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Review 『正しく生きよう』『リターン』『今、愛する人と暮らしていますか?』『ぼくらの落第先生』

Text by カツヲうどん
2008/2/3


『正しく生きよう』

2007年執筆原稿

 ドマン(チョン・ジェヨン)は「異常」がアタマに付くくらい融通の効かない生真面目な警察官。交通違反した新任のイ署長(ソン・ビョンホ)にも「忠誠!」と違反切符を切ろうとするくらい。そんなドマンにイ署長直々で極秘任務が下される。最近、連続している銀行強盗対策として、官民一体で銀行強盗の訓練を行おうというのだ。主犯役に任命されたドマンは緻密な準備の元、偽銀行強盗を実行するが、手を抜かない真面目一徹な彼に周囲の人々は何が嘘でホントかわからなくなっていく…。

 チョン・ジェヨン演じるチョン・ドマンは見るからに恐ろしい男だ。無表情で無口、目も怖い。だが仕事には至ってクソ真面目であり、仕事以外の趣味といえば家で映画を観るくらい。最初、異常者然としたチョン・ジェヨンの表情を観た時、彼はこの役に対してやる気がないのだろうか?と思ったほどだ。もちろん、それは彼一流の役作りなのだが、やはり彼が何か怖いものを持った俳優であることも再度実感する。

 異常者と健常者すれすれのドマンに対して、新任署長のイ・スンウはいかにも都会のエリート然とした洗練された人物だ。確かに普通のサラリーマンと間違えられて交通違反のキップを切られそうになっても仕方ない。しかし、彼は軽佻浮薄ではなく、現代的な知性が光る男でもある。演じたソン・ビョンホはこわもての悪役が多い俳優だが、意外とこういうアクの薄い役が似合っている。

 本作のメガホンをとったのは新人ラ・ヒチャン監督だが、実質チャン・ジン作品といっていいだろう。チャン・ジンがシナリオを書き、製作の指揮を執って、チャン・ジン組が作り上げたのだから当然といえば当然だが、悪く言えばリモート・コントロール下で作られた映画でもあって、これだったらチャン・ジンが自分で撮ればいいだろう、といわれも仕方ない。ただ、チャン・ジンの個性が強いシナリを、第三者が自分なりに染め直す、ということもまた困難だろうし、客を呼べるチャン・ジン一家のキャスティングを使う、という点でも同じだろうから、全体的な視点で考えれば堅実な作品でもあった。

 だが、チャン・ジンの毒とラ・ヒチャンの手堅さ、チョン・ジェヨンのアクの強さは決してこの映画において、よい相乗効果を上げているとはいえず、「精彩さを欠いたチャン・ジンもどき映画」として正直退屈だ。出演者はソン・ビョンホを除き、お馴染みチャン・ジン一家が顔を揃え、有名でなくても個性的で面白い。彼らには独特の一体感があって、シリアスであってもコメディであっても、皆生き生きしている。こういう地道な韓国人俳優のよさを日本側は積極的に捉えて欲しいといつも思う。

 舞台を田舎街に設定し、ロケ先の空気感を活かしているところが、この映画の一番の見所だ。大都会にある近代的な銀行を舞台にしては、こういった企画は全くの別物になっていただろうと思う。

 ラ・ヒチャン監督は、この『正しく生きよう』でとりあえず次のチャンスは掴めたようだから、今度は彼独自のスタイルに期待しよう。


『リターン』

2007年執筆原稿

 少年サンウは心臓手術中に意識覚醒を経験したことから精神に変調をきたし、幼い殺人鬼と化してしまう。それから25年後。外科医ジェウ(キム・ミョンミン)は、見知らぬ男から妻を殺すと脅迫を受けていた。そして、アメリカ帰りの旧友ウックァン(ユ・ジュンサン)が突然姿を現すが、彼にも大きな秘密があった。

 この作品もまた、最近の韓国映画の傾向である複雑なトリックに彩られたミステリー・サスペンスです。映画の冒頭は、心臓手術を受けた少年が、全身麻酔にもかかわらず意識が覚醒してしまい、それが原因で殺人を繰り返すようになるという、ショッキングな展開から始まりますが、物語は突然25年後に飛び、外科医ジェウと妻ヒジン(キム・ユミ)を襲う謎めいたサスペンスに変わり、物語は進行していきます。

 この二つのドラマが、意味深ながらも全く関係ないように並行して進んでいくために、観る側にとって、この映画が一体どういうものなのか、映画が半ばを過ぎないと、さっぱりわからない状況に陥ってしまいます。やがて、ヒジンが医学知識を持った謎の犯人に殺害されてから、映画の各所に張られた伏線が一つ一つ絡み合い、いままで例を見なかったような複雑奇怪なミステリーが幕を開けていきます。しかし、ここまで来るのにかなりの時間を費やしてしまい、「どんでん返しのためのどんでん返し、トリックのためのトリック」という、異様で観ていて疲れる展開が後半に待っています。

 映画自体は医療サスペンスの趣が強く、きちんとしたリサーチ結果が反映されていて、決してぶっ飛んだネタにはなっていませんが、ついていくのがちょっと大変。こだわり過剰ともいえる実験的な性格を重視するか、バランスを欠いた妙な映画と見なすかで、評価が真っ二つに分かれそうですが、全体的にはオーソドックスな演出ぶりであって、尖った印象はなく、映像は凡庸、監督のイ・ギュマンは本当は堅実な映画作りを目指そうとしたのかもしれません。映画の後半はうってかわって、古臭い勧善懲悪な展開になってしまいます。「これだけ複雑に引っ張って来たのだから、もっとシュールにしてもいいのに…」と、詰めの平凡さを残念に思いました。

 外科医ジェウ演じたキム・ミョンミンは、韓国版『白い巨塔』テレビ・シリーズで韓国版・財前五郎を好演し、一躍有名になりましたが、まだまだスターというには魅力も個性も足りない上、表現力が豊かではありません。正直、映画が進むにつれて、誰が誰やらわからなくなって来てしまいます。それに拍車をかけたのが、ジェウの同僚である麻酔医ソッコ役のチョン・ユソク。これは演出する側のひっかけだったのかもしれませんが、あまりいい顔合わせとはいえないものです。

 逆に、謎のマッチョマン、ウックァン役のユ・ジュンサンは、どちらかといえば特徴がない俳優のように見えましたが、彼が何者であり、どういう目的で故郷に帰ってきたかが明かにされるにつれ、どんどん魅力的になってゆきます。一番の大御所、精神科医チフン演じたキム・テウは、あまりにおっさん化していて驚いてしまいましたが、どうも役作りのために大幅に体重を増やしたらしく、老け役という点では非常に効果が出ていました。

 この『リターン』という作品は、きちんと作られた真面目な映画ではあると思うのですが、韓国映画業界でここ数年のキーワードである「WELL MADE」の誤用に、あまりにもがんじがらめにされたかのような内容にもなっていて、これからの韓国映画は原点に戻って、「シンプルさ」であるとか「わかりやすさ」といったものを重視しないと、結局は凝りに凝ったシナリオが、単なる本末転倒になってしまうことを証明したような作品だったのかもしれません。


『今、愛する人と暮らしていますか?』

2007年執筆原稿

 偶然知り合った二組のカップル(オム・ジョンファ+パク・ヨンウ、イ・ドンゴン+ハン・チェヨン)。やがて彼らは別の場所、別の時間に再会したことから、熱烈な恋に落ちる。しかし、その相手が伴侶の不倫相手でもあることを知る由もなかった。お互いの不審な行動は疑惑を生み、自らも苛みはじめる。

 「おしゃれ」とはなにか? 「トップスター」とはどういうことか?

 これは今風トレンドをテーマにした映画やテレビを観た時、多くの人が考える定義だと思います。テレビの場合はあまり気にならないのですが、ワンカットに膨大な予算と時間をかけて作る映画では「本物であるか否か」ということは、そのテーマに対して知識が「ある、なし」に関係なく観ている側に意外とわかってしまうもの。そして、出演者の熱心なファンにとって魅力的な物事でも、そうではない観客からすれば「彼&彼女はスター」という前提で描かれたお話は、陳腐で観るに耐えられないものになりがちです。つまり、トレンド物企画は、一時的に一部の観客にとっては魅力的でも、一歩下がって醒めた人々にとっては空っぽな張り子にしかなり得ないことがどうしても多いわけです。残念ながら、『今、愛する人と暮らしていますか?』も、そういうトレンド物のマイナスな定石を踏んでしまったように見受けられました。

 映画の出演者は豪華。日本でも熱狂的に、この作品をアピールする人がいても不思議ではありませんが、映画は「彼らはトップスターであるから、こういう役しかやりません、その他のキャラはやりません」という偏った前提で作られているため、皆、マネキンのようです。まるで『キャプテン・スカーレット』の人形たちがつまらないトレンド・ドラマを演じているかのよう。彼らにしてみれば、きわどいベッドシーンが幾多もあり、特に女優側にしてみれば大きな挑戦だったのでしょうが、「必然性があっても、自分たちの方針に合わないから、これ以上はやりません」という鉄則下に演じているので、やはりうわべだけな印象は免れません。

 シナリオも大変練られた内容ですが、韓国映画界で流行った「WELL MADE」にこだわりすぎて、本質的な何かを置き忘れたような物語。そこに、見た目だけ豪華で贅沢な世界観が加わるわけですから、スターたちに関心のない人からすれば、なにかの物品販売促進キャンペーンを押し付けられているようなものです。

 監督のチョン・ユンスは、前作『イエスタデイ 沈黙の刻印』でも非常に凝った物語を展開しましたが、描いているものに血が通わず虚無だったことと同じように、『今、愛する人と暮らしていますか?』もまた、形式ばかり追うことに終わってしまったようです。この映画で描かれる世界は、韓国の上流社会であり、多くの人からみれば「おしゃれで格好いい」世界かもしれません。でも、そこには「高価なものだけ、たくさん並べば豪華で華麗」という、やはりこれまた見かけだけのエセ上流ぶり。日本でいえば20年くらい前の「安っぽいトレンド・ドラマ」といった感じで、逆に貧しさを感じてしまいます。映画全編を覆う粉飾ぶりが、実はチョン・ユンス監督の狙いだったとすれば、逆にそれは凄いことでしょうが、そういうことはたぶんないでしょう。

 製作を手がけたシネ2000は、古い韓国映画のテイストとは異なった、良い意味での新しさを狙った作品を意欲的に作り続けているプロダクションですが、色々な物事が豊かになりつつある今の韓国では、逆にそれが斬新なスタイルを生み出せない要素になってきているのかもしれません。この作品は、韓国内マーケットと海外マーケットの両方を大きく狙った意欲的な企画ですが、出演者のファン以外はあまりのれないと思います。登場人物たちがもう少しリアルであったなら、そして世界観がもっと説得力があるものだったならば、なかなか面白いシナリオだったとは思うのですが…。


『ぼくらの落第先生』

原題:先生、キム・ボンドゥ
2003年執筆原稿

 この映画は意外なことに、チャン・ギュソン監督のデビュー作『おもしろい映画』からは想像も出来ないくらい、かなり真面目で硬派な作品である。2002年のヒット作『おばあちゃんの家』の便乗企画のような部分もあるが、それは『おばあちゃんの家』と似たテーマを持っているからかもしれない。

 そのテーマとは「故郷の崩壊」である。

 『ぼくらの落第先生』の舞台となる村は本当の田舎だ。人々は貧しく、些細な現金収入に頼るしかなく、子供たちの教材すら満足に揃えることが出来ない。そして素朴で不器用だ。だが、彼らは現代生活から完全に隔離されている訳ではないし、出て行く手段があれば村を捨てることは可能なのだ。結果、「村=故郷」は消滅し、モノクロームの想い出のみとして朽ち果てる運命を辿ってゆく。そんな哀しみが、この『ぼくらの落第先生』からは伝わってくる。

 そして、この映画は主人公ボンドゥの成長物語でもある。彼は小銭を稼ぐ事ばかり考えている嫌な人物だが、消えゆく故郷に身を置くことで浄化され、人として成長してゆく。ちなみにボンドゥは、あれやこれやとワイロをもらう口実ばかり考えているが、これは「袖の下文化」の象徴のようでもあり、我々日本人が観ても「どこにでもこういう奴はいるよな」的なキャラクターでもある。

 主人公キム・ボンドゥを演じたチャ・スンウォンは、このところ『ライターをつけろ』や『ジェイル・ブレーカー』のようなスラップステック系コメディへの出演が続いているが、今回はかなり地味な役柄なので、ドタバタ路線を期待するとがっかりするかもしれない。だが、彼の良い意味での大根役者ぶりは、ボンドゥの打算的な側面をよく表現している。ボンドゥが父の死に際して、さめざめと泣き続けるシーンは感動的だ。

 ベテランのピョン・ヒボンは読み書きが出来ず、分校で子供たちと机を並べる老人を好演しているが、不器用で朴訥、そして短気という、この役柄は、失われつつある韓国の過去の残影のようでもある。分校の兼業用務員を個性派脇役のソン・ジルが演じるが、かなり抑えたキャラクターで、今までとはかなり印象が異なる演技をしている。5人の子役たちも皆上手だが、あえて傑出した存在をチャン・ギュソン監督は求めなかったようだ。これは彼が、よくある「田舎の学校もの」のパターンを避けたためではないかと思う。

 なお、低予算だったからだろうが、映像はかなり安っぽく、特にライティングは「ひどい」の一言に尽きる。それに、撮影が冬場に行われたからといっても、劇中の季節が春や夏にもかかわらず、俳優たちの吐く息が白い、というのも興ざめである。

 この『ぼくらの落第先生』は体裁こそコメディではあるが、時代の移り変わりと青年の成長を描いた、かなり真剣な人間ドラマであり、平均的な出来映えではあるが、観ても損はない作品だ。


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