最新作。本作は中国で製作された『重慶』と、もともとは一作品として撮られたが、上映時間が長くなるため分離して二作品として公開された。


『イリ』

 1977年にイリ駅で40トンのダイナマイトを積んだ貨車が停車中に爆発し、半径1キロメートルの範囲が焦土化、死者59名、負傷者1,316名を出す大惨事となった。当時は国家開発・成長が最優先され、安全性が軽視されたために、さまざまな事故が生じているが、イリ駅の爆発事故も、火薬類は駅内に待機させてはならないなどの規則が無視されて起きたもので、史上稀にみる人災とされている。この作品は、このイリ駅爆発事故をモチーフとしている。イリ(裡里)は事故後にイクサン(益山)と地名を変えられている。

 監督は中国で生まれた在中三世の朝鮮族で、2007年、仏滞在中に「イリ駅爆発30周年」を耳にして、事故について知り、被害の大きさと地名も変えられたことを聞いたとき、「この忘れられた都市」イリが「韓国そのもののように感じられ」、映画化を思い立ったという(公式カタログより)。

 二年前、本映画祭開催中に行ったインタビューで、『キムチを売る女』では異郷で生活する朝鮮族の女性を、『風と砂の女』では異郷に逃れた脱北者を主人公としたことについて、在中三世の朝鮮族という監督の経歴を踏まえて、「(私は)非主流の立場です。私はいつも非主流の人の視点に立つんです。意図的にというのでなく、自然にそうなるのです」と答えてくれたが、そういう監督だからこそ、イリに強い関心を抱き、映画化を思い立ったのであろう。

 イリ駅の爆発事故のときの衝撃で、妊娠中だった母親から生まれてしまったために、知的障害をもっているジンソ(ユン・ジンソ)が主人公。彼女は両親も事故で亡くしており、事故で多くのものを奪われてしまった存在だ。彼女と兄のテウン(オム・テウン)は事故後もそのままイクサンに留まっており、今はジンソは中国語教室で簡単な雑用をし、兄のテウンはタクシーの運転手をしながらジンソの世話をしている。二人はイクサン駅のそばにある、老人が日中を過ごすための敬老会館に間借りしている。ジンソが仕事の行き帰りに通りかかる駅の高架の辺りはわずかにバラックに毛が生えたような建物が並んでいるだけで、通りかかる人もほとんどいない。そこは薄暗い空間で、まるで廃墟のようであり、爆発後に、そのまま時間が止まってしまったのではないかとさえ感じられる。また、二人が間借りしている敬老会館の室内では、兄のテウンが仕事から帰ると爆発前のイリ駅の模型を作ることに没頭しており、ここもまた時間が止まっている場所であることが示される。

 そして、この空間にいる人はほとんどが老人である。ジンソはバラックで靴修理をするおじいさんといつも決まったようなあいさつをし、敬老会館に戻れば、老人たちの世話をする。唯一ここにいた子どもはあっけなく病気で死んでしまい、時間が止まっているということは、未来という希望も失われていることだと再確認させられる。駅の周辺も二人が住んでいる部屋も、どこもが時間の止まってしまった希望のない空間であるという重苦しさは言葉を失う程で、監督は確かに「忘れられた都市」イリを再現することに成功している。

 ジンソは町で男たちに犯され、妊娠と流産を繰り返し、身体は危険な状態に近付いている。けれど、そんな彼女はさらに利用され、タバン(風俗営業を兼ねている喫茶店)の女は自分の身代りにジンソをコーヒーの配達に行かせ、彼女はベトナム戦争帰りの老人たちに集団で暴行されてしまう。イラクからの出稼ぎ不法労働者ジャノは道で苦しんでいたジンソを助けようと彼女を家に送り届けるが、戻って来たテウンに強姦目的と誤解され、逮捕されてしまう。ジャノは警察でも不必要であるのに「紙コップに精子を採取しろ」といたぶられる。知的障害をもつジンソと、異郷に不法に滞在するジャノの二人は最も弱い非主流の人間であるが、そういう人々こそがさらに傷つけられる存在であるという事実を監督は告発したかったのであろう。

 だが、この作品は「忘れられた都市」の重苦しさや「非主流の人たち」がいかに傷つけられるかを示すことだけを目的とした物語でなかったことが、結末の一瞬で示される。傷つけられれば傷つけられるほど、ユン・ジンソ演じるジンソの微笑は聖的な輝きを帯びてくる。死んでしまったと思っていた彼女が、廃墟のイリに戻ってきたエンディングの一瞬の微笑では、まさに彼女は聖女になったのではないかと思える輝きを放っている。監督はティーチインの中で「天使が戻って来たことで、希望を示した」と話していたが、この作品は確かに天使や希望についての物語でもあるのだ。

 障害をもつ人の描き方について、私には一つの懸念があった。知的障害をもつジンソが傷つけられても相手のことを恨むこともしない純粋な人として、パターナリスティックな描かれ方をしているということである。確かに抵抗を感じる部分もあったが、傷つけられたジンソの苦痛の表情も描かれていることから、過剰な拒否反応は起こさないですんだ。また、障害をもつ人の行動としては不自然だと感じさせられる部分もあったが、エンディングに向けての布石になっている側面のあることが、そのマイナス面を救っていると感じられた。

 二年前の『風と砂の女』の上映時は、ずっと中国語で話をされていた監督だったが(二年前には、文革で父親が逮捕されたことで、監督は母親と下方されてしまい、下方先では母親ともそれまでのように韓国語で話すことができなかったため、韓国語は現在も不自由と発言されている)、今回はティーチインもゆっくりした話し方ではあったが韓国語でずっと通された。監督にとって「韓国そのもののように感じられたイリ」を母国の韓国で母国語で撮ったということは、自身のアイデンティティを確認できる作業としても大きな意味があっただろうと思う。ただ、登場人物の名前がティーチインで話題になったとき、「役名については通常はすごく悩むが、今回はそれがいやで俳優の名前をそのまま利用しました(女優ユン・ジンソの役名がジンソ、男優オム・テウンの役名がテウン)」と笑いながら説明されたが、それはおそらくは、まだ韓国語の名前に伴うイメージのようなものをもつには至っていないためのやむを得ない決定だったのではないかと想像され、言語にまつわる御苦労の大きさが改めて感じられた。


ティーチインの模様

 上映前に登場した監督は、いきなりユーモラスに「すみません。作品が暗いのでまず謝っておきます」と挨拶し、場内が笑いに包まれた。ティーチインも終始ユーモラスであった。タクシーの乗客で「パンパン」と口でピストル音を放つ、攻撃的でちょっと危険なベトナム戦争帰りの老人役を『ホワイト・バッジ』チョン・ジヨン監督に依頼したことについては、ベトナム戦争帰りの人の描写について、この作品でも、もし批判が出れば「チョン監督に任せて、(当時もたいへん苦労されたが)もう一回苦労してもらいます」と、また、釜山国際映画祭執行委員長のキム・ドンホ氏に敬老会館を訪問する紳士役を依頼したことについては、撮影現場を訪問してもらったときに「(現場では)みんなが苦労しているから、苦労してください」と、どのように依頼したかをたいへんユーモラスに披露された。

 会場からは「作品は暗いけど、監督さんは明るいですね」という驚きの声も聞こえてきた程の明るく笑いの絶えないティーチインだった。


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