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Review 『ス』『麻婆島(マパド)2』『選択』『二重スパイ』

Text by カツヲうどん
2007/5/20


『ス

http://www.cinemaservice.com/soo/
2007年執筆原稿

 裏社会で暗躍する謎の仕事人「ス」。彼には幼い頃から離ればなれになっていた双子の弟がいた。そして、再会の日、弟を麻薬組織に殺されてしまった「ス」は、警察官だった弟になりすまして、組織への孤独な復讐戦を開始する。韓国と日本の映画的遺伝子、そして韓国の劇画と映画の感性が新たに生み出したネオ・ハードボイルドともいえる秀作。

 まず最初に断っておきますが、この作品が持つ感性は実質「日本映画」であり、監督&脚本の崔洋一もまた純然たる日本の監督である、ということです。そこら辺の部分を意識してこの映画を観て欲しいし、そうでなくてもこの『ス』を観た日本人のほとんどは、そこに消しようのない「日本映画」の「形」を見出すことでしょう。ですから、この映画に関わった主な人々が皆韓国人スタッフであり、韓国映画として製作はされていても、その実体は「日本映画」そのものなのです。全編にピン!と張り詰めた緊張感に、激しくも制御が完璧な俳優の演技、細部まで全く手が抜かれていない映像美と、そこにある緻密さと精巧さは、他の韓国映画ではちょっと見る事が出来ないくらいの完璧さです。似て非なる「日本映画」と「韓国映画」の対比を、ここまであからさまに露呈して見せたのは、映画史上、今回が初めてだったのではないでしょうか。

 映画は韓国のマンガ『ダブル・キャスティング』を崔洋一監督自身が大胆に脚色し、純然たるフィルム・ノワールとして、崔洋一式ハードボイルドの世界に再構築した内容ですが、そこには劇画という表現媒体が持つ、異様な世界観と独特の香りが画面一杯に立ち込めているばかりではなく、映画的なエモーションと合致させることに成功しています。かつて韓国映画では、パク・チャヌク監督の『オールド・ボーイ』が同じような個性の作品として成功を収めましたが、正直言って完成度、映画監督としての手腕は雲泥の差であり、『ス』の方が遥かに上です。崔洋一監督が日本の業界で、もまれて生き残ってきたことが、半端な経験ではなく、伊達でもなかったことがよくわかるでしょう。もちろん『ス』は『オールド・ボーイ』よりも後発の作品であり、『オールド・ボーイ』の成功があったからこそ生まれたとも言えるので、比較して優劣云々をいうのは後だしジャンケンで勝つようなものかもしれませんが、崔洋一監督が同じ環境で『オールド・ボーイ』を撮っていたなら、どんな傑作になっただろうと、かなり残念な気もしてしまったくらい、『ス』という映画は監督の意志と力が漲った、今までの韓国ではお目にかかることが出来ないような完成度の高いフィルム・ノワールである、といえるのです。

 製作スタッフには何人か日本人も参加していますが、クレジットを見た限りでは主なスタッフは韓国の業界人たち。でも、全てにおいて、今までの似たような韓国映画より一段も二段も上の素晴らしい仕事をしていて、異邦人たる崔洋一が指揮を取ることで、従来の韓国映画では発揮し得なかった、彼らが持つ本当の実力を見せてくれた、といった感じでしょうか。崔洋一という映画監督が、今の日本を代表する現役映画監督の一人であることは疑う余地はありませんが、作家性という点では「パワフル」であるとか「ハードボイルド」であるといった言葉がどうしても先行し、繊細で美しい映像美の作品を撮る、というイメージはイマイチ希薄でした。しかし、今回の『ス』においては、日本の撮影現場では出来難かった部分に踏み込むことが出来たような、崔洋一の映像派としての一面が全開しています。これはちょっと驚きであり、韓国映画界の贅沢な環境(無駄が多すぎるともいいますが)だから出来たことだったのかもしれません。

 出演者は地味な顔ぶれで、興行効果の面だけいったら、投資者や無責任な観客から文句が出そうなキャスティングですが、皆素晴らしく甲乙付け難い演技を見せます。やはりここにも崔洋一の監督としての非常に優れた手腕が出ていて、韓国のテレビや映画では観ることが出来ない演技を引き出しました。主人公「ス」ことテス&テジン演じたチ・ジニは、寡黙ながらもメラメラと燃える情念を感じさせ、俳優としての成長がはっきりわかります。映画『H[エイチ]』やテレビ『宮廷女官 チャングムの誓い』だけで彼を判断しては絶対にいけません。しかし、もっと注目して欲しいのは、組織のボス、ヤンウォン演じたムン・ソグンと、「ス」の育ての親でもあった表具師ソンイン演じたチョ・ギョンファンの二人のベテラン俳優です。二人とも現代韓国映画そしてテレビを代表する名優ですが、年を取るとパターンにはまった役割ばかり求められる韓国では、なかなか本領発揮する機会がありませんでした。でも、崔洋一監督は韓国で生まれ育った演出家ではなかったからこそ、このベテラン二人の優れた個性を見出し、素晴らしい見せ場を作ることが出来たのでしょう。この二人はその存在感ばかりではなく、時には滑稽に、時にはスタイリッシュに、役柄が背後に持つ経験や裏側を感じさせる演技を披露し、それは一般的な韓国作品ではちょっと観る事が出来そうにない素晴らしいものです。

 映画は絶望的な展開で幕を開け、救われない結末で終幕します。しかし、主人公「ス」が最後に見た風景、文字通りの明鏡止水の情景は、彼の最後の安らぎを強く象徴していて、観る側に深い余韻と感銘を残し、この映画を忘れ難いものにしました。日本と韓国の感性の違い、思惑の違い、市場の違いと、本作を否定する要素はいろいろあるとは思いますが、崔洋一監督の集大成であるとともに、日本と韓国のコラボレーションを考察する上でも、絶対見逃してはいけない映画である、と断言します。


『麻婆島(マパド)2』

2007年執筆原稿

 韓国映画が1990年代後半からの中興期を迎えてはや十年。「よくここまでもった」というのが正直な感想ですが、既に息切れ状態になっていることも事実。よくも悪くも海外に作品が売れるようになり、投機商品としてもお金が回転しと、それはそれでよいことですが、確実に企画の選択幅というものが狭められて来ています。その結果として「続編の続出」という現象が起こっているのなら、あまり誉められたことではありません。

 さて、本作は前作を無理やり続編化したようなお話。しかし監督が『非日常的な彼女』で注目を浴びたイ・サンフンなので、変化球的な期待もちょっとありました。結果的にいえば映画の出来は良い方といえ、イ・サンフン監督の人を描こうとする姿勢は伝わって来ますし、前作と色々リンクしていたりして、それなりに退屈はしない内容。ただ、映画がまともであればあるほど不要に感じたのが「続編」であるということ。つまり「麻婆島(マパド)」というネタが映画の看板になるほどのものなのか?という麻婆島よりも大きな疑問です。「孤島に暮らすおばさんたち」という要素は映画的に面白いものだったのかもしれませんが、明らかに前作で話は完結しておりシリーズものにするほどの企画なのか、ということなのです。

 シナリオ作りはだいぶ苦労したのでしょう。前作とは違い、おばさんたちのエゴに振り回される男たちのギャグが大半を占め、「瞼の君」を探し出す物語は、あっという間にどうでもよくなってしまいます。結果として島での生活を延々と映し出したり、韓国映画のパロディ大会だったりと苦し紛れ感もありあり。しかし、これを監督の責任に帰するのも間違いでしょう。なぜなら「麻婆島(マパド)」というネタで作れる話など元々たかが知れている訳で、へたをすると娯楽作ではなくなってしまうからです。かといって「麻婆島(マパド)」を某国と争ってドンパチ、といったような飛躍した話も正直無理。韓国斜めウォッチャーとしては、そのくらいやれよ、とも思いますが、韓国におけるオリジナルへの限界のようなものを観た作品でもあったのです。

 基本的には前作を観ておいた方がよいのですが、田舎的風景や、おばさんたちの牧歌的描写は、単独でもそれなりに味わいあるものです。でも「そこまで」だった、ということ。最後にアジュマ女優たちの子供から二十代にかけてのプライベート写真が提示されて映画は終わりますが、そこでこのシリーズが実はフェミニズムをテーマにしていたのかな、と改めて気付いたのでした。もし『麻婆島(マパド)3』を作るのなら、思いっきり遊ぶ勇気が製作側に必要なのではないでしょうか。


『選択』

2003年執筆原稿

<解説>
 キム・ドンウォン監督のドキュメンタリー『送還日記』にも登場したキム・ソンミョンの獄中記を描いた作品。キム・ソンミョンは、1951年に国連軍の捕虜となり収監された後、転向を拒否し、1995年まで45年もの長きに渡って服役した世界最長収監囚人。『選択』では彼の獄中記が、『送還日記』では釈放後、北朝鮮に送還されるまでが描かれている。

 私が韓国映画を見始めた時期、日本で公開される韓国映画といえば、1970年代後半から1980年代の作品と相場が決まっていた。それらの作品群は、確かに力溢れる作品であることは違いなかったが、あまりの息苦しさとつまらなさに、「韓国映画はもういいや」という気持ちにさせられた。そんな矢先、そういうイメージを覆したのがカン・ウソクの『トゥー・カップス』であり、自主映画製作団体チャンサンコンメの作品だった。

 『五月−夢の国』にしても『ストライキ前夜』にしても、社会問題に正面から取り組んだ、それこそ商業映画とは程遠い映画であったけど、あまりの面白さに驚いた記憶がある。それから約15年が経ち、韓国映画は今の時期を迎えた訳であるが、この『選択』は、チャンサンコンメのOB達が作り上げた作品といえるかもしれない。オ・ジョンオクの闊達なカメラワークには何の鈍りも感じられず、ところどころに『ストライキ前夜』の面影を垣間見る事が出来る。

 主人公のキム・ソンミョン(キム・ジュンギ)は、いわば現代史のエアポケットにはまり込んだ悲運の人物だが、映画は決してその事を声高に訴える訳でもなく、何故彼が転向を拒否し続けたかという事を訴えるわけでもなく、こういう「人生の選択」もあるのだ、という事を達観した視点で描いているかのようだ。ソンミョンと担当官オ・テシク(アン・ソックァン)との関係が変質して行く様は、月日の残酷さよりも、その優しさと包容力すら暗示している。

 映画の終わりに、釈放されたソンミョンは奇跡的に母親と再会する。これらのシーンは、実際の記録映像が使われており、人によっては大変な感動を覚えるだろう。だが、作られたドラマと実際の映像の、あまりの合い入れ無さに私はむしろ戸惑いすら感じたのであった。

 この作品に、かつてアンダーグラウンドで暴れ回った製作者達の青春時代への決別を感じたのは、果たして私だけだったのだろうか? 地味だが、心優しい映画である。


『二重スパイ』

2003年執筆原稿

 大スターの復帰作であり、新人監督の初メジャー作であり、主演俳優が権限を持って製作された映画でありと、期待と不安を同じくらい抱えた企画だったが、結果、悪い方に転んでしまったようだ。出だしからして、韓国映画のマーケットを支える二十代前半の観客からそっぽを向かれるような始まりである。彼らにとっては、あまりにも格好が悪く、興味を引くような題材ではない事は簡単に想像がつくし、この手の映像(北朝鮮の軍事パレードの中にハン・ソッキュが混じっている)も、既に食傷気味で胸焼けがする。かといって、当時を良く知る世代にとっては面白く観れるか、というと、そんな出来映えにもとてもではないがなっていないのだ。

 だが、この『二重スパイ』の問題点は、そんな企画側のズレた感覚ではない。そもそも映画としての魅力が根本的な部分から欠如している事である。まず映像がひどい。とても映画といえるようなレベルではなく、まるで一昔前の安っぽいテレビ・ドラマを見ているようだ。一体プロであるスタッフたちは何をしていたのだろうか。これは、お金を払って観る「映画」なのである。

 物語も凡庸で、ただのスパイごっこに等しい。一見、ジョン・ル・カレかレン・デイトンのスパイ小説のような話だが、あくまでも「それらしい」だけであり、全編を通しての登場人物たちの苦境は無理やり並べ立てられているだけだ。

 俳優たちの演技も特筆すべき面はない。主演のリム・ビョンホ演じるハン・ソッキュは、熱演をしてはいるものの、どうも独りよがりな演技が目立ち、ナルシズムに浸って自己コントロールを忘れているようだ。本来だったら衝撃的であるはずの記者会見の会場で太極旗を振り回すシーンも、わざとらしいだけでしらけてしまう。ヒロインだったはずのユン・スミ役のコ・ソヨンも、客寄せを狙って招かれたような役柄に過ぎず、なんの活躍もしない。それは彼女の責任というよりも、役そのものの不明瞭さに問題がある。

 なぜ、この『二重スパイ』が、こうしたひどい作品になったかを考えると、当然ながら監督をしたキム・ヒョンジョンの力量不足があげられるだろう。そう考えると、俳優たちの演技の甘さ、映像のひどさに、かなり説明がつく。だが、果たして原因はそれだけなのだろうか? 私がこの作品を鑑賞中にずっと感じたのは、監督の「立場の無さ」である。四六時中、スター俳優や、プロデューサーの顔色を伺わざる得なかったであろう様子が、まるで目に見えるような演出ぶりであった。キム・ヒョンジョン監督の今までの作品を観ていないため、そのセンスや才能に言及する事は避けたいけれども、そもそも彼のような新人監督に、この手の重厚な作品を撮らせる事は明らかに間違っている。

 1980年代の韓国公安の内部、北側スパイの活動の様子など、確かに興味をそそる部分もあるにはあるが、韓国でしか作りえない物には程遠い。この『二重スパイ』は、伝説のヒット作『シュリ』と「韓国映画/北朝鮮/ハン・ソッキュ」だけが表向き共通する部分であって、とてもではないが同じ面白さと長所を共有している映画ではない。そもそも両作品を同列扱いすること自体が無意味な事なのだ。いかにビッグネームのスターを揃えようとも、時代は移ろう物であり、観客もまた作られた映画批評や宣伝だけに踊らされない、自己防衛する能力を持ち合わせているという事を改めて思い知らせてくれる警鐘的な作品だろう。


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