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Review 『チャルサラボセ 明るい家族計画』『九尾狐家族』
『ラブストーリー』『英語完全征服』

Text by カツヲうどん
2007/3/25


『チャルサラボセ 明るい家族計画』

2006年執筆原稿

 この映画、今の日本ではちょっと考えられない内容。40年前の大映やら日活だったらありそうなお話ですが、古いというよりも着眼点がとても変わっています。

 1970年。新しい政権に替わり、大胆に、びしびしと政策を推し進めて、韓国が国家的飛躍に向けて助走し始めた時代。国土が狭く自給率にも限界があるという訳で、時の政権はバースコントロールを推進しようと画策します。その手始めの場として選ばれたのが慶尚道の、両班の子孫が人々を牛耳る、貧しく保守的な農村ヨンドゥリ。ここはなんと出産率100%。つまり、啓蒙実験を行うにはピッタリのモデル地域というわけです。でも、典型的な貧村ですから子宝は重要な労働力であり生活の保険。映画は、革新vs.保守の考え方、生き方のギャップから生まれる笑いとドラマを描いてゆきます。

 今の感覚で観れば、ヨンドゥリは信じられないような異世界。しかし今の韓国でも、一定世代の人たちは兄弟が7人8人と、たくさんいる事は珍しくありませんし、それは日本もたいして変わらないでしょう。つまり、ヨンドゥリの光景は格段特殊というものではなくて、日本でも韓国でも、ある世代にとってはごく普通の情景でもあったわけです。つまり、そこには同じ社会でもちょっと世代がずれるだけで物凄い溝が生まれるという事実が描かれているのです。

 シノプシスや予告編だけ観れば下品なセックス・コメディといった趣ですが、この映画が観客に提示しているのは新しい価値観と古い価値観の対立であり、何か一つ物事が新しくなって得るものがあれば、その代償として失われる古いものもある、という時代の移り変わりを描いた、実は真面目な感動作なのでした。

 避妊率がゼロ、誰も彼もが子だくさん、という風景が既にギャグになってしまっている現代の様子は、よく考えてみれば単なる笑い事で済まない問題でしょうし、カリスマとして官僚たちを力強く仕切ってゆく大統領の姿は、今の韓国の政治と社会のあり様を訴えているようにも思えます。また、バースコントロール啓蒙を進めてゆくのが高い教育を受けた地方出身の若い女性であり、保守層から迫害を受けながらも徐々に仲間を得て、任務を進めてゆく姿には、最近の韓国映画でよく取り上げられるフェミニズムが背景にあった、といえるかもしれません。

 監督のアン・ジヌは『オーバー・ザ・レインボー』や『踊るJSA 帰還迷令発動中!?』と、コメディひと筋ですが、どれもギャップから生まれる葛藤を描いている作品ばかり。その彼が常に目指しているであろうテーマが、今回、一気に凝縮したかのようでした。1970年代の貧しい農村を再現した様子には手抜かりなく、安っぽさ、俳優たちの浮いた感じというものがかなり抑えられていて、映像的にかなり凝った仕上がりになっています。主演がキム・ジョンウン&イ・ボムスと、地味なキャスティングにはなっていますが、それもまた映画の真面目さを支えました。

 映画は後半になると、家族の絆とは何か、という問題を重く描いた内容に変わってゆき、決して能天気なハッピーエンドは迎えませんが、新たな生活に旅立つ主人公一家のうしろ姿は、1970年代という、貧しくとも大きな飛躍を迎える希望に輝いていた時代への憧憬と重なるものでもあって、ちょっと感無量なラストになっています。あまり韓国では話題にならなかった映画ですが、個人的にはお薦めしたい佳作といえるでしょう。


『九尾狐家族』

2006年執筆原稿

 この映画に出てくる「九尾狐」とは、日本でいえば「きゅうびのきつね」。多少差異はあっても、ほぼ同じものといっていいでしょう。「狐」にまつわるお話は韓国でもメジャーな伝承であり、かつて黒澤明監督の『夢』を観た、知り合いの韓国人映画評論家が、狐の嫁入り話にえらく感激していたことがありました。日本の妖怪というものは、ネタとして中国の書物からかなり取り入れた、という話を聞いたことがあります。ですから「きゅうびのきつね」という概念も、日本と半島、大陸を繋ぐ文化的軌跡。その逆を今風にいえば「マジンガーZ」とか「ガンダム」といったところですか。

 映画は、齢千年を迎える直前の狐一家が、神通力を得ようと四苦八苦する姿を中心に描いていますが、そこにバラバラ連続殺人事件が絡むという、韓国映画お得意のブラック・コメディになっています。低予算だったこともあるでしょうけど、残酷描写は大したことはなくて、子供でも安心して見せることが出来る内容です。でも、それゆえ現代社会を皮肉ってみせるという側面がちょっと弱くなってしまった感じがありました。得体の知れない猟奇的殺人鬼が闊歩する街というのは、狐たちにとってはかつて想像も出来なかった事柄であり、自分たち妖怪よりも、現代人の方が恐ろしい化け物になってしまっている、というウィットを弱めることになっていたからです。また、狐のキャラも長生きをしている割りには行動が軽薄で物知らず。これが水木しげるの漫画だったら、見かけは若くても、枯れた古狐たちがしみじみと人間界を嘆く、という味わい深い作品になるのでしょうが。

 キャスティングは、なかなかいい俳優たちがそろっています。中でも光っていたのが、末っ子演じる、子役のコ・ジュヨン。動きに無駄がなくて、俳優としての勘の良さを感じさせます。成長して、名女優の道を歩むか、普通の人になってしまうか、ちょっと気になる存在。長男演じたハ・ジョンウも、硬軟両方出来る個性派として味がある俳優です。

 ちなみにこの作品、視覚効果のディレクターとして『HINOKIO』の秋山貴彦監督が参加しています。彼は昔から優れたCGIディレクターとして日本の業界では著名なクリエイター。「韓流」などという言葉が影も形もなかった頃、当時の韓国企業のCM製作に日本側スタッフとして参加していた経験がありました。日本の前線で活躍するクリエイターが韓国映画に堂々と参加できる環境はこれからも続いて欲しいものです。でも、肝心のVFXはイマイチなのが残念でしたけど。

 『九尾狐家族』は、他の韓国式トンチンカンホラーやハテナSFに比べれば、監督が遥かに「わかっている」作品だったような気がします。


『ラブストーリー』

原題:クラシック
2003年執筆原稿

 2003年における韓国映画ベスト5に入るであろう名作の誉れ高い感動作。この作品は、二世代に渡る女性の視点で描かれているが、実は男性の感情を生々しく描き切った「男の映画」であると、私は断言したいと思う。そこには、かつての名監督フランソワ・トリュフォーの作品に流れていた感性と、相通じる物が確実に存在するのだ。

 クァク・ジェヨン監督の前作『猟奇的な彼女』について述べるならば、個人的には乗れなかった映画である。なぜならあの作品には、8年ぶりにメガホンを取ることになったクァク・ジェヨン監督が生き残りを賭けて取り組まざる得なかったであろう、少し無理な部分を感じたからだ。

 だが、今回の『ラブストーリー』は、まさにクァク・ジェヨンの魅力全開であり、非常に伸び伸びと撮ったように思える映画となっている。つぼを押さえた笑いと感動の演出は、年齢相応の中堅監督の味わいといえるだろう。撮影のイ・ジュンギュと、照明のパク・ヒョヌォン(『永遠なる帝国』、『復讐者に憐れみを』など)の造り出す映像美も、韓国で生まれ育った者のみに出来うる美しさを生み出すことに成功している。

 物語自体は、韓国のメロ・ドラマとは切っても切り離せない「過去への大哀愁路線」ではあるものの、軍事政権下から民主政権を経て、今に至るまでの韓国現代史を見事ドラマに織り込む事に成功している。

 ヒロイン(娘=ジヘ/母親=ジュヒ)を演じたソン・イェジンは、何の違和感もなく母娘二世代という大役を演じ切った。母親ジュヒの初恋の人であり、後に悲劇的な人生を歩む事になるジュナ役のチョ・スンウは、無難な演技ではあるものの、彼の持ち味が良く出ている。彼の親友テスを演じた俳優イ・ギウは全く無名だが、クァク監督の使い方の上手さもあいまって、笑いと感動の良いアクセントとなった。娘ジヘの憧れの君サンミンを演じたチョ・インソンは残念ながら非常に影が薄い。

 この『ラブストーリー』は、韓国映画特有の過去へのナルシズムが嫌いな方には抵抗を感じる作品であろうし、上映時間が少し長すぎる感もあるが、老若男女を問わずに観て欲しい映画である。また、男女の三角関係を過去と現代を通して描いている作品としては、両作品にソン・イェジンが出ている事も含めて、2002年のヒット作『永遠の片想い』とは、世代の違う監督の表裏一体の作品といえる。

 「古い皮袋に新しい葡萄酒を入れる」ことによって熟成されたかのような、見事な作品である。


『英語完全征服』

2003年執筆原稿

 このコメディは、最近の韓国映画に注目している方々なら、興味をもたれる作品であると思う。なぜなら、監督のキム・ソンスは、今まで『太陽はない』や『MUSA−武士−』といった、アクションと映像美、男を描く事で評価されていた監督だからだ。本来だったら、この手のジャンルに最も程遠いイメージの映画監督なのである。

 物語は英語コンプレックスをテーマにしているから、日本人にも大変わかりやすい。あまりに定番かつ古典的ゆえか、日本ではテレビのコントでもやりそうにないネタだが、改めて見直すと、いくらでも面白くできる、灯台もと暗し的なテーマでもあることが本作を観るとよくわかる。

 この映画の特筆すべき点は、韓国で暮らす外国人の生活を、短いながらもきちんと描いているという事だ。決して主役ではないが、英会話講師アンジェラが、韓国人の狭間で苦労する姿を描いている点は、今までの韓国映画になかった高く評価すべき部分だと思う。

 作品全体の印象は極めて安っぽく、安易な感じを受ける。所々、ゲームやマンガ、アニメの表現を取り入れて、違和感なく仕上げているところは、映像の技巧派キム・ソンスの面目躍如といったところだが、それ以外は早撮り低予算で作ったかのような雑な仕上がりだ。でも、この安さが演出上の狙いであれば、それは凄いことだ。

 話の方は、各エピソードがうまく噛み合っていない。『英語完全征服』というタイトルに反し、英語学校に集う面々の個性がうまく活かされず終わるので、エピローグに効果が出ていないし、主演二人が繰り広げるラブコメとしても弱い内容だ。家族ドラマの要素もうわべだけで、イマイチ感動に欠ける。

 ヒロイン、ヨンジュを演じたイ・ナヨンは、予想以上の三枚目ぶりがはまっていて、役作りの演出的な巧みさもあり、意外な魅力を振りまいている。やぼなお下げに、ザアマスめがね、といった典型的な見た目はもちろん、猫背でギクシャク歩く姿は、オープニング・タイトルのアニメーション・キャラクターそのままだ。ヨンジュの相手役、ムンス演じたチャン・ヒョクも、かなり、はまった好演を見せてくれる。ムンスは無神経な三枚目だが、時折見せる表情の陰りが、役の奥底にある真面目さや純朴さを、ふと感じさせ、人物像に奥行を出している。

 監督のキム・ソンスが、なぜ、このような作品を撮らざるを得なかったか、については、韓国映画ビジネスを巡るシビアな状況を垣間見るようでもあるが、とりあえず初のコメディとしては成功した作品といってもいいだろう。チープさが生理的に合わない人にはダメな作品だが、日本でリメイクしても面白そうなコメディが作れそうな映画である。


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