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Review 『喧嘩 ─ヴィーナスvs僕─』『ウェスト32番街』『お母さんは死なない』

Text by カツヲうどん
2008/3/23


『喧嘩 ─ヴィーナスvs僕─』

2007年執筆原稿

 『エンジェル・スノー』ハン・ジスン監督が新作を引っさげて、6年ぶりにスクリーンに帰ってきた。今度は前作とうって変わって過激なラブ・ストーリーだ。

 昆虫学者のサンミン(ソル・ギョング)と、ガラス工房で働くジナ(キム・テヒ)は相思相愛の熱愛カップルだったが、ことあるごとにひどいケンカに陥ってしまう。しかし、離れてみれば相手がいとおしい。なんとか仲を復旧させたい二人だが、相手の態度に言葉のひとつひとつが更なる諍いへと発展してゆくというお話。

 基本的にはコメディであり、かなりドタバタなシーン満載だが、ベタなギャグが垂れ流されることなくラブ・ストーリーとしての一貫性は最後まで保たれている。画作りも安定していて、技術的に色々出来るようになったいま、『エンジェル・スノー』で出来なかった試みを幾つも試しているかのようでもあった。

 「愛と憎しみは表裏一体」という事実を恋愛映画できちんと描いたところは韓国映画としては斬新だし、若気の至りのような暗さはなくて最後はちょっと大人向けのビターエンドともハッピーエンドともとれる終わり方。そこら辺はハン・ジスン監督の面目躍如といったところだ。

 でも、正直観ていてノレなかった。まず、始終過激な争いばかりしているので、その派手さばかりが目立ち、日常生活を丁寧に描いた部分が霞んでしまっている。サンミンが昆虫学者であることは斬新な設定だし、同僚のテファ(ソ・テファ)と彼の愛牛(?)のカップルも楽しい。ガラス工房を経営するジナたち女性スタッフの奮闘ぶりも働く女性像を積極的に描こうとしていて好感が持てる。だが、サンミンとジナの派手なケンカぶりは、必然性を超えたむちゃくちゃなものに走りがちで、ドラマそのものを無駄に喰ってしまっているのだ。だから一発芸的なケンカ演出が繰り返されるたびに、映画の消化不良ぶりは目立ってゆく。

 二人がケンカに至る過程を共感できるかどうかは人それぞれだろう。でも、怒り狂ったジナがサンミンにとった行動は明らかに犯罪であって、決してやってはいけないことだし、工房が爆発した後のジナの行動もやはりおかしい。人間は異常な状況下に置かれると、予想外の行動を取るものではあるけれど、ジナは完全に狂っているか、感情が欠損したサイコパスのようであり、まったく受け入れることができないキャラクターだった。ただし、演じたキム・テヒは、個性派女優としてやっていける可能性を見せてはいる。

 もう一つ気になったのはサンミン演じたソル・ギョングだ。その演技力に不満はないが、やはり彼にこういうトレンドもどきな企画は似合わない。最近の彼は方針を転換したのか、今までとは異なるイメージ作りを目指しているようだが、結果は輝きのない冴えないものばかりだ。

 『喧嘩 ─ヴィーナスvs僕─』は出来のよい作品だとは思う。丁寧な演出に出演者たちの熱演と、ハン・ジスンらしいスタイルに溢れてはいる。しかし、共感、感動できるかどうかはかなり疑問だ。


『ウェスト32番街』

2007年執筆原稿

 ニューヨークにある韓国系ルームサロンの経営者(チョン・ジュノ)が車の中で射殺される。容疑者の韓国系少年の無実をめぐり、野心家の韓国系アメリカ人弁護士ジョン・キム(ジョン・チョウ:2008年公開予定の映画『Star Trek XI』でヒカル・スールー役)は潜伏捜査を開始する。サロンを引き継いだマイク(キム・ジュンソン)に接近するが、そこにはアメリカで生まれ韓国系社会と離れて育ったジョンにとって触れがたい溝と暗闇があった。

 在米韓国人、通称「美国僑胞」。彼らを描いた韓国映画はこれまで何本かありましたが、この『ウェスト32番街』はいくつかの点で新しい作品です。まず舞台をニューヨークにしたこと。通常、在アメリカ韓国人僑胞の物語といえば東海岸が基本、そこで暮らす自己完結しているような韓国系の人々を描いたものがほとんどでした。

 次に、韓国系社会とは基本的に関係ない「韓国系アメリカ人」の視点で物語を描いたこと。主人公のジョンは韓国語が喋れず、自分のアイデンティティがアメリカ人であることを自負しているキャラクターであり、よくある韓国的な「同一民族主義」ルールとは関係ない世界で生きています。アメリカにおける美国僑胞を描いた作品は、どうしても「外国にいても同じ韓国人である」ことを謳っていることがほとんどで、アメリカ人としての生活や視点で描かれた商業作品はほとんどありませんでした。ですから、いつも最後は韓国に帰って終わり、とか、韓国系アメリカ人と結婚してハッピーエンドとか、どうしても「逃げ」の方向になってしまうことが多かった印象は否めません。しかし『ウェスト32番街』は純粋なアメリカ人から観た、矮小なニューヨーク韓国系社会を描くことで、そういった韓国的「同一民族主義」から脱しようと試みている作品に思えました。

 主人公ジョンは新米の弁護士に過ぎず、特権がある訳でもなく、自分のキャリアのために事件捜査に乗り出します。しかし、彼は韓国語が全く出来ないため、韓国系社会に潜入し、独りで捜査を進めることは大変な困難を極めます。それゆえ、バイリンガルの美国僑胞が仲介することになるのですが、そのことがまた生粋のアメリカ人という自覚を持つジョンと、韓国的なしがらみから逃れられない美国僑胞たちとの深い溝を際立たせてゆきます。

 監督のマイケル・カンはインタビューの中で「本当のアメリカに住んでいるアジア系アメリカ人の姿を見せたかった」と語っていますが、確かにジョン・キムの姿はそれを象徴したものであったとは思います。ジョンが、韓国系アメリカ人ライラ(グレース・パク:TVシリーズ『バトルスター・ギャラクティカ』で有名)の元を訪れた時、彼女の母親は大喜びします。ライラは英語・韓国語のバイリンガルであり、両社会の差異というものを熟知した女性。だから、このシーンにおける三者のずれまくった会話は、他の韓国映画が目をつぶってきた、現実の韓国系アメリカ人を象徴しているようで非常に印象的です。ライラの母親は、ジョンが韓国語を喋れると端から疑いません。英語しかできないとわかっても「…娘は英語が出来るから、彼女に韓国語を教えてもらえばいいのよ」と、何の疑問もなく言い放ちます。そこには、韓国系の娘が結婚前提の韓国系ボーイフレンドを自分の期待通りに連れて来たという、移住一世韓国人の悲しい勘違いがあって、「美国僑胞」が含む問題を強く提示しているかのようでした。

 映画は、韓国のスターであるチョン・ジュノが登場まもなく蜂の巣にされて殺される、という驚きのシーンで始まりますが、これもまた監督マイケル・カンの潜在的なメッセージが込められていたのかもしれません。

 『ウェスト32番街』は退屈な作品ですが、きちんとハードボイルドの定石を踏む努力をしているので、それなりに見ごたえのあるドラマには仕上がっていたといえるでしょう。


『お母さんは死なない』

2007年執筆原稿

 ソウル郊外の旧市街地が再開発のために爆破撤去される当日。初老の作家チェ・ホ(ハ・ミョンジュン)は警備の制止を振り切って、立ち入り禁止区域に入り込む。やがて古ぼけた一軒家へたどりつくが、その行動の裏側には彼と亡き母(ハン・ヘスク)の強い永遠の絆があった。

 かつて、韓国映画を観始めた頃「なんて、つまらない映画ばかりなのだろう」といつも感じていた。その考えが変わる契機になったのが、カン・ウソク監督の『トゥー・カップス』であり、1950年代から60年代にかけて製作された作品群だったが、その後年月を経て幾つかを改めて見直すと、昔の韓国映画には考えていた以上の価値があることに気がついた。これらの韓国映画は正直、今の韓国映画がもたらすイメージからはかなり程遠い映画ばかりだ。技術も稚拙だし話も退屈なのだけど、社会が恵まれない状況から生まれた映画が持つ、独特のたくましさが形となって映画から濃く漂ってくる。この「たくましさの形」とは、軍事政権によって規制が強化される以前、韓国映画人が生み出した映画的スタイルでもある。それらは日本人からすれば稚拙に見えるときもあるし異様だけど、韓国映画の先人たちが積み上げた独自の映画的志というものが毅然と漂っていて、今の韓国映画に希薄な濃く魅力的なエッセンスでもある。

 『お母さんは死なない』という作品の意味を考える時、今では絶滅の危機に陥っている伝統的な韓国映画の感性を、この作品は現代の技術で再現した一種のシミュレーションになっているのではないかと、ふと考える。映画は現代のチェ・ホと昔のチェ・ホのエピソードを並列に、そして断片的に並べて行くが、決して明確な語り口ではないから、一般客を考えれば、どちらかのエピソードに絞ってじっくり観せるほうがより感情移入しやすいのではないか?と思うのだけど、よく考えてみればこれはこれで演出話法として「あり」であって、韓国の伝統的構成のようにも解釈できるし、ハ・ミョンジュン監督同世代の韓国人からすれば普通の感覚にも見える。それよりも注目すべき事柄は、全編に渡って滲み出ている、映画を慈しむような丁寧さと美しさだろう。そこには韓国映画界がもともと持っていながら今に伝えられていない、もしくは寸断されてしまった独自の映画技術とセンスが高い完成度で披露されていて、かつての韓国映画を知っている人なら、今それを再現出来たことは驚きかもしれない。

 監督のハ・ミョンジュンは、劇中活き活きと楽しそうに作家チェ・ホを演じていて、その姿に観る側は、この作品が彼のための映画でもあることに気がつくだろう。母親演じたハン・ヘスクは古き良きノーブルさを湛えていて、実に美しい。その重鎮さは今の韓国だからこそ、見直すべき美しさでもある。

 『お母さんは死なない』は後世に残る作品ではないけれど、「失われつつあるやさしさ、美しさ」というものが、今の時代でも存在することが可能であることを改めて認識させる一本だ。

<注>
 ハ・ミョンジュン(河明中)は1947年生まれで、1970年代に『馬鹿たちの行進』『ピョンテとヨンジャ』などを発表した名監督ハ・ギルチョン(河吉鍾)の実弟。元々は俳優としてデビューしており、イム・グォンテク監督『族譜』の日本人、谷六郎役などで有名。その後、監督に転身。『お母さんは死なない』は監督第6作目となる。なお、本作のハン・ヘスクとは『族譜』でも共演している。


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