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Review 『ハピネス』『ビューティフル・サンデー』『HERs』『ベイビィ・パニック 僕らの育児奮闘記』

Text by カツヲうどん
2008/1/13


『ハピネス』

http://www.happiness2007.co.kr/
2007年執筆原稿

 飲んだくれのクラブ経営者ヨンスは田舎の療養所に入院する。そこで働くウニと知り合い、やがて共に暮らすようになるが、ウニは重度の疾患を抱えていて、いつ死に至るかわからない体だった。田舎暮らしが馴染んだ頃、都会の暮らしに未練があるヨンスは、ウニを捨ててソウルへ逃げ帰ってしまうが…。

 ホ・ジノ監督の特徴は、独特な演出方法からくる独特なリズムにある。時には冗長過ぎて眠気を誘う事も多いが、効率的とは程遠い演出法はカットで直接語らなかった微妙な心理的繋がりを観る側に印象付ける。そのテイストは、とある日本の巨匠監督とあまりに共通するものを感じさせたため、『八月のクリスマス』が日本で公開されたとき、なにかと比較され、それがまた日本の出資による映画製作の道を開くきっかけになったのだが、よくも悪くもそこにあったのは日本側の大きな誤解であって、それは韓国側からすれば「なぜ?」という疑問だったのではないか。

 前作『四月の雪』が日本で大ヒット、ということもあってか、この『ハピネス』は間断なく製作・公開されたが、ホ・ジノ作品の中では最もバランスがとれた作品になった。『八月のクリスマス』の静的感覚がどうしても忘れられない人には違和感があるかもしれないし、『四月の雪』に熱中した人もスター性に富んだキャスティングとはいえないから、同じかもしれない。

 この映画を観て改めて気がついたのは、ホ・ジノ作品の映像や音に対する感性というものが、かなり異質である、ということだろう。いつもどこかが曇っているような映像は、人の無力感や疎外感を映し出しているようであり、俗にいう「映像美」とは程遠い。音の部分は、セリフを含めてホ・ジノ作品において空気の流れの如く自然に流れ聞こえてくる「もの」であり、あざとさとは程遠い。時にそれはノイズにしか聞こえない。だから音が重要性を持つ場面でも、音が観る側の感情を増幅させるのではなくて、虚しくさせてゆく。『ハピネス』ではクラブのシーンがそれであったし、『四月の雪』ではコンサート・シーンがそうだった。ホ・ジノという人物は映画に対して「サイレントであること」を求めているのであり、音声がある映画においては、それをいかに体現するかということに毎回苦心しているようにも見える。

 『ハピネス』は演技の面でも中々素晴らしい。イム・スジョンにしてもファン・ジョンミンにしても、監督の演出は尖ったものではなくて、見えない感情の動きを要求している。この二人が巷で騒がれるアイドル俳優ではなくて、演技力で勝負してきた俳優たちであったことも演技を引き出す上で大きな結果を残した。

 ホ・ジノの描くものは「夢」ではない。そこにあるのは唯一、「現象」として存在する「現実」だけだ。だが、そこには目に見えなくても「いつかは叶う希望」があり、きらびやかでないからこそ、いつまでも観た者の脳裏に残り続ける。

 『ハピネス』はそういう作品だった。


『ビューティフル・サンデー』

2007年執筆原稿

 重犯罪捜査担当の中年刑事カンと、司法浪人の若者ミヌ。まったく関係ないように思えた二人があいまみえた時、そこで明らかになる驚愕の真実を描く異色の心理サスペンス。

 小説におけるミステリー・トリックというものは、ページを捲って文字を読み進めない限り先がわからない、という特性があって、最後の最後までどんでん返しを引っ張ることが出来ます。古典的な一例でいいますと、アガサ・クリスティーの『アクロイド殺し』や、アイラ・レヴィンの『死の接吻』などが、この文字とページの特性を活かしたどんでん返しをうまく適用した代表的な作品といえるでしょう。

 しかし、映画における同様のトリックを考えた場合、ブラフをかけるテクニックは制限が多く小説のようにはいきません。もちろん、映像の特性(時間軸の入れ替えやアングルで観る側の注意をそらす方法など)を活かして成功させた作品はいくつかありますが、韓国映画の中だけで考えた場合、まだまだ数が少なくて、どうしても目先のテクニックに走りがちな印象を受けてしまいます。しかし『ビューティフル・サンデー』は、少し古臭いタイプの作風ながら、文学ミステリーの手法を映画のトリックに移し替えることに成功した数少ない一本といえそうです。

 物語についてはネタばれになってしまうので触れることが出来ませんが、映画を観終わると、オープニングの俗っぽいアクション・シーンもまた、一トリックとして計算されていたものであり、最初から最後まで観客側の意識を狡猾に操作していたのでは?と感じたくらいです。全く異なる物語が並行して描かれ、いつまで経っても重なりそうで重なりません。途中、先が読めたかな?と思っても、それをさらに見透かしたような展開になり、自分の推理に確信がもてなくなってきます。

 トリックそのものは非常にシンプルで、書き手の視点に立って予想してみれば、どういう結末であるかは、すぐ見通せる程度のものではあるのですが、観る側の予想をそらす展開が上手なので、わかっていても騙されてしまうのです。また、そうしたトリックとお話に追われて、他はおざなりというありがちな欠点があまりなかったことも優れていたところでしょう。ワンカット、ワンカット、非常に吟味して撮られていて、演出側の確実さと丁寧さを感じさせる上、俳優各個人から熱演を引き出すことに成功しており、暗い情念溢れる人間ドラマとしても優れた内容になっているのです。一見、よくある犯罪アクションのようであっても、映画が進行し衝撃の結末を迎えると、そこには「人の原罪と救済」という、実に韓国らしい宗教的テーマも見えてきて、この作品が一筋縄では行かない特殊な性格の物語であることがわかってくると思います。

 映画で描かれる登場人物の相関図や、そのドラマ、そして演出スタイルなど、ひと昔まえの韓国映画そのままであり、古臭さは感じますが、逆にそれは手堅い演出ぶりの反映でもあって、結果的には映画に高得点をもたらした、といえそうです。ただし、今の韓国におけるフェミニズム重視の風潮からすれば、ヒロインの扱いに批判が出ることは仕方ありません。

 カン刑事演じたパク・ヨンウは、第二の跳躍期に相応しい熱演かつ名演ぶり。神経を病んでおかしくなっている様子は鬼気迫るものであり、彼のイメージを大きく変えるものです。また、今までちょっと間抜けでなさけない役柄が多かったからこそ、今回のカン刑事の追い詰められた表情は観る側を圧倒します。もう一人の主人公であるミヌ演じたナムグン・ミンは、俳優としてはまだまだこれから、決して上手くもなく個性的でもありません。ですが、かつてのパク・ヨンウを連想させるところがあって、映画のどんでん返しを活かす上では好キャスト。

 この映画で隠れた名演ぶりを発揮し、俳優としての可能性を一番感じさせたのが、麻薬組織の若頭サンテ演じたキム・ドンハです。今回は強面のルックスを活かしたステレオ・タイプの悪役ではあるのですが、随所に役に対する解釈と工夫を感じさせる動作や表情を必ず取り入れており、俳優として非常に優れた資質を感じさせます。無名時代のファン・ジョンミンとどこか通じる部分があって、今後チャンスをつかんでぜひ飛躍してほしいと思いました。

 監督のチン・グァンギョは今回が映画デビューですが、テレビ界で長年働いてきたキャリアがあって、その演出ぶりは手堅く成熟したものがあり、スタイルそのものは保守的ですが、ところどころ独自の映像美と人間模様を描こうというこだわりを感じさせます。シナリオそのものはかなり実験的であり、それだけ博打的要素が多かった内容だとは思いますが、映画を最後まで破綻させず、最後を哀しくも大きな感動で終わらせた手腕は、とても頼もしいものを感じさせました。

 チン・グァンギョ監督は、手がける企画によって映画のスタイルが極端に古臭くなったり、妙に革新的になったり、という作品を撮りそうな雰囲気を感じさせますが、これからもちょっと注目して欲しい新人の登場だといえそうです。


『HERs』

2007年執筆原稿

 アメリカに逃れてきた一人の韓国人女性が辿る人生の軌跡を描く。

 この『HERs』はパナソニック製DVで撮影され、デジタル・プロジェクターで上映された作品です。韓国では、デジタル上映機器のインフラが早々に配備されたので、こうしたフィルムではないインディーズ作品の上映は、マスな興行を目的としたシネコンであっても、ビルの一角にあるようなアート系劇場であっても、上映に関しては、なんら不利にならない点で恵まれているといえそうです。逆に日本では必ずしもそうではないため、ビデオ撮り作品の上映が難しくなってしまうのは、ちょっと残念なことです。最近は日本の劇場でもデジタル・プロジェクター必須になってきましたが、やはり主流はフィルムであり、映画をデジタル媒体で上映することに抵抗を感じる人も多いと思うからです。

 さて、この『HERs』は、アメリカに逃れてきた韓国人売春婦の人生を年齢と場所が異なる三つのエピソードに分けて描いた作品ですが、幾つかの点で斬新さが感じられました。

 まず、韓国人がアメリカを舞台に韓国人の物語を取り上げた場合、まず出てくるのがアメリカにおける僑胞社会です。しかし、この『HERs』では、あくまでも現実のアメリカ社会と、そこで異邦人として生きていかなければならなくなったヒロインの姿を淡々と描いてゆくだけであり、僑胞社会との繋がりに関しては醒めた視点に立っています。この作品に出てくるアメリカの風景は、あくまでも「とある街角」に過ぎず、特別な場所ではなく、濃い日常感覚に溢れたロケーションで組み立てられています。そこには「アメリカで暮らす韓国人だから特別扱いして下さい」といわんばかりの視点は希薄であり、ちょっと新鮮なものを感じました。

 もちろん、韓国系アメリカ人は出てきますが、彼らは一切韓国語を話しませんし、ヒロインもまた最初は英語が片言もしゃべれないのです。しかし、そこから生まれる人間関係というものは、ありがちな「同じ民族だからなんとかなるだろう」といった甘い考えに沿ったものではなくて、冷たいながらも普遍的な人と人の繋がりを感じさせるものになっています。

 次に、この作品は一つの物語のようであっても、実は全く異なる三つのエピソードから成立する実験的な演出がなされていて、ひとりの女性の人生を描きつつも、三人の女性の人生を同時に綴る構成になっています。三人は全く性格の異なる韓国人および韓国系の女優たちですが、舞台となる街も全く異なるという手法を取ることで、ありがちな展開を回避することに成功しています。

 そして第三の特徴として、アメリカに生きる韓国系であるとか、アジア系であるとかいったこだわりよりも、異なる世界で生きていかなければならない一個人の人生を描くことに力が注がれているので、よくある「自分もアジア系だから共感できるなぁ」といった、甘えが感じられないことです。ヒロインのジナの人生は決して幸せとはいえないでしょう。最後のシーンも、彼女の死を連想させるものになっていますが、「絶望」というものはないのです。そこには「明日のことは誰にもわからない」という、その時々を生き残り、現実を受け止めていくしかない人生というものだけが冷酷に描かれていて、人の幸せというものはあくまでも後天的、そして作為的な価値観でしかないのか?という疑問に、映画を観ていて捉われていくところが、とても素晴らしいと思いました。

 アラスカの果てに流れて、40過ぎても売春を続けるジナの姿は、確かに痛ましいものかもしれません。でも、ジナの人生とその最後には、痛ましいというより何か凛とした清清しいものさえ感じてしまったのです。お話だけ聞くと、ジナの境遇に怒りを感じる人もいるでしょう。でも、それもまた一つの人生であり、幸福かどうかは本人が決めることである、という真実を、この『HERs』は強く強く訴えているかのようでした。


『ベイビィ・パニック 僕らの育児奮闘記』

2002年執筆原稿

 この映画、恐らくは、それなりのマーケット・リサーチに基づいて企画されたのだろう。だが、もしそうならば、ヒットの要素をそれなりに並べても映画は面白くはならない、という見本のような作品である。

 原題タイトルの『幼児独尊』は韓国語読みで同音異義語である「ユア」を「幼児」と「唯我」に引っかけたものらしいが、実質は何の意味も伴っていない。なぜなら、劇中、赤ん坊はさして活躍する訳ではないからだ。一応、物語の骨子は赤ん坊の争奪戦ではある。だが、子役の扱いに手を焼いたのか、それとも上手く使えなかったのか、話はヤクザと主人公三兄弟のドタバタを中心に展開し、忘れた頃に赤ん坊がノコノコと出てくる程度。結果、赤ん坊はかえって邪魔な存在で終ってしまっている。

 三兄弟の長兄マンス演じるパク・サンミョンは、やっぱり主演は辞めるべきだ。彼は非常に計算高いクレバーな人物らしいが、今回もまた役作りに心がこもっていない。次兄役のプンホ役、イ・ウォンジョンも、最近非常に売れている。彼の素朴で朴訥なキャラは、いい味を出しているが、やはり彼も脇役で輝く俳優であり、主演クラスは少しきつい。

 今回、最も旬のスターと言えるのが、三男ジェソプ役のアン・ジェモだが、彼はちっとも活躍しないし、ちっとも出てこない。恐らくは人気テレビ番組『野人時代』に主演しているため、スケジュールが取れなかったのだろうが、ファンからすれば期待外れだったに違いない。一応、ヒロインとして、三兄弟の貧乏道場に通うソウン演じるキム・ユンギョンが出てくるが、あくまでも彩りに過ぎず、良いのか悪いのかよく分からない女優だ。

 「ヤクザ」「ダメ男」「赤ん坊」「ドタバタ」と、コメディによくあるヒットの要素を集めたのはいいものの、それだけで終ってしまった映画である。


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